「常滑おやこ劇場」での「とっておきの思い出話(2)」

 

常滑小学校との関わり

 おやこ劇場を知ってもらうためには、まずは広報活動です。広報活動は口コミが一番と張り切って自主活動や例会のチケットを持ってお母さんたちが市内を奔走して会員集めをします。さあ、そのチケットを蝋原紙に鉄筆(てっぴつ)で切るのは私の役目でした。(272号の「11ぴきのねこ」のチケット参照)。切るのはいいけど、印刷機がありません。私は学校の印刷室に眠っている謄写版(ガリ版)とインクを学校からいただいて印刷をしたのです。もちろん、印刷は昼の部の仕事でした。蝋原紙は、京都で丁稚をしていた印刷屋さんからの「はなむけ」でした。3種類の蝋原紙2箱ずついただきました。学級通信に大いに役立ちましたが、チケット作りに役立つとは夢にも思っていませんでした。チケットだけでなく会費納入袋の印刷も謄写版は重宝しました。

 このころの児童数は約二千人(45学級)だったので印刷機はフル稼働でした。電動の印刷機が購入されると手動の印刷機より、早くきれいに印刷ができる新しい印刷機が使われるようになります。そうすると手動の印刷機は使われなくなり、廃棄処分されたその印刷機をいただいたのでした。

 自主活動の餅つき、凧あげ、紙染、講演、小公演などで学校の施設(校庭、運動場、体育館、視聴覚室)を借りるために、私が前もって空いている日を押さえておやこ劇場の方から借用届けを出していました。

 

市長との懇談

 体育館で例会の舞台芸術を見るために一、二〇〇脚の椅子をブロックごとに当番制で並べていました。早く文化会館ができるのを楽しみにしていたら、市の文化会館建設計画を議会が否決したのです。文化協会が早速に建設請願署名に取り組んだのですが、おやこ劇場では慎重な意見が出、先ずは、市長との懇談をしようということになりました。

 市長は、常滑高校定時制の学生時代に演劇活動をしていたのでおやこ劇場の取り組みを理解していること、劇団が宿泊する部屋も併設したいという市長の文化会館への思い入れなどがわかり、私たちは楽に舞台芸術を見られるように早く建設をしてもらうための請願署名をしました。一、八〇〇名ほどの署名が集まり、市議会側が渋々と同意し、昭和38年11月1日に竣工を迎えたのでした。

 

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 このころの児童数は約二千人(45学級)だったので印刷機はフル稼働でした。電動の印刷機が購入されると手動の印刷機より、早くきれいに印刷ができる新しい印刷機が使われるようになります。そうすると手動の印刷機は使われなくなり、廃棄処分されたその印刷機をいただいたのでした。

 自主活動の餅つき、凧あげ、紙染、講演、小公演などで学校の施設(校庭、運動場、体育館、視聴覚室)を借りるために、私が前もって空いている日を押さえておやこ劇場の方から借用届けを出していました。

 

市長との懇談

 体育館で例会の舞台芸術を見るために一、二〇〇脚の椅子をブロックごとに当番制で並べていました。早く文化会館ができるのを楽しみにしていたら、市の文化会館建設計画を議会が否決したのです。文化協会が早速に建設請願署名に取り組んだのですが、おやこ劇場では慎重な意見が出、先ずは、市長との懇談をしようということになりました。

 市長は、常滑高校定時制の学生時代に演劇活動をしていたのでおやこ劇場の取り組みを理解していること、劇団が宿泊する部屋も併設したいという市長の文化会館への思い入れなどがわかり、私たちは楽に舞台芸術を見られるように早く建設をしてもらうための請願署名をしました。一、八〇〇名ほどの署名が集まり、市議会側が渋々と同意し、昭和38年11月1日に竣工を迎えたのでした。