■杉本武之プロフィール

1939年 碧南市に生まれる。

京都大学文学部卒業。

翻訳業を経て、小学校教師になるために愛知教育大学に入学。

25年間、西尾市の小中学校に勤務。

定年退職後、名古屋大学教育学部の大学院で学ぶ。

〈趣味〉読書と競馬

 

【30】解良栄重『良寛禅師奇話』

◎良寛さんという人

 良寛という江戸後期に生きた禅僧に興味を持ったのは、今から60年ほど前のことでした。何か、とんでもない不思議な魅力を持った人物のように思われたのです。

 大学生になった私は、良寛に関する本を読もうとしました。しかし、当時は初心者向きの適当な入門書がありませんでした。そこで、岩波文庫の『良寛詩集』を古本屋で買って来て読み始めました。少しも理解できませんでした。読むのを諦めました。

 私が30歳になった時、唐木順三の『良寛』が出版されました。素晴らしい本でした。この本のおかげで、私は良寛に近づく糸口を見つけました。

 その時から現在に至るまで、私は良寛という人間を理解しようと努力して来ました。そして、研究を続け、自分なりに分かった事を苦心してまとめて出版して来ました。『慈愛の人・良寛』『白い雲』『手まりつきつつ』『慈愛の風』などです。

 長い間、良寛さんの人間像を追い求めて来ました。しかし、良寛という人は想像を絶する深遠な人間です。簡単に把握できるような人ではありません。分かったと思う時もありましたが、それは良寛さんのほんの一部が分かったにすぎませんでした。私の良寛理解への試みは、「群盲象を撫でる」のようなものでした。今では、良寛の全体像を把握することは私には殆ど不可能なことだと諦めています。しかし、良寛さんのような人間になりたいという願望は、常に持っています。

 良寛という、実につかみどころのない人間を少しでも理解しようと思う人に取って、最も役に立つ参考書は、解良栄重が書いた『良寛禅師奇話』だと思います。これは稀に見る名著です。

 良寛の親友に解良叔問いう庄屋がいました。その三男が解良栄重で、良寛よりも52歳年下です。良寛が74歳で亡くなった時には、まだ22歳の青年でした。しかし、良寛は解良家に気軽に出入りしていたので、聡明な少年・栄重のことをよく知っていましたし、栄重も不思議な老人・良寛の言動を身近に見たり聞いたりしていました。

 良寛の死後、38歳になった栄重は、若い頃に大きな感化を受けた良寛について、自分が直接見聞した事柄や、他人から聞いた事などを集めて記録しました。それが『良寛禅師奇話』で、全部で58編のエピソードが綴られています。 今から、『良寛禅師奇話』の幾つかの章句を読んでみましょう。簡潔な表現で良寛の人間像が見事に描かれています。

◎ 『良寛禅師奇話』

(一)「師、常ニ黙々トシテ、動作閑雅ニシテ、余リ有ルガ如シ。心広ケレバ体ユタカ也トハ、コノ言ナラン」

(大意――良寛禅師はいつも口数が少なく、動作は全てゆったりとして余裕があった。『大学』の中に「富は屋を潤し、徳は身を潤す。心広ければ体ゆたか也」と書かれているが、良寛禅師のような人の事を言っているのであろうか)

(二)「師、常ニ酒ヲ好ム。シカリト云ヘドモ、 量ヲ超テ酔狂ニ至ルヲ見ズ。又、田父野翁ヲ云ハズ、銭ヲ出シ合テ酒ヲ買ヒ、呑ムコトヲ好ム。汝一盃、吾一盃、其ノ盃ノ数、多少ナカラシム」

(大意――良寛禅師は、いつも酒が好きだった。酒好きではあったけれど、度を過ごして酔狂に至るようなことはなかった。そしてまた、托鉢の途中で声を掛けてくれる農夫や、日なたぼっこをしている老人とも、気軽にお金を出し合って、酒を買って飲むのを好んでいた。「さあ、あなたも一杯、私も一杯」といった調子で、飲む量も同じにしていた)

(三)「師、音吐朗暢、読経ノ声、心耳ニ徹ス。聞ク者、自ズカラ信ヲ起ス」

(大意――良寛禅師は、いつもは無口であったが、托鉢する時の読経の声は、まことに高く澄んで淀みがなく、心のすみずみに響き渡った。聞く人は、自然に信仰心を抱くようになった)

(四)「師、能ク人ノ為ニ病ヲ看、飲食起居ニ心ヲ尽ス。又、能ク按摩シ、又、灸ヲ据ウ。人、明日我ガ為ニ灸ヲセヨト云フ。師、明日ノコトト云ヒテ、敢テ諾セズ。軽諾、信少ナキガ為カ、又、生死、明日ヲ期セザルノ故カ」

(大意――良寛禅師は、托鉢の途中でも、病人がいると聞くと、看病したり、その病人の飲食や日常生活の様子に気を使っていた。また、疲れた人には按摩をしてあげたり、お灸を据えてあげていた。人から「明日もまた来て、お灸を据えてくれないか」と言われると、良寛禅師は「明日のことは……」と言葉を濁して快諾することはなかった。軽々しく約束するのは信用の置けない行為ということなのか、あるいは又、自分が生きているのか死んでいるのか明日になってみないと分からない、という理由からなのだろうか)

(五)「盗人アリ、国上ノ草庵ニ入ル。物ノ盗ミ去ルベキモノナシ。師ノ臥蓐ヲ引キテ密ニ奪ハントス。師、寝テ知ラザルモノノ如クシ、自ラ身ヲ転ジ、其ノ引クニ任セ、盗ミ去ラシム」

(大意――ある夜、一人の泥棒が、良寛禅師が独りで寝ている国上山の草庵に入って来た。ところが、盗んで行くような物が何も無い。仕方がないので、泥棒は、良寛禅師が寝ていた布団をそっと剥いで持って行こうと考えた。良寛禅師は、眠っているふりをしたまま寝返りを打って、盗みやすくしてやった)

(六)「師、国上ノ草庵ニ在リシ時、竹筍、厠ノ中ニ生ズ。師、蝋燭ヲ点シ、其ノ屋根ヲ焼キ、竹ノ子ヲ出サントス。延テ厠ヲ焼ケリト」

(大意――良寛禅師が国上山の草庵に住んでいた時、別棟の便所の中に竹の子が生えて来た。どんどん伸びて、やがて屋根に突き当たりそうになった。良寛禅師は、これは可哀想だと考えて、ロウソクの火で屋根の部分を少し焼いて穴をあけ、竹の子を外に出してやろうとした。火が燃え広がり、便所が全焼してしまったということだ)

(七)「師ノ嫌フ処ハ、書家ノ書、歌詠ミノ歌、又、題ヲ出シテ歌詠ミヲスル」

(大意――良寛禅師が嫌っていたものは次のものだった。書道の達人の書、専門の歌人の歌、歌会で題を出して詠み合う題詠、それらのものを嫌っていた)

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◎良寛さんという人

 良寛という江戸後期に生きた禅僧に興味を持ったのは、今から60年ほど前のことでした。何か、とんでもない不思議な魅力を持った人物のように思われたのです。

 大学生になった私は、良寛に関する本を読もうとしました。しかし、当時は初心者向きの適当な入門書がありませんでした。そこで、岩波文庫の『良寛詩集』を古本屋で買って来て読み始めました。少しも理解できませんでした。読むのを諦めました。

 私が30歳になった時、唐木順三の『良寛』が出版されました。素晴らしい本でした。この本のおかげで、私は良寛に近づく糸口を見つけました。

 その時から現在に至るまで、私は良寛という人間を理解しようと努力して来ました。そして、研究を続け、自分なりに分かった事を苦心してまとめて出版して来ました。『慈愛の人・良寛』『白い雲』『手まりつきつつ』『慈愛の風』などです。

 長い間、良寛さんの人間像を追い求めて来ました。しかし、良寛という人は想像を絶する深遠な人間です。簡単に把握できるような人ではありません。分かったと思う時もありましたが、それは良寛さんのほんの一部が分かったにすぎませんでした。私の良寛理解への試みは、「群盲象を撫でる」のようなものでした。今では、良寛の全体像を把握することは私には殆ど不可能なことだと諦めています。しかし、良寛さんのような人間になりたいという願望は、常に持っています。

 良寛という、実につかみどころのない人間を少しでも理解しようと思う人に取って、最も役に立つ参考書は、解良栄重が書いた『良寛禅師奇話』だと思います。これは稀に見る名著です。

 良寛の親友に解良叔問いう庄屋がいました。その三男が解良栄重で、良寛よりも52歳年下です。良寛が74歳で亡くなった時には、まだ22歳の青年でした。しかし、良寛は解良家に気軽に出入りしていたので、聡明な少年・栄重のことをよく知っていましたし、栄重も不思議な老人・良寛の言動を身近に見たり聞いたりしていました。

 良寛の死後、38歳になった栄重は、若い頃に大きな感化を受けた良寛について、自分が直接見聞した事柄や、他人から聞いた事などを集めて記録しました。それが『良寛禅師奇話』で、全部で58編のエピソードが綴られています。 今から、『良寛禅師奇話』の幾つかの章句を読んでみましょう。簡潔な表現で良寛の人間像が見事に描かれています。

◎ 『良寛禅師奇話』

(一)「師、常ニ黙々トシテ、動作閑雅ニシテ、余リ有ルガ如シ。心広ケレバ体ユタカ也トハ、コノ言ナラン」

(大意――良寛禅師はいつも口数が少なく、動作は全てゆったりとして余裕があった。『大学』の中に「富は屋を潤し、徳は身を潤す。心広ければ体ゆたか也」と書かれているが、良寛禅師のような人の事を言っているのであろうか)

(二)「師、常ニ酒ヲ好ム。シカリト云ヘドモ、 量ヲ超テ酔狂ニ至ルヲ見ズ。又、田父野翁ヲ云ハズ、銭ヲ出シ合テ酒ヲ買ヒ、呑ムコトヲ好ム。汝一盃、吾一盃、其ノ盃ノ数、多少ナカラシム」

(大意――良寛禅師は、いつも酒が好きだった。酒好きではあったけれど、度を過ごして酔狂に至るようなことはなかった。そしてまた、托鉢の途中で声を掛けてくれる農夫や、日なたぼっこをしている老人とも、気軽にお金を出し合って、酒を買って飲むのを好んでいた。「さあ、あなたも一杯、私も一杯」といった調子で、飲む量も同じにしていた)

(三)「師、音吐朗暢、読経ノ声、心耳ニ徹ス。聞ク者、自ズカラ信ヲ起ス」

(大意――良寛禅師は、いつもは無口であったが、托鉢する時の読経の声は、まことに高く澄んで淀みがなく、心のすみずみに響き渡った。聞く人は、自然に信仰心を抱くようになった)

(四)「師、能ク人ノ為ニ病ヲ看、飲食起居ニ心ヲ尽ス。又、能ク按摩シ、又、灸ヲ据ウ。人、明日我ガ為ニ灸ヲセヨト云フ。師、明日ノコトト云ヒテ、敢テ諾セズ。軽諾、信少ナキガ為カ、又、生死、明日ヲ期セザルノ故カ」

(大意――良寛禅師は、托鉢の途中でも、病人がいると聞くと、看病したり、その病人の飲食や日常生活の様子に気を使っていた。また、疲れた人には按摩をしてあげたり、お灸を据えてあげていた。人から「明日もまた来て、お灸を据えてくれないか」と言われると、良寛禅師は「明日のことは……」と言葉を濁して快諾することはなかった。軽々しく約束するのは信用の置けない行為ということなのか、あるいは又、自分が生きているのか死んでいるのか明日になってみないと分からない、という理由からなのだろうか)

(五)「盗人アリ、国上ノ草庵ニ入ル。物ノ盗ミ去ルベキモノナシ。師ノ臥蓐ヲ引キテ密ニ奪ハントス。師、寝テ知ラザルモノノ如クシ、自ラ身ヲ転ジ、其ノ引クニ任セ、盗ミ去ラシム」

(大意――ある夜、一人の泥棒が、良寛禅師が独りで寝ている国上山の草庵に入って来た。ところが、盗んで行くような物が何も無い。仕方がないので、泥棒は、良寛禅師が寝ていた布団をそっと剥いで持って行こうと考えた。良寛禅師は、眠っているふりをしたまま寝返りを打って、盗みやすくしてやった)

(六)「師、国上ノ草庵ニ在リシ時、竹筍、厠ノ中ニ生ズ。師、蝋燭ヲ点シ、其ノ屋根ヲ焼キ、竹ノ子ヲ出サントス。延テ厠ヲ焼ケリト」

(大意――良寛禅師が国上山の草庵に住んでいた時、別棟の便所の中に竹の子が生えて来た。どんどん伸びて、やがて屋根に突き当たりそうになった。良寛禅師は、これは可哀想だと考えて、ロウソクの火で屋根の部分を少し焼いて穴をあけ、竹の子を外に出してやろうとした。火が燃え広がり、便所が全焼してしまったということだ)

(七)「師ノ嫌フ処ハ、書家ノ書、歌詠ミノ歌、又、題ヲ出シテ歌詠ミヲスル」

(大意――良寛禅師が嫌っていたものは次のものだった。書道の達人の書、専門の歌人の歌、歌会で題を出して詠み合う題詠、それらのものを嫌っていた)