■杉本武之プロフィール

1939年 碧南市に生まれる。

京都大学文学部卒業。

翻訳業を経て、小学校教師になるために愛知教育大学に入学。

25年間、西尾市の小中学校に勤務。

定年退職後、名古屋大学教育学部の大学院で学ぶ。

〈趣味〉読書と競馬

 

【24】ジョン・フォード『荒野の決闘』

◎ジョン・フォードの映画との出会い

 私は、小さい時から、アメリカの西部劇が大好きでした。

 西部劇は、ほとんどが勧善懲悪の内容で、最後は正義の味方が勝つことが分かっているので、あれこれ考える必要もなく、安心して観ていられました。主人公は負けることを知らない超人で、とにかく派手に銃を撃ったりします。小心で、神経質な少年だった私は、日頃の鬱憤を晴らすには、西部劇を観るのが一番でした。

 青年期に入ると、単純な西部劇では物足りなくなってきました。そんな時に、ジョン・フォードの西部劇『駅馬車』を観ました。活劇の醍醐味も味わうことができました。それと同時に、この西部劇は、人間性を深く、鋭く追求した芸術作品でした。私は、すっかりジョン・フォードの熱狂的なファンになりました。

 アメリカ映画の巨匠ジョン・フォードを紹介します。

 ジョン・フォードは、1894年2月1日、13人兄弟の末っ子としてアメリカのメイン州で生まれました。本名はジョン・マーティン・フィーニー。父と母は共にアイルランド出身で、アメリカに渡って、バーを経営していました。1914年、ポートランド・ハイスクールを卒業した後、監督・脚本家・俳優をしていた兄を頼って映画の都ハリウッドへ行きました。翌年、俳優として『国民の創生』に端役で出演。1916年に助監督になり、ジャック・フォードを名乗りました。17年、監督に昇進。4作目の『武力の説教』で力量を認められました。23年からジョン・フォードと名乗るようになりました。

 28年、『マザー・マクリー』のセットで、雑用係のマリオン・ロバート・モリソンに出会いました。その雑用係の男こそ、その後ジョン・フォードと組んで『駅馬車』や『黄色いリボン』など数々の西部劇の名作に主演することになるジョン・ウェインでした。二人の関係は、我が国の黒澤明と三船敏郎の関係に似ています。

 35年、『男の敵』でアカデミー監督賞。39年『駅馬車』でニューヨーク映画批評家協会監督賞。41年、『わが谷は緑なりき』でアカデミー作品・監督賞。52年、『静かなる男』でアカデミー監督賞。

 彼は、西部の荒野の厳しい自然を舞台に、騎兵隊や開拓者たちの冒険と生活を詩情豊かに描きました。代表的な西部劇は『駅馬車』、『荒野の決闘』、『黄色いリボン』、『リオ・グランデの砦』、『捜索者』、『シャイアン』などです。

 数々の名作を作り上げた偉大な映画監督ジョン・フォードは、1973年8月31日、カリフォルニア州の自宅で癌で死去しました。享年78。

 彼は、自らを「明快な社会主義的自由主義者で、常に左」と規定していました。社会主義的自由主義者の目から社会の現実を眺めて、『男の敵』、『怒りの葡萄』、『わが谷は緑なりき』、『静かなる男』などの秀作を作りました。彼は西部劇だけの監督ではなかったのです。

 ジョン・フォードの作品は全部好きですが、私のベスト5は次のようです。

 ①『荒野の決闘』②『わが谷は緑なりき』③『黄色いリボン』④『駅馬車』⑤『リオ・グランデの砦』

 ウェールズの谷あいの炭鉱地帯を舞台にした『わが谷は緑なりき』は何回観ても感動します。これほど心が洗われる映画は滅多にありません。

◎『荒野の決闘』

 ジョン・フォードの全作品の中で一番好きな映画は『荒野の決闘』です。彼は1939年に最初の西部劇『駅馬車』を作りました。それから7年後の1946年に作られたのが『荒野の決闘』です。原題はM y D a r l i n gClementine です。

 『駅馬車』と『荒野の決闘』。どちらが優れているか。よく話題になりますが、簡単に決められるものではありません。各人の好みの問題です。モーツァルトの『フィガロの結婚』と『魔笛』。スタンダールの『赤と黒』と『パルムの僧院』。トルストイの『戦争と平和』と『アンナ・カレーニナ』。黒澤明の『生きる』と「七人の侍』。どちらが傑作か。即座に答えることのできる人はいないでしょう。

 『荒野の決闘』の物語は、次のように展開します。

 牛を追って旅をするアープ4兄弟は、無法状態の町・トゥームストンに立ち寄る。夜、3兄弟が町に出掛けていた間に、牛が盗まれ、牛の番をしていた末弟が射殺される。弟殺しの犯人を捜し出すために町の保安官になったワイアット・アープ(ヘンリー・フォンダ)は、医者くずれのギャンブラーのドク・ホリディ(ヴィクター・マチュア)と親交を結ぶ。そのドクを追って、彼を慕う昔の恋人クレメンタインが町にやって来る。ドクは彼女を拒み続ける。一方、少年のように純情なワイアット・アープは、清楚なクレメンタインに淡い恋心を抱く。

 やがて、牛を盗み弟を殺したのが、ならず者のクラントン一家であることが判明する。そして、アープ兄弟とクラントン一家は、町のはずれにあるOK牧場で対決する。ドク・ホリディもアープ兄弟に加担する。夜明けとともに開始された決闘で、クラントン一家は全滅し、ドクも撃たれて死ぬ。 クレメンタインは、学校を建て、子どもたちを教えるために町に残ることを決意する。ワイアット・アープは、いとしいクレメンタインに別れを告げる。そして、また牛を追ってこのトゥームストンに立ち寄ることを約束する。最後に、「私は、クレメンタインという名前が好きです」と言う。彼としては精一杯の愛の告白である。クレメンタインは、青空の下、去って行くワイアット・アープを見送りながらいつまでも手を振り続ける。

 『黒澤明が選んだ100本の映画』(黒澤和子・編)という文春新書があります。その中で、黒澤明は、最も尊敬する監督だったジョン・フォードの作品として『荒野の決闘』を選んでいます。そして、次のようなコメントが添えられています。

 「ジョン・フォードといえば西部劇でしょう。『荒野の決闘』は映画の手本みたいな作品だからね。馬に乗って通る人、その風情がまさに詩であるというような人が良い時に出てくる、そこが凄いんだよ。ジョン・フォードは大尊敬する憧れの監督だった。男の子が大好きな映画だと思う。本人もとても男っぽくて、格好良くてね」

 この映画の主人公を演じたのはヘンリー・フォンダでした。常連のジョン・ウェインではありません。ジョン・ウェインは、どちらかというと強く逞しい男のイメージがあります。好きな女性に対して口も利けないようなデリケートな男には向いていません。ヘンリー・フォンダの方が適役でした。「私はあなたが好きです」と言えないで、「私は、クレメンタインという名前が好きです」と言って立ち去る男の純情。いいなあ。実にいいなあ。

 

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【24】ジョン・フォード『荒野の決闘』

◎ジョン・フォードの映画との出会い

 

私は、小さい時から、アメリカの西部劇が大好きでした。

 西部劇は、ほとんどが勧善懲悪の内容で、最後は正義の味方が勝つことが分かっているので、あれこれ考える必要もなく、安心して観ていられました。主人公は負けることを知らない超人で、とにかく派手に銃を撃ったりします。小心で、神経質な少年だった私は、日頃の鬱憤を晴らすには、西部劇を観るのが一番でした。

 青年期に入ると、単純な西部劇では物足りなくなってきました。そんな時に、ジョン・フォードの西部劇『駅馬車』を観ました。活劇の醍醐味も味わうことができました。それと同時に、この西部劇は、人間性を深く、鋭く追求した芸術作品でした。私は、すっかりジョン・フォードの熱狂的なファンになりました。

 アメリカ映画の巨匠ジョン・フォードを紹介します。

 ジョン・フォードは、1894年2月1日、13人兄弟の末っ子としてアメリカのメイン州で生まれました。本名はジョン・マーティン・フィーニー。父と母は共にアイルランド出身で、アメリカに渡って、バーを経営していました。1914年、ポートランド・ハイスクールを卒業した後、監督・脚本家・俳優をしていた兄を頼って映画の都ハリウッドへ行きました。翌年、俳優として『国民の創生』に端役で出演。1916年に助監督になり、ジャック・フォードを名乗りました。17年、監督に昇進。4作目の『武力の説教』で力量を認められました。23年からジョン・フォードと名乗るようになりました。

 28年、『マザー・マクリー』のセットで、雑用係のマリオン・ロバート・モリソンに出会いました。その雑用係の男こそ、その後ジョン・フォードと組んで『駅馬車』や『黄色いリボン』など数々の西部劇の名作に主演することになるジョン・ウェインでした。二人の関係は、我が国の黒澤明と三船敏郎の関係に似ています。

35年、『男の敵』でアカデミー監督賞。39年『駅馬車』でニューヨーク映画批評家協会監督賞。41年、『わが谷は緑なりき』でアカデミー作品・監督賞。52年、『静かなる男』でアカデミー監督賞。

 彼は、西部の荒野の厳しい自然を舞台に、騎兵隊や開拓者たちの冒険と生活を詩情豊かに描きました。代表的な西部劇は『駅馬車』、『荒野の決闘』、『黄色いリボン』、『リオ・グランデの砦』、『捜索者』、『シャイアン』などです。

 数々の名作を作り上げた偉大な映画監督ジョン・フォードは、1973年8月31日、カリフォルニア州の自宅で癌で死去しました。享年78。

 彼は、自らを「明快な社会主義的自由主義者で、常に左」と規定していました。社会主義的自由主義者の目から社会の現実を眺めて、『男の敵』、『怒りの葡萄』、『わが谷は緑なりき』、『静かなる男』などの秀作を作りました。彼は西部劇だけの監督ではなかったのです。

 ジョン・フォードの作品は全部好きですが、私のベスト5は次のようです。

 ①『荒野の決闘』②『わが谷は緑なりき』③『黄色いリボン』④『駅馬車』⑤『リオ・グランデの砦』

 ウェールズの谷あいの炭鉱地帯を舞台にした『わが谷は緑なりき』は何回観ても感動します。これほど心が洗われる映画は滅多にありません。

 

◎『荒野の決闘』

 ジョン・フォードの全作品の中で一番好きな映画は『荒野の決闘』です。彼は1939年に最初の西部劇『駅馬車』を作りました。それから7年後の1946年に作られたのが『荒野の決闘』です。原題はM y D a r l i n gClementine です。

 『駅馬車』と『荒野の決闘』。どちらが優れているか。よく話題になりますが、簡単に決められるものではありません。各人の好みの問題です。モーツァルトの『フィガロの結婚』と『魔笛』。スタンダールの『赤と黒』と『パルムの僧院』。トルストイの『戦争と平和』と『アンナ・カレーニナ』。黒澤明の『生きる』と「七人の侍』。どちらが傑作か。即座に答えることのできる人はいないでしょう。

 『荒野の決闘』の物語は、次のように展開します。

 牛を追って旅をするアープ4兄弟は、無法状態の町・トゥームストンに立ち寄る。夜、3兄弟が町に出掛けていた間に、牛が盗まれ、牛の番をしていた末弟が射殺される。弟殺しの犯人を捜し出すために町の保安官になったワイアット・アープ(ヘンリー・フォンダ)は、医者くずれのギャンブラーのドク・ホリディ(ヴィクター・マチュア)と親交を結ぶ。そのドクを追って、彼を慕う昔の恋人クレメンタインが町にやって来る。ドクは彼女を拒み続ける。一方、少年のように純情なワイアット・アープは、清楚なクレメンタインに淡い恋心を抱く。

 やがて、牛を盗み弟を殺したのが、ならず者のクラントン一家であることが判明する。そして、アープ兄弟とクラントン一家は、町のはずれにあるOK牧場で対決する。ドク・ホリディもアープ兄弟に加担する。夜明けとともに開始された決闘で、クラントン一家は全滅し、ドクも撃たれて死ぬ。 クレメンタインは、学校を建て、子どもたちを教えるために町に残ることを決意する。ワイアット・アープは、いとしいクレメンタインに別れを告げる。そして、また牛を追ってこのトゥームストンに立ち寄ることを約束する。最後に、「私は、クレメンタインという名前が好きです」と言う。彼としては精一杯の愛の告白である。クレメンタインは、青空の下、去って行くワイアット・アープを見送りながらいつまでも手を振り続ける。

 『黒澤明が選んだ100本の映画』(黒澤和子・編)という文春新書があります。その中で、黒澤明は、最も尊敬する監督だったジョン・フォードの作品として『荒野の決闘』を選んでいます。そして、次のようなコメントが添えられています。

 「ジョン・フォードといえば西部劇でしょう。『荒野の決闘』は映画の手本みたいな作品だからね。馬に乗って通る人、その風情がまさに詩であるというような人が良い時に出てくる、そこが凄いんだよ。ジョン・フォードは大尊敬する憧れの監督だった。男の子が大好きな映画だと思う。本人もとても男っぽくて、格好良くてね」

 この映画の主人公を演じたのはヘンリー・フォンダでした。常連のジョン・ウェインではありません。ジョン・ウェインは、どちらかというと強く逞しい男のイメージがあります。好きな女性に対して口も利けないようなデリケートな男には向いていません。ヘンリー・フォンダの方が適役でした。「私はあなたが好きです」と言えないで、「私は、クレメンタインという名前が好きです」と言って立ち去る男の純情。いいなあ。実にいいなあ。