今回、森田悟由のお話をします。悟由は常滑市小鈴谷町大谷の出身です。生没年は天保5年(1834)─大正4年(1915)。

 悟由は、曹洞宗総本山(永平寺と総持寺)では、重興として讃えられています。重興とは中興に値する仕事を重ねてされたという意味です。中興とは、かつて栄えた宗派が今は衰退しているのを再興することを中興と言いますが、これを重ねて行ったと言うのですから、本山での悟由に対する評価はすこぶる高いかと言えます。

 また、地元の常滑市立小鈴谷小学校においても、この小学校は鈴渓義塾の流れを汲む学校で、溝口幹が校長を務めた学校ですが、その小学校においても、陰徳を積み、「和合」の精神に生き、みんなの信頼を得て、曹洞宗の貫首になり、重興と評されるほどになった悟由禅師の生き方を学ぼうと、「陰徳」と「和合」の精神が、道徳教育の大切な思想として学ばれています。陰徳とは陰日なたなく善行に励む態度のことです。

 実際、森田悟由は曹洞宗において、重興と評されるにふさわしい働きをしています。

 曹洞宗は近代化において遅れた宗派でした。浄土真宗では明治の中頃から清沢満之らの活躍で近代化が推進されましたが、曹洞宗は修証義が確定してからも、教義はバラバラでした。つまり住職の教義が曹洞宗という具合で、統一した教義は無いに等しかったのでした。

 大内青巒らによって修証義の草案がつくられ、採択実践が課題になった時、総持寺において分離独立運動が起こされます。これは克服されなければなりませんでした。曹洞宗は、元来永平寺と総持寺の両山総本山制が建前です。それに、こういうバラバラの思想状況ですので、この修証義の思想を徹底するには、全国を行脚する必要もありました。こういう難題を見事に解決し、今日の曹洞宗の姿にしたのが悟由ですので、「重興」という評価は当然と言えます。

 しかし悟由は、この近代化運動の真っ只中で、同時並行的に「軍人禅話」を説き出すのです。明治天皇が「軍人勅諭」で述べた「義は山獄より重く、死は鴻毛よりも軽しと覚悟せよ」の文言を、釈迦と道元の思想でもって正しいと論証し出します。しかし私には、何度読んでも、この論証は正しいとは思えず、デッチ上げに思えます。

 しかしいかにデッチ上げとは言え、この思想は戦争推進論です。戦争肯定論です。仏者が戦争を肯定するとは。私には想像を絶することでした。仏教は平和主義思想であって、兵戈無用が仏教精神です。つまり兵戈(軍隊と武器)は平和にとって無用であるというのが仏教精神です。思想や教えでもって戦争を克服していこう、これが仏教なのです。

 悟由は明らかにこの戦争推進、肯定において日本仏教から逸脱しています。誤りであったと反省してほしい。しかし悟由は物故して久しい。であれば、本山の方で、悟由のこの戦争推進論・肯定論は誤りであると明言してほしいと思います。黙っていたら、曹洞宗は戦争推進論・肯定論と思われても仕方のないことになります。ちなみに我が家の宗派は曹洞宗です。心からそう思います。

 しかし本山は、すでに悟由に自己批判させたつもりでいるのかもしれません。曹洞宗は、先の大戦に戦争協力した己を、以下のように自己批判していますので。

 

 仏教は、すべての人間が仏子として平等であり、如何なる理由によろうとも他によって毀損されてはならぬ尊厳性を生きるものであると説く。(この続きは次号で)

 

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 今回、森田悟由のお話をします。悟由は常滑市小鈴谷町大谷の出身です。生没年は天保5年(1834)─大正4年(1915)。

 悟由は、曹洞宗総本山(永平寺と総持寺)では、重興として讃えられています。重興とは中興に値する仕事を重ねてされたという意味です。中興とは、かつて栄えた宗派が今は衰退しているのを再興することを中興と言いますが、これを重ねて行ったと言うのですから、本山での悟由に対する評価はすこぶる高いかと言えます。

 また、地元の常滑市立小鈴谷小学校においても、この小学校は鈴渓義塾の流れを汲む学校で、溝口幹が校長を務めた学校ですが、その小学校においても、陰徳を積み、「和合」の精神に生き、みんなの信頼を得て、曹洞宗の貫首になり、重興と評されるほどになった悟由禅師の生き方を学ぼうと、「陰徳」と「和合」の精神が、道徳教育の大切な思想として学ばれています。陰徳とは陰日なたなく善行に励む態度のことです。

 実際、森田悟由は曹洞宗において、重興と評されるにふさわしい働きをしています。

 曹洞宗は近代化において遅れた宗派でした。浄土真宗では明治の中頃から清沢満之らの活躍で近代化が推進されましたが、曹洞宗は修証義が確定してからも、教義はバラバラでした。つまり住職の教義が曹洞宗という具合で、統一した教義は無いに等しかったのでした。

 大内青巒らによって修証義の草案がつくられ、採択実践が課題になった時、総持寺において分離独立運動が起こされます。これは克服されなければなりませんでした。曹洞宗は、元来永平寺と総持寺の両山総本山制が建前です。それに、こういうバラバラの思想状況ですので、この修証義の思想を徹底するには、全国を行脚する必要もありました。こういう難題を見事に解決し、今日の曹洞宗の姿にしたのが悟由ですので、「重興」という評価は当然と言えます。

 しかし悟由は、この近代化運動の真っ只中で、同時並行的に「軍人禅話」を説き出すのです。明治天皇が「軍人勅諭」で述べた「義は山獄より重く、死は鴻毛よりも軽しと覚悟せよ」の文言を、釈迦と道元の思想でもって正しいと論証し出します。しかし私には、何度読んでも、この論証は正しいとは思えず、デッチ上げに思えます。

 しかしいかにデッチ上げとは言え、この思想は戦争推進論です。戦争肯定論です。仏者が戦争を肯定するとは。私には想像を絶することでした。仏教は平和主義思想であって、兵戈無用が仏教精神です。つまり兵戈(軍隊と武器)は平和にとって無用であるというのが仏教精神です。思想や教えでもって戦争を克服していこう、これが仏教なのです。

 悟由は明らかにこの戦争推進、肯定において日本仏教から逸脱しています。誤りであったと反省してほしい。しかし悟由は物故して久しい。であれば、本山の方で、悟由のこの戦争推進論・肯定論は誤りであると明言してほしいと思います。黙っていたら、曹洞宗は戦争推進論・肯定論と思われても仕方のないことになります。ちなみに我が家の宗派は曹洞宗です。心からそう思います。

 しかし本山は、すでに悟由に自己批判させたつもりでいるのかもしれません。曹洞宗は、先の大戦に戦争協力した己を、以下のように自己批判していますので。

 

 仏教は、すべての人間が仏子として平等であり、如何なる理由によろうとも他によって毀損されてはならぬ尊厳性を生きるものであると説く。(この続きは次号で)