最終章
二人は夕食の席に着き、書斎での話の続きを始めた。
「どうだろう。デジタルというのは知れば知るほど難しくなる感じだね」
「今の時代、手紙やファックスでの問い合わせや意見を言うことができなくなっていますね」
「そうだな。達筆で手紙を書くことが得意なるり子にとっては不利なようだけど、僕はそんなことはないと思うね」
「そうですか」
「やはり手紙の方が誠意が伝わると思うね。達筆の手紙をもらうと、残しておきたい気持ちになるよ」
「そうだといいんですが」
「ただビジネスでは時間との勝負のところがあるので、デジタル化は避けられない」
「そうなんですね」
「このコラムを読んでごらん」
「はい」
すでに起こっている未来を丁寧に分析し、読み解けたとき、そこには勝機が生まれます
(ピーター・F・ドラッカー)
日本の最大の危機は人口減であろう。江戸時代、人口は現在の半数だった。子どもの数が減り続けている。政府は育児環境を充実させることが喫緊の目標にして取り組むことが肝要だ。働く女性が多い時代、子育てが最難関である。
核家族化した今、〇歳児から保育できる、とくに病児保育施設が充実しなければ、とん挫し二人目は諦めるだろう。
それにしても今の若者にとって、結婚、就職、育児、学校教育等を考える時、暗澹たる気持ちになるに違いない。とくに教育にお金がかかりすぎるからだ。最近は収入が増えない中、物価が上がり、生活そのものが苦しくなる。
一方、若者は結婚せず、親と一緒に暮らしながら、職を転々と変え、多くの時間、ゲーム等をしながら過ごす。面倒な結婚よりよほど楽しいと思っている向きがうかがえる。
こうして人口が減り続けると、すでに地方の小中学校の統廃合、高校の全員入学、大学の統合。教育のレベルは落ちる一方である。日本国民は優秀だから勇気と熱意で未来を切り開くことを期待したいが、最後は移民に頼るしか道はあるまい。
「本当にそうですね」
「書斎でコーヒをもらうよ」
「わかりました」
真三は書斎に戻り、小説に目を通した。
るり子がコーヒを書斎に持って行くと、真三は机にうつぶせになって眠っていた。
「お疲れではないですか」
「いや、京セラの創業者が亡くなったので、昔、書いた原稿を読んでいると、当時のことを思い浮かべながら、ついうとうとしてしまった」
「その原稿というのはこれですか」
「そうだ」
稲盛和夫氏を想う
これまでの人生で数多くの経営者に出会い、教えられたことも多い。とりわけ胸を打たれた一人が稲盛和夫氏だった。若い時、酒席でマイクを握ると、鹿児島から一緒に京都に出てきた妹をまぶたに浮かべて『人生の並木道』を熱唱、“妹よ泣くな”と、情感を込めた。聴くものをうっとりさせたことを覚えている。
碍子メーカーに就職し、セラミック分野への進出を提案したが、聞き入れられなかったので、独立の道を選んだ。社名は「京都セラミック」とした。社名変更の時でも“京都”にこだわり、ローマ字社名が数多く誕生する時代の流れの中で、京セラと“京”を残し、本社も京都に留めた。
やがて第二電々を設立、通信の自由化に挑んだ時、「田舎サムライ」に何ができる、ついに狂セラになったかと揶揄された。日航再建の時は、並み居る財界人の中で稲盛氏に白羽の矢がたった。そして見事に建て直した。彼は人生の結果=哲学×能力×情熱ということをよく口にした。能力が劣っても情熱があれば勝てると。
だが、それには健全な哲学(フィロソフィ)がなければならんと。経営の神様は松下幸之助氏に譲り、自分は経営の仏様になると得度の道を選び仏門に入った。合掌。
「本当に立派な方ですね」
「ところで、姪の舞からメールが届いた」
「本当ですか。どうしているんです」
「まず、メール読んだらいいよ」
「はい」
―おじさま、おばさま
ご無沙汰しております。お元気ですか。
すっかりご無沙汰しております。
インドで日系企業の臨時社員に採用されました。そこへ日本の本社からエンジニアの宮本武さんが長期出張でインドの会社にやってきました。ある日、昼食に誘われ、お付き合いするようになりました。やがて宮本さんが帰国することになり、お別れの会が開かれました。
会が終わった後、現地の社長室に呼ばれました。そこで社長さんから「舞君、宮本君と結婚することになったのか」と、聞かれ、一瞬戸惑いましたが、かねてから帰国したらプロポーズしたいと宮本さんから打ち明けられていましたので、「はい」と答えました。
それで社長はお別れ会の挨拶で二人の結婚を報告したのです。コロナ禍で帰国が遅れ、ご報告が遅くなってしまいました。ご心配をおかけしてすみませんでした。
来週にも宮本さんと一緒にご挨拶にお伺いすると思いますが。ご都合いかがですか。急なことですみません。取り急ぎご連絡申し上げます。
「こういうメールだよ」
「そうですか。お母さんの裕美さんは了解しているのでしょうね」
「もちろん、そうだと思うよ」
「だったら、いいですけど、舞さんらは日本に住むのですか」
「当分そうなると思うよ」
「ところで、これまで昔書いた小説を読んでいたところ、最終章のページが見えたので、先にそれを読んだので、結末がわかった。それで小説の方もこの辺りで読み終えようと思う」
「そうですか。結末はどうなるんですか」
「るり子も読んでいたのか」
「あなたが、読んだ原稿を整理しながら目を通していましたので、だいたいの筋書きは覚えています」
「そうか」
「片桐さんはどうなったのですか」
「彼は積み重ねると、自分の背丈ほどの大学ノートに日記をつけていた。僕はそれを奥さんから見せてもらって、この小説を書いたんだ。ただ、それではリアル過ぎるので、フィクションのスタイルをとったのです。銀行名も架空の名称にしたが、それ以外は実名で書いた」
「ということは片桐さんも架空の人物ですね」
「そうだ。ただストーリーはリアルな内容に仕立てたが、結局、刊行することに反対された」
「そうでしたか。片桐さんはまだ現役だったのですか」
「いや、片桐は三年余り粉骨砕身、懸命に再建を図ったが、ついに倒産することになってしまった」
「残務整理も大変だったでしょうね」
「その点は、片桐は偉いと思ったよ。自宅と山林を売却して、行員の退職金をすべて支払い、取引先にも迷惑をかけず、処理した」
「そうですか。ご家族の方も大変でしたね」
「会社が倒産するということは、命をとられたのと同じだからね」
「それで日記をあなたに見せたということは、記録として残したかったのでしょうね」
「そうだと思うよ。だけど時間が経つにつれ、そういう気分が失せていった。倒産後三年して心不全でなくなった。その後。奥さんから刊行しないでほしいという手紙をもらったんだ」
「そうでしたか。日の目を見ることがなかったですが、いい勉強になったのではないですか」
「そう思うよ」
「原稿は差し上げたのでしょう」
「奥さんから丁重なお礼の手紙をいただいた」
るり子と真三は残り少ない人生を前向きの生きていこうと、笑って盃を交わした。(終わり)
■岡田 清治プロフィール
1942年生まれ ジャーナリスト
(編集プロダクション・NET108代表)
著書に『高野山開創千二百年 いっぱんさん行状記』『心の遺言』『あなたは社員の全能力を引き出せますか!』『リヨンで見た虹』など多数
※この物語に対する読者の方々のコメント、体験談を左記のFAXかメールでお寄せください。
今回は「就職」「日本のゆくえ」「結婚」「夫婦」「インド」「愛知県」についてです。物語が進行する中で織り込むことを試み、一緒に考えます。
FAX‥0569―34―7971
メール‥takamitsu@akai-shinbunten.net
・『新・現代家庭考』 就職141 ・私の出会った作品79 ・この指とまれ322 ・長澤晶子のSPEED★COOKING!
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最終章
二人は夕食の席に着き、書斎での話の続きを始めた。
「どうだろう。デジタルというのは知れば知るほど難しくなる感じだね」
「今の時代、手紙やファックスでの問い合わせや意見を言うことができなくなっていますね」
「そうだな。達筆で手紙を書くことが得意なるり子にとっては不利なようだけど、僕はそんなことはないと思うね」
「そうですか」
「やはり手紙の方が誠意が伝わると思うね。達筆の手紙をもらうと、残しておきたい気持ちになるよ」
「そうだといいんですが」
「ただビジネスでは時間との勝負のところがあるので、デジタル化は避けられない」
「そうなんですね」
「このコラムを読んでごらん」
「はい」
すでに起こっている未来を丁寧に分析し、読み解けたとき、そこには勝機が生まれます
(ピーター・F・ドラッカー)
日本の最大の危機は人口減であろう。江戸時代、人口は現在の半数だった。子どもの数が減り続けている。政府は育児環境を充実させることが喫緊の目標にして取り組むことが肝要だ。働く女性が多い時代、子育てが最難関である。
核家族化した今、〇歳児から保育できる、とくに病児保育施設が充実しなければ、とん挫し二人目は諦めるだろう。
それにしても今の若者にとって、結婚、就職、育児、学校教育等を考える時、暗澹たる気持ちになるに違いない。とくに教育にお金がかかりすぎるからだ。最近は収入が増えない中、物価が上がり、生活そのものが苦しくなる。
一方、若者は結婚せず、親と一緒に暮らしながら、職を転々と変え、多くの時間、ゲーム等をしながら過ごす。面倒な結婚よりよほど楽しいと思っている向きがうかがえる。
こうして人口が減り続けると、すでに地方の小中学校の統廃合、高校の全員入学、大学の統合。教育のレベルは落ちる一方である。日本国民は優秀だから勇気と熱意で未来を切り開くことを期待したいが、最後は移民に頼るしか道はあるまい。
「本当にそうですね」
「書斎でコーヒをもらうよ」
「わかりました」
真三は書斎に戻り、小説に目を通した。
るり子がコーヒを書斎に持って行くと、真三は机にうつぶせになって眠っていた。
「お疲れではないですか」
「いや、京セラの創業者が亡くなったので、昔、書いた原稿を読んでいると、当時のことを思い浮かべながら、ついうとうとしてしまった」
「その原稿というのはこれですか」
「そうだ」
稲盛和夫氏を想う
これまでの人生で数多くの経営者に出会い、教えられたことも多い。とりわけ胸を打たれた一人が稲盛和夫氏だった。若い時、酒席でマイクを握ると、鹿児島から一緒に京都に出てきた妹をまぶたに浮かべて『人生の並木道』を熱唱、“妹よ泣くな”と、情感を込めた。聴くものをうっとりさせたことを覚えている。
碍子メーカーに就職し、セラミック分野への進出を提案したが、聞き入れられなかったので、独立の道を選んだ。社名は「京都セラミック」とした。社名変更の時でも“京都”にこだわり、ローマ字社名が数多く誕生する時代の流れの中で、京セラと“京”を残し、本社も京都に留めた。
やがて第二電々を設立、通信の自由化に挑んだ時、「田舎サムライ」に何ができる、ついに狂セラになったかと揶揄された。日航再建の時は、並み居る財界人の中で稲盛氏に白羽の矢がたった。そして見事に建て直した。彼は人生の結果=哲学×能力×情熱ということをよく口にした。能力が劣っても情熱があれば勝てると。
だが、それには健全な哲学(フィロソフィ)がなければならんと。経営の神様は松下幸之助氏に譲り、自分は経営の仏様になると得度の道を選び仏門に入った。合掌。
「本当に立派な方ですね」
「ところで、姪の舞からメールが届いた」
「本当ですか。どうしているんです」
「まず、メール読んだらいいよ」
「はい」
―おじさま、おばさま
ご無沙汰しております。お元気ですか。
すっかりご無沙汰しております。
インドで日系企業の臨時社員に採用されました。そこへ日本の本社からエンジニアの宮本武さんが長期出張でインドの会社にやってきました。ある日、昼食に誘われ、お付き合いするようになりました。やがて宮本さんが帰国することになり、お別れの会が開かれました。
会が終わった後、現地の社長室に呼ばれました。そこで社長さんから「舞君、宮本君と結婚することになったのか」と、聞かれ、一瞬戸惑いましたが、かねてから帰国したらプロポーズしたいと宮本さんから打ち明けられていましたので、「はい」と答えました。
それで社長はお別れ会の挨拶で二人の結婚を報告したのです。コロナ禍で帰国が遅れ、ご報告が遅くなってしまいました。ご心配をおかけしてすみませんでした。
来週にも宮本さんと一緒にご挨拶にお伺いすると思いますが。ご都合いかがですか。急なことですみません。取り急ぎご連絡申し上げます。
「こういうメールだよ」
「そうですか。お母さんの裕美さんは了解しているのでしょうね」
「もちろん、そうだと思うよ」
「だったら、いいですけど、舞さんらは日本に住むのですか」
「当分そうなると思うよ」
「ところで、これまで昔書いた小説を読んでいたところ、最終章のページが見えたので、先にそれを読んだので、結末がわかった。それで小説の方もこの辺りで読み終えようと思う」
「そうですか。結末はどうなるんですか」
「るり子も読んでいたのか」
「あなたが、読んだ原稿を整理しながら目を通していましたので、だいたいの筋書きは覚えています」
「そうか」
「片桐さんはどうなったのですか」
「彼は積み重ねると、自分の背丈ほどの大学ノートに日記をつけていた。僕はそれを奥さんから見せてもらって、この小説を書いたんだ。ただ、それではリアル過ぎるので、フィクションのスタイルをとったのです。銀行名も架空の名称にしたが、それ以外は実名で書いた」
「ということは片桐さんも架空の人物ですね」
「そうだ。ただストーリーはリアルな内容に仕立てたが、結局、刊行することに反対された」
「そうでしたか。片桐さんはまだ現役だったのですか」
「いや、片桐は三年余り粉骨砕身、懸命に再建を図ったが、ついに倒産することになってしまった」
「残務整理も大変だったでしょうね」
「その点は、片桐は偉いと思ったよ。自宅と山林を売却して、行員の退職金をすべて支払い、取引先にも迷惑をかけず、処理した」
「そうですか。ご家族の方も大変でしたね」
「会社が倒産するということは、命をとられたのと同じだからね」
「それで日記をあなたに見せたということは、記録として残したかったのでしょうね」
「そうだと思うよ。だけど時間が経つにつれ、そういう気分が失せていった。倒産後三年して心不全でなくなった。その後。奥さんから刊行しないでほしいという手紙をもらったんだ」
「そうでしたか。日の目を見ることがなかったですが、いい勉強になったのではないですか」
「そう思うよ」
「原稿は差し上げたのでしょう」
「奥さんから丁重なお礼の手紙をいただいた」
るり子と真三は残り少ない人生を前向きの生きていこうと、笑って盃を交わした。(終わり)