◎チェーホフ(その1)

 ロシアの偉大な作家チェーホフに『サハリン島』という異色の作品があります。小説ではなくて、彼が綿密に行った流刑地サハリン島の実態調査の報告書です。『チェーホフ全集』(ちくま文庫)に収録されています。5百ページ以上もあります。

 学生時代から、いつかはこのドキュメント『サハリン島』を読んでみたい、また、何故チェーホフがそんな長期の調査旅行を敢行したのか調べてみたいと思ってきました。

 そして、そう思いながら長い歳月が過ぎました。今や私も後期高齢者になり、残っているであろう人生もわずかになってきました。しかし、まだ間に合うかも知れない。さあ、そろそろ本気になって『サハリン島』を読もう。また、病弱な30歳の作家をサハリン島の実態調査に駆り立てた真の理由も考察しよう。そう決心しても、なかなか実行に移すことができませんでした。

 これがトルストイの『戦争と平和』やドストエフスキーの『罪と罰』なら、明日からでも読み始めることができるでしょう。司馬遼太郎の『竜馬がゆく』や藤沢周平の『蝉しぐれ』なら、今すぐにでも読み始めることができるでしょう。しかし、チェーホフの『サハリン島』となると、二の足を踏んでしまうのです。

 半年前の2月、82歳の私は、ついに本格的にチェーホフに取り組み始めました。

 まず、チェーホフの生涯を詳しく知るために、アンリ・トロワイヤの『チェーホフ伝』(中央文庫)を読むことにしました。550ページもある分厚い文庫本ですが、興味深く読むことができました。続いて、チェーホフと親交の深かった10人の思い出が載っている『チェーホフの思い出』(中央公論社)を読みました。チェーホフという人間を知ることができました。滑り出しはなかなか順調でした。

 2月中旬、『サハリン島』を読もうと決意しました。しかし、その前に、学生時代に夢中になって読んだ『退屈な話』や『かわいい女』などをちょっと読んでみたいと思いました。厳しい本番を前にして、軽く精神的準備運動を試みたのです。

 60年前の学生時代を懐かしく思い出しました。私はチェーホフの作品を京都の鴨川沿いの下宿で読み耽りました。そして、将来、作家の道を選んだなら、『退屈な話』や『かわいい女』のような小説を書きたいと思いました。ドストエフスキーにはなれなくとも、チェーホフにはなれるかも知れない。ああ、私にも夢見る青春時代があったのです。

◎『退屈な話』

 チェーホフの代表作の一つである中編小説『退屈な話』は1889年11月に発表されました。そして、翌年の4月、30歳のチェーホフはサハリン島への大旅行に出発しました。その前後の時期の略年譜は次のようです。

 〈1888年(28歳)〉1月、中編『曠野』を執筆。3月、作家のガルシンが自殺し、大きな衝撃を受ける。4月、中編『ともしび』を執筆。秋から憂鬱症がひどくなる。12月、作曲家のチャイコフスキーと知り合う。〈1889年(29歳)〉1月、魅力的な既婚女性リジヤ・アヴィーロワと知り合う。6月、次兄の画家ニコライが肺結核で死ぬ。憂鬱症がいっそう強まる。8月、中編『退屈な話』を完成。12月、戯曲『森の主』(『ワーニャ伯父さん』の原型)が上演され、さんざんな酷評を受ける。憂鬱症に、文学的な失敗が加わり、心機一転を図ろうと考える。〈1890年(30歳)〉4月、単身、馬車でシベリアを横断して、サハリン島への大旅行に出発する。7月、サハリン島に到着。以後3ヵ月あまり滞在して、流刑地の実態を綿密に調査する。10月、サハリン島を離れ、海路、インド洋、スエズ運河、黒海を経由して、12月にモスクワに帰る。

 『退屈な話』は、ニコライ・ステパーノヴィチという世界的に有名な名誉教授が自らの内面的な空虚さを綴った手記です。

 |数々の叙勲に輝く高名な「私」は、62 歳になる老人。禿げ頭で総入れ歯。顔面のチックに苦しんでいる。名前が輝かしく美しいだけに、本人自身は余計にくすんで見劣りがする。最近、酷い不眠症に悩まされている。1時間ほどしか熟睡できないのだ。

 妻の名はワーリャ。若い時はほっそりとしていた彼女も、今やぶくぶく太り、みっともない老婆になった。息子はワルシャワで士官勤めをしている。毎月50ルーブル仕送りをしている。家には娘のリーザがいて、音楽院へ通っている。音楽には金がかかる。

 授業をするために大学へ行く。30年来通い慣れた思い出深い道を歩く。大学に着く。守衛のニコライに出迎えられる。研究室に入る。解剖学助手ピョートルが研究している。勤勉で、謙虚だが、才能の乏しい男で、35歳くらいで頭が禿げて腹が突き出ている。授業の時間が来る。プレパラートか解剖図を持った守衛のニコライ、私、助手のピョートルの順で教室に入る。学生たちが起立し、着席する。私は、優れた指揮者のように巧みに講義を進める。昔は喜びしか覚えなかったが、今は講義が苦痛になってきた。

 私はあと半年以上生きられないことを知っている。しかし、死の問題よりも、心から信じている科学の方に興味がある。死ぬまで学生たちに講義をしたいと思っている。

 講義が終わると、私は家に帰る。訪問客の相手をしなければならない。同僚が仕事の打ち合わせに来る。親しげに話し合う。次に学生が来る。何回も試験で及第点を貰えないので困っている。何とかして貰えないか。私は拒絶する。学生は帰って行く。若い医師が来る。資格試験に通ったので、あとは博士論文だけだと話し始める。私の指導を受けて研究したい。論文のテーマを与えてほしい。私は平凡なテーマを与える。

 ベルが鳴る。聞き慣れた足音、服のさらさらいう音、可愛らしい声が聞こえる。25歳のカーチャである。18年前に同僚の眼科医が亡くなって、7歳の娘と6万ルーブルの金が残された。遺言書に私を後見人に指定してあった。カーチャは10歳まで私の家で暮らしたが、その後寄宿女学校に入れられた。学校を終えると、女優こそ天職だと宣言して、ある劇団に加わって旅立った。やがて劇団生活に絶望し自殺を企てた。そして今、私の家の近くに住んでいて、怠惰な生活を送っている。毎日、午後に私に会いに来る。

 グネッケルという30歳くらいの男が、娘のリーザと結婚したがっている。私はこの男が嫌いだ。妻は、私にハリコフに行って彼の身元を調べてきて欲しいと頼んでいる。

 ある夜、私は今にも死ぬような気がして脅えた。ひたすら死を待っていると、「キーイ、キーイ」という不気味な声が聞こえて来た。娘のリーザが絶望の叫びを上げたのだった。私の異常な神経の高ぶりが娘に伝染したのだ。

 今、私はハリコフにいる。グネッケルが身元を偽っていたことが分かった。電報が来た。グネッケルとリーザが秘密に結婚した、という内容だった。翌朝、カーチャがホテルを訪れて、「どう生きたらいいか教えて欲しい」と懇願した。私は言った。「ほんとうのところ、カーチャ、私には分からないんだよ……」。カーチャは出て行った。

 

■杉本武之プロフィール

1939年 碧南市に生まれる。

京都大学文学部卒業。

翻訳業を経て、小学校教師になるために愛知教育大学に入学。

25年間、西尾市の小中学校に勤務。

定年退職後、名古屋大学教育学部の大学院で学ぶ。

〈趣味〉読書と競馬

 

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◎チェーホフ(その1)

 ロシアの偉大な作家チェーホフに『サハリン島』という異色の作品があります。小説ではなくて、彼が綿密に行った流刑地サハリン島の実態調査の報告書です。『チェーホフ全集』(ちくま文庫)に収録されています。5百ページ以上もあります。

 学生時代から、いつかはこのドキュメント『サハリン島』を読んでみたい、また、何故チェーホフがそんな長期の調査旅行を敢行したのか調べてみたいと思ってきました。

 そして、そう思いながら長い歳月が過ぎました。今や私も後期高齢者になり、残っているであろう人生もわずかになってきました。しかし、まだ間に合うかも知れない。さあ、そろそろ本気になって『サハリン島』を読もう。また、病弱な30歳の作家をサハリン島の実態調査に駆り立てた真の理由も考察しよう。そう決心しても、なかなか実行に移すことができませんでした。

 これがトルストイの『戦争と平和』やドストエフスキーの『罪と罰』なら、明日からでも読み始めることができるでしょう。司馬遼太郎の『竜馬がゆく』や藤沢周平の『蝉しぐれ』なら、今すぐにでも読み始めることができるでしょう。しかし、チェーホフの『サハリン島』となると、二の足を踏んでしまうのです。

 半年前の2月、82歳の私は、ついに本格的にチェーホフに取り組み始めました。

 まず、チェーホフの生涯を詳しく知るために、アンリ・トロワイヤの『チェーホフ伝』(中央文庫)を読むことにしました。550ページもある分厚い文庫本ですが、興味深く読むことができました。続いて、チェーホフと親交の深かった10人の思い出が載っている『チェーホフの思い出』(中央公論社)を読みました。チェーホフという人間を知ることができました。滑り出しはなかなか順調でした。

 2月中旬、『サハリン島』を読もうと決意しました。しかし、その前に、学生時代に夢中になって読んだ『退屈な話』や『かわいい女』などをちょっと読んでみたいと思いました。厳しい本番を前にして、軽く精神的準備運動を試みたのです。

 60年前の学生時代を懐かしく思い出しました。私はチェーホフの作品を京都の鴨川沿いの下宿で読み耽りました。そして、将来、作家の道を選んだなら、『退屈な話』や『かわいい女』のような小説を書きたいと思いました。ドストエフスキーにはなれなくとも、チェーホフにはなれるかも知れない。ああ、私にも夢見る青春時代があったのです。

 

 

◎『退屈な話』

 チェーホフの代表作の一つである中編小説『退屈な話』は1889年11月に発表されました。そして、翌年の4月、30歳のチェーホフはサハリン島への大旅行に出発しました。その前後の時期の略年譜は次のようです。

 〈1888年(28歳)〉1月、中編『曠野』を執筆。3月、作家のガルシンが自殺し、大きな衝撃を受ける。4月、中編『ともしび』を執筆。秋から憂鬱症がひどくなる。12月、作曲家のチャイコフスキーと知り合う。〈1889年(29歳)〉1月、魅力的な既婚女性リジヤ・アヴィーロワと知り合う。6月、次兄の画家ニコライが肺結核で死ぬ。憂鬱症がいっそう強まる。8月、中編『退屈な話』を完成。12月、戯曲『森の主』(『ワーニャ伯父さん』の原型)が上演され、さんざんな酷評を受ける。憂鬱症に、文学的な失敗が加わり、心機一転を図ろうと考える。〈1890年(30歳)〉4月、単身、馬車でシベリアを横断して、サハリン島への大旅行に出発する。7月、サハリン島に到着。以後3ヵ月あまり滞在して、流刑地の実態を綿密に調査する。10月、サハリン島を離れ、海路、インド洋、スエズ運河、黒海を経由して、12月にモスクワに帰る。

 『退屈な話』は、ニコライ・ステパーノヴィチという世界的に有名な名誉教授が自らの内面的な空虚さを綴った手記です。

 |数々の叙勲に輝く高名な「私」は、62 歳になる老人。禿げ頭で総入れ歯。顔面のチックに苦しんでいる。名前が輝かしく美しいだけに、本人自身は余計にくすんで見劣りがする。最近、酷い不眠症に悩まされている。1時間ほどしか熟睡できないのだ。

 妻の名はワーリャ。若い時はほっそりとしていた彼女も、今やぶくぶく太り、みっともない老婆になった。息子はワルシャワで士官勤めをしている。毎月50ルーブル仕送りをしている。家には娘のリーザがいて、音楽院へ通っている。音楽には金がかかる。

 授業をするために大学へ行く。30年来通い慣れた思い出深い道を歩く。大学に着く。守衛のニコライに出迎えられる。研究室に入る。解剖学助手ピョートルが研究している。勤勉で、謙虚だが、才能の乏しい男で、35歳くらいで頭が禿げて腹が突き出ている。授業の時間が来る。プレパラートか解剖図を持った守衛のニコライ、私、助手のピョートルの順で教室に入る。学生たちが起立し、着席する。私は、優れた指揮者のように巧みに講義を進める。昔は喜びしか覚えなかったが、今は講義が苦痛になってきた。

 私はあと半年以上生きられないことを知っている。しかし、死の問題よりも、心から信じている科学の方に興味がある。死ぬまで学生たちに講義をしたいと思っている。

 講義が終わると、私は家に帰る。訪問客の相手をしなければならない。同僚が仕事の打ち合わせに来る。親しげに話し合う。次に学生が来る。何回も試験で及第点を貰えないので困っている。何とかして貰えないか。私は拒絶する。学生は帰って行く。若い医師が来る。資格試験に通ったので、あとは博士論文だけだと話し始める。私の指導を受けて研究したい。論文のテーマを与えてほしい。私は平凡なテーマを与える。

 ベルが鳴る。聞き慣れた足音、服のさらさらいう音、可愛らしい声が聞こえる。25歳のカーチャである。18年前に同僚の眼科医が亡くなって、7歳の娘と6万ルーブルの金が残された。遺言書に私を後見人に指定してあった。カーチャは10歳まで私の家で暮らしたが、その後寄宿女学校に入れられた。学校を終えると、女優こそ天職だと宣言して、ある劇団に加わって旅立った。やがて劇団生活に絶望し自殺を企てた。そして今、私の家の近くに住んでいて、怠惰な生活を送っている。毎日、午後に私に会いに来る。

 グネッケルという30歳くらいの男が、娘のリーザと結婚したがっている。私はこの男が嫌いだ。妻は、私にハリコフに行って彼の身元を調べてきて欲しいと頼んでいる。

 ある夜、私は今にも死ぬような気がして脅えた。ひたすら死を待っていると、「キーイ、キーイ」という不気味な声が聞こえて来た。娘のリーザが絶望の叫びを上げたのだった。私の異常な神経の高ぶりが娘に伝染したのだ。

 今、私はハリコフにいる。グネッケルが身元を偽っていたことが分かった。電報が来た。グネッケルとリーザが秘密に結婚した、という内容だった。翌朝、カーチャがホテルを訪れて、「どう生きたらいいか教えて欲しい」と懇願した。私は言った。「ほんとうのところ、カーチャ、私には分からないんだよ……」。カーチャは出て行った。