ドラマは続く
「ところで西村はん、京信のCMA (資金総合口座)どう思いはります」
ふと、思いついたので、西村に片桐はたずねた。
「ぜんぜん」
「そうでっか」
「CMAはマスコミ向けであって、営業向けと違います」
西村はライバルの商品だから腐しているのではない。腹から関心がない。そう片桐には思える。銀行は数字で競い合っている、(その銀行の数字ほどウソというか、どうにでもつくれる数字はない)のだ。通知預金というのがある。月末に得意先から三億円借りて預金高を増やし、月変わりで三日も経たないうちに預金を下ろし返す。見せかけの数字のために、一時的に預金を膨らますことはいとも簡単に行える。
だから西村は預金量より利益率を重視する。一〇万円の定期預金を汗水たらして集め、一〇〇万円にしてローンに回すことが、教科書に書いたような銀行の仕事だという西村の意見に片桐は同感である。それが千吉の西村大治郎に家訓で教えられた正路の渡世であろう。
(これからの時代、銀行のサバイバル作戦は財テクとか、新商品がキメだ)というが、少なくとも西村とか片桐は(そんなものは枝葉末節のことだ)と考えている。榊田からすれば、二人は強がりを言っているように聞こえるのだろうが…。
片桐は部下に教科書のようなやり方を求める。知恵の経営、スタンドプレーは不必要だと、社長以下全員がコツコツと歩いて預金を集める。資金運用についても、預金100のうち70は正道な営業を行い、奇をてらうことを避ける。不動産、財テクで儲けることは、ごく一部に限っている。
「そんな危ないものに使わんかて、資金需要は無限にある」
片桐は財テクをやりたがる資金運用部の連中に説く。
「金融機関が大口ばかりを相手にしている間に、サラ金は小口で伸びた。年率6~7割という利子でも借り手はいくらでもいる。これはもう銀行の怠慢を言われてもしかたがない」
一億円貸して年率5%の利息を払うものから、二〇~三〇万円で年率50%のものまで、その幅は広く、中間はいくらでもあるというのが、片桐のいう「需要は無限」の根拠である。
「世間の風潮は新商品に目がくらんでいるが、経営の基本は安定した金を集め、安定した需要に応えていくことです」
住友銀行が平和相互銀行を吸収合併した。
(なぜか。小口の需要先がノドから手の出るほど、ほしかったからではないのか)と、片桐は見ている。富士や三菱銀行の平和相銀担当の役員が左遷されるほど大手都銀にとって平和相銀獲得は死に物狂いの競争だった。
(金融は富士山のようなもので、裾野に行けば行くほど需要がある。金余りの時代である。いかに裾野を確保するかが、金融戦争に勝つ道である)のだから、片桐は西村のやっているドブ板作戦を評価する。
「根上君、これ、社員名簿だが、明日から課長の家を黙って訪問するつもりなので、地図で調べておいてください」
片桐は事務部長の浜本一夫から借りてきた社員名簿を手渡した。管理職の生活や通勤の実態を自分の目で確かめることを考えた。浪華相銀と比べて山城相銀の管理職は全く元気がない。業績不振で給与も安いということもあるだろう。いずれにせよ、一筋縄ではどうにもならんのだから家族の意見も聞いておきたい。多くの管理職が狭い借家に住んでいることを知った。奥さんの方から生活の窮状を訴える声に片桐は胸を痛めた。想像以上のことだった。
やがて行内で片桐の自宅訪問作戦が噂されだした。
(闇討ちに行くのはスパイ活動じゃないか)とか、(プライバシーの侵害や)と批判の声も聞こえた。しかし、片桐は黙々と続けた。そのうち、(あんな遠いところまで行ってくれはったのか)とか、(今度の社長はどうやら本物だぜ)と評価の声に代わってきた。管理職の家の次は支店訪問である。支店長から支店の要望を聞いて回った。(バイクがガタガタだから買い替えてほしい)、(支店の天井から雨が漏る)、(月給が安い)と全部で百三十項目に上る要望が出た。労働組合の執行部とも頻繁に会い膝を詰めて話し合った。社長就任四ヶ月で山城相銀の輪郭をつかんだ。
「みなさんの生活実態、支店の要望はわかりました。生活を改善し、要望を実現するためには、当行の収支改善しかないということです」
片桐は再度、各支店を訪れ訴えた。
「銀行の商品は定期でも普通預金でも全国どこの銀行に行っても同じである。だからお客さんは便利さを求め、近い銀行を選ぶのが普通で、わずかな距離は気にしないものです。そこにチャンスがある。どこの行員が一生懸命やっているのか、窓口の愛想はどこがよいのか、貸付でも親切なのかと、サービスや印象で決めているのが実情です。誠心誠意やっていれば、かならず通じるものです」
片桐は毎日、狂った犬のように支店、得意先を精力的に駆け回った。先々代の植田社長時代から懸案となっていた地方に分散している支店を京都市内に集める作業にも手を付け始めていた。
中小金融機関の生きる道はなんだかんだといっても誠意と努力をするしかないと片桐は信じている。預金者百人いると,九十八人までは預金するだけの一方通行である。残り二人が預けたり借りたりする。この二人はだいたいが大口の客である。大口の客は公定歩合の上がり下がりについても、うるさいほど文句を言う。銀行にとっては、利益率が良くないのである。これからは一方通行の九十八人を六十人、五十人と引き下げないといけない。
休憩したいと思っていたところ、るり子が書斎に入ってきた。
「休みませんか」
「そう思っていたところだ」
「こんなコラムを見つけました」
「牧野富太郎か、興味深いな」
「私も前から一度、行きたいと思っていました」
「そうか、思い切って行こうか」
「岡山から特急・南風に乗れば、二時間ほどで高知に着く
そうです」
「高知で一泊は必要だろうな」
「桂浜にも行きたいですね」
「そのコラム、見せてくれるか」
花に恋して九十年(牧野富太郎 植物学者・1862年文久2年生)
23年度前半のNHK朝の連続テレビ小説のモデルとして登場する。高知県佐川町に生まれた牧野は高知にこそ植物園をつくるべきと言い残していた。1958年、高知県は五台山(146m)に開園、人気が高まっている。
幼い頃から家の裏山で野草を熱心に観察、植物への関心を深めた。郷里の佐川は高知の中西部に位置し、温暖多雨の土地で多様な植物が観られた。寺子屋で学び、小学校は二年で退学するなど、学歴は無用とばかりに、「跋渉の労を厭うなかれ(しんどいことを避けず、植物を探して歩き回りなさい)」と、生涯、全国を調査、多くの新種を発見した。
植物学者の道はカネ食い虫で、牧野はきわめて楽観的な性格で絶えず笑顔を絶やさず、膨大な借金をかかえながらも波乱に満ちた人生を乗り切った。その影には妻や家族の支えも大きかった。
この植物園は山と一体となった学習園で、無数の野草花のラベルが見られ、「解説をつけているのは日本一の数です」と管理指導員の女性は胸を張る。ここでは牧野富太郎の横顔を学べ、また歴史、植物に関する教育普及、研究の拠点として幅広い活動を行っており、興味深い植物園として注目されている。
「そうか、朝の連続テレビに登場するのか」
「そのようですね」
「コロナ感染が広がっているので、心配でもあるな」
「第七波はこれまで以上ですね」
「ただ、四回目のワクチン接種券が届いたが、どうしようと思っているのだが…」
「どうしてですか」
「先日、四回目のワクチンを打った友人から電話があって、三回目までの副反応はほとんどなかったが、四回目はひどかったというのだ」
「そうですか。私はもう少し、あとになると思いますが、どうしましょうか」
「悩ましいね」
「ワクチンは治療薬ができるまで、これからもずっと続くのですね」
「そうだろうな」
「さすがに高齢者の四回目の接種率は始まったばかりですが、低いですね」
「みんな懐疑的になっているのだろう。重症化率も低いことも影響しているかも」
「そうかもしれませんね」
「この際、植物園行は延期だな」
「残念ですが、仕方がないですね」
「楽しみを残しておけば、いいことがあるかもしれない、そう思うしかない」
「では、夕飯の買い物に行ってきます」
「そうか」
真三は小説に戻った。
■岡田 清治プロフィール
1942年生まれ ジャーナリスト
(編集プロダクション・NET108代表)
著書に『高野山開創千二百年 いっぱんさん行状記』『心の遺言』『あなたは社員の全能力を引き出せますか!』『リヨンで見た虹』など多数
※この物語に対する読者の方々のコメント、体験談を左記のFAXかメールでお寄せください。
今回は「就職」「日本のゆくえ」「結婚」「夫婦」「インド」「愛知県」についてです。物語が進行する中で織り込むことを試み、一緒に考えます。
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ドラマは続く
「ところで西村はん、京信のCMA (資金総合口座)どう思いはります」
ふと、思いついたので、西村に片桐はたずねた。
「ぜんぜん」
「そうでっか」
「CMAはマスコミ向けであって、営業向けと違います」
西村はライバルの商品だから腐しているのではない。腹から関心がない。そう片桐には思える。銀行は数字で競い合っている、(その銀行の数字ほどウソというか、どうにでもつくれる数字はない)のだ。通知預金というのがある。月末に得意先から三億円借りて預金高を増やし、月変わりで三日も経たないうちに預金を下ろし返す。見せかけの数字のために、一時的に預金を膨らますことはいとも簡単に行える。
だから西村は預金量より利益率を重視する。一〇万円の定期預金を汗水たらして集め、一〇〇万円にしてローンに回すことが、教科書に書いたような銀行の仕事だという西村の意見に片桐は同感である。それが千吉の西村大治郎に家訓で教えられた正路の渡世であろう。
(これからの時代、銀行のサバイバル作戦は財テクとか、新商品がキメだ)というが、少なくとも西村とか片桐は(そんなものは枝葉末節のことだ)と考えている。榊田からすれば、二人は強がりを言っているように聞こえるのだろうが…。
片桐は部下に教科書のようなやり方を求める。知恵の経営、スタンドプレーは不必要だと、社長以下全員がコツコツと歩いて預金を集める。資金運用についても、預金100のうち70は正道な営業を行い、奇をてらうことを避ける。不動産、財テクで儲けることは、ごく一部に限っている。
「そんな危ないものに使わんかて、資金需要は無限にある」
片桐は財テクをやりたがる資金運用部の連中に説く。
「金融機関が大口ばかりを相手にしている間に、サラ金は小口で伸びた。年率6~7割という利子でも借り手はいくらでもいる。これはもう銀行の怠慢を言われてもしかたがない」
一億円貸して年率5%の利息を払うものから、二〇~三〇万円で年率50%のものまで、その幅は広く、中間はいくらでもあるというのが、片桐のいう「需要は無限」の根拠である。
「世間の風潮は新商品に目がくらんでいるが、経営の基本は安定した金を集め、安定した需要に応えていくことです」
住友銀行が平和相互銀行を吸収合併した。
(なぜか。小口の需要先がノドから手の出るほど、ほしかったからではないのか)と、片桐は見ている。富士や三菱銀行の平和相銀担当の役員が左遷されるほど大手都銀にとって平和相銀獲得は死に物狂いの競争だった。
(金融は富士山のようなもので、裾野に行けば行くほど需要がある。金余りの時代である。いかに裾野を確保するかが、金融戦争に勝つ道である)のだから、片桐は西村のやっているドブ板作戦を評価する。
「根上君、これ、社員名簿だが、明日から課長の家を黙って訪問するつもりなので、地図で調べておいてください」
片桐は事務部長の浜本一夫から借りてきた社員名簿を手渡した。管理職の生活や通勤の実態を自分の目で確かめることを考えた。浪華相銀と比べて山城相銀の管理職は全く元気がない。業績不振で給与も安いということもあるだろう。いずれにせよ、一筋縄ではどうにもならんのだから家族の意見も聞いておきたい。多くの管理職が狭い借家に住んでいることを知った。奥さんの方から生活の窮状を訴える声に片桐は胸を痛めた。想像以上のことだった。
やがて行内で片桐の自宅訪問作戦が噂されだした。
(闇討ちに行くのはスパイ活動じゃないか)とか、(プライバシーの侵害や)と批判の声も聞こえた。しかし、片桐は黙々と続けた。そのうち、(あんな遠いところまで行ってくれはったのか)とか、(今度の社長はどうやら本物だぜ)と評価の声に代わってきた。管理職の家の次は支店訪問である。支店長から支店の要望を聞いて回った。(バイクがガタガタだから買い替えてほしい)、(支店の天井から雨が漏る)、(月給が安い)と全部で百三十項目に上る要望が出た。労働組合の執行部とも頻繁に会い膝を詰めて話し合った。社長就任四ヶ月で山城相銀の輪郭をつかんだ。
「みなさんの生活実態、支店の要望はわかりました。生活を改善し、要望を実現するためには、当行の収支改善しかないということです」
片桐は再度、各支店を訪れ訴えた。
「銀行の商品は定期でも普通預金でも全国どこの銀行に行っても同じである。だからお客さんは便利さを求め、近い銀行を選ぶのが普通で、わずかな距離は気にしないものです。そこにチャンスがある。どこの行員が一生懸命やっているのか、窓口の愛想はどこがよいのか、貸付でも親切なのかと、サービスや印象で決めているのが実情です。誠心誠意やっていれば、かならず通じるものです」
片桐は毎日、狂った犬のように支店、得意先を精力的に駆け回った。先々代の植田社長時代から懸案となっていた地方に分散している支店を京都市内に集める作業にも手を付け始めていた。
中小金融機関の生きる道はなんだかんだといっても誠意と努力をするしかないと片桐は信じている。預金者百人いると,九十八人までは預金するだけの一方通行である。残り二人が預けたり借りたりする。この二人はだいたいが大口の客である。大口の客は公定歩合の上がり下がりについても、うるさいほど文句を言う。銀行にとっては、利益率が良くないのである。これからは一方通行の九十八人を六十人、五十人と引き下げないといけない。
休憩したいと思っていたところ、るり子が書斎に入ってきた。
「休みませんか」
「そう思っていたところだ」
「こんなコラムを見つけました」
「牧野富太郎か、興味深いな」
「私も前から一度、行きたいと思っていました」
「そうか、思い切って行こうか」
「岡山から特急・南風に乗れば、二時間ほどで高知に着く
そうです」
「高知で一泊は必要だろうな」
「桂浜にも行きたいですね」
「そのコラム、見せてくれるか」
花に恋して九十年(牧野富太郎 植物学者・1862年文久2年生)
23年度前半のNHK朝の連続テレビ小説のモデルとして登場する。高知県佐川町に生まれた牧野は高知にこそ植物園をつくるべきと言い残していた。1958年、高知県は五台山(146m)に開園、人気が高まっている。
幼い頃から家の裏山で野草を熱心に観察、植物への関心を深めた。郷里の佐川は高知の中西部に位置し、温暖多雨の土地で多様な植物が観られた。寺子屋で学び、小学校は二年で退学するなど、学歴は無用とばかりに、「跋渉の労を厭うなかれ(しんどいことを避けず、植物を探して歩き回りなさい)」と、生涯、全国を調査、多くの新種を発見した。
植物学者の道はカネ食い虫で、牧野はきわめて楽観的な性格で絶えず笑顔を絶やさず、膨大な借金をかかえながらも波乱に満ちた人生を乗り切った。その影には妻や家族の支えも大きかった。
この植物園は山と一体となった学習園で、無数の野草花のラベルが見られ、「解説をつけているのは日本一の数です」と管理指導員の女性は胸を張る。ここでは牧野富太郎の横顔を学べ、また歴史、植物に関する教育普及、研究の拠点として幅広い活動を行っており、興味深い植物園として注目されている。
「そうか、朝の連続テレビに登場するのか」
「そのようですね」
「コロナ感染が広がっているので、心配でもあるな」
「第七波はこれまで以上ですね」
「ただ、四回目のワクチン接種券が届いたが、どうしようと思っているのだが…」
「どうしてですか」
「先日、四回目のワクチンを打った友人から電話があって、三回目までの副反応はほとんどなかったが、四回目はひどかったというのだ」
「そうですか。私はもう少し、あとになると思いますが、どうしましょうか」
「悩ましいね」
「ワクチンは治療薬ができるまで、これからもずっと続くのですね」
「そうだろうな」
「さすがに高齢者の四回目の接種率は始まったばかりですが、低いですね」
「みんな懐疑的になっているのだろう。重症化率も低いことも影響しているかも」
「そうかもしれませんね」
「この際、植物園行は延期だな」
「残念ですが、仕方がないですね」
「楽しみを残しておけば、いいことがあるかもしれない、そう思うしかない」
「では、夕飯の買い物に行ってきます」
「そうか」
真三は小説に戻った。