◎バッハ
昨年(2021)の8月上旬、急にバッハの『ヨハネ受難曲』が聴きたくなりました。暑い日でした。市民図書館に行って、カール・リヒターが1964年2月に指揮したCDを借りて来ました。私は若い時からバッハの曲が好きで、今でもよく聴きます。大学生の時に『無伴奏チェロ組曲』に夢中になった時期がありました。しかし、『ヨハネ受難曲』の全曲を通して聴いたことはありませんでした。初めて全曲を聴き、心の底から感動しました。この曲こそ人間が理想とする真善美と聖が渾然一体となった作品だと思いました。
あの日から私は月に3回くらいの割合で聴いています。そして、いつも深く感動します。2時間ほどの長い曲ですが、ほとんど一瞬の裡に終わってしまう感じがします。「もう終わってしまったのか」という感じです。
初めて聴く人は、解説書などを読んでこの曲について多少の予備知識を得ておいた方がいいでしょう。そして、この曲の良さがよく分からなくても、3回は聴いて下さい。初めのうちはCDに付いているテキストを見ながら聴いて下さい。時にはテキストを見ずに、目を閉じて音楽だけに集中して下さい。
この名曲を作り上げたヨハン・セバスチャン・バッハは、1685年3月21日にドイツ東部のアイゼナハに生まれた。9歳で母親と死別し、翌年に父親も亡くなった。15歳の頃、聖歌隊員となり、17歳でリューネブルクの聖ミカエル学校を卒業した。
1703年にアルンシュタットの教会のオルガン奏者、1708年にワイマールの宮廷オルガン奏者兼宮廷楽師、1717年にケーテンの宮廷楽長、そして1723年にライプツィヒの聖トーマス教会の合唱隊長に就任した。
『トッカータとフーガ』『G線上のアリア(管弦楽組曲第3番・第2曲エア)』『シャコンヌ(無伴奏バイオリンのためのパルティータ第2番・第5曲)』などのよく知られた曲の他に、『無伴奏チェロ組曲』『平均律クラヴィーア曲集』『ブランデンブルク協奏曲』『音楽の捧げ物』『フーガの技法』『マタイ受難曲』などの多くの傑作がある。
音楽史上最大の作曲家バッハは、1750年7月28日に死去した。享年65。
◎『ヨハネ受難曲』
1724年4月7日にライプツィヒの聖ニコライ教会で初演された『ヨハネ受難曲』は、『新約聖書』の「ヨハネ福音書」第18章と第19章に基づいて構成されています。イエスの逮捕、尋問、処刑、そして死の様子が劇的に描かれています。
―イエスは弟子たちとゲツセマネの園へ行った。イエスを裏切るユダもその場所を知っていて、兵卒や下役を連れてやって来た。イエスが「誰に用か」と聞くと、彼らは「ナザレのイエスだ」と答える。「私がそれだ。私を探しているのなら、私の弟子たちはここを去らせなさい」
兵卒たちはイエスを捕らえて、大祭司のカバヤの所へ引いて行った。弟子のペテロとヨハネも一緒に付いて行った。中に入らなかったペテロに門番の女が「あなたもあの人の弟子の一人ではないのか」と聞く。彼は「そうではない」と答える。寒かったので、兵卒たちは炭火をおこして当たっていた。「お前もあの人の弟子の一人か」と聞かれたペテロは「そうではない」と打ち消す。大祭司の僕が「私は、あなたが園であの人と一緒にいるのを見たではないか」と言う。ペテロはまた打ち消す。その後すぐに鶏が嗚いた。
それから、人々はイエスを大祭司のカバヤの所から、総督邸へ引いて行った。総督のピラトはイエスに「あなたはユダヤ人の王なのか。何をしたのか」と尋ねる。イエスは答える。「私は真理について証するためにこの世に生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する者は、私の声に耳を傾ける」。ピラトは「真理とは何か」と自問する。
イエスの無罪を信じたピラトは、彼を放免しようと努力した。しかし、ユダヤ人たちは叫んだ。「片付けよ、片付けよ、十字架につけよ」。ピラトはユダヤ人たちにイエスを引き渡した。イエスは自ら十字架を背負って、処刑の地「ゴルゴタ」へ出発した。
兵卒たちはイエスを十字架につけた。十字架の側にイエスの母たちが立っていた。イエスは母に言った。「母よ、ここにあなたの子がいる」。それから、側に立っていた弟子のヨハネに「ここにあなたの母がいる」と言った。この時から、その弟子はイエスの母を自分の家に迎えた。
イエスは、全てが終わったことを知って「私は喉が渇く」と言った。酸っぱいブドウ酒を含ませた海綿がヒソップ(香りの良い草)の茎に結び付けられて口元に差し出された。それを口にしてから、イエスは「事は終わった」と言って、首を垂れて息を引き取った。
その後、ヨセフという人が、イエスの死体を引き取りたいとピラトに願い出た。ピラトが許すと、彼はニコデモという人と一緒にやって来て死体を引き取った。イエスが十字架にかけられた所には一つの園があり、そこにはまだ誰も納められたことのない新しい墓があった。二人はその墓にイエスの亡骸を納めた。
バッハの『ヨハネ受難曲』には素晴らしい合唱やアリアが幾つかあります。
冒頭の合唱は感動的です。弦のざわめきの上に木管が悲痛な調べを奏します。その後に「ヘール(主よ)」と強い調子で歌い出されます。「主よ、誉れ高き我々の統治者よ、あなたの受難を通して、真の神の子であるあなたが、あらゆる時に、低さの極みにおいても、誉め称えられることを示して下さい」
ペテロの後悔のアリアは悲痛そのものです。「あなたも弟子ではないのか」と人に問われて、3度とも「イエスなど知らない」と否定したペテロは、悔恨して悲嘆に暮れます。
「ああ、私の揺れ動く心よ。私はどこで息をつくべきか。ここにとどまるべきか。山や谷に行くべきか。この世に求めても、助けの道はなく、心の中では、自らの悪事に対する激痛が消え去らない。なぜなら、弟子が主人を否定したのだから」
イエスが自ら十字架を背負って処刑の地ゴルゴタヘ出発した後に歌われるのが、バスのソロと合唱による緊迫した掛け合いです。「急ぐのだ、さ迷える悩める魂たちよ。苦しみの洞窟から出るのだ。急ぐのだ。〈(合唱)どこへ?〉ゴルゴタヘ!逃れるのだ。〈(合唱)どこへ?〉十字架の丘へ!幸せはそこで咲き輝くのだ」
最後の合唱は、墓に納められたイエスの遺骸に向けて歌われます。実に感動的な子守歌のような調べです。「ゆっくり休んで下さい、聖なる亡骸よ。私はもう嘆き悲しみません。ゆっくり休んで下さい。そして、私にも安らぎを与えて下さい。墓はここに定められました。この墓を通じて私を天国に導いて下さい」
バッハにはもう一つ受難曲があります。それは『マタイ受難曲』で、『ヨハネ受難曲』以上の大作です。私は意図的に聴くのを避けてきました。『ヨハネ受難曲』の感動が分散するのを恐れていたのです。
そろそろ『マタイ受難曲』を聴き始めようかと思っています。楽しみです。
■杉本武之プロフィール
1939年 碧南市に生まれる。
京都大学文学部卒業。
翻訳業を経て、小学校教師になるために愛知教育大学に入学。
25年間、西尾市の小中学校に勤務。
定年退職後、名古屋大学教育学部の大学院で学ぶ。
〈趣味〉読書と競馬
・『新・現代家庭考』 就職135 ・私の出会った作品73 ・この指とまれ316 ・長澤晶子のSPEED★COOKING!
・日々是好日 ・美の回廊Vol.56 ・若竹俳壇 ・わが家のニューフェイス ・愛とMy Family ・浅漬け担当コックは小学2年生
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◎バッハ
昨年(2021)の8月上旬、急にバッハの『ヨハネ受難曲』が聴きたくなりました。暑い日でした。市民図書館に行って、カール・リヒターが1964年2月に指揮したCDを借りて来ました。私は若い時からバッハの曲が好きで、今でもよく聴きます。大学生の時に『無伴奏チェロ組曲』に夢中になった時期がありました。しかし、『ヨハネ受難曲』の全曲を通して聴いたことはありませんでした。初めて全曲を聴き、心の底から感動しました。この曲こそ人間が理想とする真善美と聖が渾然一体となった作品だと思いました。
あの日から私は月に3回くらいの割合で聴いています。そして、いつも深く感動します。2時間ほどの長い曲ですが、ほとんど一瞬の裡に終わってしまう感じがします。「もう終わってしまったのか」という感じです。
初めて聴く人は、解説書などを読んでこの曲について多少の予備知識を得ておいた方がいいでしょう。そして、この曲の良さがよく分からなくても、3回は聴いて下さい。初めのうちはCDに付いているテキストを見ながら聴いて下さい。時にはテキストを見ずに、目を閉じて音楽だけに集中して下さい。
この名曲を作り上げたヨハン・セバスチャン・バッハは、1685年3月21日にドイツ東部のアイゼナハに生まれた。9歳で母親と死別し、翌年に父親も亡くなった。15歳の頃、聖歌隊員となり、17歳でリューネブルクの聖ミカエル学校を卒業した。
1703年にアルンシュタットの教会のオルガン奏者、1708年にワイマールの宮廷オルガン奏者兼宮廷楽師、1717年にケーテンの宮廷楽長、そして1723年にライプツィヒの聖トーマス教会の合唱隊長に就任した。
『トッカータとフーガ』『G線上のアリア(管弦楽組曲第3番・第2曲エア)』『シャコンヌ(無伴奏バイオリンのためのパルティータ第2番・第5曲)』などのよく知られた曲の他に、『無伴奏チェロ組曲』『平均律クラヴィーア曲集』『ブランデンブルク協奏曲』『音楽の捧げ物』『フーガの技法』『マタイ受難曲』などの多くの傑作がある。
音楽史上最大の作曲家バッハは、1750年7月28日に死去した。享年65。
◎『ヨハネ受難曲』
1724年4月7日にライプツィヒの聖ニコライ教会で初演された『ヨハネ受難曲』は、『新約聖書』の「ヨハネ福音書」第18章と第19章に基づいて構成されています。イエスの逮捕、尋問、処刑、そして死の様子が劇的に描かれています。
―イエスは弟子たちとゲツセマネの園へ行った。イエスを裏切るユダもその場所を知っていて、兵卒や下役を連れてやって来た。イエスが「誰に用か」と聞くと、彼らは「ナザレのイエスだ」と答える。「私がそれだ。私を探しているのなら、私の弟子たちはここを去らせなさい」
兵卒たちはイエスを捕らえて、大祭司のカバヤの所へ引いて行った。弟子のペテロとヨハネも一緒に付いて行った。中に入らなかったペテロに門番の女が「あなたもあの人の弟子の一人ではないのか」と聞く。彼は「そうではない」と答える。寒かったので、兵卒たちは炭火をおこして当たっていた。「お前もあの人の弟子の一人か」と聞かれたペテロは「そうではない」と打ち消す。大祭司の僕が「私は、あなたが園であの人と一緒にいるのを見たではないか」と言う。ペテロはまた打ち消す。その後すぐに鶏が嗚いた。
それから、人々はイエスを大祭司のカバヤの所から、総督邸へ引いて行った。総督のピラトはイエスに「あなたはユダヤ人の王なのか。何をしたのか」と尋ねる。イエスは答える。「私は真理について証するためにこの世に生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する者は、私の声に耳を傾ける」。ピラトは「真理とは何か」と自問する。
イエスの無罪を信じたピラトは、彼を放免しようと努力した。しかし、ユダヤ人たちは叫んだ。「片付けよ、片付けよ、十字架につけよ」。ピラトはユダヤ人たちにイエスを引き渡した。イエスは自ら十字架を背負って、処刑の地「ゴルゴタ」へ出発した。
兵卒たちはイエスを十字架につけた。十字架の側にイエスの母たちが立っていた。イエスは母に言った。「母よ、ここにあなたの子がいる」。それから、側に立っていた弟子のヨハネに「ここにあなたの母がいる」と言った。この時から、その弟子はイエスの母を自分の家に迎えた。
イエスは、全てが終わったことを知って「私は喉が渇く」と言った。酸っぱいブドウ酒を含ませた海綿がヒソップ(香りの良い草)の茎に結び付けられて口元に差し出された。それを口にしてから、イエスは「事は終わった」と言って、首を垂れて息を引き取った。
その後、ヨセフという人が、イエスの死体を引き取りたいとピラトに願い出た。ピラトが許すと、彼はニコデモという人と一緒にやって来て死体を引き取った。イエスが十字架にかけられた所には一つの園があり、そこにはまだ誰も納められたことのない新しい墓があった。二人はその墓にイエスの亡骸を納めた。
バッハの『ヨハネ受難曲』には素晴らしい合唱やアリアが幾つかあります。
冒頭の合唱は感動的です。弦のざわめきの上に木管が悲痛な調べを奏します。その後に「ヘール(主よ)」と強い調子で歌い出されます。「主よ、誉れ高き我々の統治者よ、あなたの受難を通して、真の神の子であるあなたが、あらゆる時に、低さの極みにおいても、誉め称えられることを示して下さい」
ペテロの後悔のアリアは悲痛そのものです。「あなたも弟子ではないのか」と人に問われて、3度とも「イエスなど知らない」と否定したペテロは、悔恨して悲嘆に暮れます。
「ああ、私の揺れ動く心よ。私はどこで息をつくべきか。ここにとどまるべきか。山や谷に行くべきか。この世に求めても、助けの道はなく、心の中では、自らの悪事に対する激痛が消え去らない。なぜなら、弟子が主人を否定したのだから」
イエスが自ら十字架を背負って処刑の地ゴルゴタヘ出発した後に歌われるのが、バスのソロと合唱による緊迫した掛け合いです。「急ぐのだ、さ迷える悩める魂たちよ。苦しみの洞窟から出るのだ。急ぐのだ。〈(合唱)どこへ?〉ゴルゴタヘ!逃れるのだ。〈(合唱)どこへ?〉十字架の丘へ!幸せはそこで咲き輝くのだ」
最後の合唱は、墓に納められたイエスの遺骸に向けて歌われます。実に感動的な子守歌のような調べです。「ゆっくり休んで下さい、聖なる亡骸よ。私はもう嘆き悲しみません。ゆっくり休んで下さい。そして、私にも安らぎを与えて下さい。墓はここに定められました。この墓を通じて私を天国に導いて下さい」
バッハにはもう一つ受難曲があります。それは『マタイ受難曲』で、『ヨハネ受難曲』以上の大作です。私は意図的に聴くのを避けてきました。『ヨハネ受難曲』の感動が分散するのを恐れていたのです。
そろそろ『マタイ受難曲』を聴き始めようかと思っています。楽しみです。