ドラマは続く

 二人は雑談を終え、るり子は部屋を出た。高齢になって二人だけになると、話すことがほとんどない。認知症の予防は運動と会話だと言われているので、真三はできるだけるり子と話すことを心掛けている。

 認知症は脳の病気である。いまのところ治療薬がないので、予防に励むしかない。パーキンソンと認知症は連動しているともいわれる。進行すると、要介護の状態に陥る。

 真三はこの先、二人はどうなるかわからない。とにかく先のことより、今日と明日のことだけを思って元気に生きることしかない。先のことを考えてとり越し苦労は無駄なことが多い。しばらく、そんなことをあれこれと瞑想した。

 やがて小説の続きを読んだ。

 先に述べたように、「元来、主従関係は支配服従だと思われがちですが、信頼と互助の関係です」

「そうですね」

「第三が知足の生活です。徳川家康の五字七字の教えがあります。それは『うえをみな』という五字と、『みのほどをしれ』という七字からなるものです。すなわち身の程知って分相応に暮らすことだというのです。

 高きを望まず自分に与えられた境遇のもとで実力相当のペースで一歩いっぽ堅実な前進を続けることが必要ということなんでしょう。まぁ、言ってみれば倹約の励行です」

「家訓の教えは近代産業にも十分役立つ内容ですな」

「そうだと思いますよ。よろしかったら、小冊子にまとめた拙著の『家訓に学ぶ』を差し上げますよ」

「ありがとうございます。ぜひ、いただきとうございます」

 西村はひとしきり家訓についてしゃべったあと、テーブルの裏に取り付けてあるベルを押し、秘書嬢を呼んでコーヒーを頼んだ。

(片桐は自分から家訓のことを問うたのだが、西村は片桐に家訓を通じて大切なことを教えようとしてくれているに違いない)

 そう思と胸の内から熱いものがこみ上げてくる。西村は告訴問題について直截的に聞かなかった。百も承知しているので聞かなかったのだろうが、むしろやんわりと助言してくれたのだろう。家訓の教えには、これから山城相銀の再建を推し進める中で役立つに違いないと、おぼろげながら確信するものを感じていた。

「古臭いと思われるでしょうが、当社では私から月給袋を一人ひとりに手わたしているんです」

「従業員は何人おられるのですか」

「二百人足らずですが…」

「それはすごいですね。手渡す時に、何か声掛けするんですか」

「だいたいは、ご苦労さんというだけですが、気になる家族のことを聞くこともあります。奥さんが病気だとか、子どもが入学したとかを聴いていると、(その後、どうだ)、(おめでとう)と一言声をかけるようにしているんです。まぁー主従のコミュニケーションの場にしているんです」

「いやぁー、立派なことですね」

「ところで片桐さん、山城相銀の立て直しのメドはつきましたか」

「いいえ、まだ着任して三ケ月ですので、暗中模索といったところが正直なところです」

「そうですか」

「家訓のお話しが役立ちそうです」

「それならうれしいですね。京都の金融界は大変なんでしょう」

「ご多分にもれず、京都の金融界も大変な過当競争ですから…。

 西陣とか室町の繊維業者との取引きでは、普通、三つの金融機関しか使わないというんですね。一つは京都中央信用金庫、西陣信用金庫あるいは京都信用金庫といった信用金庫です。これはご存知のように京都の金融機関の中では圧倒的に強いので、一つぐらい信用金庫と付き合うわけでしょう。

 次が地方銀行の京都銀行です。京銀は京都府や京都市の金庫です。中小企業はたいてい府や市の制度融資の世話になっています。これらは全て京銀が一手に引き受けているわけですから、付き合わざるを得ないのです。そして三番目が三井住友やみずほといった大手都市銀行です。ここらと取引することによって信用力が付くというのです。だいたいがこれら三つの金融機関と付き合っておれば十分、間に合うのです」

「そんなものですかね」

「とても相銀なんか入る余地がないわけです」

「そういうこともないでしょうが…」

「その上、あれだけの事件を起こしましたから、覚悟はできています」

「ご苦労が多いでしょうなぁー」

「もう背水の陣です。なんとしても軌道に乗せるしかない。そいうわけですので、よろしくお願いします」

「こちらのほうこそ、よろしく。それにしてもよう訪ねてくださいました」

 片桐は一時間で話を終え、再会を約束して別れた。ともかく一日二〇から三〇軒の得意先を走り回っている。率先垂範しか、打つ手はないと決め、馬車馬のように働いた。

 京都は戦前から信用金庫の強い土地柄である。東京や大阪の人には信用金庫が強いと聞いてもピンとこないだろう。だいたい、大都市では都銀―地銀―相銀の序列があって、周辺都市でやっとその下に信金が顔をのぞくからである。ところが京都では信金の勢力が一番強い。

 戦前は信金と都銀で用が足りたという。都銀がずいぶん京都に進出していて、各行とも母店の支店長は重役であった。戦後、GHQ(連合国最高最高司令官総司令部)が(京都では財閥系銀行が大き過ぎる)と判断、地方銀行を育てるように指令したのである。それまで「京都」と名付けられた地銀は二回も倒産していた。GHQは当時、福知山市に本店を置いていた「丹和銀行」に目を付け、京都市内に本店を移すように指導したといわれる。丹和銀行は京都の地銀でありながら、京都市内に本店をもてないという不思議なことがあった。

 昭和二十六年に、丹和銀行から京都銀行に行名を変更、その二年後、現在の本店所在地の下京区烏丸通松原上がるにあった旧高島屋店舗を買収、ようやく本店を移転。この頃、知事として登場してきた蜷川虎三が京都銀行に目を付け、朝鮮銀行の三羽ガラスといわれた栗林四郎を大蔵省(現財務省)から引き抜いてきた。GHQの力をバックに蜷川―栗林のコンビで京都銀行は市内での地盤を築いていったのである。

 こうして京都金融界には信金、地銀、都銀の三つの顔が揃った。信金では京都信用金庫、京都中央信用金庫、伏見信用金庫が大手信用金庫で、全国的にもトップグループに位置している。これら三信用金庫にはそれぞれ強烈な個性を持つ理事長がいる。正確に言うと、いたことになる。京都信用金庫の理事長だった榊田喜四夫がすでに故人になっていたからだ。

 ここまで読んだところで、るり子が夕食の声をかけに書斎に入ってきた。

「食事にしましょうか」

「そうだな」

 二人はテーブルについた。

 真三はメールをプリントしてるり子に見せた。そこにはウクライナのことが綴ってあった。戦争の悲劇は人間の業 今の国際情勢を見ていると、これまでの世界大戦を忘れたのではないかと思ってしまう。世の為政者たちは「自分の息子を戦場に送ることができるのか」と胸に手を当ててもらいたい。世界の人々は誰も望んでいないはずだ。

 ロシアがウクライナのNATO(北大西洋条約機構)入りの恐怖を覚えるのは、過去の歴史を振り返れば理解はできないこともない。ただ、仮に加わっても、NATOがロシアを脅かすと考えるのは、絶対的な安全を軍事面から求めた、ある種の欲望があるからだろう。ロシアで戦争反対のデモがあったことは救いである。ソ連時代には考えられなかった。

 世界では他にも地域紛争が続いている。日本国内にも戦争オタク族のような人たちも少なくない。敵基地攻撃(反撃に変更)能力を持つべきだと、声高に発言している。撃たれる前に攻撃するというが、仮想敵国をどう定めて、どれほどの規模の防衛力を揃えなければならないかとか、核抑止をどう考えるかにはほとんど言及しない、無責任な言論が目立ち始めている。

 世界戦争は外交、つまり話し合いしか解決の道はない。もしできないということであれば、それは悲しい人間の業であろう。

 

■岡田 清治プロフィール

1942年生まれ ジャーナリスト

(編集プロダクション・NET108代表)

著書に『高野山開創千二百年 いっぱんさん行状記』『心の遺言』『あなたは社員の全能力を引き出せますか!』『リヨンで見た虹』など多数

※この物語に対する読者の方々のコメント、体験談を左記のFAXかメールでお寄せください。

今回は「就職」「日本のゆくえ」「結婚」「夫婦」「インド」「愛知県」についてです。物語が進行する中で織り込むことを試み、一緒に考えます。

FAX‥0569―34―7971

メール‥takamitsu@akai-shinbunten.net

 

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ドラマは続く

 二人は雑談を終え、るり子は部屋を出た。高齢になって二人だけになると、話すことがほとんどない。認知症の予防は運動と会話だと言われているので、真三はできるだけるり子と話すことを心掛けている。

 認知症は脳の病気である。いまのところ治療薬がないので、予防に励むしかない。パーキンソンと認知症は連動しているともいわれる。進行すると、要介護の状態に陥る。

 真三はこの先、二人はどうなるかわからない。とにかく先のことより、今日と明日のことだけを思って元気に生きることしかない。先のことを考えてとり越し苦労は無駄なことが多い。しばらく、そんなことをあれこれと瞑想した。

 やがて小説の続きを読んだ。

 先に述べたように、「元来、主従関係は支配服従だと思われがちですが、信頼と互助の関係です」

「そうですね」

「第三が知足の生活です。徳川家康の五字七字の教えがあります。それは『うえをみな』という五字と、『みのほどをしれ』という七字からなるものです。すなわち身の程知って分相応に暮らすことだというのです。

 高きを望まず自分に与えられた境遇のもとで実力相当のペースで一歩いっぽ堅実な前進を続けることが必要ということなんでしょう。まぁ、言ってみれば倹約の励行です」

「家訓の教えは近代産業にも十分役立つ内容ですな」

「そうだと思いますよ。よろしかったら、小冊子にまとめた拙著の『家訓に学ぶ』を差し上げますよ」

「ありがとうございます。ぜひ、いただきとうございます」

 西村はひとしきり家訓についてしゃべったあと、テーブルの裏に取り付けてあるベルを押し、秘書嬢を呼んでコーヒーを頼んだ。

(片桐は自分から家訓のことを問うたのだが、西村は片桐に家訓を通じて大切なことを教えようとしてくれているに違いない)

 そう思と胸の内から熱いものがこみ上げてくる。西村は告訴問題について直截的に聞かなかった。百も承知しているので聞かなかったのだろうが、むしろやんわりと助言してくれたのだろう。家訓の教えには、これから山城相銀の再建を推し進める中で役立つに違いないと、おぼろげながら確信するものを感じていた。

「古臭いと思われるでしょうが、当社では私から月給袋を一人ひとりに手わたしているんです」

「従業員は何人おられるのですか」

「二百人足らずですが…」

「それはすごいですね。手渡す時に、何か声掛けするんですか」

「だいたいは、ご苦労さんというだけですが、気になる家族のことを聞くこともあります。奥さんが病気だとか、子どもが入学したとかを聴いていると、(その後、どうだ)、(おめでとう)と一言声をかけるようにしているんです。まぁー主従のコミュニケーションの場にしているんです」

「いやぁー、立派なことですね」

「ところで片桐さん、山城相銀の立て直しのメドはつきましたか」

「いいえ、まだ着任して三ケ月ですので、暗中模索といったところが正直なところです」

「そうですか」

「家訓のお話しが役立ちそうです」

「それならうれしいですね。京都の金融界は大変なんでしょう」

「ご多分にもれず、京都の金融界も大変な過当競争ですから…。

 西陣とか室町の繊維業者との取引きでは、普通、三つの金融機関しか使わないというんですね。一つは京都中央信用金庫、西陣信用金庫あるいは京都信用金庫といった信用金庫です。これはご存知のように京都の金融機関の中では圧倒的に強いので、一つぐらい信用金庫と付き合うわけでしょう。

 次が地方銀行の京都銀行です。京銀は京都府や京都市の金庫です。中小企業はたいてい府や市の制度融資の世話になっています。これらは全て京銀が一手に引き受けているわけですから、付き合わざるを得ないのです。そして三番目が三井住友やみずほといった大手都市銀行です。ここらと取引することによって信用力が付くというのです。だいたいがこれら三つの金融機関と付き合っておれば十分、間に合うのです」

「そんなものですかね」

「とても相銀なんか入る余地がないわけです」

「そういうこともないでしょうが…」

「その上、あれだけの事件を起こしましたから、覚悟はできています」

「ご苦労が多いでしょうなぁー」

「もう背水の陣です。なんとしても軌道に乗せるしかない。そいうわけですので、よろしくお願いします」

「こちらのほうこそ、よろしく。それにしてもよう訪ねてくださいました」

 片桐は一時間で話を終え、再会を約束して別れた。ともかく一日二〇から三〇軒の得意先を走り回っている。率先垂範しか、打つ手はないと決め、馬車馬のように働いた。

 京都は戦前から信用金庫の強い土地柄である。東京や大阪の人には信用金庫が強いと聞いてもピンとこないだろう。だいたい、大都市では都銀―地銀―相銀の序列があって、周辺都市でやっとその下に信金が顔をのぞくからである。ところが京都では信金の勢力が一番強い。

 戦前は信金と都銀で用が足りたという。都銀がずいぶん京都に進出していて、各行とも母店の支店長は重役であった。戦後、GHQ(連合国最高最高司令官総司令部)が(京都では財閥系銀行が大き過ぎる)と判断、地方銀行を育てるように指令したのである。それまで「京都」と名付けられた地銀は二回も倒産していた。GHQは当時、福知山市に本店を置いていた「丹和銀行」に目を付け、京都市内に本店を移すように指導したといわれる。丹和銀行は京都の地銀でありながら、京都市内に本店をもてないという不思議なことがあった。

 昭和二十六年に、丹和銀行から京都銀行に行名を変更、その二年後、現在の本店所在地の下京区烏丸通松原上がるにあった旧高島屋店舗を買収、ようやく本店を移転。この頃、知事として登場してきた蜷川虎三が京都銀行に目を付け、朝鮮銀行の三羽ガラスといわれた栗林四郎を大蔵省(現財務省)から引き抜いてきた。GHQの力をバックに蜷川―栗林のコンビで京都銀行は市内での地盤を築いていったのである。

 こうして京都金融界には信金、地銀、都銀の三つの顔が揃った。信金では京都信用金庫、京都中央信用金庫、伏見信用金庫が大手信用金庫で、全国的にもトップグループに位置している。これら三信用金庫にはそれぞれ強烈な個性を持つ理事長がいる。正確に言うと、いたことになる。京都信用金庫の理事長だった榊田喜四夫がすでに故人になっていたからだ。

 ここまで読んだところで、るり子が夕食の声をかけに書斎に入ってきた。

「食事にしましょうか」

「そうだな」

 二人はテーブルについた。

 真三はメールをプリントしてるり子に見せた。そこにはウクライナのことが綴ってあった。戦争の悲劇は人間の業 今の国際情勢を見ていると、これまでの世界大戦を忘れたのではないかと思ってしまう。世の為政者たちは「自分の息子を戦場に送ることができるのか」と胸に手を当ててもらいたい。世界の人々は誰も望んでいないはずだ。

 ロシアがウクライナのNATO(北大西洋条約機構)入りの恐怖を覚えるのは、過去の歴史を振り返れば理解はできないこともない。ただ、仮に加わっても、NATOがロシアを脅かすと考えるのは、絶対的な安全を軍事面から求めた、ある種の欲望があるからだろう。ロシアで戦争反対のデモがあったことは救いである。ソ連時代には考えられなかった。

 世界では他にも地域紛争が続いている。日本国内にも戦争オタク族のような人たちも少なくない。敵基地攻撃(反撃に変更)能力を持つべきだと、声高に発言している。撃たれる前に攻撃するというが、仮想敵国をどう定めて、どれほどの規模の防衛力を揃えなければならないかとか、核抑止をどう考えるかにはほとんど言及しない、無責任な言論が目立ち始めている。

 世界戦争は外交、つまり話し合いしか解決の道はない。もしできないということであれば、それは悲しい人間の業であろう。