◎詩人・吉野弘

 平均すれば2年に1度くらいの割合で、私は本棚から『吉野弘詩集』(ハルキ文庫)を取り出して読んでいます。

 教科書などで彼の代表作「夕焼け」や「祝婚歌」を読んだことのある人は多いと思います。吉野弘という詩人は、心の優しい、誠実な人だったと思います。

 あまり詩を読まない私ですが、例外として、二人の詩人の作品を時々読みます。吉野弘と「素朴な琴」で有名な八木重吉です。彼らの詩が無性に読みたくなる時が周期的にやって来るのです。私はどちらかの詩人の詩集を手にして読み始めます。たちまち心が穏やかになり、一人の人間として誠実に生きたいという気持ちを抱きます。

 先日、久し振りに吉野弘の詩を読みました。 吉野弘が詩を書き始めたのは比較的遅く、24歳の頃からでした。

 彼は、大正15年(1926)1月16日、山形県酒田市で、父・吉野末太郎、母・さだの長男として生まれた。酒田市琢成第二尋常小学校を総代で卒業し、酒田市立商業学校に入学した。昭和17年12月、戦時のため商業学校を繰り上げ卒業すると、翌年の1月、帝国石油に入社し、酒田市の山形鉱業所に勤務した。昭和24年9月、肺結核になり、酒田病院に入院した。翌年6月、東京の病院で胸郭成形手術を受けた。1年以上入院していて、昭和26年8月に退院し、10月から復職した。長期の入院中に詩人の富岡啓二を知り親しくなった。その頃から詩を作るようになった。

 2014年1月に死去。享年88。詩人としては長寿だった。

 これから、私の好きな詩を読んでみましょう。行などを適当に変更しました。

(1)「夕焼け」

「いつものことだが、電車は満員だった。そして、いつものことだが、若者と娘が腰をおろし、としよりが立っていた。うつむいていた娘が立って、としよりに席をゆずった。そそくさととしよりが座った。礼も言わずに、としよりは次の駅で降りた。

娘は座った。

別のとしよりが娘の前に横あいから押されてきた。娘はうつむいた。しかし、また立って席をそのとしよりにゆずった。としよりは次の駅で礼を言って降りた。娘は座った。

二度あることは、と言う通り別のとしよりが娘の前に押し出された。可哀想に娘はうつむいて、そして今度は席を立たなかった。次の駅も、次の駅も、下唇をキュッと噛んで、身体をこわばらせて―。

僕は電車を降りた。

固くなってうつむいて、娘はどこまで行ったろう。

やさしい心の持ち主は、いつでもどこでも、われにもあらず受難者となる。何故って、やさしい心の持ち主は、他人のつらさを自分のつらさのように感じるから。

やさしい心に責められながら、娘はどこまでゆけるだろう。下唇を噛んで、つらい気分で、美しい夕焼けも見ないで」

(2)「生命は」

「生命は、自分自身だけでは完結できないようにつくられているらしい。

花も、めしべとおしべが揃っているだけでは不十分で、虫や風が訪れて、めしべとおしべを仲立ちする。

生命は、その中に欠如を抱き、それを他者から満たしてもらうのだ。世界は多分、他者の総和。しかし、互いに、欠如を満たすなどとは知りもせず、知らされもせず、ばらまかれている者同士。無関心でいられる間柄。ときにうとましく思うことさえも許されている間柄。そのように世界がゆるやかに構成されているのは、なぜ?

花が咲いている。すぐ近くまで、虻の姿をした他者が、光をまとって飛んできている。

私も、あるとき、誰かのための虻だったろう。

あなたも、あるとき、私のための風だったかもしれない」

(3)「祝婚歌」

「二人が睦まじくいるためには、愚かでいるほうがいい。

立派すぎないほうがいい。立派すぎることは長持ちしないと気付いているほうがいい。

完ぺきをめざさないほうがいい。完ぺきなんて不自然なことだ、とうそぶいているほうがいい。

二人のうちどちらかが、ふざけているほうがいい。ずっこけているほうがいい。

互いに非難することがあっても、非難できる資格が自分にあったかどうか、あとで、疑わしくなるほうがいい。

正しいことを言うときは、少しひかえめにするほうがいい。正しいことを言うときは、相手を傷つけやすいものだ、と気付いているほうがいい。

立派でありたいとか、正しくありたいとかいう無理な緊張には、色目を使わず、ゆったり、ゆたかに光を浴びているほうがいい。

健康で、風に吹かれながら、生きていることのなつかしさに、ふと、胸が熱くなる、そんな日があってもいい。

そして、なぜ胸が熱くなるのか、黙っていても、二人にはわかるものであってほしい」

(4)「早春のバスの中で」

「まもなく母になりそうな若いひとが、膝の上で白い小さな毛糸の靴下を編んでいる。まるで、彼女自身の繭の一部でも作っているように。

彼女にまだ残っている、少し甘やかな「娘」を、思い切りよく、きっぱりと繭の内部に封じこめなければ、急いで自分を「母」へと完成させることができない、とでもいうように、無心に」

(5)「夥しい数の」

「夥しい数の柿の実が色づいて、痩せぎすな柿の木の華奢な枝を撓ませています。

千手観音が手の先に千人の赤子を生んだとしたら、こんなふうかもしれないと思われる姿です。

枝を撓ませている柿の実は、母親から持ち出せる限りを持ち出そうとしている子供のようです。

能う限り奪って自立しようとする柿の実の重さが、限りなく与えようとして痩せた柿の木を撓ませています。

晩秋の赤みを帯びた午後の陽差しに染められて」

 

■杉本武之プロフィール

1939年 碧南市に生まれる。

京都大学文学部卒業。

翻訳業を経て、小学校教師になるために愛知教育大学に入学。

25年間、西尾市の小中学校に勤務。

定年退職後、名古屋大学教育学部の大学院で学ぶ。

〈趣味〉読書と競馬

 

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◎詩人・吉野弘

 平均すれば2年に1度くらいの割合で、私は本棚から『吉野弘詩集』(ハルキ文庫)を取り出して読んでいます。

 教科書などで彼の代表作「夕焼け」や「祝婚歌」を読んだことのある人は多いと思います。吉野弘という詩人は、心の優しい、誠実な人だったと思います。

 あまり詩を読まない私ですが、例外として、二人の詩人の作品を時々読みます。吉野弘と「素朴な琴」で有名な八木重吉です。彼らの詩が無性に読みたくなる時が周期的にやって来るのです。私はどちらかの詩人の詩集を手にして読み始めます。たちまち心が穏やかになり、一人の人間として誠実に生きたいという気持ちを抱きます。

 先日、久し振りに吉野弘の詩を読みました。 吉野弘が詩を書き始めたのは比較的遅く、24歳の頃からでした。

 彼は、大正15年(1926)1月16日、山形県酒田市で、父・吉野末太郎、母・さだの長男として生まれた。酒田市琢成第二尋常小学校を総代で卒業し、酒田市立商業学校に入学した。昭和17年12月、戦時のため商業学校を繰り上げ卒業すると、翌年の1月、帝国石油に入社し、酒田市の山形鉱業所に勤務した。昭和24年9月、肺結核になり、酒田病院に入院した。翌年6月、東京の病院で胸郭成形手術を受けた。1年以上入院していて、昭和26年8月に退院し、10月から復職した。長期の入院中に詩人の富岡啓二を知り親しくなった。その頃から詩を作るようになった。

 2014年1月に死去。享年88。詩人としては長寿だった。

 これから、私の好きな詩を読んでみましょう。行などを適当に変更しました。

(1)「夕焼け」

「いつものことだが、電車は満員だった。そして、いつものことだが、若者と娘が腰をおろし、としよりが立っていた。うつむいていた娘が立って、としよりに席をゆずった。そそくさととしよりが座った。礼も言わずに、としよりは次の駅で降りた。

娘は座った。

別のとしよりが娘の前に横あいから押されてきた。娘はうつむいた。しかし、また立って席をそのとしよりにゆずった。としよりは次の駅で礼を言って降りた。娘は座った。

二度あることは、と言う通り別のとしよりが娘の前に押し出された。可哀想に娘はうつむいて、そして今度は席を立たなかった。次の駅も、次の駅も、下唇をキュッと噛んで、身体をこわばらせて―。

僕は電車を降りた。

固くなってうつむいて、娘はどこまで行ったろう。

やさしい心の持ち主は、いつでもどこでも、われにもあらず受難者となる。何故って、やさしい心の持ち主は、他人のつらさを自分のつらさのように感じるから。

やさしい心に責められながら、娘はどこまでゆけるだろう。下唇を噛んで、つらい気分で、美しい夕焼けも見ないで」

(2)「生命は」

「生命は、自分自身だけでは完結できないようにつくられているらしい。

花も、めしべとおしべが揃っているだけでは不十分で、虫や風が訪れて、めしべとおしべを仲立ちする。

生命は、その中に欠如を抱き、それを他者から満たしてもらうのだ。世界は多分、他者の総和。しかし、互いに、欠如を満たすなどとは知りもせず、知らされもせず、ばらまかれている者同士。無関心でいられる間柄。ときにうとましく思うことさえも許されている間柄。そのように世界がゆるやかに構成されているのは、なぜ?

花が咲いている。すぐ近くまで、虻の姿をした他者が、光をまとって飛んできている。

私も、あるとき、誰かのための虻だったろう。

あなたも、あるとき、私のための風だったかもしれない」

(3)「祝婚歌」

「二人が睦まじくいるためには、愚かでいるほうがいい。

立派すぎないほうがいい。立派すぎることは長持ちしないと気付いているほうがいい。

完ぺきをめざさないほうがいい。完ぺきなんて不自然なことだ、とうそぶいているほうがいい。

二人のうちどちらかが、ふざけているほうがいい。ずっこけているほうがいい。

互いに非難することがあっても、非難できる資格が自分にあったかどうか、あとで、疑わしくなるほうがいい。

正しいことを言うときは、少しひかえめにするほうがいい。正しいことを言うときは、相手を傷つけやすいものだ、と気付いているほうがいい。

立派でありたいとか、正しくありたいとかいう無理な緊張には、色目を使わず、ゆったり、ゆたかに光を浴びているほうがいい。

健康で、風に吹かれながら、生きていることのなつかしさに、ふと、胸が熱くなる、そんな日があってもいい。

そして、なぜ胸が熱くなるのか、黙っていても、二人にはわかるものであってほしい」

(4)「早春のバスの中で」

「まもなく母になりそうな若いひとが、膝の上で白い小さな毛糸の靴下を編んでいる。まるで、彼女自身の繭の一部でも作っているように。

彼女にまだ残っている、少し甘やかな「娘」を、思い切りよく、きっぱりと繭の内部に封じこめなければ、急いで自分を「母」へと完成させることができない、とでもいうように、無心に」

(5)「夥しい数の」

「夥しい数の柿の実が色づいて、痩せぎすな柿の木の華奢な枝を撓ませています。

千手観音が手の先に千人の赤子を生んだとしたら、こんなふうかもしれないと思われる姿です。

枝を撓ませている柿の実は、母親から持ち出せる限りを持ち出そうとしている子供のようです。

能う限り奪って自立しようとする柿の実の重さが、限りなく与えようとして痩せた柿の木を撓ませています。

晩秋の赤みを帯びた午後の陽差しに染められて」