姪の就職2

「少しは休まれてはどうですか。夕食の買い物に出かけますが、何か欲しいものはありますか」

「そうだな。森永のアイスモナカ、あれ頼むよ」

「食べ過ぎではありませんか」

「少しずつ食べるよ」

「わかりました」

 るり子は心配顔を見せながら家を出た。

 真三は糖尿病ではないが、数値が140ギリギリのところをこの二十年、続いている。両親も兄弟も糖尿病だった。とくに弟はインシュリンを打っていた。ある日、低血糖に陥り、そのまま植物人間になったという悲劇をみてきた。だから毎月の前立腺がんの手術後の定期検査で、糖尿病の数値をかかりつけ医にたずね、いまのところクスリは服用していない。それだけに、るり子の「食べすぎ」と言い残した言葉が気になった。

 ステレオのスイッチを入れて音楽を流しながら小説を読み始めた。

 片桐は告訴する二週間前、榊原を社長室に呼んだ。

「榊原君、もう芝居はやめたらどうかね」

「どういう意味です。社長…」

「君と原顧問の関係も調べがついているんだよ」

「へえ、どういう関係です」

「目的は何だね」

「なんのことか、さっぱりわかりませんが…」

 片桐は労組委員長、得意先の経営者から原三郎を上田伝次郎に紹介したことを、調査の中で知っていた。

「わたしにどうしろというのです」

「原三郎と君はきれいさっぱり手を引いてもらいたい」

 原三郎と相談の上、連絡すると言って榊原は部屋を出た。榊原は自分を告訴したら、この銀行の大半の重役の首を飛ばしてやるとほくそ笑んでいた。そうなると、計画通り山城相銀は倒産するだろう。

(片桐社長、できるものなら、やってみろ)

 原と榊原の二人は、両者の関係がバレたがますます会社に無理難題を押し付けてきた。榊原はとくにこれまでと打って変わって横暴な態度を見せてきたのである。出入りする業者との約束も平気で反故にする。外部の榊原のウワサが広がるのに時間がかからない。

 片桐は二人の目的が山城相銀の倒産にあるとわかったのは告訴する三日前になってからである。二人はとことん闘ってくると片桐は判断した。原初子と連絡がとれ、ようやく会えることになった。片桐も二人と戦う決心をした。

 昭和四十八年の元日は不安と危惧の中で明けた。物価は前年末からジリジリ騰勢を続け超インフレのきざしを見せている。何かが起こる世相を予感させた。

 その予感はその年の十月、石油危機となって現れ世界を不況のどん底に陥れた。店頭からモノがなくなることに脅えた主婦たちが、トイレットペーパーや洗剤を買いあさった。愛知県の女学生の(あの信金が危ない)という冗談からT信用金庫小坂井支店で二十億円にのぼる取付騒ぎが起こった。片桐は山城相銀の行く手に暗雲が立ちこめることを心配していた。

 片桐の住んでいる岩倉は比叡おろしの風が冷たく、小雪が舞っている。大みそかの業務が真夜中まで及んだ。岩倉の社宅で元日の昼近くに、片桐は一人目覚めた。前日の昼間、澤子が届けてくれたおせち料理が冷蔵庫にあるが、食欲がない。

 居間でポットからほうじ茶の入った急須に湯を注いで飲みながら、例年になく少ない年賀状に目を通していると、玄関の方でドンドンと壊れんばかりに戸をたたく音がする。

「君は…」

「そうだょぉー。お前に刑務所に放り込まれた原三郎だよ」

「何の用だ」

「片桐、お前が悪いんだ。お前が告訴するから、すべて計画が狂った」

 原は玄関を入った三畳の間に土足で上がりこんで、日本刀を片桐の顔に突き付けた。

「お前なんかにわれわれの苦しみがわからんだろう。兄貴は上田伝次郎に騙され、妻は弟の竜太郎に自殺させられたんだ」

「それはどうかな」

「どうかな、とはなんだ。お前を切って、俺も死ぬ。覚悟しろ」

 原三郎は日本刀を振りかざしたかと思うと、片桐をめがけて切りつけた。片桐の額からわずかに血がにじんだ。原は日本刀を畳にたてた。

「落ち着いて、儂の話を聞け。お前は真相を知らんのだよ」

「真相を知らんのは、お前の方だ」

「なぜ、初子さんが株式を私に渡したのか、知っているのか」

「なに、そんなウソに騙されんぞ」

「君は元大株主だという新聞記事を見なかったのか」

「見たよ。勝手にお前らがそう言っただけじゃないか」

「そうじゃない。まぁー、儂の話を聞け」

 片桐は初子に話した内容を原にも伝えた。

「ウソだ。儂の兄貴が、妻に不渡りの手形をつかまし、自殺に追い込んだなんて…」

「初子さんに聞いたらわかることだ」

「やかましい。榊原元がお前ところの重役が背任横領したことをマスコミに流したら、山城相銀も終わりだ。お前を京都におれんようにしてやるから、覚えとけよ」

 片桐が動じないとみたのか、原は大きな声でがなりながら言いたいだけ言うと、畳に立てた日本刀をさっと抜いて立ち去った。近所の人が騒ぎを聞きつけて、のぞきに来るが、男がいないのを知ると迷惑顔をつくりながらすぐ消える。

 記者の柳原は女房の加代と、中学生と高校生の娘二人の四人で清水寺に初詣に出かけた。

「ちょっと、これからあいさつに行きたい所があるので、お前たちは先に帰ってくれ」

 柳原は急いでタクシーをひろって岩倉に向かった。年始の挨拶かたがた片桐の様子を見に行こうと初詣に出かけるときから考えていた。

 着いてみると、門扉が開いたままになっている。(用心が悪いんだな)と思いながら、門柱のベルを押した。と同時に、玄関の戸が開いて血相を変えた男が飛び出し、柳原の横を駆け抜けた。

「あゝ、あれは原三郎じゃないか」

 柳原は急いで玄関から飛び込むと、着物姿の片桐が腕を組んで坐っている。

「ケガはありませんか」

「どうもない」

「あれ、原三郎でしょう。何をしに来たんです。警察を呼びましょうか」

「ちょっと文句を言いに来ただけや。裁判中は何もようせんよ。それより君は?」

「年始の挨拶に立ち寄ったんですが…」

「そうか。なにもないが、上がりませんか」

「はい」

 昨年の暮れ、告訴すると聞いて片桐を訪ねて以来だ。この前と同じ部屋で小型ストーブが燃えている。

「裁判の方はどうですか」

「時間がかかると思いますよ。本当は榊原の方が悪いやつなんだが、実際に脅したのは原だから原だけが有罪になるような気がする。恐喝罪は脅かして恐怖感を抱かさないと成立しない。背任横領でもないし、出入りの業者が訴えない限りどうにもならない。」

「片桐さん、ずっと一人住まいですか」

「告訴した翌日、女房を実家に帰しました」

「そうだったんですか。大変ですね」

「それほどでもないです。ちょっとやりますか」

 片桐は右手で飲むしぐさをした。柳原は盃を傾けながら、いつしか片桐の話に身体をかたくしていた。

「今日のように、ものすごく寒い日でした。忘れもしませんが、一月四日の夕方のことです。昭和四四年ですから、四年前ですな」

 ここまで読んだところでるり子が買い物から帰ってきた。

「ただいま。はい、アイスモナカですよ」

「ありがとう。るり子も一服したらどうだ」

「そうですね。お茶を入れてきます」

「たのむよ」

 

■岡田 清治プロフィール

1942年生まれ ジャーナリスト

(編集プロダクション・NET108代表)

著書に『高野山開創千二百年 いっぱんさん行状記』『心の遺言』『あなたは社員の全能力を引き出せますか!』『リヨンで見た虹』など多数

※この物語に対する読者の方々のコメント、体験談を左記のFAXかメールでお寄せください。

今回は「就職」「日本のゆくえ」「結婚」「夫婦」「インド」「愛知県」についてです。物語が進行する中で織り込むことを試み、一緒に考えます。

FAX‥0569―34―7971

メール‥takamitsu@akai-shinbunten.net

 

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姪の就職2

「少しは休まれてはどうですか。夕食の買い物に出かけますが、何か欲しいものはありますか」

「そうだな。森永のアイスモナカ、あれ頼むよ」

「食べ過ぎではありませんか」

「少しずつ食べるよ」

「わかりました」

 るり子は心配顔を見せながら家を出た。

 真三は糖尿病ではないが、数値が140ギリギリのところをこの二十年、続いている。両親も兄弟も糖尿病だった。とくに弟はインシュリンを打っていた。ある日、低血糖に陥り、そのまま植物人間になったという悲劇をみてきた。だから毎月の前立腺がんの手術後の定期検査で、糖尿病の数値をかかりつけ医にたずね、いまのところクスリは服用していない。それだけに、るり子の「食べすぎ」と言い残した言葉が気になった。

 ステレオのスイッチを入れて音楽を流しながら小説を読み始めた。

 片桐は告訴する二週間前、榊原を社長室に呼んだ。

「榊原君、もう芝居はやめたらどうかね」

「どういう意味です。社長…」

「君と原顧問の関係も調べがついているんだよ」

「へえ、どういう関係です」

「目的は何だね」

「なんのことか、さっぱりわかりませんが…」

 片桐は労組委員長、得意先の経営者から原三郎を上田伝次郎に紹介したことを、調査の中で知っていた。

「わたしにどうしろというのです」

「原三郎と君はきれいさっぱり手を引いてもらいたい」

 原三郎と相談の上、連絡すると言って榊原は部屋を出た。榊原は自分を告訴したら、この銀行の大半の重役の首を飛ばしてやるとほくそ笑んでいた。そうなると、計画通り山城相銀は倒産するだろう。

(片桐社長、できるものなら、やってみろ)

 原と榊原の二人は、両者の関係がバレたがますます会社に無理難題を押し付けてきた。榊原はとくにこれまでと打って変わって横暴な態度を見せてきたのである。出入りする業者との約束も平気で反故にする。外部の榊原のウワサが広がるのに時間がかからない。

 片桐は二人の目的が山城相銀の倒産にあるとわかったのは告訴する三日前になってからである。二人はとことん闘ってくると片桐は判断した。原初子と連絡がとれ、ようやく会えることになった。片桐も二人と戦う決心をした。

 昭和四十八年の元日は不安と危惧の中で明けた。物価は前年末からジリジリ騰勢を続け超インフレのきざしを見せている。何かが起こる世相を予感させた。

 その予感はその年の十月、石油危機となって現れ世界を不況のどん底に陥れた。店頭からモノがなくなることに脅えた主婦たちが、トイレットペーパーや洗剤を買いあさった。愛知県の女学生の(あの信金が危ない)という冗談からT信用金庫小坂井支店で二十億円にのぼる取付騒ぎが起こった。片桐は山城相銀の行く手に暗雲が立ちこめることを心配していた。

 片桐の住んでいる岩倉は比叡おろしの風が冷たく、小雪が舞っている。大みそかの業務が真夜中まで及んだ。岩倉の社宅で元日の昼近くに、片桐は一人目覚めた。前日の昼間、澤子が届けてくれたおせち料理が冷蔵庫にあるが、食欲がない。

 居間でポットからほうじ茶の入った急須に湯を注いで飲みながら、例年になく少ない年賀状に目を通していると、玄関の方でドンドンと壊れんばかりに戸をたたく音がする。

「君は…」

「そうだょぉー。お前に刑務所に放り込まれた原三郎だよ」

「何の用だ」

「片桐、お前が悪いんだ。お前が告訴するから、すべて計画が狂った」

 原は玄関を入った三畳の間に土足で上がりこんで、日本刀を片桐の顔に突き付けた。

「お前なんかにわれわれの苦しみがわからんだろう。兄貴は上田伝次郎に騙され、妻は弟の竜太郎に自殺させられたんだ」

「それはどうかな」

「どうかな、とはなんだ。お前を切って、俺も死ぬ。覚悟しろ」

 原三郎は日本刀を振りかざしたかと思うと、片桐をめがけて切りつけた。片桐の額からわずかに血がにじんだ。原は日本刀を畳にたてた。

「落ち着いて、儂の話を聞け。お前は真相を知らんのだよ」

「真相を知らんのは、お前の方だ」

「なぜ、初子さんが株式を私に渡したのか、知っているのか」

「なに、そんなウソに騙されんぞ」

「君は元大株主だという新聞記事を見なかったのか」

「見たよ。勝手にお前らがそう言っただけじゃないか」

「そうじゃない。まぁー、儂の話を聞け」

 片桐は初子に話した内容を原にも伝えた。

「ウソだ。儂の兄貴が、妻に不渡りの手形をつかまし、自殺に追い込んだなんて…」

「初子さんに聞いたらわかることだ」

「やかましい。榊原元がお前ところの重役が背任横領したことをマスコミに流したら、山城相銀も終わりだ。お前を京都におれんようにしてやるから、覚えとけよ」

 片桐が動じないとみたのか、原は大きな声でがなりながら言いたいだけ言うと、畳に立てた日本刀をさっと抜いて立ち去った。近所の人が騒ぎを聞きつけて、のぞきに来るが、男がいないのを知ると迷惑顔をつくりながらすぐ消える。

 記者の柳原は女房の加代と、中学生と高校生の娘二人の四人で清水寺に初詣に出かけた。

「ちょっと、これからあいさつに行きたい所があるので、お前たちは先に帰ってくれ」

 柳原は急いでタクシーをひろって岩倉に向かった。年始の挨拶かたがた片桐の様子を見に行こうと初詣に出かけるときから考えていた。

 着いてみると、門扉が開いたままになっている。(用心が悪いんだな)と思いながら、門柱のベルを押した。と同時に、玄関の戸が開いて血相を変えた男が飛び出し、柳原の横を駆け抜けた。

「あゝ、あれは原三郎じゃないか」

 柳原は急いで玄関から飛び込むと、着物姿の片桐が腕を組んで坐っている。

「ケガはありませんか」

「どうもない」

「あれ、原三郎でしょう。何をしに来たんです。警察を呼びましょうか」

「ちょっと文句を言いに来ただけや。裁判中は何もようせんよ。それより君は?」

「年始の挨拶に立ち寄ったんですが…」

「そうか。なにもないが、上がりませんか」

「はい」

 昨年の暮れ、告訴すると聞いて片桐を訪ねて以来だ。この前と同じ部屋で小型ストーブが燃えている。

「裁判の方はどうですか」

「時間がかかると思いますよ。本当は榊原の方が悪いやつなんだが、実際に脅したのは原だから原だけが有罪になるような気がする。恐喝罪は脅かして恐怖感を抱かさないと成立しない。背任横領でもないし、出入りの業者が訴えない限りどうにもならない。」

「片桐さん、ずっと一人住まいですか」

「告訴した翌日、女房を実家に帰しました」

「そうだったんですか。大変ですね」

「それほどでもないです。ちょっとやりますか」

 片桐は右手で飲むしぐさをした。柳原は盃を傾けながら、いつしか片桐の話に身体をかたくしていた。

「今日のように、ものすごく寒い日でした。忘れもしませんが、一月四日の夕方のことです。昭和四四年ですから、四年前ですな」

 ここまで読んだところでるり子が買い物から帰ってきた。

「ただいま。はい、アイスモナカですよ」

「ありがとう。るり子も一服したらどうだ」

「そうですね。お茶を入れてきます」

「たのむよ」