前回「常滑小学校の歴史」を3点に絞って載せました。私との関わりや思い出と常滑市の財政が豊かだった頃のことです。もちろん、県・市の教育研究指定で大きな実績などを残されていることはいうまでもありません。

 

昭和23年 養護学級

 昭和47年11月に城陽市立寺田小学校で4週間教育実習をしました。実習学級は前半3年生の学級、後半5年生の学級と毎日一時間の障害児学級(地域で名称が違っていた)でした。障害児学級(情緒障害)の児童がパニックをよく起こし、落ち着かせようと担任の奮闘される姿に共感し、私も一緒に彼を抱きかかえていました。さらに障害児教育研究会にも参加させてもらったときの「障害児を地域の人に理解してもらうために教室から外に出す教育実践を」というメッセージが今も鮮明に残っています。

 常滑小学校の沿革史によると養護学級が昭和23年、一年生対象に開設、翌年に一・二年生対象に二学級が増設しています。この当時に養護学級の開設にあたり、学校長の熱意と人望、そして地域の方々の理解があったからでしょう。因みに東京では昭和21年渋谷区に知的障害児の養護学級が開設されたばかりでした。

 昭和39年養護学級から特殊学級(低学年・高学年の二学級)に編制されました。

 

昭和27年 完全給食C型

 昭和48年、常滑小学校に赴任して給食をはじめて食べました。

 愛媛の小学校では給食の実施は遅れ、弁当持ちでした。その中身は麦飯と残り物のおかずでした。おかずの汁が出てよく教科書やノートを汚しました。学校近隣の子は食べに帰っていました。昭和32年頃、牛乳給食が始まりました。 常滑では給食が自校方式から給食センター方式になったのは昭和40年からです。

 

昭和40年代 校舎等の建設

 市内8つの小学校では、木造校舎から鉄筋校舎に、 講堂から体育館に、そしてプールが建築されました。校舎は、昭和40年から50年まで順次建設されました。プールは昭和46年~49年まで、体育館は昭和40年~47年までで、最後に鉄筋二階の常滑小学校屋内運動場が竣工されました。その財源はというと競艇ブーム(名鉄電車「競艇号」や各方面からのバスは超満員、道路は渋滞)による競艇事業の収益だったのです。

 

 常滑小学校の歴史には陶器産業が盛んだったころと競艇事業の全盛期とが相俟って教育を支えてきたことは確かだと考えます。

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昭和23年 養護学級

 昭和47年11月に城陽市立寺田小学校で4週間教育実習をしました。実習学級は前半3年生の学級、後半5年生の学級と毎日一時間の障害児学級(地域で名称が違っていた)でした。障害児学級(情緒障害)の児童がパニックをよく起こし、落ち着かせようと担任の奮闘される姿に共感し、私も一緒に彼を抱きかかえていました。さらに障害児教育研究会にも参加させてもらったときの「障害児を地域の人に理解してもらうために教室から外に出す教育実践を」というメッセージが今も鮮明に残っています。

 常滑小学校の沿革史によると養護学級が昭和23年、一年生対象に開設、翌年に一・二年生対象に二学級が増設しています。この当時に養護学級の開設にあたり、学校長の熱意と人望、そして地域の方々の理解があったからでしょう。因みに東京では昭和21年渋谷区に知的障害児の養護学級が開設されたばかりでした。

 昭和39年養護学級から特殊学級(低学年・高学年の二学級)に編制されました。

 

昭和27年 完全給食C型

 昭和48年、常滑小学校に赴任して給食をはじめて食べました。

 愛媛の小学校では給食の実施は遅れ、弁当持ちでした。その中身は麦飯と残り物のおかずでした。おかずの汁が出てよく教科書やノートを汚しました。学校近隣の子は食べに帰っていました。昭和32年頃、牛乳給食が始まりました。 常滑では給食が自校方式から給食センター方式になったのは昭和40年からです。

 

昭和40年代 校舎等の建設

 市内8つの小学校では、木造校舎から鉄筋校舎に、 講堂から体育館に、そしてプールが建築されました。校舎は、昭和40年から50年まで順次建設されました。プールは昭和46年~49年まで、体育館は昭和40年~47年までで、最後に鉄筋二階の常滑小学校屋内運動場が竣工されました。その財源はというと競艇ブーム(名鉄電車「競艇号」や各方面からのバスは超満員、道路は渋滞)による競艇事業の収益だったのです。

 

 常滑小学校の歴史には陶器産業が盛んだったころと競艇事業の全盛期とが相俟って教育を支えてきたことは確かだと考えます。