姪の就職2

 名士の多くが参加しているが、知事、市長は多忙でとても台詞を憶えきれないから、(手のひらに書いている)と苦労を披歴しながらも結構、楽しんでいる風に見える。

 真三が籐椅子にもたれて原稿から目を離しているときに、るり子がお盆でお茶と饅頭を載せて運んできて、もう一つの椅子に腰を下ろした。

「熱心に読んでおられるのですね」

「昔、書いたのだが、結構面白いのだよ」

「それ、どこかに投稿というんですか、本にはならなかったのですか」

「そのチャンスを逸したのだ」

「そうですか、残念ですわね。テレビのニュースで中国の武漢で新型のウイルスが発生、感染が広がると伝えていましたよ」

「そうだな、武漢には日本の工場も多いから、日本人もたくさんいるようだな」

「彼らをチャーター機で運ぶようです」

「そうか。それよりクルーズ船が横浜に接岸され、その中の一人がどうも感染していて香港で下船したことで大騒ぎになっているようだ」

「クルーズ船には3千人以上の乗客・乗員が乗っているから検査も大変のようですわね」

「われわれも商売を止めたときに、記念にとピースボートという格安の船に乗って地球を一周したことを思い出すな。2千人ほど乗船していたよ」

「そうですね。わたしたちのキャビンは船底近くで窓もなく、そんなときに今回のような事故が発生したら死んでいたでしょうね」

「当時は例えば、アフリカの国に上陸するときは、乗船前に風土病に感染しないように強制的にワクチンを打つことを義務付けられていた。新たな感染病に対応することなどまったく考えられていなかった。船籍はパナマかどこかで、運航はギリシャ人が担っていた。食堂ではフィリピンや東ヨーロッパの国の人もいた。ツアーでの自動車事故はあったが、その時、ケガ人は次の寄港地で下船して飛行機で帰国していたことを憶えている」

「それにしましても治療薬がないから今回のコロナ・ウイルスの感染は厄介ですね」

「だから人混みを避け、手洗いをまめにすることしか防ぎようがない。感染して重篤になれば、あきらめるしかないのかな」

「それも寂しいですね」

「そんな暗いニュースよりも、この小説の方が面白いから、もう少し読ませてくれ」

「わかりました」

 るり子が空いたコップと小皿をお盆にのせて台所へ戻った。

 真三は再び、続きを読みだした。

― 本物の顔見世の方も、歌舞伎興行の中では最大級のイベントである。東西の役者が集結し、謡、三味線の人たち、さらに裏方も加わると総勢三百人近くになる。このため歌舞伎興行は大投資になり席料も自ずと高くなるわけだ。素人顔見世の方もにわか役者自ら出演料を払い、道具を借りるにしてもコストはかかる。長唄、常磐津の連中、黒子役にも手伝ってもらわなければならない。また、演技の指導料や劇場の使用料も大変なものだ。

 片桐は素人顔見世の出演を頼まれて以来、(出ようか、出るまいか)と、ずっと思案してきた。十二月三日から稽古が始まる。それまで一週間しかない。

 山城相互銀行の月一回の重役会議は議案を読むだけの儀式のようなもので形骸化している。むしろ毎週月曜日午前九時から十時までの経営会議が実質的な討議を行う。本店に全役員、支店長が集まる。会議では銀行の経営全般について議論する。とはいっても、たいていは片桐の独演にとなる。営業成績の悪い支店長には、「どうしたんだ」と鋭い質問が飛ぶ。そんな時、言い訳でもしようものなら、さらに追い打ちをかけられる。

 支店長の中にはしょっちゅうぼやいている者がいる。「優秀な行員を回してくれない」、「異動で支店に行ったとたんに得意先が倒産して減益になる」、「大口預金が抜けたので預金量が5~10%減りそうだ」などと、言い訳をしたら「いかん」と片桐は思っている。こんなことをいちいち聞いていたらきりがないからだ。

 その朝の経営会議は、その年最後の月の業績の見通しについてである。片桐は会議の始まる前に企画部長の本島潔を社長室に呼んでいた。

「五十九年度十二月末の業績見通しでは、資金量で末残二千三百億円台となる見通しでございます」

「そうか。現在の金融情勢での中ではまずまずの成果が達成できそうか」

 片桐は今期の経営会議で素人顔見世に出演することを伝えようと決心した。素人顔見世の出演料はピンキリだが、政岡のような主役になると六〇万円(当時)は要る。このほかに前売り券の割り当てや招待客へのみやげ代もいるし、祝儀の返しもバカにならない。なによりも時間がとられることが痛いと片桐は思っている。十二月三日から公演の二十六日まで毎日、朝、昼、夜の稽古が続く。金融機関にとって一番忙しい月である。歌舞伎の指導は、人間国宝の片岡仁左衛門をはじめ、片岡一門による本格的なもの。稽古を休めば失礼になる。片桐は歌舞伎をほとんど知らないし観たこともないという。千代萩で政岡という大役についてもよくわかっていなかった。片岡仁左衛門からストーリーを聞いた時、自分の人生と突き合わせてみて感じるものがあった。しかし、練習を重ねていくうちに、事の重大さに気づいてくる。

 (儂はハメられた。これは儂を陥れる策略ではないのか。山城相互銀行を再建できたと有頂天になっていたのではないか。あまりにも格好が良すぎる。これでしくじって笑い者にされるに決まっている。そうしたら京の町におれなくなる。よくよく考えてみたら、この儂にこんな派手な大役を持ってくるはずがない。日頃の扱いからしてもおかしい。こんなに優遇されることはない。まだ練習に入って三日しか経っていない。いまなら代役を探せるだろう。明日、断ろう)

 夜の寝つきが悪い。夜中、六回も七回もトイレに立つ。寝床につくと、観客席からの嘲笑だけが聞こえてくる。

 (分をわきまえず、ええ格好するな。お前は都人やないうえに、狂人だろうが)

 朝起きると、夢の世界のことが思い出される。敷布団まで汗がべとついている。一層、気が滅入ってくる。朝食を食べながら妻の澤子に(顔見世を辞退しようと思うが、どうか)と相談する。

「今になって断ると、もっと笑い者になるのと違いますか」

 澤子は戸惑いながらもキッパリ答えた。

「そうだな」

 稽古は主演者が一堂に会する“顔寄せ”から始まる。次に台本の読み合わせを行う。三〇ページの台本が重たい。台詞が少ない役だと、自分の台詞だけ憶えたらいいが、政岡役のように台詞が多いと、全部憶えないことにはやれない。台詞の順番が混乱してしまうからだ。黒衣に手伝ってもらうと、踊りの方がうまくできなくなる。

 記者の柳原は歌舞伎を観るのは、この素人顔見世が初めてであった。とくに柳原は歌舞伎に興味を持ったのではなく、片桐という人間を知りたくて歌舞伎を観たわけであった。それでも『歌舞伎入門』で千代萩のストーリーを読んだ柳原は、歌舞伎そのものをもっと知りたくなり、久しぶりに丸太町七本末にある京都市立中央図書館に出かけた。そこで歌舞伎に関する本を片っぱしから目を通した。

 その中に早稲田大学教授の河竹登志夫は『原色歌舞伎詳細』の中で「歌舞伎の美は“様式美”だ」と語っている。また「新劇や西洋の近代劇のように台詞としぐさだけの、それも日常的人生の再現というべきリアルな芝居と違って、すべてが音楽化され、絵画化あるいは造形芸術化された表現方法でつくられた美しさである」と説明している。(荒事の特徴である「隈取」という誇張されたメークアップや、手足に力をみなぎされて伸ばし、眼を大きく見開いてポーズをとる「見得」などは、そのいちばん見やすい例であろう)としている。

 諏訪春雄は著書『歌舞伎の伝承』で歌舞伎の美について(美というものが一見、正反対のものに見える醜悪とか、醜さというものと同居しうる性格をもっている。……岸田劉生は醜悪な手段を通して美しい美を描く、と言っておりますけれど、私はもう一歩すすめて醜悪な美そのものがあるのではないか、というふうな考え方すらしたいと思っているんです。

 そういう美の性格そのもの、美の本質そのものから考えられるということが一つと、もう一つはやはり歌舞伎役者の芸ということの中に、その秘密があるんだろうと思います)と言う。

 柳原はのちに、大阪の歌舞伎座で市川猿之助が、伊達の十役ということで乳母・政岡、仁木弾正など主だった十役を演じたのを観て、いささかの興奮を覚えたことがある。それは猿之助が早変わり、宙乗りの技などサーカス役者のようにスピード溢れる芸を披露したからだ。

 歌舞伎の世界では異端視されながらも娯楽に徹した猿之助の芸こそが、その昔、一般大衆を引き付け、また西洋人にも通じたのと同じではないだろうかと、柳原は思ったものだ。

 歌舞伎はもともと今の出雲の阿国と名乗る巫女が、美少女のグループをつれて京都で演劇したのが始まりという。慶長八年(一六〇三年)の四月のことである。阿国は当時、流行していた酒と女のいる色茶屋での酒盛場面を演じた。これが京の町衆にバカ受けしたというわけ。

 

■岡田 清治プロフィール

1942年生まれ ジャーナリスト

(編集プロダクション・NET108代表)

著書に『高野山開創千二百年 いっぱんさん行状記』『心の遺言』『あなたは社員の全能力を引き出せますか!』『リヨンで見た虹』など多数

※この物語に対する読者の方々のコメント、体験談を左記のFAXかメールでお寄せください。

今回は「就職」「日本のゆくえ」「結婚」「夫婦」「インド」「愛知県」についてです。物語が進行する中で織り込むことを試み、一緒に考えます。

FAX‥0569―34―7971

メール‥takamitsu@akai-shinbunten.net

 

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 真三が籐椅子にもたれて原稿から目を離しているときに、るり子がお盆でお茶と饅頭を載せて運んできて、もう一つの椅子に腰を下ろした。

「熱心に読んでおられるのですね」

「昔、書いたのだが、結構面白いのだよ」

「それ、どこかに投稿というんですか、本にはならなかったのですか」

「そのチャンスを逸したのだ」

「そうですか、残念ですわね。テレビのニュースで中国の武漢で新型のウイルスが発生、感染が広がると伝えていましたよ」

「そうだな、武漢には日本の工場も多いから、日本人もたくさんいるようだな」

「彼らをチャーター機で運ぶようです」

「そうか。それよりクルーズ船が横浜に接岸され、その中の一人がどうも感染していて香港で下船したことで大騒ぎになっているようだ」

「クルーズ船には3千人以上の乗客・乗員が乗っているから検査も大変のようですわね」

「われわれも商売を止めたときに、記念にとピースボートという格安の船に乗って地球を一周したことを思い出すな。2千人ほど乗船していたよ」

「そうですね。わたしたちのキャビンは船底近くで窓もなく、そんなときに今回のような事故が発生したら死んでいたでしょうね」

「当時は例えば、アフリカの国に上陸するときは、乗船前に風土病に感染しないように強制的にワクチンを打つことを義務付けられていた。新たな感染病に対応することなどまったく考えられていなかった。船籍はパナマかどこかで、運航はギリシャ人が担っていた。食堂ではフィリピンや東ヨーロッパの国の人もいた。ツアーでの自動車事故はあったが、その時、ケガ人は次の寄港地で下船して飛行機で帰国していたことを憶えている」

「それにしましても治療薬がないから今回のコロナ・ウイルスの感染は厄介ですね」

「だから人混みを避け、手洗いをまめにすることしか防ぎようがない。感染して重篤になれば、あきらめるしかないのかな」

「それも寂しいですね」

「そんな暗いニュースよりも、この小説の方が面白いから、もう少し読ませてくれ」

「わかりました」

 るり子が空いたコップと小皿をお盆にのせて台所へ戻った。

 真三は再び、続きを読みだした。

― 本物の顔見世の方も、歌舞伎興行の中では最大級のイベントである。東西の役者が集結し、謡、三味線の人たち、さらに裏方も加わると総勢三百人近くになる。このため歌舞伎興行は大投資になり席料も自ずと高くなるわけだ。素人顔見世の方もにわか役者自ら出演料を払い、道具を借りるにしてもコストはかかる。長唄、常磐津の連中、黒子役にも手伝ってもらわなければならない。また、演技の指導料や劇場の使用料も大変なものだ。

 片桐は素人顔見世の出演を頼まれて以来、(出ようか、出るまいか)と、ずっと思案してきた。十二月三日から稽古が始まる。それまで一週間しかない。

 山城相互銀行の月一回の重役会議は議案を読むだけの儀式のようなもので形骸化している。むしろ毎週月曜日午前九時から十時までの経営会議が実質的な討議を行う。本店に全役員、支店長が集まる。会議では銀行の経営全般について議論する。とはいっても、たいていは片桐の独演にとなる。営業成績の悪い支店長には、「どうしたんだ」と鋭い質問が飛ぶ。そんな時、言い訳でもしようものなら、さらに追い打ちをかけられる。

 支店長の中にはしょっちゅうぼやいている者がいる。「優秀な行員を回してくれない」、「異動で支店に行ったとたんに得意先が倒産して減益になる」、「大口預金が抜けたので預金量が5~10%減りそうだ」などと、言い訳をしたら「いかん」と片桐は思っている。こんなことをいちいち聞いていたらきりがないからだ。

 その朝の経営会議は、その年最後の月の業績の見通しについてである。片桐は会議の始まる前に企画部長の本島潔を社長室に呼んでいた。

「五十九年度十二月末の業績見通しでは、資金量で末残二千三百億円台となる見通しでございます」

「そうか。現在の金融情勢での中ではまずまずの成果が達成できそうか」

 片桐は今期の経営会議で素人顔見世に出演することを伝えようと決心した。素人顔見世の出演料はピンキリだが、政岡のような主役になると六〇万円(当時)は要る。このほかに前売り券の割り当てや招待客へのみやげ代もいるし、祝儀の返しもバカにならない。なによりも時間がとられることが痛いと片桐は思っている。十二月三日から公演の二十六日まで毎日、朝、昼、夜の稽古が続く。金融機関にとって一番忙しい月である。歌舞伎の指導は、人間国宝の片岡仁左衛門をはじめ、片岡一門による本格的なもの。稽古を休めば失礼になる。片桐は歌舞伎をほとんど知らないし観たこともないという。千代萩で政岡という大役についてもよくわかっていなかった。片岡仁左衛門からストーリーを聞いた時、自分の人生と突き合わせてみて感じるものがあった。しかし、練習を重ねていくうちに、事の重大さに気づいてくる。

 (儂はハメられた。これは儂を陥れる策略ではないのか。山城相互銀行を再建できたと有頂天になっていたのではないか。あまりにも格好が良すぎる。これでしくじって笑い者にされるに決まっている。そうしたら京の町におれなくなる。よくよく考えてみたら、この儂にこんな派手な大役を持ってくるはずがない。日頃の扱いからしてもおかしい。こんなに優遇されることはない。まだ練習に入って三日しか経っていない。いまなら代役を探せるだろう。明日、断ろう)

 夜の寝つきが悪い。夜中、六回も七回もトイレに立つ。寝床につくと、観客席からの嘲笑だけが聞こえてくる。

 (分をわきまえず、ええ格好するな。お前は都人やないうえに、狂人だろうが)

 朝起きると、夢の世界のことが思い出される。敷布団まで汗がべとついている。一層、気が滅入ってくる。朝食を食べながら妻の澤子に(顔見世を辞退しようと思うが、どうか)と相談する。

「今になって断ると、もっと笑い者になるのと違いますか」

 澤子は戸惑いながらもキッパリ答えた。

「そうだな」

 稽古は主演者が一堂に会する“顔寄せ”から始まる。次に台本の読み合わせを行う。三〇ページの台本が重たい。台詞が少ない役だと、自分の台詞だけ憶えたらいいが、政岡役のように台詞が多いと、全部憶えないことにはやれない。台詞の順番が混乱してしまうからだ。黒衣に手伝ってもらうと、踊りの方がうまくできなくなる。

 記者の柳原は歌舞伎を観るのは、この素人顔見世が初めてであった。とくに柳原は歌舞伎に興味を持ったのではなく、片桐という人間を知りたくて歌舞伎を観たわけであった。それでも『歌舞伎入門』で千代萩のストーリーを読んだ柳原は、歌舞伎そのものをもっと知りたくなり、久しぶりに丸太町七本末にある京都市立中央図書館に出かけた。そこで歌舞伎に関する本を片っぱしから目を通した。

 その中に早稲田大学教授の河竹登志夫は『原色歌舞伎詳細』の中で「歌舞伎の美は“様式美”だ」と語っている。また「新劇や西洋の近代劇のように台詞としぐさだけの、それも日常的人生の再現というべきリアルな芝居と違って、すべてが音楽化され、絵画化あるいは造形芸術化された表現方法でつくられた美しさである」と説明している。(荒事の特徴である「隈取」という誇張されたメークアップや、手足に力をみなぎされて伸ばし、眼を大きく見開いてポーズをとる「見得」などは、そのいちばん見やすい例であろう)としている。

 諏訪春雄は著書『歌舞伎の伝承』で歌舞伎の美について(美というものが一見、正反対のものに見える醜悪とか、醜さというものと同居しうる性格をもっている。……岸田劉生は醜悪な手段を通して美しい美を描く、と言っておりますけれど、私はもう一歩すすめて醜悪な美そのものがあるのではないか、というふうな考え方すらしたいと思っているんです。

 そういう美の性格そのもの、美の本質そのものから考えられるということが一つと、もう一つはやはり歌舞伎役者の芸ということの中に、その秘密があるんだろうと思います)と言う。

 柳原はのちに、大阪の歌舞伎座で市川猿之助が、伊達の十役ということで乳母・政岡、仁木弾正など主だった十役を演じたのを観て、いささかの興奮を覚えたことがある。それは猿之助が早変わり、宙乗りの技などサーカス役者のようにスピード溢れる芸を披露したからだ。

 歌舞伎の世界では異端視されながらも娯楽に徹した猿之助の芸こそが、その昔、一般大衆を引き付け、また西洋人にも通じたのと同じではないだろうかと、柳原は思ったものだ。

 歌舞伎はもともと今の出雲の阿国と名乗る巫女が、美少女のグループをつれて京都で演劇したのが始まりという。慶長八年(一六〇三年)の四月のことである。阿国は当時、流行していた酒と女のいる色茶屋での酒盛場面を演じた。これが京の町衆にバカ受けしたというわけ。