■杉本武之プロフィール

1939年 碧南市に生まれる。

京都大学文学部卒業。

翻訳業を経て、小学校教師になるために愛知教育大学に入学。

25年間、西尾市の小中学校に勤務。

定年退職後、名古屋大学教育学部の大学院で学ぶ。

〈趣味〉読書と競馬

 

【39】外国映画(その5)

◎『自転車泥棒』

 イタリア映画の巨匠ヴィットリオ・デ・シーカは、1902年7月7日、イタリアの中部ラツィオ州ソーラに生まれ、ナポリで育ちました。彼は貧しい家計を助けるために幼い頃から働きました。 デ・シーカは、舞台俳優として出発しました。映画には16歳の時から出演し始め、何本かの映画に出ていました。1940年から監督も手掛けるようになり、最初はコメディーを作っていました。しかし、5作目の『子供たちは見ている』(1942)で子どもの目を通して大人の世界を描きました。そして、1946年には『靴みがき』、1948年には『自転車泥棒』を作り、これらの社会の現実を直視した作品によって、デ・シーカは世界的に有名になりました。その他の主要作品は、『ミラノの奇蹟』(1951)、『ウンべルトD』(1952)、『終着駅』(1953)、『ひまわり』(1970)です。

 リアルな映像、きめの細かい描写、底に流れる香り高いヒューマニズム。デ・シーカの生み出す作品は、世界中の映画作家に大きな影響を与えました。特に『自転車泥棒』は屈指の名作として、世界の映画史に今なお燦然として輝いています。

 彼は1974年11月13日にパリで死去しました。72歳でした。

 私は『自転車泥棒』とともに『ミラノの奇蹟』と『ウンベルトD』が好きです。

 『自転車泥棒』は悲しくも惨めな物語です。

――敗戦直後のローマ。失業中のアントニオは、やっと映画のポスター貼りの仕事にありつく。ポスター貼りには自転車が必要なのだが、質屋に入っている。妻のマリアは大切なシーツと交換に自転車を請け出す。翌朝、意気揚々として仕事に出掛ける。ところが、仕事中にその自転車を盗まれてしまう。6歳の息子ブルーノも父と一緒に捜し回るが見つからない。絶望したアントニオは、アパートの壁に立て掛けてあった他人の自転車を盗む。しかし、すぐに数十人に囲まれて捕まってしまう。「泥棒!」の叫び声を聞いて、息子のブルーノは駆けつける。「パパ、パパ」と泣き叫ぶ子どもの姿に同情した自転車の持ち主は、アントニオを許す。ブルーノは父親の手をしっかりと握りしめる。親子は固く手を握り合って群衆の中を歩いて行く。「FINE」(終)の字幕が出る。

 アントニオを演じたランベルト・マッジョラーニは、俳優経験の全く無い工場労働者でした。彼は、演技というものを超越して、大切な自転車を盗まれて苦しんでいる男になりきっていました。彼は、いかにも労働者といった、ごつごつとして野暮ったい顔をしていました。その顔には何時も、現状に不満な悲しみの色が浮かんでいました。

 物語が進展していくにつれて、私たちは、映画であることを忘れて、目の前で展開している現実の出来事だと思ってしまいます。スタジオの中での撮影ではなく、現実の市街に出ての撮影なので、現実感は一層強まります。観ているのが辛い映画です。

 私が『自転車泥棒』を観たのは、大学生の時です。この映画が1950 年に日本で封切られた時、私は11歳の小学生でした。こんなにも内容の暗い映画は、碧南市のような小さな市の映画館では上映されなかったと思われます。

 50年ほど前までは、映画は、それが映画館で上映された時に観なかったら、よほどの名作でない限り、二度と観る機会はありませんでした。一つの映画との出会いは、全くの偶然に左右されていました。今はDVDなどで気軽に何度でも観ることができます。映画にとって、また私たちにとって、昔と今、どちらが良い時代だと言えるのでしょうか。

 

◎『禁じられた遊び』

 ルネ・クレマンは、1913年3月18日、フランス南西部のボルドーで生まれました。

 少年時代から映画に興味を持ち、パリに出て美術学校に入りました。始めはカメラマン、助監督として活動し、1936年に短編映画『左側に気をつけろ』で監督としてデビューしました。終戦直後の1945年に、ナチ占領下のフランス鉄道従業員組合のレジスタンスを描いた『鉄路の闘い』を発表し、カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞しました。

 1952年、『禁じられた遊び』を作りました。子どもたちの十字架遊びを通して、反戦を痛烈に、しかし詩情豊かに訴え、ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞しました。

 1956年、エミール・ゾラ原作の『居酒屋』を作りました。19世紀の混乱したパリの下町を舞台に、極度の貧困に悩む人々の悲惨さを描きました。主人公の洗濯屋のジェルヴェーズを、私の大好きな名女優のマリア・シェルが好演しました。

 1960年、アラン・ドロン主演の青春映画の傑作『太場がいっぱい』を作りました。哀愁を誘うニーノ・ロータの音楽も素晴らしく、世界中で大ヒットしました。

 ルネ・クレマンは1996年3月に亡くなりました。83歳でした。

 名作『禁じられた遊び』は次のような悲しい物語です。

――1940年6月、パリはドイツ軍の手に落ち、多くの市民は難を避けようと必死に郊外へ逃げる。国道を進む人々の頭上にドイツ軍の戦闘機が現れる。幼いポーレットの両親は機銃掃射で即死する。愛犬も死ぬ。犬の死骸を抱いて、森の中をさまよっていた5歳の彼女は、農家の少年ミシェルに出会い、彼の家に引き取られる。

 愛犬の墓を作ったことから、二人は、いろいろな動物や虫の死骸を集めては、水車小屋に埋葬して十字架を立てる遊びに熱中する。ポーレットが欲しがるので、ミシェルは霊柩車や教会の十字架まで盗むようになる。墓地に立てられていた多くの家の十字架が盗まれ、大騒ぎになる。ミシェルの仕業であることが判明する。盗んだ十字架をどこに隠したのかと父親に問い詰められる。その時、ポーレットを孤児院に送るために、憲兵がやって来る。ミシェルは、隠し場所を教えればポーレットを孤児院に送らないという父親の言葉に騙されて、十字架の場所を教える。しかし、憲兵はポーレットを連れて行ってしまう。ミシェルは水車小屋に行って、二人で遊んだ秘密の十字架を次々と川に投げ込む。

 人々がひしめき合っている途中の駅で、ポーレットは「ミシェル、ミシェル」という声を聞く。ポーレットは、急に立ち上がると「ミシェル、ミシェル」と叫んで雑踏の中を走り出す。画面が暗くなり「FIN」(終)の字幕が出る。暗い画面にナルシソ・イエぺスの作曲した哀愁を帯びた有名なギター主題曲がしばらく続く。

 ポーレットを演じたブリジット・フォッセーも、ミシェルを演じたジョルジュ・プージュリーも素晴らしい演技をしました。特に、ブリジット・フォッセーの演技は実に見事でした。クレマン監督が偶然パリで見つけ出した全くの素人でした。可愛らしい、あどけない表情に、時折、淋しさと哀しさと憂いが浮かびます。何と魅力的な表情でしょう!彼女こそ、映画史上最も優れた名子役だったと言っていいでしょう。

 

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【39】外国映画(その5)

◎『自転車泥棒』

 イタリア映画の巨匠ヴィットリオ・デ・シーカは、1902年7月7日、イタリアの中部ラツィオ州ソーラに生まれ、ナポリで育ちました。彼は貧しい家計を助けるために幼い頃から働きました。 デ・シーカは、舞台俳優として出発しました。映画には16歳の時から出演し始め、何本かの映画に出ていました。1940年から監督も手掛けるようになり、最初はコメディーを作っていました。しかし、5作目の『子供たちは見ている』(1942)で子どもの目を通して大人の世界を描きました。そして、1946年には『靴みがき』、1948年には『自転車泥棒』を作り、これらの社会の現実を直視した作品によって、デ・シーカは世界的に有名になりました。その他の主要作品は、『ミラノの奇蹟』(1951)、『ウンべルトD』(1952)、『終着駅』(1953)、『ひまわり』(1970)です。

 リアルな映像、きめの細かい描写、底に流れる香り高いヒューマニズム。デ・シーカの生み出す作品は、世界中の映画作家に大きな影響を与えました。特に『自転車泥棒』は屈指の名作として、世界の映画史に今なお燦然として輝いています。

 彼は1974年11月13日にパリで死去しました。72歳でした。

 私は『自転車泥棒』とともに『ミラノの奇蹟』と『ウンベルトD』が好きです。

 『自転車泥棒』は悲しくも惨めな物語です。

――敗戦直後のローマ。失業中のアントニオは、やっと映画のポスター貼りの仕事にありつく。ポスター貼りには自転車が必要なのだが、質屋に入っている。妻のマリアは大切なシーツと交換に自転車を請け出す。翌朝、意気揚々として仕事に出掛ける。ところが、仕事中にその自転車を盗まれてしまう。6歳の息子ブルーノも父と一緒に捜し回るが見つからない。絶望したアントニオは、アパートの壁に立て掛けてあった他人の自転車を盗む。しかし、すぐに数十人に囲まれて捕まってしまう。「泥棒!」の叫び声を聞いて、息子のブルーノは駆けつける。「パパ、パパ」と泣き叫ぶ子どもの姿に同情した自転車の持ち主は、アントニオを許す。ブルーノは父親の手をしっかりと握りしめる。親子は固く手を握り合って群衆の中を歩いて行く。「FINE」(終)の字幕が出る。

 アントニオを演じたランベルト・マッジョラーニは、俳優経験の全く無い工場労働者でした。彼は、演技というものを超越して、大切な自転車を盗まれて苦しんでいる男になりきっていました。彼は、いかにも労働者といった、ごつごつとして野暮ったい顔をしていました。その顔には何時も、現状に不満な悲しみの色が浮かんでいました。

 物語が進展していくにつれて、私たちは、映画であることを忘れて、目の前で展開している現実の出来事だと思ってしまいます。スタジオの中での撮影ではなく、現実の市街に出ての撮影なので、現実感は一層強まります。観ているのが辛い映画です。

 私が『自転車泥棒』を観たのは、大学生の時です。この映画が1950 年に日本で封切られた時、私は11歳の小学生でした。こんなにも内容の暗い映画は、碧南市のような小さな市の映画館では上映されなかったと思われます。

 50年ほど前までは、映画は、それが映画館で上映された時に観なかったら、よほどの名作でない限り、二度と観る機会はありませんでした。一つの映画との出会いは、全くの偶然に左右されていました。今はDVDなどで気軽に何度でも観ることができます。映画にとって、また私たちにとって、昔と今、どちらが良い時代だと言えるのでしょうか。

 

◎『禁じられた遊び』

 ルネ・クレマンは、1913年3月18日、フランス南西部のボルドーで生まれました。

 少年時代から映画に興味を持ち、パリに出て美術学校に入りました。始めはカメラマン、助監督として活動し、1936年に短編映画『左側に気をつけろ』で監督としてデビューしました。終戦直後の1945年に、ナチ占領下のフランス鉄道従業員組合のレジスタンスを描いた『鉄路の闘い』を発表し、カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞しました。

 1952年、『禁じられた遊び』を作りました。子どもたちの十字架遊びを通して、反戦を痛烈に、しかし詩情豊かに訴え、ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞しました。

 1956年、エミール・ゾラ原作の『居酒屋』を作りました。19世紀の混乱したパリの下町を舞台に、極度の貧困に悩む人々の悲惨さを描きました。主人公の洗濯屋のジェルヴェーズを、私の大好きな名女優のマリア・シェルが好演しました。

 1960年、アラン・ドロン主演の青春映画の傑作『太場がいっぱい』を作りました。哀愁を誘うニーノ・ロータの音楽も素晴らしく、世界中で大ヒットしました。

 ルネ・クレマンは1996年3月に亡くなりました。83歳でした。

 名作『禁じられた遊び』は次のような悲しい物語です。

――1940年6月、パリはドイツ軍の手に落ち、多くの市民は難を避けようと必死に郊外へ逃げる。国道を進む人々の頭上にドイツ軍の戦闘機が現れる。幼いポーレットの両親は機銃掃射で即死する。愛犬も死ぬ。犬の死骸を抱いて、森の中をさまよっていた5歳の彼女は、農家の少年ミシェルに出会い、彼の家に引き取られる。

 愛犬の墓を作ったことから、二人は、いろいろな動物や虫の死骸を集めては、水車小屋に埋葬して十字架を立てる遊びに熱中する。ポーレットが欲しがるので、ミシェルは霊柩車や教会の十字架まで盗むようになる。墓地に立てられていた多くの家の十字架が盗まれ、大騒ぎになる。ミシェルの仕業であることが判明する。盗んだ十字架をどこに隠したのかと父親に問い詰められる。その時、ポーレットを孤児院に送るために、憲兵がやって来る。ミシェルは、隠し場所を教えればポーレットを孤児院に送らないという父親の言葉に騙されて、十字架の場所を教える。しかし、憲兵はポーレットを連れて行ってしまう。ミシェルは水車小屋に行って、二人で遊んだ秘密の十字架を次々と川に投げ込む。

 人々がひしめき合っている途中の駅で、ポーレットは「ミシェル、ミシェル」という声を聞く。ポーレットは、急に立ち上がると「ミシェル、ミシェル」と叫んで雑踏の中を走り出す。画面が暗くなり「FIN」(終)の字幕が出る。暗い画面にナルシソ・イエぺスの作曲した哀愁を帯びた有名なギター主題曲がしばらく続く。

 ポーレットを演じたブリジット・フォッセーも、ミシェルを演じたジョルジュ・プージュリーも素晴らしい演技をしました。特に、ブリジット・フォッセーの演技は実に見事でした。クレマン監督が偶然パリで見つけ出した全くの素人でした。可愛らしい、あどけない表情に、時折、淋しさと哀しさと憂いが浮かびます。何と魅力的な表情でしょう!彼女こそ、映画史上最も優れた名子役だったと言っていいでしょう。