■杉本武之プロフィール

1939年 碧南市に生まれる。

京都大学文学部卒業。

翻訳業を経て、小学校教師になるために愛知教育大学に入学。

25年間、西尾市の小中学校に勤務。

定年退職後、名古屋大学教育学部の大学院で学ぶ。

〈趣味〉読書と競馬

 

【38】外国映画(その4)

◎『野いちご』

 北欧の偉大な映画監督イングマール・ベルイマンは、1918年、スウェーデンの中東部のウプサラで生まれ、2007年にフォーレ島で死去しました。89歳でした。

 ベルイマンは、はじめ学生劇団で活動した後、1944年、ヘルシングボルイ劇場の演出主任となり、数々の古典や新作を演出しました。そして、1946年、『危機』で映画監督としてデビューしました。28歳でした。

 主な作品は、『第七の封印』(1957)、『野いちご』(1957)、『処女の泉』(1960)、『鏡の中にある如く』(1961)、『沈黙』(1963)、『秋のソナタ』(1978)、『ファニーとアレクサンデル』(1982)などです。

 どの作品にも人間の内的世界への鋭い問いかけがなされており、心の奥底の葛藤が冷徹に描かれています。そのため、ベルイマンの映画は非常に難解だというのが定評ですが、1957年に作られた『野いちご』は、比較的分かり易い作品です。

 78歳になった孤独の医師イサクが、名誉博士号の授与式に臨席するために、息子の妻のマリアンヌと一緒にストックホルムから式場のルンドに向かって車で出発します。その道中での出来事が順次描かれていきます。イサクにとって現実世界はなかなか厳しいものですが、彼の見る夢も、どれもこれも恐ろしく惨めなものばかりです。表彰式は厳粛に執り行われました。晴れの舞台から、彼は再び苦悩に満ちた孤独な日常生活に戻ります。

 外から見れば羨ましいばかりの栄誉に輝くこの老齢の医師には、思い出したくない屈辱的な過去が幾つかありました。夢の中でそれらが赤裸々に再現されると、その過去の思い出は、彼をこれでもかこれでもかと苦しめます。さらに、現在の我が身の老いと孤独を如実に思い知らせる残酷な夢も見ます。夢は虚飾を剥ぎ取ります。剥ぎ取られた自己の真実の姿の醜悪さに直面し、彼の感じやすい精神は激しく戦慄します。

 映画の冒頭に現れる夢のシーンは衝撃的です。 ――黒いコートを着たイサクが、人気の無い廃墟のような街を歩いている。街角の大時計には時間を示す針が無い。黒馬に繋がれた葬式の馬車が走って来る。車輪が街灯に引っ掛かり、外れた車輪が、立っているイサクの足元に転がる。傾いた車体から柩が落ちる。蓋が開き、死者の手が出て、イサクを柩に引き入れようとする。中を見ると、柩に納められた死者はイサク本人なのだ。そこで生きている現実のイサクは目が覚める。

 イサクは、こんな不吉な夢を名誉博士号授与式に出掛ける日の朝に見たのでした。 老医師イサクを演じたのは、スウェーデンの無声映画時代の名監督ヴィクトル・シェーストレームでした。彼は人間の孤独と人生の空しさを余すところなく演じ切りました。

 私は、学生時代から、よく分からないながら、ベルイマンの映画に強く惹かれてきました。最初に観た作品は『第七の封印』でした。十字軍の騎士が死神とチェスをしながら世の中の善悪と生死の問題を語り合うといった宗教的な映画でした。 それから『野いちご』と『処女の泉』を観ました。そんなに難解ではありませんでした。その後、『鏡の中にある如く』『冬の光』『沈黙』(いわゆる〈神の沈然〉3部作)を観ましたが、またまたよく理解できなくなりました。しかし、内容がよく理解できないながらも、ベルイマンの生み出す映像美には常に魅惑され続けてきました。 人間の一生には、幸福な光の部分と共に、深い不幸な闇の部分も存在している。ベルイマンは、鋭い映像を通して、この事実を恐ろしいまでに赤裸々に描き出しています。

 

◎『汚れなき悪戯』

 ベルイマンの『野いちご』と比べて、愛すべきスペイン映画『汚れなき悪戯』は何と分かりやすい人間愛に満ちた作品でしょう!

 『汚れなき悪戯』は、ラディスラオ・バホダ(1905~1965)によって1955年に作られました。主人公のマルセリーノを演じたパフリート・カルボは、その愛らしい表情と飾らない自然な演技によって、1955年のカンヌ国際映画祭で「特別子役表彰」を受けました。1957年に日本でも封切られると、この映画は「マルセリーノの一日」の歌の素朴な美しさと重なって大ヒットしました。私もその一人ですが、映画館でこの映画を観て感動した人たちは、今ではもうずいぶん年を取っていることでしょう。

 『汚れなき悪戯』は1957 年のキネマ旬報の外国映画ベストテンの8位でした。特定の数少ない識者が高得点を与えました。文芸評論家の荒正人は10点、高名な声優だった徳川夢声は9点を投じました。その年の1位はフェデリコ・フェリーニの『道』でした。この映画史に残る名作中の名作は多くの人から圧倒的な支持を得ました。

 『汚れなき悪戯』を作ったラディスラオ・バホダは、1905年にハンガリーに生まれました。彼の父は、1930年前後にドイツで多くの映画のシナリオを書いた脚本家でした。ラディスラオ・バホダは、ドイツで仕事をした後、1943年からスペインに定住しました。そして、1955年に『汚れなき悪戯』を作りました。この作品の主人公のマルセリーノを演じたパフリート・カルボとのコンビで、1956年にもう一本『広場の天使』を作りました。 ――私はいろいろな本で彼のことを調べたのですが、以上のことしか知ることができませんでした。現時点では、彼は『汚れなき悪戯』という忘れ難い作品を世界映画史に残した監督だった、ということしか分かりません。

――19世紀初頭、12人の神父たちが、フランス軍の侵略によって荒廃したスペインの村に、村人と協力して、フランシスコ修道院を建築する。ある朝、修道院の門の前に生まれたばかりの赤ん坊が発見される。村中を尋ね回るが、該当する母親は見つからない。そこで、神父たちが修道院で養育することになった。

 マルセリーノと名付けられた男の子は、12人の神父たちに見守られて健やかに成長する。修道院の2階の部屋には行くな、と強く言われていたが、好奇心から部屋の中に入る。そこには、十字架に掛けられたキリスト像があった。「可哀想に、この人は空腹だ」と思ったマルセリーノは、台所からパンを一切れ盗んで、飢えたキリストに与える。キリストは十字架から降りて、そのパンを口にする。それからは、少年はパンとワインを与えるようになった。

 不審に思った一人の神父がマルセリーノの後をそっと追跡した。そして、神父はマルセリーノが死んでいるのを発見する。少年は「ママに会いたい」という希望が聞き入れられて天国に召されたのだった。十字架に戻ったキリスト像の下で、この天使のような少年は穏やかな死に顔を見せて椅子に座っていた。

 死後、この聖なる少年は「パンとワインのマルセリーノ」と呼ばれるようになった。

 

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【38】外国映画(その4)

◎『野いちご』

 北欧の偉大な映画監督イングマール・ベルイマンは、1918年、スウェーデンの中東部のウプサラで生まれ、2007年にフォーレ島で死去しました。89歳でした。

 ベルイマンは、はじめ学生劇団で活動した後、1944年、ヘルシングボルイ劇場の演出主任となり、数々の古典や新作を演出しました。そして、1946年、『危機』で映画監督としてデビューしました。28歳でした。

 主な作品は、『第七の封印』(1957)、『野いちご』(1957)、『処女の泉』(1960)、『鏡の中にある如く』(1961)、『沈黙』(1963)、『秋のソナタ』(1978)、『ファニーとアレクサンデル』(1982)などです。

 どの作品にも人間の内的世界への鋭い問いかけがなされており、心の奥底の葛藤が冷徹に描かれています。そのため、ベルイマンの映画は非常に難解だというのが定評ですが、1957年に作られた『野いちご』は、比較的分かり易い作品です。

 78歳になった孤独の医師イサクが、名誉博士号の授与式に臨席するために、息子の妻のマリアンヌと一緒にストックホルムから式場のルンドに向かって車で出発します。その道中での出来事が順次描かれていきます。イサクにとって現実世界はなかなか厳しいものですが、彼の見る夢も、どれもこれも恐ろしく惨めなものばかりです。表彰式は厳粛に執り行われました。晴れの舞台から、彼は再び苦悩に満ちた孤独な日常生活に戻ります。

 外から見れば羨ましいばかりの栄誉に輝くこの老齢の医師には、思い出したくない屈辱的な過去が幾つかありました。夢の中でそれらが赤裸々に再現されると、その過去の思い出は、彼をこれでもかこれでもかと苦しめます。さらに、現在の我が身の老いと孤独を如実に思い知らせる残酷な夢も見ます。夢は虚飾を剥ぎ取ります。剥ぎ取られた自己の真実の姿の醜悪さに直面し、彼の感じやすい精神は激しく戦慄します。

 映画の冒頭に現れる夢のシーンは衝撃的です。 ――黒いコートを着たイサクが、人気の無い廃墟のような街を歩いている。街角の大時計には時間を示す針が無い。黒馬に繋がれた葬式の馬車が走って来る。車輪が街灯に引っ掛かり、外れた車輪が、立っているイサクの足元に転がる。傾いた車体から柩が落ちる。蓋が開き、死者の手が出て、イサクを柩に引き入れようとする。中を見ると、柩に納められた死者はイサク本人なのだ。そこで生きている現実のイサクは目が覚める。

 イサクは、こんな不吉な夢を名誉博士号授与式に出掛ける日の朝に見たのでした。 老医師イサクを演じたのは、スウェーデンの無声映画時代の名監督ヴィクトル・シェーストレームでした。彼は人間の孤独と人生の空しさを余すところなく演じ切りました。

 私は、学生時代から、よく分からないながら、ベルイマンの映画に強く惹かれてきました。最初に観た作品は『第七の封印』でした。十字軍の騎士が死神とチェスをしながら世の中の善悪と生死の問題を語り合うといった宗教的な映画でした。 それから『野いちご』と『処女の泉』を観ました。そんなに難解ではありませんでした。その後、『鏡の中にある如く』『冬の光』『沈黙』(いわゆる〈神の沈然〉3部作)を観ましたが、またまたよく理解できなくなりました。しかし、内容がよく理解できないながらも、ベルイマンの生み出す映像美には常に魅惑され続けてきました。 人間の一生には、幸福な光の部分と共に、深い不幸な闇の部分も存在している。ベルイマンは、鋭い映像を通して、この事実を恐ろしいまでに赤裸々に描き出しています。

 

◎『汚れなき悪戯』

 ベルイマンの『野いちご』と比べて、愛すべきスペイン映画『汚れなき悪戯』は何と分かりやすい人間愛に満ちた作品でしょう!

 『汚れなき悪戯』は、ラディスラオ・バホダ(1905~1965)によって1955年に作られました。主人公のマルセリーノを演じたパフリート・カルボは、その愛らしい表情と飾らない自然な演技によって、1955年のカンヌ国際映画祭で「特別子役表彰」を受けました。1957年に日本でも封切られると、この映画は「マルセリーノの一日」の歌の素朴な美しさと重なって大ヒットしました。私もその一人ですが、映画館でこの映画を観て感動した人たちは、今ではもうずいぶん年を取っていることでしょう。

 『汚れなき悪戯』は1957 年のキネマ旬報の外国映画ベストテンの8位でした。特定の数少ない識者が高得点を与えました。文芸評論家の荒正人は10点、高名な声優だった徳川夢声は9点を投じました。その年の1位はフェデリコ・フェリーニの『道』でした。この映画史に残る名作中の名作は多くの人から圧倒的な支持を得ました。

 『汚れなき悪戯』を作ったラディスラオ・バホダは、1905年にハンガリーに生まれました。彼の父は、1930年前後にドイツで多くの映画のシナリオを書いた脚本家でした。ラディスラオ・バホダは、ドイツで仕事をした後、1943年からスペインに定住しました。そして、1955年に『汚れなき悪戯』を作りました。この作品の主人公のマルセリーノを演じたパフリート・カルボとのコンビで、1956年にもう一本『広場の天使』を作りました。 ――私はいろいろな本で彼のことを調べたのですが、以上のことしか知ることができませんでした。現時点では、彼は『汚れなき悪戯』という忘れ難い作品を世界映画史に残した監督だった、ということしか分かりません。

――19世紀初頭、12人の神父たちが、フランス軍の侵略によって荒廃したスペインの村に、村人と協力して、フランシスコ修道院を建築する。ある朝、修道院の門の前に生まれたばかりの赤ん坊が発見される。村中を尋ね回るが、該当する母親は見つからない。そこで、神父たちが修道院で養育することになった。

 マルセリーノと名付けられた男の子は、12人の神父たちに見守られて健やかに成長する。修道院の2階の部屋には行くな、と強く言われていたが、好奇心から部屋の中に入る。そこには、十字架に掛けられたキリスト像があった。「可哀想に、この人は空腹だ」と思ったマルセリーノは、台所からパンを一切れ盗んで、飢えたキリストに与える。キリストは十字架から降りて、そのパンを口にする。それからは、少年はパンとワインを与えるようになった。

 不審に思った一人の神父がマルセリーノの後をそっと追跡した。そして、神父はマルセリーノが死んでいるのを発見する。少年は「ママに会いたい」という希望が聞き入れられて天国に召されたのだった。十字架に戻ったキリスト像の下で、この天使のような少年は穏やかな死に顔を見せて椅子に座っていた。

 死後、この聖なる少年は「パンとワインのマルセリーノ」と呼ばれるようになった。