■杉本武之プロフィール

1939年 碧南市に生まれる。

京都大学文学部卒業。

翻訳業を経て、小学校教師になるために愛知教育大学に入学。

25年間、西尾市の小中学校に勤務。

定年退職後、名古屋大学教育学部の大学院で学ぶ。

〈趣味〉読書と競馬

 

【27】シューベルト『ピアノ・ソナタ第21番』

◎シューベルトの思い出

 シューベルトについて、私には忘れ難い多くの思い出があります。

 中学3年の時。音楽の時間に、長髪の若い男の先生が、シューベルトのことを少し説明した後で、歌曲『魔王』のピアノ伴奏の部分を弾き始めました。私は、突然響いたその猛烈な音の連続にびっくりしてしまいました。――真夜中、死にかけた息子を腕に抱いて馬で家路に急ぐ父親。男の子は、死の世界へ魔王に誘惑されていると必死に訴え続ける。家に着いた時、子どもは死んでいた。有名なゲーテの詩に、シューベルトが18歳の時に曲をつけました。彼の歌曲の代表作の一つです。歌曲の伴奏は静かに始まるものだと思っていた私は、男の先生の凄まじい演奏を聴いて、びっくり仰天してしまいました。

 その次の思い出には、少々気恥ずかしさが伴っています。

 私の女房は、結婚して碧南市に来る前は、京都でピアノを弾いたり教えたりしていました。有望な若手ピアニストの一人だったようです。京大の医学部を出た友人が紹介してくれて、私は彼女と付き合うようになりました。その友人の恋人が、私の将来の女房と同じ音楽大学の卒業生で、二人は仲良しだったのです。

 知り合って間もなく、彼女が京都の大きな音楽ホールで演奏会に出ました。立命館大学のオーケストラとの共演でグリークの『ピアノ協奏曲』を弾いたのです。満員のホールで、気の小さい私は、ビクビク、ドキドキしながら聴いていました。何とか無事に曲が終わりました。ホッとしました。演奏会の後半はシューベルトの『交響曲第8番ハ長調(ザ・グ・レイト)』でした。演奏を終えたばかりの彼女と隣同士の席で聴きました。周囲の人々に見られているようで、終始何か気恥ずかしい思いをしていました。

 もう1つ忘れられない思い出があります。今から19年前、60歳の時のことです。

 私は、知人や友人たちに、小学校の教員を定年退職したらビールを飲む楽しい会を開くから是非出席してほしいと話していました。仲の良い先生とどんな会がいいか相談していた時に、私は不用意に「シューベルトが好きだから、彼の歌曲を歌ってみるのもいいかも知れない」と言ってしまいました。それがいい、ということになりました。もう後に引けません。その時から、私の苦悩の日々が始まりました。

 私は、シューベルトの歌曲集『冬の旅』から選ぶことにしました。女房と相談して、厳しい練習を重ねたなら、音痴の私でも何とか歌えるようになる曲を選びました。誰でも知っている「善提樹」は外せません。その他に「おやすみ」「郵便馬車」「道しるべ」を選びました。女房の指導による特訓が始まりました。特訓の合間にも、CD を何度も何度も聴きながら独りで練習しました。ピアノの伴奏と同じように歌うというのならいいのですが、歌の部分と伴奏の部分がまるで違っているのです。少しも重なっていません。

 楽譜も読めないのに、歌ってみようと提案してしまった自分目身の軽率さを呪い、こんな難しい曲を作ったシューベルトを呪い、情け容赦なく叱責する女房を呪い、近づきつつある「ビールとシューベルトを楽しむ会」を呪うようになりました。

 しかし、20年近く経った今、そんな苦しみの日々も忘れてしまい、何とか歌えたこともあって、楽しい会だったという思いだけが残っています。

 

◎『ビアノ・ソナタ第21番』

 フランツ・ぺーター・シューベルトは、1797年1 月31日午後1時半、オーストリアのウィーンで生まれました。音楽の都ウィーンで生まれ、ウィーンで死んだ大作曲家はシューベルトだけです。モーツァルトもベートーヴェンもブラームスもウィーンで亡くなりましたが、生まれた場所はそれぞれ違っています。

 シューベルトの父親は教師でした。校長として私塾のような小さな学校を経営していました。1785年に鍵職人の娘と結婚。妻は彼より7歳年上でした。二人の間に14人の子どもが生まれましたが、成長したのは5人だけでした。12番目に生まれたフランツは、3人の兄や妹とともに生き延びました。1812年に妻を腸チフスで亡くすと、翌年、父親は20歳も年下の女性と再婚しました。彼女との間に5人の子が生まれました。異母兄弟を含めると、驚くべきことに、シューベルトには18人の兄弟姉妹がいたのです。

 シューベルトは31年の短い生涯に千近くの曲を作りました。短い歌曲が多いので、こんな膨大な数になったのですが、それにしても多作です。子どもの頃から作曲を始め35歳まで生きたモーツァルトでも、最後の『レクイエム』の作品番号は626です。

 シューベルトの数ある名曲の中で、一番よく聴いてきた曲は『ピアノ・ソナタ第21番』です。集中的にこの曲を聴いていた時期があったのです。百回以上は聴きました。

 私の母は、今から9年前に百歳で亡くなりました。最後の10年間は寝たきりになり、私と女房で在宅介護をしました。母は離れで一人で暮らしていました。定年で退職したばかりの私が夜間の世話をするために、母が寝ていた部屋の隣の部屋で寝ることになりました。ベッドに横になり、本を読むか、音楽を聴いていました。音の悪いCDラジカセで主としてピアノの曲を聴いていました。そして、その介護の10年間で一番よく聴いたのが、リヒテルが弾くシューベルトの『ピアノ・ソナタ第21番』だったのです。

 1827年3月、ベートーヴェンが57歳で死去しました。崇拝していたシューベルトには大きな衝撃でした。翌年の9月1日、梅毒で苦しんでいた彼は、兄フェルディナンドの家に移り住みます。そして、兄の家で11月19日に母と同じ腸チフスで亡くなりますが、その3カ月に満たない短い間に『弦楽五重奏曲』や「三大ピアノ・ソナタ」などの傑作を完成させました。奇跡と言っていいでしょう。最後の3曲のピアノ・ソナタ(ハ短調・イ長調・変ロ長調)は、どれも珠玉の名作で、死を前にしたシューベルトが生涯の総決算として作り上げた記念碑的作品です。3曲の中で、私は『21番』が一番好きです。

 女流ピアニストのイリーナ・メジューエナが著した『ピアノの曲』(講談社現代新書)は、素晴らしい本です。彼女は、最後のピアノ・ソナタについて、こう述べています。

 「間違いなくシューベルトの最高傑作です。一般的にシューベルトは、神様からインスピレーションを受けて素敵なテーマを作って、さささっと作曲するというイメージがあるかも知れません。でも、そうじゃないと思います。この作品を分析すればするほど、すごい世界を作ったなあ、と、その細かさに驚かされます。終わりのない世界で、しかも統一感が素晴らしい。……最初の九小節(第1主題)は、歩いている感じが強い。人生を振り返っているような、ある種の重さを持っている歌で、なかなか前に進まない。……何かを探しているような、シューベルトの一番深い、魅力的なところ。その雰囲気を演奏で出せるといいですね」

 彼女は、私が何回も聴いていたリヒテルのCD をお勧めの演奏として挙げています。

 

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【27】シューベルト『ピアノ・ソナタ第21番』

◎シューベルトの思い出

 シューベルトについて、私には忘れ難い多くの思い出があります。

 中学3年の時。音楽の時間に、長髪の若い男の先生が、シューベルトのことを少し説明した後で、歌曲『魔王』のピアノ伴奏の部分を弾き始めました。私は、突然響いたその猛烈な音の連続にびっくりしてしまいました。――真夜中、死にかけた息子を腕に抱いて馬で家路に急ぐ父親。男の子は、死の世界へ魔王に誘惑されていると必死に訴え続ける。家に着いた時、子どもは死んでいた。有名なゲーテの詩に、シューベルトが18歳の時に曲をつけました。彼の歌曲の代表作の一つです。歌曲の伴奏は静かに始まるものだと思っていた私は、男の先生の凄まじい演奏を聴いて、びっくり仰天してしまいました。

 その次の思い出には、少々気恥ずかしさが伴っています。

 私の女房は、結婚して碧南市に来る前は、京都でピアノを弾いたり教えたりしていました。有望な若手ピアニストの一人だったようです。京大の医学部を出た友人が紹介してくれて、私は彼女と付き合うようになりました。その友人の恋人が、私の将来の女房と同じ音楽大学の卒業生で、二人は仲良しだったのです。

 知り合って間もなく、彼女が京都の大きな音楽ホールで演奏会に出ました。立命館大学のオーケストラとの共演でグリークの『ピアノ協奏曲』を弾いたのです。満員のホールで、気の小さい私は、ビクビク、ドキドキしながら聴いていました。何とか無事に曲が終わりました。ホッとしました。演奏会の後半はシューベルトの『交響曲第8番ハ長調(ザ・グ・レイト)』でした。演奏を終えたばかりの彼女と隣同士の席で聴きました。周囲の人々に見られているようで、終始何か気恥ずかしい思いをしていました。

 もう1つ忘れられない思い出があります。今から19年前、60歳の時のことです。

 私は、知人や友人たちに、小学校の教員を定年退職したらビールを飲む楽しい会を開くから是非出席してほしいと話していました。仲の良い先生とどんな会がいいか相談していた時に、私は不用意に「シューベルトが好きだから、彼の歌曲を歌ってみるのもいいかも知れない」と言ってしまいました。それがいい、ということになりました。もう後に引けません。その時から、私の苦悩の日々が始まりました。

 私は、シューベルトの歌曲集『冬の旅』から選ぶことにしました。女房と相談して、厳しい練習を重ねたなら、音痴の私でも何とか歌えるようになる曲を選びました。誰でも知っている「善提樹」は外せません。その他に「おやすみ」「郵便馬車」「道しるべ」を選びました。女房の指導による特訓が始まりました。特訓の合間にも、CD を何度も何度も聴きながら独りで練習しました。ピアノの伴奏と同じように歌うというのならいいのですが、歌の部分と伴奏の部分がまるで違っているのです。少しも重なっていません。

 楽譜も読めないのに、歌ってみようと提案してしまった自分目身の軽率さを呪い、こんな難しい曲を作ったシューベルトを呪い、情け容赦なく叱責する女房を呪い、近づきつつある「ビールとシューベルトを楽しむ会」を呪うようになりました。

 しかし、20年近く経った今、そんな苦しみの日々も忘れてしまい、何とか歌えたこともあって、楽しい会だったという思いだけが残っています。

 

 

◎『ビアノ・ソナタ第21番』

 フランツ・ぺーター・シューベルトは、1797年1 月31日午後1時半、オーストリアのウィーンで生まれました。音楽の都ウィーンで生まれ、ウィーンで死んだ大作曲家はシューベルトだけです。モーツァルトもベートーヴェンもブラームスもウィーンで亡くなりましたが、生まれた場所はそれぞれ違っています。

 シューベルトの父親は教師でした。校長として私塾のような小さな学校を経営していました。1785年に鍵職人の娘と結婚。妻は彼より7歳年上でした。二人の間に14人の子どもが生まれましたが、成長したのは5人だけでした。12番目に生まれたフランツは、3人の兄や妹とともに生き延びました。1812年に妻を腸チフスで亡くすと、翌年、父親は20歳も年下の女性と再婚しました。彼女との間に5人の子が生まれました。異母兄弟を含めると、驚くべきことに、シューベルトには18人の兄弟姉妹がいたのです。

 シューベルトは31年の短い生涯に千近くの曲を作りました。短い歌曲が多いので、こんな膨大な数になったのですが、それにしても多作です。子どもの頃から作曲を始め35歳まで生きたモーツァルトでも、最後の『レクイエム』の作品番号は626です。

 シューベルトの数ある名曲の中で、一番よく聴いてきた曲は『ピアノ・ソナタ第21番』です。集中的にこの曲を聴いていた時期があったのです。百回以上は聴きました。

 私の母は、今から9年前に百歳で亡くなりました。最後の10年間は寝たきりになり、私と女房で在宅介護をしました。母は離れで一人で暮らしていました。定年で退職したばかりの私が夜間の世話をするために、母が寝ていた部屋の隣の部屋で寝ることになりました。ベッドに横になり、本を読むか、音楽を聴いていました。音の悪いCDラジカセで主としてピアノの曲を聴いていました。そして、その介護の10年間で一番よく聴いたのが、リヒテルが弾くシューベルトの『ピアノ・ソナタ第21番』だったのです。

 1827年3月、ベートーヴェンが57歳で死去しました。崇拝していたシューベルトには大きな衝撃でした。翌年の9月1日、梅毒で苦しんでいた彼は、兄フェルディナンドの家に移り住みます。そして、兄の家で11月19日に母と同じ腸チフスで亡くなりますが、その3カ月に満たない短い間に『弦楽五重奏曲』や「三大ピアノ・ソナタ」などの傑作を完成させました。奇跡と言っていいでしょう。最後の3曲のピアノ・ソナタ(ハ短調・イ長調・変ロ長調)は、どれも珠玉の名作で、死を前にしたシューベルトが生涯の総決算として作り上げた記念碑的作品です。3曲の中で、私は『21番』が一番好きです。

 女流ピアニストのイリーナ・メジューエナが著した『ピアノの曲』(講談社現代新書)は、素晴らしい本です。彼女は、最後のピアノ・ソナタについて、こう述べています。

 「間違いなくシューベルトの最高傑作です。一般的にシューベルトは、神様からインスピレーションを受けて素敵なテーマを作って、さささっと作曲するというイメージがあるかも知れません。でも、そうじゃないと思います。この作品を分析すればするほど、すごい世界を作ったなあ、と、その細かさに驚かされます。終わりのない世界で、しかも統一感が素晴らしい。……最初の九小節(第1主題)は、歩いている感じが強い。人生を振り返っているような、ある種の重さを持っている歌で、なかなか前に進まない。……何かを探しているような、シューベルトの一番深い、魅力的なところ。その雰囲気を演奏で出せるといいですね」

 彼女は、私が何回も聴いていたリヒテルのCD をお勧めの演奏として挙げています。