姪の就職2

 とにかく前立腺がんと聞いただけで、実弟のことを思い出して恐怖感に襲われる。さっそく病院の泌尿器科に出かけた。おしっこを紙コップ採って待合室で待った。泌尿器科は圧倒的に高齢者が多い。

 エコーの検査もその日、受けた。

「確かに数値は昨年の3・23から上がっていますね。PSA値の経過観察しながらでもいいですが、それでは気になるでしょうね」

「私は気にする性格ですので、精密検査をしてください」

「それでは後日、MRI検査を受けてください」

 MRI検査は以前、脳ドックで受けたことがあったが、前立腺がんでは頭でなく体の違いはあっても同じ設備を使う。この検査は箱舟のところに横になって20分ほどで検査は終わる。

 七月三日に人間ドックを受け、七月二五日にMRI検査、そして約1ヶ月後の七月三〇日午後一時からM医師の検査結果についての所見を聞いた。

「はっきりがんだとは言えませんが、だからと言って完全にセーフだとも言えません。あとは組織を取って生検しないとわかりません。生検は二泊三日の検査入院となります」

「入院日は後日、電話でお知らせしますが、希望はありますか。部屋についてはあとで入退院の窓口で確認してください」

「お盆前だとありがたいのですが…」

「できるだけご希望にそうようにしますが、空き部屋の関係からご希望にそえないこともあります」

「わかりました」

 このお盆に東京にいる息子夫婦が帰省するのと、ロンドン大学の若い日本人研究者が帰国、拙宅に戦前の皇室技芸員(陶器分野の第一号)である清風与平が真三の父方の祖母の父親、つまり真三の義理の曾祖父にあたるので話を聞くため、会いたいという依頼を受けていた。このため、できればお盆前がありがたかったのである。

 病院から検査入院は八月の一三日~一五日と決まった。部屋は個室(地元民は室料1日5、250円=市外だと7、350円)の希望を出したが、特別室B(同10、500円~同14、700円)しか空いていないがいいですかと電話してきた。日程を優先したいので了解した。

 息子が仕事の関係で来られなくなったというので、我々が東京に二泊三日で出かけた。JRジパング倶楽部の会員なので三割引と安いが、帰りの一一日月曜日はお盆にかかり割引はきかないという。ロンドン大学の客人は訪問日が八月一七日の日曜日になると連絡してきた。

 検査入院前後が結構、忙しくなった。七月一八日友人、七月二四日学友と夜、会食した。ビール(糖質ゼロの発泡酒)は毎日、飲んでいる。友人たちとは一献傾けるので、ビール中ジョッキ+焼酎のお湯割四,五杯を飲んでいる。ただ、実弟の嫁、裕美から墓参りの誘いがあったが、検査日と重なるために実現しなかった。実弟と同じ病名だと言えなかった。

 入院は午前一一時に入退院受付で書類を提出して部屋に案内される。女房は検査だから大部屋でいいのにと文句を言ったが、私は個室を強く希望した。四〇代のころマイコプラズマ(肺炎の一種)で入院したときは、大部屋だったが、そのうちの親しくしていた高齢の方が亡くなったとき、ショックを受けた経験があった。そのことでどうしても個室にこだわり、結局、特別室に入ることになったので不必要な出費で頭にきていた。

 入院の提出書類に誓約書があった。最近は世論がきびいしいため、病院側も検査、手術前に誓約書を取って防衛するようになった。今回の検査では脊髄麻酔を打って下半身を麻痺させるからである。脊髄麻酔でたまに体に変調がきたし半身不随の事故が報告されている。麻酔が患者の体質に合わないこともある。

 この検査は翌日の一四日午後二時三〇分からであった。前日は部屋で普段通りの生活ができたが、ベッドに横たわり静かに過ごした。時あたかも北京オリンピックの最中であった。特別室の液晶TVを無料で見られた。冷蔵庫も備えてあった。風呂、シャワーもある。水分補給をするため、ペットボトル三本院内売店で買って入れた。

 女房が部屋にきたときも、備付の長いすで周囲に気兼ねせずに話せたので、特別室でよかったと話した。大きなタオルと十字パットは病院の売店で買った。この日は風呂に入った。

 翌日、朝からM医師の回診があり、手術の手順をてぎわよく話した。

「尿道に管を入れ、前立腺から組織を一〇箇所から採ります。その間は二〇~三〇分です」

「痛くないですか」

「麻酔を打っていますので痛くありません。安心してください」

 実弟が「前立腺の左右の計六カ所から組織を取られた。痛みを感じることもなく終わり、ほっとしていたら、尿道に管を入れて膀胱を調べる検査が行われた。これは言いようのない激痛を伴い気絶するのではないかと思ったほどだ」と、書いているので心配だった。

 私の場合は一〇箇所から採ると言われていた。

 看護師が浣腸をお尻に差し込んだ。一〇分ほどがまんしてから排便するように言われたが、五、六分しか持ちこたえず、トイレに急行した。こういうとき、個室は楽だ。絶食のため点滴が取り付けられた。

 午後二時三〇過ぎ、ベッドのまま六階の手術室に運ばれた。

 手術室入口には、四、五人の美人看護師が出迎えてくれた。そのなかのとびっきり美人の看護師が「わたしたちがお手伝いします。ご安心して検査を受けてください」と話した。

 あまりの美人に下半身を見られると思うと恥ずかしく、どうしようもない気持ちになった。もう、どうでもいいやという半ば、開き直りの心境だったが、そのうち目を閉じて覚悟した。やがてベッドは手術室のベッドに寝たまま移された。

 座った状態で脊髄から麻酔が打たれた。

「痛くありませんか」

「なんとか、大丈夫です」

 やがて三人の医師とさきほどの美人看護師がベッドを取り囲みながら組織の採取作業に入った。ほとんど痛みは感じない。

「これが組織です」

 M担当医がビーカに入った1ミリほどの組織を見せてくれた。

 そうこうするうちに検査が終わり、元のベッドに移され部屋に戻った。尿管がついたままで、明日まではこれで用をたすという。このためベッドよこにビニール製の尿タンクがついている。腕には点滴タンク、陰部からは尿管が伸びていて、ほとんど動けない。ナースコールを押してエアコンを切ってもらい、眠りについた。

 翌朝、尿管をはずしにふたりの医師がやってきた。

「痛くありませんか。」

 抜く瞬間は痛みを感じたが、耐えられる範囲だった。これがはずれると、あとは点滴をぶらさげてある鉄製の移動式吊具だけである。これだとエレベータで一階まで朝刊を買いに行ける。朝食はチューブに入ったゼリー状のカロリーメイトであった。これが結構、おいしかったので、あとで探したが売っていなかった。

 おしっこをするとき、痛みを覚えた。しかも血の小便というよりも血そのものだった。はじめてのことで恐怖感に襲われた。看護師に聞くと「水分を十分、取ってください」という。やがて小便の色が赤から通常の黄色に変わった。その間、約一時間である。これですっかり安心した。M担当医の退院許可書が枕元の机に置いてあったので、朝食を食べタクシーで帰宅した。朝の一〇時である。表から入ると目立つので裏道に止めて、入った。 女房はあまりの速さに驚いていた。帰宅してすぐにパソコンの前に座り、メールの確認をした。しばらくすると首から肩がものすごい肩こりのようで辛抱できないほどになった。エアースプレーをかけたり、鎮痛クリームを塗ったりするが、どうにも治まらない。しかたなくベッドに横になりしばらく休んでいると、元にもどった。起きて動くと再び、同じような症状に見舞われた。

 検査を受けた方へという用紙に「時折、頭痛がありますが、一週間もすれば消えますとある」とあったが、これだと思い横になっては起き、痛みを覚えると再び横になった。四日目あたりから症状も消えた。まだ、前立腺がんは宣告されていないので、普通の生活を続け、悩みもほとんどない。だから東京にも行き、若い研究者を自宅に迎え歓談の時も過ごせた。

 八月二〇日には恒例になった某TV局の友人ディレクターが制作、放映後、会食しながら意見を交わした。彼は第三者の意見を聞きたいこともあって、いつも声をかけてくる。かつて店に来ていていまはTVの報道局に異動して活躍していた。お互いに気心が知れていたので、楽しいひとときを過ごせるという思いがあった。

 だんだんと運命の八月二十七日が迫ってくる。

 そしてその日がきた。気持ちの半分はセーフ、半分はアウトの状態であった。

 M医師が順番を告げる。

「よろしくお願いします」

「…。はっきりがんだといえます」

「そうですか」

 次のことばを待った。

「骨への転移は見られません。前立腺の中におさまっています」

 

■岡田 清治プロフィール

1942年生まれ ジャーナリスト

(編集プロダクション・NET108代表)

著書に『高野山開創千二百年 いっぱんさん行状記』『心の遺言』『あなたは社員の全能力を引き出せますか!』『リヨンで見た虹』など多数

※この物語に対する読者の方々のコメント、体験談を左記のFAXかメールでお寄せください。

今回は「就職」「日本のゆくえ」「結婚」「夫婦」「インド」「愛知県」についてです。物語が進行する中で織り込むことを試み、一緒に考えます。

FAX‥0569―34―7971

メール‥takamitsu@akai-shinbunten.net

 

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 とにかく前立腺がんと聞いただけで、実弟のことを思い出して恐怖感に襲われる。さっそく病院の泌尿器科に出かけた。おしっこを紙コップ採って待合室で待った。泌尿器科は圧倒的に高齢者が多い。

 エコーの検査もその日、受けた。

「確かに数値は昨年の3・23から上がっていますね。PSA値の経過観察しながらでもいいですが、それでは気になるでしょうね」

「私は気にする性格ですので、精密検査をしてください」

「それでは後日、MRI検査を受けてください」

 MRI検査は以前、脳ドックで受けたことがあったが、前立腺がんでは頭でなく体の違いはあっても同じ設備を使う。この検査は箱舟のところに横になって20分ほどで検査は終わる。

 七月三日に人間ドックを受け、七月二五日にMRI検査、そして約1ヶ月後の七月三〇日午後一時からM医師の検査結果についての所見を聞いた。

「はっきりがんだとは言えませんが、だからと言って完全にセーフだとも言えません。あとは組織を取って生検しないとわかりません。生検は二泊三日の検査入院となります」

「入院日は後日、電話でお知らせしますが、希望はありますか。部屋についてはあとで入退院の窓口で確認してください」

「お盆前だとありがたいのですが…」

「できるだけご希望にそうようにしますが、空き部屋の関係からご希望にそえないこともあります」

「わかりました」

 このお盆に東京にいる息子夫婦が帰省するのと、ロンドン大学の若い日本人研究者が帰国、拙宅に戦前の皇室技芸員(陶器分野の第一号)である清風与平が真三の父方の祖母の父親、つまり真三の義理の曾祖父にあたるので話を聞くため、会いたいという依頼を受けていた。このため、できればお盆前がありがたかったのである。

 病院から検査入院は八月の一三日~一五日と決まった。部屋は個室(地元民は室料1日5、250円=市外だと7、350円)の希望を出したが、特別室B(同10、500円~同14、700円)しか空いていないがいいですかと電話してきた。日程を優先したいので了解した。

 息子が仕事の関係で来られなくなったというので、我々が東京に二泊三日で出かけた。JRジパング倶楽部の会員なので三割引と安いが、帰りの一一日月曜日はお盆にかかり割引はきかないという。ロンドン大学の客人は訪問日が八月一七日の日曜日になると連絡してきた。

 検査入院前後が結構、忙しくなった。七月一八日友人、七月二四日学友と夜、会食した。ビール(糖質ゼロの発泡酒)は毎日、飲んでいる。友人たちとは一献傾けるので、ビール中ジョッキ+焼酎のお湯割四,五杯を飲んでいる。ただ、実弟の嫁、裕美から墓参りの誘いがあったが、検査日と重なるために実現しなかった。実弟と同じ病名だと言えなかった。

 入院は午前一一時に入退院受付で書類を提出して部屋に案内される。女房は検査だから大部屋でいいのにと文句を言ったが、私は個室を強く希望した。四〇代のころマイコプラズマ(肺炎の一種)で入院したときは、大部屋だったが、そのうちの親しくしていた高齢の方が亡くなったとき、ショックを受けた経験があった。そのことでどうしても個室にこだわり、結局、特別室に入ることになったので不必要な出費で頭にきていた。

 入院の提出書類に誓約書があった。最近は世論がきびいしいため、病院側も検査、手術前に誓約書を取って防衛するようになった。今回の検査では脊髄麻酔を打って下半身を麻痺させるからである。脊髄麻酔でたまに体に変調がきたし半身不随の事故が報告されている。麻酔が患者の体質に合わないこともある。

 この検査は翌日の一四日午後二時三〇分からであった。前日は部屋で普段通りの生活ができたが、ベッドに横たわり静かに過ごした。時あたかも北京オリンピックの最中であった。特別室の液晶TVを無料で見られた。冷蔵庫も備えてあった。風呂、シャワーもある。水分補給をするため、ペットボトル三本院内売店で買って入れた。

 女房が部屋にきたときも、備付の長いすで周囲に気兼ねせずに話せたので、特別室でよかったと話した。大きなタオルと十字パットは病院の売店で買った。この日は風呂に入った。

 翌日、朝からM医師の回診があり、手術の手順をてぎわよく話した。

「尿道に管を入れ、前立腺から組織を一〇箇所から採ります。その間は二〇~三〇分です」

「痛くないですか」

「麻酔を打っていますので痛くありません。安心してください」

 実弟が「前立腺の左右の計六カ所から組織を取られた。痛みを感じることもなく終わり、ほっとしていたら、尿道に管を入れて膀胱を調べる検査が行われた。これは言いようのない激痛を伴い気絶するのではないかと思ったほどだ」と、書いているので心配だった。

 私の場合は一〇箇所から採ると言われていた。

 看護師が浣腸をお尻に差し込んだ。一〇分ほどがまんしてから排便するように言われたが、五、六分しか持ちこたえず、トイレに急行した。こういうとき、個室は楽だ。絶食のため点滴が取り付けられた。

 午後二時三〇過ぎ、ベッドのまま六階の手術室に運ばれた。

 手術室入口には、四、五人の美人看護師が出迎えてくれた。そのなかのとびっきり美人の看護師が「わたしたちがお手伝いします。ご安心して検査を受けてください」と話した。

 あまりの美人に下半身を見られると思うと恥ずかしく、どうしようもない気持ちになった。もう、どうでもいいやという半ば、開き直りの心境だったが、そのうち目を閉じて覚悟した。やがてベッドは手術室のベッドに寝たまま移された。

 座った状態で脊髄から麻酔が打たれた。

「痛くありませんか」

「なんとか、大丈夫です」

 やがて三人の医師とさきほどの美人看護師がベッドを取り囲みながら組織の採取作業に入った。ほとんど痛みは感じない。

「これが組織です」

 M担当医がビーカに入った1ミリほどの組織を見せてくれた。

 そうこうするうちに検査が終わり、元のベッドに移され部屋に戻った。尿管がついたままで、明日まではこれで用をたすという。このためベッドよこにビニール製の尿タンクがついている。腕には点滴タンク、陰部からは尿管が伸びていて、ほとんど動けない。ナースコールを押してエアコンを切ってもらい、眠りについた。

 翌朝、尿管をはずしにふたりの医師がやってきた。

「痛くありませんか。」

 抜く瞬間は痛みを感じたが、耐えられる範囲だった。これがはずれると、あとは点滴をぶらさげてある鉄製の移動式吊具だけである。これだとエレベータで一階まで朝刊を買いに行ける。朝食はチューブに入ったゼリー状のカロリーメイトであった。これが結構、おいしかったので、あとで探したが売っていなかった。

 おしっこをするとき、痛みを覚えた。しかも血の小便というよりも血そのものだった。はじめてのことで恐怖感に襲われた。看護師に聞くと「水分を十分、取ってください」という。やがて小便の色が赤から通常の黄色に変わった。その間、約一時間である。これですっかり安心した。M担当医の退院許可書が枕元の机に置いてあったので、朝食を食べタクシーで帰宅した。朝の一〇時である。表から入ると目立つので裏道に止めて、入った。 女房はあまりの速さに驚いていた。帰宅してすぐにパソコンの前に座り、メールの確認をした。しばらくすると首から肩がものすごい肩こりのようで辛抱できないほどになった。エアースプレーをかけたり、鎮痛クリームを塗ったりするが、どうにも治まらない。しかたなくベッドに横になりしばらく休んでいると、元にもどった。起きて動くと再び、同じような症状に見舞われた。

 検査を受けた方へという用紙に「時折、頭痛がありますが、一週間もすれば消えますとある」とあったが、これだと思い横になっては起き、痛みを覚えると再び横になった。四日目あたりから症状も消えた。まだ、前立腺がんは宣告されていないので、普通の生活を続け、悩みもほとんどない。だから東京にも行き、若い研究者を自宅に迎え歓談の時も過ごせた。

 八月二〇日には恒例になった某TV局の友人ディレクターが制作、放映後、会食しながら意見を交わした。彼は第三者の意見を聞きたいこともあって、いつも声をかけてくる。かつて店に来ていていまはTVの報道局に異動して活躍していた。お互いに気心が知れていたので、楽しいひとときを過ごせるという思いがあった。

 だんだんと運命の八月二十七日が迫ってくる。

 そしてその日がきた。気持ちの半分はセーフ、半分はアウトの状態であった。

 M医師が順番を告げる。

「よろしくお願いします」

「…。はっきりがんだといえます」

「そうですか」

 次のことばを待った。

「骨への転移は見られません。前立腺の中におさまっています」