■杉本武之プロフィール

1939年 碧南市に生まれる。

京都大学文学部卒業。

翻訳業を経て、小学校教師になるために愛知教育大学に入学。

25年間、西尾市の小中学校に勤務。

定年退職後、名古屋大学教育学部の大学院で学ぶ。

〈趣味〉読書と競馬

 

【17】ブルックナー『『交響曲第9番』

◎週末競馬

競馬に興味を持つようになってから20年以上が経ちました。

 競馬に夢中になると、人間はどのような日々を送るようになるのでしょうか。極端な例ですが、ほぼ次のような状態になります。 SF評論家・石川喬司の「人はなぜ競馬をするのか」(1978年発表)を読んでみましょう。

 ――ケイバ菌に汚染されてから15年になる。今では友人たちは僕を「バカ」と呼ぶ。バカ、つまり馬家――ウマのことばかり書いている作家、というわけだ。星新一の命名である。なにしろ18年間勤めた新聞社(毎日新聞社)を辞めた直接の動機が、土曜、日曜に心置きなく競馬を楽しみたいから、というのだから、バカと笑われても仕方があるまい。

 ケイバ菌に取り付かれたきっかけは、職場の同僚に誘われて、というお定まりの感染経路だが、生まれて初めてサラブレッドが緑の芝生を走る姿を見た時、こんな素晴らしいものをそれまで知らないでいたことを心から後悔し、突如として狂い始めた。それからの僕の生活は、おおむね次のような1週間の繰り返しだった。

 月曜日、スタンド(駅の新聞売場)で競馬週刊誌を買ってから出社。勤務時間中に週末の特別レースの出走予定馬を盗み読みしては、白昼夢にふける。

 火曜日、会社をサボって公営競馬場(平日開催)へ行ってみたくなる。

 水曜日、会社をサボって公営競馬場へ行く。

 木曜日、同僚と喫茶店でスポーツ新聞の調教ニュースを読み漁る。

 金曜日、たびたび会社を抜け出してスタンドにお百度参り。「競馬新聞はまだかまだか」と聞く。退社時間を待ちかねて帰宅。早くから部屋に閉じこもって徹夜で勝馬検討。 土曜日、場外馬券売場へ寄り道してから出社。隙を見てはイヤホンでトランジスタ・ラジオの競馬中継を聞く。メイン・レースになると、テレビのある喫茶店へ抜け出す。

 日曜日、早朝から双眼鏡を肩に競馬場へ。1レースの出走馬が姿を現す前からパドック(出走前に馬の状態を観客に見せる場所)に陣取り、最終レースまで全力投球。健闘空しくオケラ街道(無一文の帰り道)をトボトボと帰宅、ぶっ倒れるように眠る。

 私は、こんな激烈な1週間を送ったことはありませんが、心理的には、ほぼこんな状態でした。しかし、80歳近くになった今では、さすがに熱意が衰えてきました。平日は晴耕雨読の生活で、競馬関係の新聞も読みません。土曜日の朝、電車で中京兢馬場に行き、午前中はそこで馬券を買って楽しみ、午後からの4レース分(3つの競馬場で開催されていれば合計12レース分)と翌日の大きなレースの馬券を買って家に帰ります。帰ってから、テレビの中継を楽しみ、翌日は3時からテレビでメインレースを見ます。

 私の馬券の買い方は、長い紆余曲折を経て「1レース300円」に固まってきました。人気のある強い馬は選びません。勝っても、あまり嬉しくないからです。最後には力尽きることは分かっていながら、果敢に逃げる馬を選びます。途中までは先頭を走るので、しばらくは楽しめます。負けて当然の馬券ですから、外れてもがっかりしません。

 今までに数多くの名馬たちに出会ってきました。ナリタブライアン、サイレンススズカ、ダイワメジャー、ディープインパクト、ウオッカ、オルフェーヴルなどです。こうした名馬たちが走るレースでは、私は、単勝馬券を1枚だけ買います。そして、勝っても換金しません。記念に取って置きます。換金しても200円くらいになるだけです。

 競馬を心から愛していた作家・菊池寛は、今から80年前、次のように書きました。

 「馬券買いにおいて勝つこと甚だ難し。ただ自己の無理をせざる犠牲において馬券を楽しむこと。勝たん勝たんとして、無理なる金を賭けるが如き、慎しみてもなお慎しむべし。馬券買いは道楽なり。散財なり。真に金を儲けんとせば、正道の家業を励むに如かず」。

◎「交響曲第9番」

 5年前から、毎日のようにブルックナーを聴いています。それも3時間くらい聴いています。ブルックナーの交響曲はどれも1時間前後の長さです。「そんなに聴いていて、飽きないか」と問われたら、私は「少しも飽きない」と答えるでしょう。

 アントン・ブルックナーは、1824年9月4日、オーストリアの東北部の小さな村アンスフェルデンで生まれました。父親は学校長兼オルガン奏者でした。ベートーヴェンが『交響曲第9番・合唱』を作曲した記念すべき年に、後に同じ番号の不朽の名曲『交響曲第9番』を作曲することになるブルックナーが誕生したのです。

 ブルックナーの交響曲は、1番から9番までの番号の付いた9曲以外に『第0番』というのもあります。

 晩年の1895年、彼は若い頃の作品を整理していて交響曲の草稿を見つけました。破棄するに忍びなかったのか、その草稿に「交響曲『第0番』、全く通用しないもので、単なる試作」と書き込みました。40歳の時の作品だと考えられています。魅力的な曲です。『第1番』は、その2年後の1866年に完成されました。

 ブルックナーは1896年10月11日、72歳でこの世を去りました。彼は息を引き取る日の朝まで『第9番』の第4楽章に取り組んでいました。ブルックナーは「愛する神に捧げる」という献辞を付けたこの最後の交響曲を完成させたくてしかたがありませんでしたが、200ページの手稿を残して死んでしまいました。本人にとっても、人類にとっても真に残念極まりないことでした。

 ブルックナーの10曲ある交響曲(『第0番』も含める)は全て同じ程度に好きです。彼の曲はどれも書法が同じであり、同じ内容を語っていると言われています。私はどの曲を聴いても違いが分かりません。こんなに繰り返し繰り返し聴いているのに、さっぱり曲の識別ができません。

 最近一番よく聴いているのは『第9番』です。凄い作品です。

 私の尊敬する音楽評論家・吉田秀和は『私の好きな曲』の中でこう書きました。

 「私が今ブルックナーの『第八』でなくて、『第九』をより高く評価しているのは、そうして事実、この方をより好んで聴くのは、『第八』の世界の緊張度の強さ、その完成度の高さが、『第八』を作品として、ひとつの閉ざされた世界を作り上げたものにしているのに対して、『第九』は開かれた世界のまま、終わってしまっているからである。『第八』に見られる自己充足性に対し、『第九』には、より高いものへの信頼に裏付けられた開放的な性格がある」。

 私がよく聴くブルックナーの『交響曲第9番』のCDは、1961年にカール・シューリヒトがウィーン・フィルハーモニーを指揮したもの、そして1993年に朝比奈隆が東京都交響楽団を指揮したものです。

 なお、大学生の時、京都会館で『交響曲第3番』の日本初演を聴きました。カウフマンという指揮者が京都市交響楽団を指揮したもので、音大生だった女房も同じ会館で聴いていたそうです。

 

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【17】ブルックナー『『交響曲第9番』

◎週末競馬

競馬に興味を持つようになってから20年以上が経ちました。

 競馬に夢中になると、人間はどのような日々を送るようになるのでしょうか。極端な例ですが、ほぼ次のような状態になります。 SF評論家・石川喬司の「人はなぜ競馬をするのか」(1978年発表)を読んでみましょう。

 ――ケイバ菌に汚染されてから15年になる。今では友人たちは僕を「バカ」と呼ぶ。バカ、つまり馬家――ウマのことばかり書いている作家、というわけだ。星新一の命名である。なにしろ18年間勤めた新聞社(毎日新聞社)を辞めた直接の動機が、土曜、日曜に心置きなく競馬を楽しみたいから、というのだから、バカと笑われても仕方があるまい。

 ケイバ菌に取り付かれたきっかけは、職場の同僚に誘われて、というお定まりの感染経路だが、生まれて初めてサラブレッドが緑の芝生を走る姿を見た時、こんな素晴らしいものをそれまで知らないでいたことを心から後悔し、突如として狂い始めた。それからの僕の生活は、おおむね次のような1週間の繰り返しだった。

 月曜日、スタンド(駅の新聞売場)で競馬週刊誌を買ってから出社。勤務時間中に週末の特別レースの出走予定馬を盗み読みしては、白昼夢にふける。

 火曜日、会社をサボって公営競馬場(平日開催)へ行ってみたくなる。

 水曜日、会社をサボって公営競馬場へ行く。

 木曜日、同僚と喫茶店でスポーツ新聞の調教ニュースを読み漁る。

 金曜日、たびたび会社を抜け出してスタンドにお百度参り。「競馬新聞はまだかまだか」と聞く。退社時間を待ちかねて帰宅。早くから部屋に閉じこもって徹夜で勝馬検討。 土曜日、場外馬券売場へ寄り道してから出社。隙を見てはイヤホンでトランジスタ・ラジオの競馬中継を聞く。メイン・レースになると、テレビのある喫茶店へ抜け出す。

 日曜日、早朝から双眼鏡を肩に競馬場へ。1レースの出走馬が姿を現す前からパドック(出走前に馬の状態を観客に見せる場所)に陣取り、最終レースまで全力投球。健闘空しくオケラ街道(無一文の帰り道)をトボトボと帰宅、ぶっ倒れるように眠る。

 私は、こんな激烈な1週間を送ったことはありませんが、心理的には、ほぼこんな状態でした。しかし、80歳近くになった今では、さすがに熱意が衰えてきました。平日は晴耕雨読の生活で、競馬関係の新聞も読みません。土曜日の朝、電車で中京兢馬場に行き、午前中はそこで馬券を買って楽しみ、午後からの4レース分(3つの競馬場で開催されていれば合計12レース分)と翌日の大きなレースの馬券を買って家に帰ります。帰ってから、テレビの中継を楽しみ、翌日は3時からテレビでメインレースを見ます。

 私の馬券の買い方は、長い紆余曲折を経て「1レース300円」に固まってきました。人気のある強い馬は選びません。勝っても、あまり嬉しくないからです。最後には力尽きることは分かっていながら、果敢に逃げる馬を選びます。途中までは先頭を走るので、しばらくは楽しめます。負けて当然の馬券ですから、外れてもがっかりしません。

 今までに数多くの名馬たちに出会ってきました。ナリタブライアン、サイレンススズカ、ダイワメジャー、ディープインパクト、ウオッカ、オルフェーヴルなどです。こうした名馬たちが走るレースでは、私は、単勝馬券を1枚だけ買います。そして、勝っても換金しません。記念に取って置きます。換金しても200円くらいになるだけです。

 競馬を心から愛していた作家・菊池寛は、今から80年前、次のように書きました。

 「馬券買いにおいて勝つこと甚だ難し。ただ自己の無理をせざる犠牲において馬券を楽しむこと。勝たん勝たんとして、無理なる金を賭けるが如き、慎しみてもなお慎しむべし。馬券買いは道楽なり。散財なり。真に金を儲けんとせば、正道の家業を励むに如かず」。

 

◎「交響曲第9番」

 5年前から、毎日のようにブルックナーを聴いています。それも3時間くらい聴いています。ブルックナーの交響曲はどれも1時間前後の長さです。「そんなに聴いていて、飽きないか」と問われたら、私は「少しも飽きない」と答えるでしょう。

 アントン・ブルックナーは、1824年9月4日、オーストリアの東北部の小さな村アンスフェルデンで生まれました。父親は学校長兼オルガン奏者でした。ベートーヴェンが『交響曲第9番・合唱』を作曲した記念すべき年に、後に同じ番号の不朽の名曲『交響曲第9番』を作曲することになるブルックナーが誕生したのです。

 ブルックナーの交響曲は、1番から9番までの番号の付いた9曲以外に『第0番』というのもあります。

 晩年の1895年、彼は若い頃の作品を整理していて交響曲の草稿を見つけました。破棄するに忍びなかったのか、その草稿に「交響曲『第0番』、全く通用しないもので、単なる試作」と書き込みました。40歳の時の作品だと考えられています。魅力的な曲です。『第1番』は、その2年後の1866年に完成されました。

 ブルックナーは1896年10月11日、72歳でこの世を去りました。彼は息を引き取る日の朝まで『第9番』の第4楽章に取り組んでいました。ブルックナーは「愛する神に捧げる」という献辞を付けたこの最後の交響曲を完成させたくてしかたがありませんでしたが、200ページの手稿を残して死んでしまいました。本人にとっても、人類にとっても真に残念極まりないことでした。

 ブルックナーの10曲ある交響曲(『第0番』も含める)は全て同じ程度に好きです。彼の曲はどれも書法が同じであり、同じ内容を語っていると言われています。私はどの曲を聴いても違いが分かりません。こんなに繰り返し繰り返し聴いているのに、さっぱり曲の識別ができません。

 最近一番よく聴いているのは『第9番』です。凄い作品です。

 私の尊敬する音楽評論家・吉田秀和は『私の好きな曲』の中でこう書きました。

 「私が今ブルックナーの『第八』でなくて、『第九』をより高く評価しているのは、そうして事実、この方をより好んで聴くのは、『第八』の世界の緊張度の強さ、その完成度の高さが、『第八』を作品として、ひとつの閉ざされた世界を作り上げたものにしているのに対して、『第九』は開かれた世界のまま、終わってしまっているからである。『第八』に見られる自己充足性に対し、『第九』には、より高いものへの信頼に裏付けられた開放的な性格がある」。

 私がよく聴くブルックナーの『交響曲第9番』のCDは、1961年にカール・シューリヒトがウィーン・フィルハーモニーを指揮したもの、そして1993年に朝比奈隆が東京都交響楽団を指揮したものです。

 なお、大学生の時、京都会館で『交響曲第3番』の日本初演を聴きました。カウフマンという指揮者が京都市交響楽団を指揮したもので、音大生だった女房も同じ会館で聴いていたそうです。