■杉本武之プロフィール

1939年 碧南市に生まれる。

京都大学文学部卒業。

翻訳業を経て、小学校教師になるために愛知教育大学に入学。

25年間、西尾市の小中学校に勤務。

定年退職後、名古屋大学教育学部の大学院で学ぶ。

〈趣味〉読書と競馬

 

【16】レンブラント『放蕩息子の帰宅』

◎晴耕雨読の日々

 12年前から碧南市の「市民農園」の小さな畑で野菜作りをしています。農園は車で7分程のところにあり、70区画のうちの1区画を年間1万円で借りているのです。

 十畳ぐらいの本当に狭い畑ですが、自分なりにいろいろ工夫して、 季節に合った野菜を作っています。まわりの畑を借りている人たちとも親しくなり、互いに情報交換をしています。試行錯誤を重ね、何とかして美味しい野菜をたくさん作ろうと努力しています。

 作り始めた当初は、何も分からず、まわりの畑の樣子を窺っては、近くの種苗店で種や苗を買って育てていました。

 隣の畑の亀山さんが「本を一冊買って、それを読んで勉強するといいよ」と教えてくれました。そこで早速、本屋に行って『はじめての野菜づくり』(主婦の友社)を千三百円で買いました。全ページ、カラーの入門書で、見ているだけで楽しく、書かれている指示に従えば、どんな野菜も山ほど収穫できるような気がしました。種蒔きから収穫直前の野菜まで、美しいカラー写真で載っているので、作る前から、もう大きく育った野菜を収穫したような気分になりました。素人は書物に騙され易いものです。どうしても「捕らぬ狸の皮算用」になってしまいます。そして、後で悔しい思いをするのです。

 私の野菜作りの理想は高く崇高です。無農薬で育てる。これは当然のこと。害虫は指先で取って潰して殺す。可能な限り自然農法に徹する。家電店で買った機器で生ゴミを乾燥させ、それを主要な肥料として使う。雑草は生えたままに放置し、極力抜き取らない。自分で育てて収穫した野菜から種を取り、次の年まで大切に保存して、蒔く。

 何と素晴らしい栽培方針でしょう。しかし、現実は厳しいものです。

 農薬を使わないので、周囲の畑から農薬で追われた害虫が、難民のように、安全な私の畑に逃げて来ます。そして、美味しそうな野菜の葉の裏側に隠れて育ちます。そうした虫たちを探し出して殺していると、やがて肉体的に疲れてきます。また、生き物を殺しているという罪悪感に苦しめられます。しかし、無農薬の方針を今後も貫くつもりです。

 雑草は生え放題だし、肥料もわずかしか貰えなかったので、初めの頃、私の畑の野菜たちは、欠食児童のようになりました。太らない。活気が無くなる。だらんとしている。やはり生き物には食べ物が必要不可欠だと気付いた私は、前よりも多めに肥料を与えることにしました。すると、元気の良い野菜ができるようになりました。

 いろいろな野菜を作っています。今年の夏野菜を列挙すると、カボチャ、トウガン、トマト、キュウリ、ナス、シシトウ、ツルムラサキ、ゴーヤ、オクラです。特にトマトとゴーヤがたくさん採れました。毎朝ゴーヤを持って帰ると、初めのうちは喜んでいた女房も、だんだん機嫌が悪くなり、遂には「料理するのは私ですからね」と言って、私の方に冷たい視線を向けるようになりました。全く「過ぎたるは猶及ばざるが如し」です。

 夏の暑い日に、早朝と夕方の2回、水を撒きに出掛けるのは、老人にとって難儀なものです。幸いなことに、「市民農園」には、4区画に一つの割合で水道が引いてあります。家からポリバケツなどで水を運んで行く手間が省け、その点、楽をしています。

 いつまで元気で野菜作りができるか分かりませんが、これからも長く「晴耕雨読」の日々を送りたいと思っています。

 

◎『放蕩息子の帰宅』

 今年の夏の間、ずっとオランダの画家レンブラントの研究に取り組んでいました。

 私は、画家の中ではミレーが一番好きです。しかし、人類史上、最大の画家はレンブラントだと思っています。

 今から18年前のことでした。近所の本屋で『レンブラント』(「週刊アートギャラリー・17」)を買いました。週刊誌より少し大きめの薄い冊子でした。

 その時初めて『放蕩息子の帰宅』を見ました。衝撃が体内に走りました。「これは凄い!」。私は長い間その絵から目が離せませんでした。年老いた父親が、財産を使い果たして餓死寸前で家に戻って来た放蕩息子を温かく抱擁している場面です。

 感動した私は、早速この絵をハサミで切り取り、寝室の壁にピンで止めました。こうしておけば、夜と朝、この絵を見ることができる。この老人の憐憫と慈愛と寛容に充ちた姿を見て、自分も少しずつ善良で寛大な人間になるように努めよう。こう思いながら、18年間、毎日2回この絵を見てきました。これからも毎日見るつもりです。

 この絵はそんなに大きなものではないと思っていました。ところが、昨年の夏、横浜の「そごう美術館」で原寸大の複製画を見て、びっくりしました。262×206㎝の超大作で、登場人物はほとんど等身大に描かれていたのです。

 この作品は、レンブラント芸術の集大成です。シェイクスピアの『リア王』、ゲーテの『ファウスト』、ベートーヴェンの『交響曲第9番・合唱』、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』と同じように、偉大な芸術家が人類に遺した遺言のような作品です。

 レンブラントの代表作の『夜警』や『テュルプ博士の解剖講義』を見たことのある人は多いと思います。レンブラント (1606~1669)は、フランス・ハルスやフェルメールらと共に、17世紀の黄金時代のオランダで活躍した大画家です。多作でした。注文を受けて制作した数多くの個人肖像画、『夜警』などの大作の集団肖像画、親しい家族の肖像画、生涯描き続けた自画像の他に、『旧約聖書』と『新約聖書』から題材を取った宗教画がたくさん有ります。特に『新約聖書』「ルカ伝」第15章の「放蕩息子」に関する作品を多く描きました。

 どんな人間も大切な存在だということを、イエスが譬え話として語った物語です。

 ──昔、一人の男がいた。男には二人の息子がいた。弟が、父の財産の内、自分に貰える分を今すぐ欲しいと言った。父は与えた。弟は遠い国に出掛けた。酒と女に明け暮れして財産を使い果たした。餓死寸前に、深く反省して、父の許に帰ろうと決心した。父は息子の姿を見ると、喜んで迎え入れた。子牛を屠って料理し、祝宴を開いた。

 兄が畑仕事から帰ってくると、家の中の音楽と舞踏に驚いて、召使いを呼んで聞いた。弟が無事に帰ってきたので、父はその無事を喜び、子牛を屠ったと聞いて、兄は激怒した。家の中に入ろうとしないので、父が出てきた。兄は父に向かって言った。「私は何年もお父さんに仕えてきました。それなのに、小ヤギ一匹もくれませんでした。全財産を遊女に費やした弟が戻って来たのを喜んで、子牛を屠って祝うなんて!」。父が言った。「お前は何時も私といる。私の物はみんなお前の物だ。しかし、お前の弟は一度死んだのだ。それが生き返ったのだ。一度失われたものが、また得られたのだ。喜び祝うのは当然ではないか」。

 

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【16】レンブラント『放蕩息子の帰宅』

◎晴耕雨読の日々

 12年前から碧南市の「市民農園」の小さな畑で野菜作りをしています。農園は車で7分程のところにあり、70区画のうちの1区画を年間1万円で借りているのです。

 十畳ぐらいの本当に狭い畑ですが、自分なりにいろいろ工夫して、 季節に合った野菜を作っています。まわりの畑を借りている人たちとも親しくなり、互いに情報交換をしています。試行錯誤を重ね、何とかして美味しい野菜をたくさん作ろうと努力しています。

 作り始めた当初は、何も分からず、まわりの畑の樣子を窺っては、近くの種苗店で種や苗を買って育てていました。

 隣の畑の亀山さんが「本を一冊買って、それを読んで勉強するといいよ」と教えてくれました。そこで早速、本屋に行って『はじめての野菜づくり』(主婦の友社)を千三百円で買いました。全ページ、カラーの入門書で、見ているだけで楽しく、書かれている指示に従えば、どんな野菜も山ほど収穫できるような気がしました。種蒔きから収穫直前の野菜まで、美しいカラー写真で載っているので、作る前から、もう大きく育った野菜を収穫したような気分になりました。素人は書物に騙され易いものです。どうしても「捕らぬ狸の皮算用」になってしまいます。そして、後で悔しい思いをするのです。

 私の野菜作りの理想は高く崇高です。無農薬で育てる。これは当然のこと。害虫は指先で取って潰して殺す。可能な限り自然農法に徹する。家電店で買った機器で生ゴミを乾燥させ、それを主要な肥料として使う。雑草は生えたままに放置し、極力抜き取らない。自分で育てて収穫した野菜から種を取り、次の年まで大切に保存して、蒔く。

 農薬を使わないので、周囲の畑から農薬で追われた害虫が、難民のように、安全な私の畑に逃げて来ます。そして、美味しそうな野菜の葉の裏側に隠れて育ちます。そうした虫たちを探し出して殺していると、やがて肉体的に疲れてきます。また、生き物を殺しているという罪悪感に苦しめられます。しかし、無農薬の方針を今後も貫くつもりです。

 雑草は生え放題だし、肥料もわずかしか貰えなかったので、初めの頃、私の畑の野菜たちは、欠食児童のようになりました。太らない。活気が無くなる。だらんとしている。やはり生き物には食べ物が必要不可欠だと気付いた私は、前よりも多めに肥料を与えることにしました。すると、元気の良い野菜ができるようになりました。

 いろいろな野菜を作っています。今年の夏野菜を列挙すると、カボチャ、トウガン、トマト、キュウリ、ナス、シシトウ、ツルムラサキ、ゴーヤ、オクラです。特にトマトとゴーヤがたくさん採れました。毎朝ゴーヤを持って帰ると、初めのうちは喜んでいた女房も、だんだん機嫌が悪くなり、遂には「料理するのは私ですからね」と言って、私の方に冷たい視線を向けるようになりました。全く「過ぎたるは猶及ばざるが如し」です。

 夏の暑い日に、早朝と夕方の2回、水を撒きに出掛けるのは、老人にとって難儀なものです。幸いなことに、「市民農園」には、4区画に一つの割合で水道が引いてあります。家からポリバケツなどで水を運んで行く手間が省け、その点、楽をしています。

 いつまで元気で野菜作りができるか分かりませんが、これからも長く「晴耕雨読」の日々を送りたいと思っています。

 

◎『放蕩息子の帰宅』

 今年の夏の間、ずっとオランダの画家レンブラントの研究に取り組んでいました。

 私は、画家の中ではミレーが一番好きです。しかし、人類史上、最大の画家はレンブラントだと思っています。

 今から18年前のことでした。近所の本屋で『レンブラント』(「週刊アートギャラリー・17」)を買いました。週刊誌より少し大きめの薄い冊子でした。

 その時初めて『放蕩息子の帰宅』を見ました。衝撃が体内に走りました。「これは凄い!」。私は長い間その絵から目が離せませんでした。年老いた父親が、財産を使い果たして餓死寸前で家に戻って来た放蕩息子を温かく抱擁している場面です。

 感動した私は、早速この絵をハサミで切り取り、寝室の壁にピンで止めました。こうしておけば、夜と朝、この絵を見ることができる。この老人の憐憫と慈愛と寛容に充ちた姿を見て、自分も少しずつ善良で寛大な人間になるように努めよう。こう思いながら、18年間、毎日2回この絵を見てきました。これからも毎日見るつもりです。

 この絵はそんなに大きなものではないと思っていました。ところが、昨年の夏、横浜の「そごう美術館」で原寸大の複製画を見て、びっくりしました。262×206㎝の超大作で、登場人物はほとんど等身大に描かれていたのです。

 この作品は、レンブラント芸術の集大成です。シェイクスピアの『リア王』、ゲーテの『ファウスト』、ベートーヴェンの『交響曲第9番・合唱』、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』と同じように、偉大な芸術家が人類に遺した遺言のような作品です。

 レンブラントの代表作の『夜警』や『テュルプ博士の解剖講義』を見たことのある人は多いと思います。レンブラント (1606~1669)は、フランス・ハルスやフェルメールらと共に、17世紀の黄金時代のオランダで活躍した大画家です。多作でした。注文を受けて制作した数多くの個人肖像画、『夜警』などの大作の集団肖像画、親しい家族の肖像画、生涯描き続けた自画像の他に、『旧約聖書』と『新約聖書』から題材を取った宗教画がたくさん有ります。特に『新約聖書』「ルカ伝」第15章の「放蕩息子」に関する作品を多く描きました。

 どんな人間も大切な存在だということを、イエスが譬え話として語った物語です。

 ──昔、一人の男がいた。男には二人の息子がいた。弟が、父の財産の内、自分に貰える分を今すぐ欲しいと言った。父は与えた。弟は遠い国に出掛けた。酒と女に明け暮れして財産を使い果たした。餓死寸前に、深く反省して、父の許に帰ろうと決心した。父は息子の姿を見ると、喜んで迎え入れた。子牛を屠って料理し、祝宴を開いた。

 兄が畑仕事から帰ってくると、家の中の音楽と舞踏に驚いて、召使いを呼んで聞いた。弟が無事に帰ってきたので、父はその無事を喜び、子牛を屠ったと聞いて、兄は激怒した。家の中に入ろうとしないので、父が出てきた。兄は父に向かって言った。「私は何年もお父さんに仕えてきました。それなのに、小ヤギ一匹もくれませんでした。全財産を遊女に費やした弟が戻って来たのを喜んで、子牛を屠って祝うなんて!」。父が言った。「お前は何時も私といる。私の物はみんなお前の物だ。しかし、お前の弟は一度死んだのだ。それが生き返ったのだ。一度失われたものが、また得られたのだ。喜び祝うのは当然ではないか」。