姪の就職2

 健太郎からメールが届いた。こういう時は電話より、メールが助かる。メールなら考えながら返信できるが、電話では即答を強いられる。

―善真三様

 今日、県立病院泌尿器科の担当医師から、前立腺がんとの診断を受けました。近く、骨や他臓器への転移の有無を調べる検査を受け、転移がなければ前立腺全摘出の手術となります。転移していれば放射線やホルモン、抗がん剤などの延命治療です。現在のところ、私はいたって元気です。

 幸いなことに、私の病気について裕美はもちろん、舞にも包み隠さず話しています。舞の世話は、裕美の両親にお願いしており、何とかやっていけそうです。また、家族ぐるみの「がん保険」に入っており、家族を路頭に迷わせる恐れは今のところありません。

 9日に転移の有無と治療方針がはっきりします。私としては、舞を悲しませたくないので、一日でも長く生き延びたいと思っています。でも、がんですから、どんなことになるかわかりません。

 あなたにはお世話になりっぱなしで、お礼の言葉もありません。経営などで超多忙のことと思いますが、近いうちに会えればとてもうれしいです。

 私ががんであることは、次のHP更新のお知らせに添付するファイルに書く予定です。では。

 それから間もなくHPが届いた。

―まず、私(健太郎)のがんが見つかるまでの経過を振り返ってみたい。私は毎年春に人間ドック、秋に瞳孔を開くなどする目の詳しい検査を受けている。がんなどの恐れがないかというチェックと、中途失明が死に次いで恐ろしいと考えているからだ。

 数年前の人間ドックで胃カメラを飲んでいる最中に、検査していた医師が「これはいかん」と叫んだことがある。注射を打たれてもうろうとしていた私にもはっきり聞こえるほどの大声であった。

 すぐに内科へまわされ、医師の説明を受けた。胃に潰瘍があり、穴があく寸前と言う。私は突然の事態に驚いた。自覚症状もなく、心構えも覚悟もしていなかったので、ただぼう然としていた。

 医師は、胃穿孔(いせんこう)の寸前だが、投薬すれば治療出来ると告げた。それから薬を服用し、その後ピロリ菌除去の薬も服用。2カ月ごとに胃カメラを飲むはめになったが、半年後に完治した。そんな経験もあったので、人間ドックはずっと受けていたのだ。

 今春の人間ドックでの血液検査で、PSA(前立腺特異抗原)の値が4・8と出た。4以下が正常範囲なので、少し高い。この結果について人間ドックの結果報告には「経過観察」と記されていたが、私は思い切って県立病院の泌尿器科を受診した。

 担当医師はもう一度PSA値を調べるとともに、MRI(磁気共鳴装置)検査を受けるように指示した。MRIでは異常はなかったが、PSA値が5・1と出た。組織を取ってがんの有無を調べる生検を受けるか、3カ月ごとにPSA値をチェックするかだったが、私は後者を選んだ。6月の採血ではPSA値が4・4に下がり、やれやれと思っていたら、9月の検査でまた5・1と出た。

 こうなると、もう生検を受けるしかない。

 私は10月19日に1泊2日の検査入院をして、生検を受けた。手術室の入り口では3人の医師と2人の看護師が笑顔で迎えてくれた。ちょっと気味が悪い感じもしたが、女性の看護師が「リラックスするために音楽をかけましょう」と中国の楽器、二胡の演奏曲を流した。

 局部麻酔をしたうえ、前立腺の左右の計6カ所から組織を取られた。痛みを感じることもなく終わり、ほっとしていたら、尿道に管を入れて膀胱を調べる検査が行われた。これは言いようのない激痛を伴い、気絶するのではないかと思ったほどだ。

 検査を終えたその日は病院5階の病室に入院。4人部屋で、みんながん患者だった。心臓のペースメーカーを入れたばかりの人や2日後に前立腺の摘出手術を受ける人らで、医師から聞かされている診断内容を話してくれた。

 私は検査による異変がなく、翌日の午後退院した。

 そして1週間後。検査結果に基づいて、担当医師は詳しく説明してくれた。骨や他の臓器への転移がなければ、前立腺摘出手術、ホルモン療法、放射線療法があるという。「どれにするかは善さんに決めてもらいますが、私は摘出手術をすすめます。セカンドオピニオンを、ということなら検査結果などを出しますから、遠慮なく言って下さい。また、県ではKの県立医大病院で最新の療法設備がありますから、それが希望なら紹介状を書きますよ。ただ、この療法の予後はまだよくわかっていないのですが…」

 私はインターネットで国立がんセンターなどの資料を読んでいたので、担当医師の説明が適切であることは理解出来た。では治療となると、どうだろうか。それこそ東京の国立がんセンターや大阪の成人病センターなどが優れた実績を上げていることは承知しているが、そんなところへ行く金も時間も私にはない。

 県には、がんセンターや成人病センターどころか、赤十字病院もない全国でもまれな地域だ。遠方に入院するとなれば、仕事をしている妻に大変な負担をかけることになる。大抵の人は行きたくても行けないのが現実に違いない。自宅から車で20分ほどのところに、全科がそろう中核的な公立病院があるのは運が良かったと私は思っている。かかりつけの女性医師もよく眠れるようにと睡眠薬を処方しながら、「善さん、県立病院なら大丈夫よ」と励ましてくれた。

 いずれにしても転移の有無を調べたうえで、どういう治療法にするかを決めることになった。骨への転移の有無を調べる骨シンチ検査と、他臓器への転移がないかどうかを確かめる全身のCT検査を近く受ける。もし転移していれば、摘出手術は行われず、進行を遅らせる延命治療と痛みを和らげる緩和療法となる。先にも書いたように、がんは百人百態で、どうなるかわからない。

 病理医で、がん細胞などを研究していた長兄は「オリゴ糖を食べていれば、がんにはならないぞ」などと言っていた。「およそ専門家とも思えないばかなことを言うんだな」と私は苦笑したが、その兄は近年、がんで死んだ。両親はともに心筋梗塞で亡くなったが、今や一部のがんを除けば、「がんの家系」も死語に近い。「自分だけはならない」と決め込んでいても、だれでもがんになるのだ。

 むしろアスベストやダイオキシンなどのような環境因子、あるいは喫煙などの習慣、その他様々な要因と体内の遺伝子などが複雑にからみ合い、がんになるのではなかろうか。

 結果を聞いた夜、妻と娘に包み隠さず話した。私の病気のために、妻や娘、さらには近くに住んでいる妻の両親、無二の親友と言ってもいい次兄らを困惑させ、振り回してしまうことが心苦しい。とりわけ妻に重い負担がかかることは目に見えている。死ぬとなれば、娘を心底悲しませるに違いない。

 それでも、本当のことを言わずに悶々としているのはつらい。話せることが出来たのは本当に良かったと思っている。また、死んだ長兄から「がんは高くつくぞ」と脅かされていたこともあり、家族全員が対象のがん保険に入っていた。新聞社を早期退職する際は少し迷ったが、保険料が安かったこともあってそのまま継続した。いざという時、これは助かる。がん患者は平均で1年間に120万円負担しているとの報道があったが、もし保険に入っていなかったらと考えるとぞっとする。保険会社から検査入院の分も出るとの返事があり、やれやれだ。

 だが、自分独りになると、そんなことは消え去り、死の恐怖がむくむくと頭をもたげてくる。「とにかく死にたくない」「せめて娘がもう少し大きくなるまで生きさせてくれ」などとの思いがして、叫びだしそうになったりもする。気分の浮沈も大きい。ビールを飲んで機嫌が良くなったと思ったら、次の瞬間には奈落の底に沈んでいる。

 私の蔵書に、死に関する本が並んでいる。その中で、次の3冊が生きる勇気を与えてくれる。

 ①岸本英夫著「死を見つめる心」(講談社文庫)②アルフォンス・デーケン著「死とどう向き合うか」(NHKライブラリー)③柳田邦男著「元気が出る患者学」(新潮新書)の3冊である。

 書いてある内容はそれぞれ違うが、いずれも「死と向き合え」と言う考えが奥底に流れているように読める。なかでも、岸本英夫氏の「死を見つめる心」は私の心を激しく揺さぶり、これまでも何度も読み返していた。

 岸本氏は宗教学者で東大教授。クリスチャン一家に育ったが、死後の生命が存続するような考え方は心の中の合理性が納得しない、として神を捨てた人である。その岸本氏が戦後10年もしない時にアメリカの大学に招かれていて、偶然、黒色腫という皮膚がんが見つかり、医師から半年の命と告げられたのだ。アメリカで大手術を受けたが、その後何度も再発。帰国後も大小何十回もの手術を受けながら、仕事を続け、10年後に亡くなった。

 岸本氏はがんと診断されて以来、悩み、悶え、苦しみながら、死を見つめ続けた。その心の軌跡がこの本に結実している。「死から目をそむけてはならない」と氏は繰り返し書いている。私も何とか目をそむけず、死と向き合いたいと思っているが、自信はない。今、私が一番恐れているのは、死から目をそむけ、死と向き合わなくなることだ。

「概略こういう内容のメールを私だけではなく、何人かの友人に送信しているのです」

「そうですか。苦しんでいたのですね」

「だけど、手術の前に思い詰めたのですかね」

 

■岡田 清治プロフィール

1942年生まれ ジャーナリスト

(編集プロダクション・NET108代表)

著書に『高野山開創千二百年 いっぱんさん行状記』『心の遺言』『あなたは社員の全能力を引き出せますか!』『リヨンで見た虹』など多数

※この物語に対する読者の方々のコメント、体験談を左記のFAXかメールでお寄せください。

今回は「就職」「日本のゆくえ」「結婚」「夫婦」「インド」「愛知県」についてです。物語が進行する中で織り込むことを試み、一緒に考えます。

FAX‥0569―34―7971

メール‥takamitsu@akai-shinbunten.net

 

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 健太郎からメールが届いた。こういう時は電話より、メールが助かる。メールなら考えながら返信できるが、電話では即答を強いられる。

―善真三様

 今日、県立病院泌尿器科の担当医師から、前立腺がんとの診断を受けました。近く、骨や他臓器への転移の有無を調べる検査を受け、転移がなければ前立腺全摘出の手術となります。転移していれば放射線やホルモン、抗がん剤などの延命治療です。現在のところ、私はいたって元気です。

 幸いなことに、私の病気について裕美はもちろん、舞にも包み隠さず話しています。舞の世話は、裕美の両親にお願いしており、何とかやっていけそうです。また、家族ぐるみの「がん保険」に入っており、家族を路頭に迷わせる恐れは今のところありません。

 9日に転移の有無と治療方針がはっきりします。私としては、舞を悲しませたくないので、一日でも長く生き延びたいと思っています。でも、がんですから、どんなことになるかわかりません。

 あなたにはお世話になりっぱなしで、お礼の言葉もありません。経営などで超多忙のことと思いますが、近いうちに会えればとてもうれしいです。

 私ががんであることは、次のHP更新のお知らせに添付するファイルに書く予定です。では。

 それから間もなくHPが届いた。

―まず、私(健太郎)のがんが見つかるまでの経過を振り返ってみたい。私は毎年春に人間ドック、秋に瞳孔を開くなどする目の詳しい検査を受けている。がんなどの恐れがないかというチェックと、中途失明が死に次いで恐ろしいと考えているからだ。

 数年前の人間ドックで胃カメラを飲んでいる最中に、検査していた医師が「これはいかん」と叫んだことがある。注射を打たれてもうろうとしていた私にもはっきり聞こえるほどの大声であった。

 すぐに内科へまわされ、医師の説明を受けた。胃に潰瘍があり、穴があく寸前と言う。私は突然の事態に驚いた。自覚症状もなく、心構えも覚悟もしていなかったので、ただぼう然としていた。

 医師は、胃穿孔(いせんこう)の寸前だが、投薬すれば治療出来ると告げた。それから薬を服用し、その後ピロリ菌除去の薬も服用。2カ月ごとに胃カメラを飲むはめになったが、半年後に完治した。そんな経験もあったので、人間ドックはずっと受けていたのだ。

 今春の人間ドックでの血液検査で、PSA(前立腺特異抗原)の値が4・8と出た。4以下が正常範囲なので、少し高い。この結果について人間ドックの結果報告には「経過観察」と記されていたが、私は思い切って県立病院の泌尿器科を受診した。

 担当医師はもう一度PSA値を調べるとともに、MRI(磁気共鳴装置)検査を受けるように指示した。MRIでは異常はなかったが、PSA値が5・1と出た。組織を取ってがんの有無を調べる生検を受けるか、3カ月ごとにPSA値をチェックするかだったが、私は後者を選んだ。6月の採血ではPSA値が4・4に下がり、やれやれと思っていたら、9月の検査でまた5・1と出た。

 こうなると、もう生検を受けるしかない。

 私は10月19日に1泊2日の検査入院をして、生検を受けた。手術室の入り口では3人の医師と2人の看護師が笑顔で迎えてくれた。ちょっと気味が悪い感じもしたが、女性の看護師が「リラックスするために音楽をかけましょう」と中国の楽器、二胡の演奏曲を流した。

 局部麻酔をしたうえ、前立腺の左右の計6カ所から組織を取られた。痛みを感じることもなく終わり、ほっとしていたら、尿道に管を入れて膀胱を調べる検査が行われた。これは言いようのない激痛を伴い、気絶するのではないかと思ったほどだ。

 検査を終えたその日は病院5階の病室に入院。4人部屋で、みんながん患者だった。心臓のペースメーカーを入れたばかりの人や2日後に前立腺の摘出手術を受ける人らで、医師から聞かされている診断内容を話してくれた。

 私は検査による異変がなく、翌日の午後退院した。

 そして1週間後。検査結果に基づいて、担当医師は詳しく説明してくれた。骨や他の臓器への転移がなければ、前立腺摘出手術、ホルモン療法、放射線療法があるという。「どれにするかは善さんに決めてもらいますが、私は摘出手術をすすめます。セカンドオピニオンを、ということなら検査結果などを出しますから、遠慮なく言って下さい。また、県ではKの県立医大病院で最新の療法設備がありますから、それが希望なら紹介状を書きますよ。ただ、この療法の予後はまだよくわかっていないのですが…」

 私はインターネットで国立がんセンターなどの資料を読んでいたので、担当医師の説明が適切であることは理解出来た。では治療となると、どうだろうか。それこそ東京の国立がんセンターや大阪の成人病センターなどが優れた実績を上げていることは承知しているが、そんなところへ行く金も時間も私にはない。

 県には、がんセンターや成人病センターどころか、赤十字病院もない全国でもまれな地域だ。遠方に入院するとなれば、仕事をしている妻に大変な負担をかけることになる。大抵の人は行きたくても行けないのが現実に違いない。自宅から車で20分ほどのところに、全科がそろう中核的な公立病院があるのは運が良かったと私は思っている。かかりつけの女性医師もよく眠れるようにと睡眠薬を処方しながら、「善さん、県立病院なら大丈夫よ」と励ましてくれた。

 いずれにしても転移の有無を調べたうえで、どういう治療法にするかを決めることになった。骨への転移の有無を調べる骨シンチ検査と、他臓器への転移がないかどうかを確かめる全身のCT検査を近く受ける。もし転移していれば、摘出手術は行われず、進行を遅らせる延命治療と痛みを和らげる緩和療法となる。先にも書いたように、がんは百人百態で、どうなるかわからない。

 病理医で、がん細胞などを研究していた長兄は「オリゴ糖を食べていれば、がんにはならないぞ」などと言っていた。「およそ専門家とも思えないばかなことを言うんだな」と私は苦笑したが、その兄は近年、がんで死んだ。両親はともに心筋梗塞で亡くなったが、今や一部のがんを除けば、「がんの家系」も死語に近い。「自分だけはならない」と決め込んでいても、だれでもがんになるのだ。

 むしろアスベストやダイオキシンなどのような環境因子、あるいは喫煙などの習慣、その他様々な要因と体内の遺伝子などが複雑にからみ合い、がんになるのではなかろうか。

 結果を聞いた夜、妻と娘に包み隠さず話した。私の病気のために、妻や娘、さらには近くに住んでいる妻の両親、無二の親友と言ってもいい次兄らを困惑させ、振り回してしまうことが心苦しい。とりわけ妻に重い負担がかかることは目に見えている。死ぬとなれば、娘を心底悲しませるに違いない。

 それでも、本当のことを言わずに悶々としているのはつらい。話せることが出来たのは本当に良かったと思っている。また、死んだ長兄から「がんは高くつくぞ」と脅かされていたこともあり、家族全員が対象のがん保険に入っていた。新聞社を早期退職する際は少し迷ったが、保険料が安かったこともあってそのまま継続した。いざという時、これは助かる。がん患者は平均で1年間に120万円負担しているとの報道があったが、もし保険に入っていなかったらと考えるとぞっとする。保険会社から検査入院の分も出るとの返事があり、やれやれだ。

 だが、自分独りになると、そんなことは消え去り、死の恐怖がむくむくと頭をもたげてくる。「とにかく死にたくない」「せめて娘がもう少し大きくなるまで生きさせてくれ」などとの思いがして、叫びだしそうになったりもする。気分の浮沈も大きい。ビールを飲んで機嫌が良くなったと思ったら、次の瞬間には奈落の底に沈んでいる。

 私の蔵書に、死に関する本が並んでいる。その中で、次の3冊が生きる勇気を与えてくれる。

 ①岸本英夫著「死を見つめる心」(講談社文庫)②アルフォンス・デーケン著「死とどう向き合うか」(NHKライブラリー)③柳田邦男著「元気が出る患者学」(新潮新書)の3冊である。

 書いてある内容はそれぞれ違うが、いずれも「死と向き合え」と言う考えが奥底に流れているように読める。なかでも、岸本英夫氏の「死を見つめる心」は私の心を激しく揺さぶり、これまでも何度も読み返していた。

 岸本氏は宗教学者で東大教授。クリスチャン一家に育ったが、死後の生命が存続するような考え方は心の中の合理性が納得しない、として神を捨てた人である。その岸本氏が戦後10年もしない時にアメリカの大学に招かれていて、偶然、黒色腫という皮膚がんが見つかり、医師から半年の命と告げられたのだ。アメリカで大手術を受けたが、その後何度も再発。帰国後も大小何十回もの手術を受けながら、仕事を続け、10年後に亡くなった。

 岸本氏はがんと診断されて以来、悩み、悶え、苦しみながら、死を見つめ続けた。その心の軌跡がこの本に結実している。「死から目をそむけてはならない」と氏は繰り返し書いている。私も何とか目をそむけず、死と向き合いたいと思っているが、自信はない。今、私が一番恐れているのは、死から目をそむけ、死と向き合わなくなることだ。

「概略こういう内容のメールを私だけではなく、何人かの友人に送信しているのです」

「そうですか。苦しんでいたのですね」

「だけど、手術の前に思い詰めたのですかね」