姪の就職2

「そうですか。介護度もリハビリのやり方次第で変わるのですね」

「はい。理学療法士の指導がよかったのだと思います。本来なら自宅介護ですが、母親が介護できないので、そのまま施設においてもらっています」

 真三は話題を変えようと、子どものことに誘導した。

「ところで、あの健太郎が子煩悩というか、愛情家だと思ったことがありました。それは離婚する時に私に手渡した“教師への手紙”で思いました。裕美さんは見られましたか」

「いいえ。知りません。どういう内容ですの」

「記憶しているところをかいつまんでお話ししますと…」―教師への手紙。

 はじめまして。私、善健太郎は長男Kの父でございます。突然、お手紙を差し上げる非礼をお許しください。ちょっと気になることがあり、一筆したためた次第です。

 実は昨夜二十九日、帰宅したところ、妻が「タカシ君のお母さんから『二十七日の土曜日、息子がK君とケンカしてケガをした。注意してください』との電話があった」と申します。妻が息子にさりげなく問いただしてみると、息子は「何もなかった」と答えたといい、折り返しタカシ君の母上に「息子は何もしていないといっております」と電話した、とのことです。私が二十九日の夜、風呂に入りながら息子にたずねたところ、やや話は異なっていました。「二十七日の休憩時間に、教室で友達と遊んでいて追いかけられ、夢中で逃げたところタカシ君の肩にぶつかった。『何するんだ』と言われたのですぐ離れたが、反対方向に歩きかけたタカシ君が机の脚につまづきひっくり返り、唇を切った。ところが周りにいた一人が『善、お前が押したんやろう』といい、みんなが集まってきた。何もしていないのにそんな風に言われて腹が立ち、泣き出してしまった。そして『ボクは押したりしていない、タカシ君が自分で机につまづいてこけた』と話したところ、みんなボクのことを信じてくれた」。まあ大筋はこんな具合です。

 私は、「そうか、お父さんもお前を信じる。わかった、もういいよ」と言ってやりました。そして息子の級友たちが息子を信じてくれたことを本当にうれしく思いました。

 気がかりなことがあると、申し上げましたのは、私も小学生時代に似たような経験をしたからです。ある日、旧友が教室でひっくり返りけがをしたことがあり、その子はたまたま教室にいた私が押したと先生に訴えました。教室の前と後にはなれていて、まったく身に覚えがないことなのに、突然「お前がやったんだ」と言われて口も開けません。黙っている私を見た担任の先生は、いきなり私に平手打ちを食らわせたうえ、母親と一緒に謝るようにと言われました。私は「何もしていない」と抗議しましたが、日ごろから素行がよくなかっただけに信じてもらえません。一番悲しかったのは、親友たちも私がやったと思ったことでした。先生がしかりつけるぐらいですから、みんながそう思うのは当然でしょう。私はこの一件から、嘘をついても罰せられないのだと、考え、一層反抗的な態度をとり続けました。

 息子の一件は級友たちの間では一応、おさまったように見受けられます。しかしタカシ君やタカシ君の母上にとっては問題は解決していないとおもいます。私は息子を信じてはおりますが、ひょっとしたらやはり衝突のはずみでひっくり返ったのかもしれません。あるいは本当にケンカをした可能性もあります。

 息子は信じてもらえた代わりに、タカシ君は逆にみんなからのけ者にされる恐れがないともかぎらないでしょう。私は、妻に対してタカシ君の母上にこの事情を話し非礼を詫びるよう申しました。どうかタカシ君の母上もご理解くださることを願っていますが、先生にこの一件を申し上げ、よろしくお取り図りくだされば望外の喜びでございます。

 だいたい以上のような内容だったと思います。

「そのようなことがありましたのですね」

「わたしから言わせると四〇人ほどの子どもがいたら、この程度のことはしょっちゅうあるのだろうと思いますよ。それにいちいち担任の先生はかまっておれないですよ。親はだれもが自分の子どもがかわいいと思うのは当然ですが、いくら親同士がわかり合えても、子ども同士が仲良くならないと問題を解決したことにならないと思いますよ」

「そうですね。はじめから子どもを連れてタカシ君の家に行き、とりあえずケガをしたタカシ君を見舞って二人から事情を聴けば、あるいはわだかまりが消えたかもしれませんね」

「相手の母親と子どもが会ってくれる保証はないかもしれませんが、それが一番でしょうね。だいたい子どものトラブルに健太郎がたいそうな手紙まで書いて子どもの代弁のようなことをするなんて、私からしたら信じられません。しかも自分の子どもの頃の体験を述べて、先生の対応のひどさを暗に批判しているのです。これを受け取った担任の先生はとまどったと思いますよ。

 最近はモンスターぺアレントと血相を変えて学校に怒鳴り込んでくる親たちが増えているそうですが、健太郎も形は違いますが、同じようなことです。学校で起きたことは学校で解決するしかありません。最近のイジメのようなことに発展して自殺でもしたら大変ですがね…」

「ただ、家庭教育と言いますか、しつけが大切だとつくづく思います」

「そうですね。基本は家庭教育ですが、集団で行う指導、教育も同じように重要でしょうね」

「ところで舞さんは少し疲れていると言いますか、やつれているように感じましたが、彼女に何か変化が起こっていますか」

「私もいまは離れて暮らしていますし、大学に入り寮生活を送る中で、随分大人に成長した反面、親との距離が離れていくように思えてなりません」

「それは自然なことだと思います。裕美さんもご自身を振り返ってそう思いませんか。男の子はもっと距離を置きますし、結婚したら大概の母親は嫁に息子をとられたと嘆いていますよ」

「娘の方は相手の家に嫁ぎますから、もっと寂しい思いがするように思いますが…」

「そうですね。男は娘が嫁に行くとき、その多くは泣くと言いますが、それは娘が本当に幸せになるか、心配しているのです。男親は娘の相手のことが自分と照らしてよくわかるだけに、ものすごく心配になるのです。その点、母親は同じ女性同士ですから理解でき心配も少ないのではないでしょうか」

「それぞれの思いが微妙に違ってくるのでしょうね」

「健太郎はとにかく舞さんを大変、かわいがっていましたというより、溺愛しているように私には思えました」

「確かにそういう面はありました」

「だからがんを宣告された時は、ものすごくショックだったでしょうが、こともあろうに友人や私にメールを送って知らせました。“死と向き合う心”と題して次のようなメールを流したのです」

――私は前立腺がんと診断された。近く、骨や臓器への転移の有無を調べる検査を受け、その結果次第で治療方針が決まる。

 現在、日本人の3人に1人ががんで死亡しており、早晩2人に1人あるいはそれ以上になると言われている。検査や診断の技術は飛躍的に向上し、治療法も多様化しており、生存率は年々高くなっている。

 しかし、がんは百人百態で、治療もなお手探り状態と聞く。二十一世紀になった今日でも、がんは致命的な病であることに変わりはない。

 私は気が動転し、絶望感に襲われている。死の恐怖はもちろん、まだ九歳の娘や、妻のことを考えると、「がんよ、ちょっと待ってくれ」と叫び出したい心境だ。がん保険に入っていたことや妻と娘に包み隠さず話していることが、かろうじて慰めになっている。

 もう一つの支えは、何とか死から目をそむけないで、死と向き合おうともがいている自分がいるということである。闘病記や体験記、あるいはこんな薬や治療法もあるといったハウツーものではなく、死と向き合った私の心の軌跡をこれから記して行きたい――

「最初のメールはこのようなものでした。普通、自分の病気のことはできるだけ内密にするものです。以前は医師も患者に告知しないで、家族の方だけにそっと教えたものです。それほどがんは不治の病ということで、がん=死という時代が続きました。それがここ十年ぐらいの間に、早期発見、治療でかなり完治できるようになり、医師も患者に伝えたり、他の医師の意見を聞くことをすすめたりして、あまり隠し立てしないようになりました」

「健太郎さんはがんと診断された時は大変なショックを受けていましたが、時が経つにつれ手術の方針も決まり、少し落ちつきを取り戻していました」

「そうですか。つぎにきたメールは以下のような“がんの診断”という題でした」

――「善さん、残念だけどがん細胞が見つかったよ…」。県立病院泌尿器科の担当医師からそう告げられた瞬間、私は不思議なことにすっーと気分が晴れた。結果を聞く前までは不安が募り悶々としていたのに、あっさりとがんを受け入れた。「やっぱりそうか、そうだったか」と自分に何度も言い聞かせた。だが、時間がたつにつれて、言いようのない恐怖心がむくむくと頭をもたげて来た。

 

■岡田 清治プロフィール

1942年生まれ ジャーナリスト

(編集プロダクション・NET108代表)

著書に『高野山開創千二百年 いっぱんさん行状記』『心の遺言』『あなたは社員の全能力を引き出せますか!』『リヨンで見た虹』など多数

※この物語に対する読者の方々のコメント、体験談を左記のFAXかメールでお寄せください。

今回は「就職」「日本のゆくえ」「結婚」「夫婦」「インド」「愛知県」についてです。物語が進行する中で織り込むことを試み、一緒に考えます。

FAX‥0569―34―7971

メール‥takamitsu@akai-shinbunten.net

 

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「そうですか。介護度もリハビリのやり方次第で変わるのですね」

「はい。理学療法士の指導がよかったのだと思います。本来なら自宅介護ですが、母親が介護できないので、そのまま施設においてもらっています」

 真三は話題を変えようと、子どものことに誘導した。

「ところで、あの健太郎が子煩悩というか、愛情家だと思ったことがありました。それは離婚する時に私に手渡した“教師への手紙”で思いました。裕美さんは見られましたか」

「いいえ。知りません。どういう内容ですの」

「記憶しているところをかいつまんでお話ししますと…」―教師への手紙。

 はじめまして。私、善健太郎は長男Kの父でございます。突然、お手紙を差し上げる非礼をお許しください。ちょっと気になることがあり、一筆したためた次第です。

 実は昨夜二十九日、帰宅したところ、妻が「タカシ君のお母さんから『二十七日の土曜日、息子がK君とケンカしてケガをした。注意してください』との電話があった」と申します。妻が息子にさりげなく問いただしてみると、息子は「何もなかった」と答えたといい、折り返しタカシ君の母上に「息子は何もしていないといっております」と電話した、とのことです。私が二十九日の夜、風呂に入りながら息子にたずねたところ、やや話は異なっていました。「二十七日の休憩時間に、教室で友達と遊んでいて追いかけられ、夢中で逃げたところタカシ君の肩にぶつかった。『何するんだ』と言われたのですぐ離れたが、反対方向に歩きかけたタカシ君が机の脚につまづきひっくり返り、唇を切った。ところが周りにいた一人が『善、お前が押したんやろう』といい、みんなが集まってきた。何もしていないのにそんな風に言われて腹が立ち、泣き出してしまった。そして『ボクは押したりしていない、タカシ君が自分で机につまづいてこけた』と話したところ、みんなボクのことを信じてくれた」。まあ大筋はこんな具合です。

 私は、「そうか、お父さんもお前を信じる。わかった、もういいよ」と言ってやりました。そして息子の級友たちが息子を信じてくれたことを本当にうれしく思いました。

 気がかりなことがあると、申し上げましたのは、私も小学生時代に似たような経験をしたからです。ある日、旧友が教室でひっくり返りけがをしたことがあり、その子はたまたま教室にいた私が押したと先生に訴えました。教室の前と後にはなれていて、まったく身に覚えがないことなのに、突然「お前がやったんだ」と言われて口も開けません。黙っている私を見た担任の先生は、いきなり私に平手打ちを食らわせたうえ、母親と一緒に謝るようにと言われました。私は「何もしていない」と抗議しましたが、日ごろから素行がよくなかっただけに信じてもらえません。一番悲しかったのは、親友たちも私がやったと思ったことでした。先生がしかりつけるぐらいですから、みんながそう思うのは当然でしょう。私はこの一件から、嘘をついても罰せられないのだと、考え、一層反抗的な態度をとり続けました。

 息子の一件は級友たちの間では一応、おさまったように見受けられます。しかしタカシ君やタカシ君の母上にとっては問題は解決していないとおもいます。私は息子を信じてはおりますが、ひょっとしたらやはり衝突のはずみでひっくり返ったのかもしれません。あるいは本当にケンカをした可能性もあります。

 息子は信じてもらえた代わりに、タカシ君は逆にみんなからのけ者にされる恐れがないともかぎらないでしょう。私は、妻に対してタカシ君の母上にこの事情を話し非礼を詫びるよう申しました。どうかタカシ君の母上もご理解くださることを願っていますが、先生にこの一件を申し上げ、よろしくお取り図りくだされば望外の喜びでございます。

 だいたい以上のような内容だったと思います。

「そのようなことがありましたのですね」

「わたしから言わせると四〇人ほどの子どもがいたら、この程度のことはしょっちゅうあるのだろうと思いますよ。それにいちいち担任の先生はかまっておれないですよ。親はだれもが自分の子どもがかわいいと思うのは当然ですが、いくら親同士がわかり合えても、子ども同士が仲良くならないと問題を解決したことにならないと思いますよ」

「そうですね。はじめから子どもを連れてタカシ君の家に行き、とりあえずケガをしたタカシ君を見舞って二人から事情を聴けば、あるいはわだかまりが消えたかもしれませんね」

「相手の母親と子どもが会ってくれる保証はないかもしれませんが、それが一番でしょうね。だいたい子どものトラブルに健太郎がたいそうな手紙まで書いて子どもの代弁のようなことをするなんて、私からしたら信じられません。しかも自分の子どもの頃の体験を述べて、先生の対応のひどさを暗に批判しているのです。これを受け取った担任の先生はとまどったと思いますよ。

 最近はモンスターぺアレントと血相を変えて学校に怒鳴り込んでくる親たちが増えているそうですが、健太郎も形は違いますが、同じようなことです。学校で起きたことは学校で解決するしかありません。最近のイジメのようなことに発展して自殺でもしたら大変ですがね…」

「ただ、家庭教育と言いますか、しつけが大切だとつくづく思います」

「そうですね。基本は家庭教育ですが、集団で行う指導、教育も同じように重要でしょうね」

「ところで舞さんは少し疲れていると言いますか、やつれているように感じましたが、彼女に何か変化が起こっていますか」

「私もいまは離れて暮らしていますし、大学に入り寮生活を送る中で、随分大人に成長した反面、親との距離が離れていくように思えてなりません」

「それは自然なことだと思います。裕美さんもご自身を振り返ってそう思いませんか。男の子はもっと距離を置きますし、結婚したら大概の母親は嫁に息子をとられたと嘆いていますよ」

「娘の方は相手の家に嫁ぎますから、もっと寂しい思いがするように思いますが…」

「そうですね。男は娘が嫁に行くとき、その多くは泣くと言いますが、それは娘が本当に幸せになるか、心配しているのです。男親は娘の相手のことが自分と照らしてよくわかるだけに、ものすごく心配になるのです。その点、母親は同じ女性同士ですから理解でき心配も少ないのではないでしょうか」

「それぞれの思いが微妙に違ってくるのでしょうね」

「健太郎はとにかく舞さんを大変、かわいがっていましたというより、溺愛しているように私には思えました」

「確かにそういう面はありました」

「だからがんを宣告された時は、ものすごくショックだったでしょうが、こともあろうに友人や私にメールを送って知らせました。“死と向き合う心”と題して次のようなメールを流したのです」

――私は前立腺がんと診断された。近く、骨や臓器への転移の有無を調べる検査を受け、その結果次第で治療方針が決まる。

 現在、日本人の3人に1人ががんで死亡しており、早晩2人に1人あるいはそれ以上になると言われている。検査や診断の技術は飛躍的に向上し、治療法も多様化しており、生存率は年々高くなっている。

 しかし、がんは百人百態で、治療もなお手探り状態と聞く。二十一世紀になった今日でも、がんは致命的な病であることに変わりはない。

 私は気が動転し、絶望感に襲われている。死の恐怖はもちろん、まだ九歳の娘や、妻のことを考えると、「がんよ、ちょっと待ってくれ」と叫び出したい心境だ。がん保険に入っていたことや妻と娘に包み隠さず話していることが、かろうじて慰めになっている。

 もう一つの支えは、何とか死から目をそむけないで、死と向き合おうともがいている自分がいるということである。闘病記や体験記、あるいはこんな薬や治療法もあるといったハウツーものではなく、死と向き合った私の心の軌跡をこれから記して行きたい――

「最初のメールはこのようなものでした。普通、自分の病気のことはできるだけ内密にするものです。以前は医師も患者に告知しないで、家族の方だけにそっと教えたものです。それほどがんは不治の病ということで、がん=死という時代が続きました。それがここ十年ぐらいの間に、早期発見、治療でかなり完治できるようになり、医師も患者に伝えたり、他の医師の意見を聞くことをすすめたりして、あまり隠し立てしないようになりました」

「健太郎さんはがんと診断された時は大変なショックを受けていましたが、時が経つにつれ手術の方針も決まり、少し落ちつきを取り戻していました」

「そうですか。つぎにきたメールは以下のような“がんの診断”という題でした」

――「善さん、残念だけどがん細胞が見つかったよ…」。県立病院泌尿器科の担当医師からそう告げられた瞬間、私は不思議なことにすっーと気分が晴れた。結果を聞く前までは不安が募り悶々としていたのに、あっさりとがんを受け入れた。「やっぱりそうか、そうだったか」と自分に何度も言い聞かせた。だが、時間がたつにつれて、言いようのない恐怖心がむくむくと頭をもたげて来た。