姪の就職2

 

「私の意識から健太郎さんが消えてほしい」

 真三はここまで読んでどきりとして息をのんだ。健太郎が自分の意識から消えてということは、健太郎が死ぬか、そうでなかったら自分が自殺するということをほのめかしているのではないか。

 健太郎が後日、週刊誌のライターに追いかけられ、また彼女が飛び降り自殺したことを知って相談にのった日々のことを思い浮かべた。かつて従軍記者になって南方戦線を取材したとき、真三の親父は「自分は自殺できない人間だと知った」と話したことがあったが、健太郎は彼女から「自分の意識から消えてほしい」と話したことがあった時に、「自殺を考えたのか、考えたとしてもできないことを自覚したのか」はいまとなっては不明で、自殺しなかった事実だけが残っている。

 真三はさらにメモに目を移した。

 ―私は自分の犯した罪―彼女の人生を狂わせ、私の家族を苦しめること―をどうすれば償うことができるのか思い悩んだ。

 彼女は言った。

「人生はドラマっていうけれど、波乱万丈の人生はおもしろいじゃない。恋は苦しいというけれど、私たちはその主人公なのよ」と笑う。「それはそうだ。他人の苦しみはわからない。自分が苦しんでこそ他人の苦しみが理解できるんだ。自分自身の人生というなら、自分自身で解決するしかない。どんな人生の師も本も友人も頼ることはできない」。

 罪悪感、良心の呵責―そういう感情が私の心を占めている。

「会っているだけで楽しい」というたわごとでは許されない。私は彼女が私のことを思い罪悪感を持った。なぜ、こんな事態になるまで放っておいたのか。こうなることは予測できないことではなかったはずである。この夏、インドから帰ってきた時の彼女のこころのすべては住職のSだと思った。彼女の口から出るのは「Sのこと」だけであった。あとでわかったことだが、彼女はインドでSと別れ話をしたという。Sが「日本で恋人ができたのではないか」とたえず言い、それで苦しむので、それならいっそ、別れてはというようなことらしい。

 九月にはいって彼女の私への思いが強まってきたのを直感した。かけてくる電話の頻度、うるんだ瞳

――それらはこの事態を暗示していた。

 私の手を握って泣きじゃくる彼女の姿に、「このまま放っておけない」という新たな気持ちが湧いてきた。何とかできるものならなんとかしたい。こんな事態を招いたのはすべて私なのだ。

 真三はここである友人の話を思い出した。それは友人が結婚して子どもが三歳のころ雪深い北陸に転勤命令を受け、単身赴任で赴いた。仕事に励む毎日であったが、帰宅すると誰もいない部屋でひとり食事をして寝るだけの単調な生活の繰り返しであった。

 そのうち職場の、高校を出て二、三年の独身のA子と知り合い、休憩時間にお茶を飲む間柄になった。A子は友人が単身赴任していることは百も承知していた。やがて友人はA子を自宅に招き入れ深い関係を持つようになった。健太郎と違うのは、友人にとっては女とのセックスのみに興味があったことだ。現地妻でもないので妊娠することだけを恐れた。それと会社に知られないこと、実家の妻にもバレないことだけが心配の種だった。

 逢瀬の回数が増えてくると、A子は友人に結婚願望を抱くようになった。考えてみれば、いつの世も古今東西、男と女がプラトニックラブであろうが、肉体関係を持つ仲だろうが、女は独占欲を抑えられないことは確かだということを真三は改めて認識した。これは水商売で付き合う女性、それがママだったとしても同じである。ただ水商売の女性はカネで割り切るところはあるが…。若気の至りですませるならまだしも健太郎の場合や友人のケースでも妻子ある身だったからやっかいである。

 あとでわかったことだが、彼女は社会人になったころ、高校の同級生と恋愛、やがて妊娠したのである。

「中絶しろよ」

 高校の同級生はいとも簡単に告げた。

「生む。絶対に…」

「勝手にしろよ。俺は認知しないよ。まだ所帯をもてる身ではないよ」

 そう捨てゼリフを吐いて、彼女の前から消えた。

 彼がいなくなると、A子は自信を無くした。一人で中絶の手術を受けた。

 友人がA子と知り合ったのはそれから間もないころだった。彼女は男を求めていることを自覚しだしていた。同窓生が初めての性体験だったが、妊娠までするとセックスの歓びを体で覚えてしまった。友人と肉体関係に陥るのに時間はかからなかった。

 はじめは妻子ある男だからと、セックスだけを楽しんでいたが、友人が月に一度、妻子のもとに帰ることに反抗心を覚えるようになった。

「結婚したい」

 ある日、A子は友人に迫った。

「そんなこと、できるわけがないだろう。もう俺たちの関係を終わりにしよう」

「いやよ。私、死ぬわよ」

 もし、A子に自殺されたら彼女との関係が会社や妻にバレ、人生の破局に陥るのである。そう思うと友人は頭が割れそうになる日々を過ごすことになった。妻子のもとへ帰ってもA子のことが頭から離れない。

「殺意を覚えた」と友人は述懐していた。

 しばらく会っていなかったある日、A子の高校時代の親友から友人の赴任地の自宅に電話がかかった。

「あの、A子の知り合いのWです」

「はい。お名前は聞いていました」

 友人Wはそういうのがやっとだった。恐ろしいことが頭をよぎった。

「A子はいま病院にいます。A子のところへいっていただけませんか」

「ええ、病院…」

「A子、睡眠薬を飲んだらしいのです。前から相談を受けていましたので、連絡したのです」

 友人は落ち着いた様子でA子の友人Wに話しかけた。

「そうでしたか。それで命に別状はないのですね」

「大丈夫です。会って元気づけてやってほしいのです」

 真三の友人はそれを聞いて、安堵の胸をなでおろした。

「わかりました。明日にでもお見舞いに行ってきます。どちらの病院ですか。ご連絡ありがとうございました」

 職場の友人でなかったことに安心した。翌日、昼の休憩時間に病院に出かけ担当医の話を聞いた。

「睡眠薬の量も心配するほどは飲んでいませんでしたので、吐かせて胃を洗浄しておきました。明日にも退院できますよ」

「そうですか。ありがとうございました」

 医師は職場の上司だと思っているのか、要点だけを伝えた。それで友人はお見舞いの花を持ってA子の病室を訪ねた。

「気分はどうなの」

 友人は目を覚ましているA子に開口一番、そう声をかけた。

「お見舞いにきてくれてありがとう。すっかり気分はいいよ」

 A子は睡眠薬自殺を図ったにしてはあっけらかんとしている。女の豹変ぶりに友人は驚愕した。

「一緒にベッドで横になってくれない」

 A子はまだ未練をのこしているのか、友人はびっくりした。

「そんなこと、できないよ」

「寝てくれたら別れてあげる」

「まだ、安静にしていないといけないよ」

「ただ、横になるだけでなにもしないよ」

「ここは病院だし、そんなことできないよ」

 A子はそのうち目を閉じて寝入ってしまった。

―養生して、早く元気になってください。退院されたら食事でもしよう。

 友人はメモを残して退室した。

 病院を出て友人は「浮気はこれっきりにしなければ」と改めて思うのだった。A子は退院後、しばらく会社に顔を見せていたが、そのうち辞めてしまった。

 ある日、A子の女友達から「彼女、結婚していま滋賀に移っている」と電話が入った。女性の変わり身の早さに驚くとともに、「これも青春の一コマとしていつまでも記憶の底に刻まれている」と、後年、友人が真三に話した。

 その話を聞いて健太郎の場合は二人の愛の深さが違うのだと思わないと、二人とも浮かばれないだろうと真三は健太郎をしのんだ。

 真三は健太郎のメモをさらに読み進んだ。

 ―このような事態を招いたのはすべて私なのだ。だが私がその時、言ったのはすべて自己都合だった。いや、というより、子どものことかもしれない。

 妻を見捨てられても子どもへの未練は残る。真三はつくづく男と女の思想回路が違うのだと思った。

 

■岡田 清治プロフィール

1942年生まれ ジャーナリスト

(編集プロダクション・NET108代表)

著書に『高野山開創千二百年 いっぱんさん行状記』『心の遺言』『あなたは社員の全能力を引き出せますか!』『リヨンで見た虹』など多数

※この物語に対する読者の方々のコメント、体験談を左記のFAXかメールでお寄せください。

今回は「就職」「日本のゆくえ」「結婚」「夫婦」「インド」「愛知県」についてです。物語が進行する中で織り込むことを試み、一緒に考えます。

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姪の就職2

 ママが奥から白菜の漬物をお盆で運んできた。

「ママ、自慢の白菜の漬物だね」

「以前にそういう話をしましたっけ」

「よく、聞かされましたよ」

「ところで真三さんのお姪ごさん、インドに行かれたのでしょう」

「そう、空港へ見送りに行った帰りですが・・・」

「インドは安全な国なんですか」

「インドも中国同様、人口も面積も日本の十倍以上の規模の国です」

「それだけ多様化しているのですね」

「そうです。日本の国が十個もあるなんて想像できますか。最近、友人から聞いた話で、どこまで真実かわかりませんが、インドは牛を神聖な動物として保護していると伝えられています」

「そういう話は昔から聞いていますね」

「国内で牛を虐待したら即、処刑だともいいます」

「ところが、インドは牛(牛肉)を海外へ輸出しているというのです。世界一の輸出量です」

「本当ですか、矛盾しているように見えますね」

「インドのヒンズー教徒は全体の八割ほどです」

「残り二割はイスラム、キリスト教徒です。二割と言えば、ブラジルの人口に匹敵するのです。彼らは牛肉を食します」

「当然、混乱するでしょうね」

「中国もそうですが、インドも独立を希求する地域を無理矢理、統一していますので、何かあれば暴発する危険はあります。バングラデシュの独立もそうです。インドの危険はどの地域を見るかによって見方が異なるのでしょう」

「無事に帰国されることを祈っておりますわ」

 インドについて横道にそれてしまったが、真三は先の話を続けた。

―電化製品もそうだが、とくにオプションとその機能、価格が実に小さく書き添えてあるので、読む者は見逃してしまう。価格にしても本体価格だけ明示しており、広告写真で見せられたようなシステムが購入できるという錯覚に陥る。ある意味で誇大広告である。雑誌『新潮45+』7月号(83年)で、評論家の紀田順一郎氏が「パソコン消費者運動のすすめ」というものを書いていた。

 購入したパソコンが埃をかぶっているのはメーカーと販売店の責任だ―と。全く同感である。その中で本体価格のことも触れているが。本体だけでは何もできないことを知っておいてほしいと。

 真三は値段もさることながら、マイコンでやりたいことが実現するための必要なものを店員に次からつぎへ聞いている。

「顧客名簿を作りたいんだけど、そのようなソフトはあるのですか」

 膨大な顧客名簿、年賀状の住所管理をしたいと考えている。

「いまでは当たり前のソフトが、その頃はまだ一般的でなかったのですね」

「真三さんのような先取りしていく人がいるので、技術は進歩していくのですね」

「そうだよね」

―店員が「これがその顧客管理ソフトです」と、真三に手渡した。発売元はソフトハウスI企画㈱とあった。

「ソフトハウスとは住宅会社のような名称だね」

「ソフトをつくる企業をこの業界ではハウスと呼んでいます」

「そういえば、システムハウスという言葉が時々、新聞に出ていますね」

「そうです。プログラムをつくるメーカーですが、とはいってもマンションなどの一室を借りてやっているところが多いのです」

「繊維業界にファッション・マンションという言葉がありますが、これはパリやニューヨークの最新のファッション雑誌が航空便で届けられると、それを空港でもらい受けマンションに持ち込むのです。マンションの一室には工業用ミシンを置いてあって、一晩で縫い上げ翌朝には銀座のプレタポルテの店先に並べるようなことをやっている。

 ソフトハウスもこれとよく似ているのでソフト・マンションと呼んでいるのでしょう」

「そうですね。最新のモードをミシンで縫う代わりに、自分で考えたゲームや顧客管理のようなビジネスソフトをマイコン用の言葉、普通はベーシック言語で組み立てていくのです。ファッションのように切迫した時間との闘いはないが、プログラムをつくる作業は大変な能力、体力、根気がいります。

 先ほどの顧客管理ソフトはマンションではないが、I企画というソフトの大手メーカーでつくられたのです。ソフトハウスはプログラムをつくる能力と一台のマイコンがあればできるので、全国にソフトハウスがどんどんできています。それでも米国と比べるとまだまだ少ないようです」 ゲームソフトに会社名を見ると、片田舎の住所と電話番号が多いことに気付く。問い合わせする場合、電話代が気になるほど遠隔地である。

 コンピュータの分野で日本のメーカーがIBMより遅れているといわれる理由は、ソフトの蓄積量がIBMとうんと差をつけられている点を指摘されていた。日本のハードウエアーはIBMとそん色のない水準にある。あるいは一部で追い越しているため、IBMといえども日本が脅威になっている。IBMと互換性をもたしているので、日本のコンピュータでIBMのソフトを使えるのである。マイコンの普及にともないソフトがたくさんつくられるので、そのスピードが速くなる。 当時、IBMは巨大企業で、日本は弱小メーカーに見られていた。ソ連が崩壊することも想像できなかったように、IBMが陥落していく姿は誰もが予想できなかった。

 店員は「頭金を14万3,600円、残り52万円をボーナス時に支払うことでいいですか」と真三に確認する。提携しているN信販の担当者から真三の住所、電話番号等を店員に代って確認してきた。真三はN信販を使う気がなかったが、ホビー店がN信販と提携、リスクヘッジしているので仕方がない。銀行もそうだが、こちらが借りる立場になると高飛車に出る。口調も警察で尋問を受けるようで腹が立ってくる。考えてみればN信販にしてみれば、なんの保証もなく建て替えるわけだから厳しく聞くのも仕方がないとは思う。真三は現金商売をしているので、やりかたが全く違うとつくづく思うのであった。

 さっきから隣でじっと店員が明細書を作成するのを見つめているるり子は、一言もしゃべらない。こんなに高価なものを買うのに文句も言わないのだろうか―、真三は心配になってきた。怒っている風でもない。店員が店の奥に消えた。

「店員を初めて見た時から信用できる人だと直感した。この人なら今後も相談に応じてくれるだろうと買う決心をしたんだ」

 真三はるり子に向かって了解を取る気持ちで話しかけた。

「そうね。まじめそうで、一生懸命やないの。あなたがN信販をやめると言ったので、あわてていたのじゃないの。気の毒に…」

 るり子はマイコンの値段よりも、店員の応対ぶりに感心していた。真三が店を出た時、なにか新しいことが始まるのだと思うと、嬉しい気持ちになった。

「それにしても、高くついたが大丈夫かな」

「ほんまに高いけど、あんたがマイコンに一生懸命になるのを見ていると、やめときとは、よう言わなかった。マイコンとの浮気だから安いものだと思ったんですよ」

  久しぶりに名古屋の百貨店をぶらついて帰路についた。

 真三は朝から落ち着かいない。マイコンが届けられる日である。一つの大型商品なら間違いも起こりにくいが、小物商品も一緒に届けられる場合、受け取りの確認後、足りないといっても後の祭りである。

 真三は出勤先からるり子に荷物の確認の電話を入れた。

「届きましたよ。運送屋さんが一つずつ伝票で確認しながら運んでくれたので間違いがありませんよ」

 真三は夕食もそこそこに、6畳の部屋に運び込まれたマイコンを前にわくわくした気分である。店で見た状態にするのが真三にとっては大変な作業である。店で買ったときに組み立てをやってもらえないかと頼んだが、それはできないという返事だった。一般の家電製品なら取り付けて実際に動かして確認してくれる。マイコンはすべて購入者まかせである。マイコンが複雑でやっかいだというのに冷たいものである。

 確かにいまのPCでもそこまでやってもらうには専門店で購入して割高になっても承知のうえでしか、対応してくれない。マイコンの当時は専門家も少なかっただろうから、そういうサービスはなかった。

 真三は専用のテーブルの組み立てから苦労した。このような家具を組み立てるのに電動工具がない場合、大きな十字ネジを締めるのが大変である。40歳の真三でも大変のだから女性や高齢者ならどうするのかと思う。子どもがプラモデルを組み立てるように図表に沿ってすすめる。すでに2時間もかかっている。汗でびっしょりである。

 部品がピッタリ合って完成した時はうれしいものだ。ただ、一個でも部品が不足していたらどうなるんだろ。電話で伝えたら送ってもらえるのか、小さい部品ならそんなことは対応しないだろう。そんなことを考えながら、きっちり収まったのでホッとした。この購入者の組み立て方式はメーカーや販売店の倉庫、また運送もできるだけ効率よくするために考えられたのだろう。