先号で私は、『青春』と『恋ざめ』で風葉の結婚論は完成したと言いました。では、これ以降の『ぐうたら女』、『世間師』、『無為』はどうなるのでしょうか。私はこの結婚論完成後の秀作と評価します。

 

『ぐうたら女』=この作品は、ダメ結婚の例として書かれています。風葉の目は努力している庶民には優しいのですが、自立心のないふしだらな人には厳しいのです。母親の言いなりになって、妾になっていく女性に対して、妾なんかになるなよと言います。風葉が単なる風俗作家でないことが分かります。

『世間師』=私はこの作品を風葉作品の中で最高傑作と思います。定職を持たず、木賃宿住まいで日銭稼ぎの世間師たちの仁義の物語です。銀行に倒産が起こり、預金が失われる事態になり、万年筆売りの万年屋は木賃宿を離れ奔走します。その間に、万年屋の女房と銭占いの銭占屋に関係ができてしまいます。宿代と食費をめぐんでくれた銭占屋に対する、万年屋の女房の礼心からです。しかし普通にはこの行為は不倫です。万年屋の亭主は怒ります。しかし木賃宿の世間師たちは、食費と木賃宿代を置いていかなかったお前が悪いと言って万年屋を殴ってしまうのでした。万年屋は一人寂しく出て行きます。しかし銭占屋は反省するのでした。人の女房をとってどうするのか。幸せにできもしないのに。女房に亭主の元に帰れと言います。亭主は女房を赦し、新たな旅に出ていくのでした。

 私が最高傑作と思うのは、上流階層がつくりだした不倫論に縛られていては庶民は幸せになれない。不倫は許されないものだけれど、それを克服していくのでなければならない。風葉の庶民に優しいまなざしの原点はここにあるように思えます。赦し合いながら豊かな婚姻(家庭)生活をつくっていくのが庶民だよ、人間だよ。

『無為』=この作品は風葉の自叙伝です。風葉は妻籌子のことをいろんな所で悪く書いてきましたが、自らが病気になり、妻が働きに出るようになります。癇癪を起こしたりしながらも妻に服していきます。風葉自身も反省したのでしょう。風葉も庶民ですので。

 

 これら後期の作品において、風葉が、庶民に寄り添い庶民としての結婚論を確立してきた姿を明らかにすることができたと思います。

 さて、風葉は『寝白粉』と『恋ざめ』において、国の検閲によって発禁処分を受けています。なぜこの2作品が発禁処分を受けねばならないのか、私には理解できません。風俗の乱れを問題にしてのことでしょうが、どこに乱れが書かれているのでしょうか。検閲が間違っているのです。風葉は間違っていません。

 庶民が人間として必死に生きる中での過ちを処罰していては、庶民は生きてはいけません。幸せになれません。赦し励まし合う中でこそ、豊かな結婚生活を築いていけるようになるのです。風葉はこの目で、庶民に寄り添い、庶民物語を書いたのです。

 私は冒頭で、発禁処分が風葉の評価を低めていると書きましたが、権力の方が間違っているのです。庶民に優しいこの風葉の目は、これからの時代、ますます大切となることでしょう。庶民が生き生きと輝く所にこそ、庶民の幸せと文明の進歩があるのですから。

 風葉の作品を庶民目線で改めて読んで欲しいと思います。そして評価も変えて欲しいと思います。

 

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 先号で私は、『青春』と『恋ざめ』で風葉の結婚論は完成したと言いました。では、これ以降の『ぐうたら女』、『世間師』、『無為』はどうなるのでしょうか。私はこの結婚論完成後の秀作と評価します。

 

『ぐうたら女』=この作品は、ダメ結婚の例として書かれています。風葉の目は努力している庶民には優しいのですが、自立心のないふしだらな人には厳しいのです。母親の言いなりになって、妾になっていく女性に対して、妾なんかになるなよと言います。風葉が単なる風俗作家でないことが分かります。

『世間師』=私はこの作品を風葉作品の中で最高傑作と思います。定職を持たず、木賃宿住まいで日銭稼ぎの世間師たちの仁義の物語です。銀行に倒産が起こり、預金が失われる事態になり、万年筆売りの万年屋は木賃宿を離れ奔走します。その間に、万年屋の女房と銭占いの銭占屋に関係ができてしまいます。宿代と食費をめぐんでくれた銭占屋に対する、万年屋の女房の礼心からです。しかし普通にはこの行為は不倫です。万年屋の亭主は怒ります。しかし木賃宿の世間師たちは、食費と木賃宿代を置いていかなかったお前が悪いと言って万年屋を殴ってしまうのでした。万年屋は一人寂しく出て行きます。しかし銭占屋は反省するのでした。人の女房をとってどうするのか。幸せにできもしないのに。女房に亭主の元に帰れと言います。亭主は女房を赦し、新たな旅に出ていくのでした。

 私が最高傑作と思うのは、上流階層がつくりだした不倫論に縛られていては庶民は幸せになれない。不倫は許されないものだけれど、それを克服していくのでなければならない。風葉の庶民に優しいまなざしの原点はここにあるように思えます。赦し合いながら豊かな婚姻(家庭)生活をつくっていくのが庶民だよ、人間だよ。

『無為』=この作品は風葉の自叙伝です。風葉は妻籌子のことをいろんな所で悪く書いてきましたが、自らが病気になり、妻が働きに出るようになります。癇癪を起こしたりしながらも妻に服していきます。風葉自身も反省したのでしょう。風葉も庶民ですので。

 

 これら後期の作品において、風葉が、庶民に寄り添い庶民としての結婚論を確立してきた姿を明らかにすることができたと思います。

 さて、風葉は『寝白粉』と『恋ざめ』において、国の検閲によって発禁処分を受けています。なぜこの2作品が発禁処分を受けねばならないのか、私には理解できません。風俗の乱れを問題にしてのことでしょうが、どこに乱れが書かれているのでしょうか。検閲が間違っているのです。風葉は間違っていません。

 庶民が人間として必死に生きる中での過ちを処罰していては、庶民は生きてはいけません。幸せになれません。赦し励まし合う中でこそ、豊かな結婚生活を築いていけるようになるのです。風葉はこの目で、庶民に寄り添い、庶民物語を書いたのです。

 私は冒頭で、発禁処分が風葉の評価を低めていると書きましたが、権力の方が間違っているのです。庶民に優しいこの風葉の目は、これからの時代、ますます大切となることでしょう。庶民が生き生きと輝く所にこそ、庶民の幸せと文明の進歩があるのですから。

 風葉の作品を庶民目線で改めて読んで欲しいと思います。そして評価も変えて欲しいと思います。