法印はこの「大乗無依」の精神において、みんなで幸せになろうと説いたのでした。
円観寺の金毘羅宮や護摩堂には「禁断絵馬」と言われる絵馬が多く掲額されています。博打、酒、女に対する禁断を誓う絵馬です。鍵をかけた絵馬、心の字を上に乗せた絵馬もあって村民の反省の滲み出た絵馬になっています。法印に導かれた証拠です。
さて、前号で紹介した地蔵尊座像は誰がいつ贈ったのでしょうか。檀方と筆子であることは分かっていますが音頭を取ったのは誰か。いつ贈ったかは刻されていません。私は森田萬右衛門だと推測します。
法印のことを「中興」と言っています。円観寺は村民のよりどころ、道徳の導きの寺としてあったが、法印によって一層それが高められたと読みとれます。円観寺が村民のよりどころ、道徳の導きの寺としてあったことは村民が奉納した棟札の多さから推測させます。そして森田萬右衛門が発起人となって奉納した棟札を読むと法印に対する尊敬が滲み出たものになっているのです。これが先の推測の理由です。
天保4年(1833)に現住沙門旭順(法印のこと)に奉納された棟札と大正6年(1917)に森田萬右衛門が奉納した棟札の文言が、ぴったり一致しているのです。他の人たちの棟札と較べるとその差は歴然です。どう一致しているか。中央に書かれた奉納の理由を示した文言が完全に一致しているのです。見てみましょう。
天保4年の杉浦旭順法印に贈られた棟札
奉再建庫裏一宇令法久住天下泰平国土安穏五穀豊饒萬民快楽
大正6年の森田萬右衛門が発起人となって贈った棟札
奉改築庫裏一宇上棟令法久住天下泰平国土安穏五穀豊饒萬民快楽
見られる通り、奉納物が再建庫裏と改築庫裏で違うだけで奉納理由は完全に一致しています。意味は「仏法を久しく住まわせ、[この地が]天下泰平、国土安穏、五穀豊饒、萬民快楽の所となるのを願って」となっています。
「令法久住」の語は一般的には坊さんの決意を示す語なのです。この語は涅槃経や法華経に出て来ます。お釈迦様が涅槃(死)を迎えた時、弟子たちは嘆き悲しみます。お釈迦様の教えのお陰で、暗い世界が明るくなったのにまた暗くなってしまうと。お釈迦様は言います。お前たちが「令法久住」の心で頑張れば暗くはなりませんよと。私の教えを正しく伝えていけば心配ないと。「みんなで幸せになろう」の哲学を忘れなければ。法印はこの心で村民を指導したからこそ、この棟札の文言において庫裏が奉納されたのでした。
しかし、森田萬右衛門が贈った棟札の文言は法印が受けた棟札と語は完全一致していても、意味が違っているのです。このことも大事なのです。贈られた住職は着任3年目の新米住職でした。新住職には杉浦法印の思想を受け継いで、しっかりやって下さい、お願いしますという意味を込めて贈ったように思えるからです。
このように法印を尊敬し師事した森田萬右衛門です。どう頑張ったのでしょうか。もちろん「みんなで幸せになろう」の哲学で頑張りました。しかし法印は坊さんですので村民に教えを説き、村民にやらせるだけでしたが、森田萬右衛門はこの教えを自らのものとして実践していったのでした。これがすごいのです。
その最高の成果は昭和3年の「富貴村全村学校」と昭和9年の「富貴村経済更生計画」に見ることができます。しかしそれらは集大成として書かれているだけですが、それに至るまでの彼の実践がまた凄いのです。その凄さは次号で確認します。
(次号につづく)
・『新・現代家庭考』 就職139 ・私の出会った作品77 ・この指とまれ320 ・長澤晶子のSPEED★COOKING!
・日々是好日 ・知多の哲学散歩道Vol.35 ・若竹俳壇 ・わが家のニューフェイス ・愛とMy Family ・ミニミニコンサート
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法印はこの「大乗無依」の精神において、みんなで幸せになろうと説いたのでした。
円観寺の金毘羅宮や護摩堂には「禁断絵馬」と言われる絵馬が多く掲額されています。博打、酒、女に対する禁断を誓う絵馬です。鍵をかけた絵馬、心の字を上に乗せた絵馬もあって村民の反省の滲み出た絵馬になっています。法印に導かれた証拠です。
さて、前号で紹介した地蔵尊座像は誰がいつ贈ったのでしょうか。檀方と筆子であることは分かっていますが音頭を取ったのは誰か。いつ贈ったかは刻されていません。私は森田萬右衛門だと推測します。
法印のことを「中興」と言っています。円観寺は村民のよりどころ、道徳の導きの寺としてあったが、法印によって一層それが高められたと読みとれます。円観寺が村民のよりどころ、道徳の導きの寺としてあったことは村民が奉納した棟札の多さから推測させます。そして森田萬右衛門が発起人となって奉納した棟札を読むと法印に対する尊敬が滲み出たものになっているのです。これが先の推測の理由です。
天保4年(1833)に現住沙門旭順(法印のこと)に奉納された棟札と大正6年(1917)に森田萬右衛門が奉納した棟札の文言が、ぴったり一致しているのです。他の人たちの棟札と較べるとその差は歴然です。どう一致しているか。中央に書かれた奉納の理由を示した文言が完全に一致しているのです。見てみましょう。
天保4年の杉浦旭順法印に贈られた棟札
奉再建庫裏一宇令法久住天下泰平国土安穏五穀豊饒萬民快楽
大正6年の森田萬右衛門が発起人となって贈った棟札
奉改築庫裏一宇上棟令法久住天下泰平国土安穏五穀豊饒萬民快楽
見られる通り、奉納物が再建庫裏と改築庫裏で違うだけで奉納理由は完全に一致しています。意味は「仏法を久しく住まわせ、[この地が]天下泰平、国土安穏、五穀豊饒、萬民快楽の所となるのを願って」となっています。
「令法久住」の語は一般的には坊さんの決意を示す語なのです。この語は涅槃経や法華経に出て来ます。お釈迦様が涅槃(死)を迎えた時、弟子たちは嘆き悲しみます。お釈迦様の教えのお陰で、暗い世界が明るくなったのにまた暗くなってしまうと。お釈迦様は言います。お前たちが「令法久住」の心で頑張れば暗くはなりませんよと。私の教えを正しく伝えていけば心配ないと。「みんなで幸せになろう」の哲学を忘れなければ。法印はこの心で村民を指導したからこそ、この棟札の文言において庫裏が奉納されたのでした。
しかし、森田萬右衛門が贈った棟札の文言は法印が受けた棟札と語は完全一致していても、意味が違っているのです。このことも大事なのです。贈られた住職は着任3年目の新米住職でした。新住職には杉浦法印の思想を受け継いで、しっかりやって下さい、お願いしますという意味を込めて贈ったように思えるからです。
このように法印を尊敬し師事した森田萬右衛門です。どう頑張ったのでしょうか。もちろん「みんなで幸せになろう」の哲学で頑張りました。しかし法印は坊さんですので村民に教えを説き、村民にやらせるだけでしたが、森田萬右衛門はこの教えを自らのものとして実践していったのでした。これがすごいのです。
その最高の成果は昭和3年の「富貴村全村学校」と昭和9年の「富貴村経済更生計画」に見ることができます。しかしそれらは集大成として書かれているだけですが、それに至るまでの彼の実践がまた凄いのです。その凄さは次号で確認します。
(次号につづく)