◎チェーホフ(その2)

 『退屈な話』を読み終えると、続いて『かわいい女』が読みたくなりました。とても短い作品です。中編の『退屈な話』は文庫本で95ページですが、『かわいい女』はわずか20ページの短編です。話の筋も極めて単純で、すらすら読めます。

 『かわいい女』は、1898年12月に書かれました。チェーホフは38歳でした。この愛すべき短編を書いた後、44歳で死ぬまでに書かれたチェーホフの小説は、『犬を連れた奥さん』『谷間』『僧正』『いいなずけ』などわずか6編だけです。

 『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』を書いた文豪トルストイは、この短編が大いに気に入り、「これは珠玉の作品だ。チェーホフは大作家だ」と友人に話しました。また、チェーホフともトルストイとも非常に親しかった、戯曲『どん底』で有名な作家ゴーリキーは、『追憶』の中で次のように書いています。

 「いつだったか、私のいる所で、トルストイが『かわいい女』に夢中になって言ったことがある。『あれは、純潔な娘の編んだレースのようなものだ。昔はああいう編み子がいたものだ。彼女たちは、自分の一生と幸福についてのあらゆる願いを模様に編み込んだ。最愛の人のことを模様で夢み、定かでない、清らかな自分の愛を、すっかりレースに編み込んだものだ』と。トルストイはひどく興奮して、眼に涙をためて語った」

 トルストイが激賞した『かわいい女』は、次のような内容の短編小説です。多くの訳がありますが、ここでは松下裕の訳に拠っています。

 

◎『かわいい女』

 退職八等官プレミャンニコフの娘オーレニカが、中庭へ降りる階段に腰を下ろして物思いにふけっている。暑い日だった。蝿がうるさかった。東から黒い雨雲が迫ってきた。その時、遊園地「チヴォリ」の持ち主で経営者のクーキンが、中庭の真ん中に立って空を見上げていた。彼は、同じ中庭の離れを借りて住んでいた。

 彼はオーレニカに向かって捨て鉢に言った。「また雨か。これじゃ破産だ。毎日毎日、えらい損続きだ。客たちは無知で野蛮だ。上等な出し物なんか少しも求めていない」。次の日も夕方になると、黒雲が迫ってきた。クーキンは言った。「まったくお手上げだ。遊園地なんか水浸しになればいいんだ。この俺も溺れて死ねばいいんだ。どうせ幸せなんかになれっこないんだ」。次の日も同じだった。彼の愚痴は続いた。

 オーレニカは黙って、彼の話すのを真面目に聞いていた。そして、とうとう彼女は、クーキンの不幸に心を動かされて彼を恋してしまった。クーキンは小柄で痩せこけて、黄色い顔をして、絶えず絶望の色を浮かべていたが、それでも彼は彼女の心に深い感情を呼び起こしたのであった。

 小さい時から、オーレニカは絶えず誰かを好きになって、人を愛せずにはいられなかった。そういうたちだったのである。

 彼の方から申し込みをして、二人は式を挙げた。結婚してから二人は楽しく暮らした。彼女は夫の切符売場に座ったり、園内の整理に心を配ったりした。彼女は、この世で最も素敵なものは芝居であると信じた。そして、芝居や役者について、夫の言ったことをそっくり受け売りするのだった。ところが、クーキンは、劇団の出演交渉にモスクワに行き、そこで亡くなり、モスクワの墓地に埋葬された。オーレニカは激しく嘆き悲しんだ。

 3カ月経ったある日、昼のミサから戻る途中、木場の管理人のプストワールが彼女に話した。「何事も定めというものですよ。神様の思し召しだから、気を確かに持って、おとなしく耐え忍ぶことですね」。彼と別れると、彼女の耳には彼の神妙な声が残り、目をつぶれば、その黒い頬髭が瞼にちらつくのだった。彼女は彼がすっかり好きになった。 間もなく二人は結婚した。二人は楽しく暮らした。プストワールは昼食まで木場に座っていて、それから用事に出掛けた。その後は、オーレニカが夕方まで座り込み、勘定をつけたり、品物を送り出した。彼女は、人生で何より大切で必要なものは材木だと信じた。知人から「たまには芝居かサーカスにでも出掛けてみたら」と言われると、彼女は「芝居なんぞに行く暇はありません。芝居なんかのどこがいいんでしょうね」と答えた。

 夫のプストワールが遠くに材木の買い付けに出掛けると、彼女は、幾晩も眠れず、泣いてばかりいた。時々、夕方、連隊付きの獣医で、スミルニーンという、彼女の離れを借りている若い男がやって来た。彼は、妻も息子もいるのだが、妻が浮気をしたので別居して、息子の養育費として月々40ルーブル送っていると話した。聞き終えると、彼女は「奥さんと仲直りしなさい。息子さんのためを思って許してあげなさい」と言った。用事が済んで戻って来た夫に、彼女は獣医の不幸せな家庭生活のことを語って聞かせた。

 オーレニカは夫と共にひっそりと物静かに、睦み合い愛し合って、6年間を過ごした。ところが、夫が風邪を引いて寝込み、4カ月患ったあげくに死んでしまった。オーレニカは嘆き悲しみ、めったに外出もせず、まるで修道女のように家に引き籠もった。

 半年後、彼女は再び外出するようになった。そして、知人たちに「この町にはちゃんとした家畜検査がない。家畜の健康には、人間の健康と同じくらい気を配らなくてはいけない」と話すようになった。彼女は、獣医の言うことをそっくり受け売りして、今では万事、彼と同じ意見だった。二人は親密な間柄になっていた。彼のところに連隊の同僚が来ると、彼女はお茶をついだり夜食を出しながら、牛や羊のペストや、家畜の結核について話すようになった。獣医はすっかり当惑して、客が帰ると、怒って彼女に言った。「分かりもしない話なんかしないでくれ。獣医仲間で喋っている時に、口出ししないでくれないか」

 やがて獣医は連隊と共に遠い所に行ってしまった。彼女は独りぼっちになった。彼女には意見というものが何一つ無くなった。遊園地の経営者クーキンや木場の管理人プストワールや獣医スミルニーンがいた頃には、どんなことにも説明がついたし、自分の意見が言えたのに、今では頭も心も、中庭のようにがらんとしていた。

 長い歳月が過ぎた。ある暑い日の夕方、門の外に獣医のスミルニーンが立っていた。彼は兵役を退き、妻と息子と一緒に新しい生活をしようと当地にやって来たのだった。オーレニカは、自分は離れに住むから、一家でこの家に住んでほしいと頼んだ。獣医の奥さんは痩せた不器量な婦人で、わがままらしい顔付きをしていた。男の子のサーシャは、10歳にしては小柄で、まるまる太って、えくぼが可愛らしかった。オーレニカは、この男の子がすっかり気に入ってしまった。サーシャは中学校へ通うようになった。彼の母親はハリコフの姉のところへ行ったきり帰ってこなかった。父親は息子にかまわなかった。オーレニカはサーシャを自分の離れに引き取って一緒に生活することにした。

 彼女は幸福だった。出会う知人たちに、サーシャが話した学校生活の様子をそっくりそのまま話すようになった。再び彼女は自分の意見を持てるようになったのである。

 しかし、サーシャはあまり幸せではなかった。時々、寝言で暴言を吐いている。

 

■杉本武之プロフィール

1939年 碧南市に生まれる。

京都大学文学部卒業。

翻訳業を経て、小学校教師になるために愛知教育大学に入学。

25年間、西尾市の小中学校に勤務。

定年退職後、名古屋大学教育学部の大学院で学ぶ。

〈趣味〉読書と競馬

 

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◎チェーホフ(その2)

 『退屈な話』を読み終えると、続いて『かわいい女』が読みたくなりました。とても短い作品です。中編の『退屈な話』は文庫本で95ページですが、『かわいい女』はわずか20ページの短編です。話の筋も極めて単純で、すらすら読めます。

 『かわいい女』は、1898年12月に書かれました。チェーホフは38歳でした。この愛すべき短編を書いた後、44歳で死ぬまでに書かれたチェーホフの小説は、『犬を連れた奥さん』『谷間』『僧正』『いいなずけ』などわずか6編だけです。

 『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』を書いた文豪トルストイは、この短編が大いに気に入り、「これは珠玉の作品だ。チェーホフは大作家だ」と友人に話しました。また、チェーホフともトルストイとも非常に親しかった、戯曲『どん底』で有名な作家ゴーリキーは、『追憶』の中で次のように書いています。

 「いつだったか、私のいる所で、トルストイが『かわいい女』に夢中になって言ったことがある。『あれは、純潔な娘の編んだレースのようなものだ。昔はああいう編み子がいたものだ。彼女たちは、自分の一生と幸福についてのあらゆる願いを模様に編み込んだ。最愛の人のことを模様で夢み、定かでない、清らかな自分の愛を、すっかりレースに編み込んだものだ』と。トルストイはひどく興奮して、眼に涙をためて語った」

 トルストイが激賞した『かわいい女』は、次のような内容の短編小説です。多くの訳がありますが、ここでは松下裕の訳に拠っています。

 

◎『かわいい女』

 退職八等官プレミャンニコフの娘オーレニカが、中庭へ降りる階段に腰を下ろして物思いにふけっている。暑い日だった。蝿がうるさかった。東から黒い雨雲が迫ってきた。その時、遊園地「チヴォリ」の持ち主で経営者のクーキンが、中庭の真ん中に立って空を見上げていた。彼は、同じ中庭の離れを借りて住んでいた。

 彼はオーレニカに向かって捨て鉢に言った。「また雨か。これじゃ破産だ。毎日毎日、えらい損続きだ。客たちは無知で野蛮だ。上等な出し物なんか少しも求めていない」。次の日も夕方になると、黒雲が迫ってきた。クーキンは言った。「まったくお手上げだ。遊園地なんか水浸しになればいいんだ。この俺も溺れて死ねばいいんだ。どうせ幸せなんかになれっこないんだ」。次の日も同じだった。彼の愚痴は続いた。

 オーレニカは黙って、彼の話すのを真面目に聞いていた。そして、とうとう彼女は、クーキンの不幸に心を動かされて彼を恋してしまった。クーキンは小柄で痩せこけて、黄色い顔をして、絶えず絶望の色を浮かべていたが、それでも彼は彼女の心に深い感情を呼び起こしたのであった。

 小さい時から、オーレニカは絶えず誰かを好きになって、人を愛せずにはいられなかった。そういうたちだったのである。

 彼の方から申し込みをして、二人は式を挙げた。結婚してから二人は楽しく暮らした。彼女は夫の切符売場に座ったり、園内の整理に心を配ったりした。彼女は、この世で最も素敵なものは芝居であると信じた。そして、芝居や役者について、夫の言ったことをそっくり受け売りするのだった。ところが、クーキンは、劇団の出演交渉にモスクワに行き、そこで亡くなり、モスクワの墓地に埋葬された。オーレニカは激しく嘆き悲しんだ。

 3カ月経ったある日、昼のミサから戻る途中、木場の管理人のプストワールが彼女に話した。「何事も定めというものですよ。神様の思し召しだから、気を確かに持って、おとなしく耐え忍ぶことですね」。彼と別れると、彼女の耳には彼の神妙な声が残り、目をつぶれば、その黒い頬髭が瞼にちらつくのだった。彼女は彼がすっかり好きになった。 間もなく二人は結婚した。二人は楽しく暮らした。プストワールは昼食まで木場に座っていて、それから用事に出掛けた。その後は、オーレニカが夕方まで座り込み、勘定をつけたり、品物を送り出した。彼女は、人生で何より大切で必要なものは材木だと信じた。知人から「たまには芝居かサーカスにでも出掛けてみたら」と言われると、彼女は「芝居なんぞに行く暇はありません。芝居なんかのどこがいいんでしょうね」と答えた。

 夫のプストワールが遠くに材木の買い付けに出掛けると、彼女は、幾晩も眠れず、泣いてばかりいた。時々、夕方、連隊付きの獣医で、スミルニーンという、彼女の離れを借りている若い男がやって来た。彼は、妻も息子もいるのだが、妻が浮気をしたので別居して、息子の養育費として月々40ルーブル送っていると話した。聞き終えると、彼女は「奥さんと仲直りしなさい。息子さんのためを思って許してあげなさい」と言った。用事が済んで戻って来た夫に、彼女は獣医の不幸せな家庭生活のことを語って聞かせた。

 オーレニカは夫と共にひっそりと物静かに、睦み合い愛し合って、6年間を過ごした。ところが、夫が風邪を引いて寝込み、4カ月患ったあげくに死んでしまった。オーレニカは嘆き悲しみ、めったに外出もせず、まるで修道女のように家に引き籠もった。

 半年後、彼女は再び外出するようになった。そして、知人たちに「この町にはちゃんとした家畜検査がない。家畜の健康には、人間の健康と同じくらい気を配らなくてはいけない」と話すようになった。彼女は、獣医の言うことをそっくり受け売りして、今では万事、彼と同じ意見だった。二人は親密な間柄になっていた。彼のところに連隊の同僚が来ると、彼女はお茶をついだり夜食を出しながら、牛や羊のペストや、家畜の結核について話すようになった。獣医はすっかり当惑して、客が帰ると、怒って彼女に言った。「分かりもしない話なんかしないでくれ。獣医仲間で喋っている時に、口出ししないでくれないか」

 やがて獣医は連隊と共に遠い所に行ってしまった。彼女は独りぼっちになった。彼女には意見というものが何一つ無くなった。遊園地の経営者クーキンや木場の管理人プストワールや獣医スミルニーンがいた頃には、どんなことにも説明がついたし、自分の意見が言えたのに、今では頭も心も、中庭のようにがらんとしていた。

 長い歳月が過ぎた。ある暑い日の夕方、門の外に獣医のスミルニーンが立っていた。彼は兵役を退き、妻と息子と一緒に新しい生活をしようと当地にやって来たのだった。オーレニカは、自分は離れに住むから、一家でこの家に住んでほしいと頼んだ。獣医の奥さんは痩せた不器量な婦人で、わがままらしい顔付きをしていた。男の子のサーシャは、10歳にしては小柄で、まるまる太って、えくぼが可愛らしかった。オーレニカは、この男の子がすっかり気に入ってしまった。サーシャは中学校へ通うようになった。彼の母親はハリコフの姉のところへ行ったきり帰ってこなかった。父親は息子にかまわなかった。オーレニカはサーシャを自分の離れに引き取って一緒に生活することにした。

 彼女は幸福だった。出会う知人たちに、サーシャが話した学校生活の様子をそっくりそのまま話すようになった。再び彼女は自分の意見を持てるようになったのである。

 しかし、サーシャはあまり幸せではなかった。時々、寝言で暴言を吐いている。