ドラマは続く
「トルコの仲介でロシアとウクライナは面談で話し合いをしたと伝えられている。先のメールにもあったように、外交、つまりは話し合いしか解決の道はないことだけは確かだ」
「ロシアは話し合い中でも攻撃を続けるのですね」
「ウクライナも同じだと思う。双方とも有利な決着をつけようとするからだろう」
「先の日本の戦争でも早く話し合いで終わらせたら、犠牲者も少なくて済んだんでしょうね」
「いまから思うと、なぜ原爆を落とされるまで降伏しなかったのか、悔しいね。一度、戦争を始めると、勝つまでは止めたくないのが人間の業なんだろうね」
「一番の被害者は国民、市民ですね」
「悲しいことではあるが…」
「そろそろ小説の続きを読むよ」
「はい」
るり子は書斎を離れた。
西村は京都経済界の重鎮でもあった。昭和四十六年に京都商工会議所副会頭に就任している。京都の経済界は戦後ずっと、近代産業と伝統産業の対立、葛藤という図式を描いてきた。近代産業とは戦後、急速に膨張した立石電機(現オムロン)日本新薬、ワコール、宝酒造、京セラ、村田機械、堀場製作所などの大手企業グループ集団である。一方、伝統産業というのは、西陣、室町の織物製造・販売業者と、観光関連を中心とする中小企業集団である。西陣は機屋(先染め織物)の生産集団で西陣織工業組合を結成、堀川通り今出川の角に建つ西陣織会館は業界の威容を誇っている。滋賀辰雄は理事長として西陣に長く君臨した。その後、川島織物会長の川島春雄に譲っている。
一方、室町筋に集まる織物の問屋集団が京都織物卸商業組合で、そのリーダーが西村である。とにかく京都で繊維産業が強いのは第一にその数のすごさにあった。京都市内の事業所数の54・6%(昭和五十三年)。従業員数の34・7%を繊維産業が占めている。女性の着物離れが進み、年々、繊維産業は力の衰えをみせているが、今も数の上では断トツである。
日本新薬社長の森下弘が昭和四十五年二月、京都財界の総本山である京都商工会議所の会頭に就任したが、実に戦後二十九年を経て近代産業グループの指導者が経済界トップの座に就いたということでは画期的な出来事であった。しかし。伝統産業をないがしろにすることはできない。副会頭に西村大治郎が選任されたのである。その後、森下は十三年間の長きにわたり会頭に就き続けた。その間、近代産業グループ内での確執も見られたが、五十八年四月、ワコールの塚本幸一にバットンタッチしている。
片桐が最初に会ったころの西村は財界人としても活躍していた。
「初めまして…。京都に来て間がないんですが大学の先輩のよしみということで、ご指導をお願いに参りました」
「こちらこそよろしく」
西村は紹介者も介さないで直接、訪ねてきた片桐だが、温かく迎え入れた。
「先輩は“家訓”について随分、研究されていると聞きましたが…」
「最近、ジャーナリズムでも家訓について注目しているので、私なりの考えをまとめてみたのですよ」
「千吉さんが四世紀あまり続いているのは、家訓に秘訣があるのではないかと思っています」
「そんなに長くですか」
「そうです。結局それが何かというと、信用ですね。信用を何よりも大切にしたことですね」
「なるほど。家訓では信用を築くために、どういうことを教えているんでしょうか」
「第一に正路の渡世、つまり正しい道を歩んで世渡りせよということなんです。ビジネスの世界ではフェアープレーをやれということでしょう。片桐さんもご存知のように、敗戦直後、ヤミ商売で儲けた店や税金をごまかした店が長続きせず、左前になっているところが多いです。法の網を潜り抜けることを強く戒めていますね」
「なるほど」
「第二に和合の経営ですな。私どもの家訓の第三条にこう書かれています。『商人は主従とも友達のことに候えば、家来をあわれみ、下よりは主人を大切に忠勤に励み、争いごと、これ無きよう心掛け申すべく候』というのです。
元来、主従関係は支配服従と思われがちですが、ここにもはっきり友達とありますように、家来も人間として尊重しなければならない。店内の和を保つために必要なことは上に立つものが下のものをあわれみ、下のものは上のものに忠義を尽くす信頼と互助の関係が絶対に必要だと説いています。今でいう労使協調ですよ」
「なるほど」
ちょうど一服したいと思っていたところ、るり子が和菓子とお茶を運んで部屋に入ってきた。
「いいですか」
「グッドタイミングだよ」
「そうですか…」
「この、まんじゅううまいね」
「あなたは味覚を大事にしていますね」
「味覚と言えば、友人からおもしろいメールが届いたが、読んでみるかい」
「ぜひ」
真三はプリントしておいたA4のペーパーをるり子に手渡した。
るり子はさっそく黙読した。味覚障害(食物を愛するよりも誠実な愛はない=バーナード・ショー)
味覚がなくなることなど想像できない。ところが、ある日突然、身内に味覚障害者が出た。すぐ想像したのは、コロナ禍の時代、感染後遺症のそれかなと一瞬、思ったが、ワクチン接種も済ましており、感染した自覚がない。
すぐに近くの病院で診察してもらうと、「亜鉛不足かもしれないので、血液検査してみよう」と、医師が話した。一週間後、結果を聞きに行くと、「やはり予想通りでした。亜鉛のサプリメントを薬局で買って様子を見てください」と対応を指示された。
味覚がなくなると、食欲が大きく減退する。日頃の三割減から半分になり、食べることが苦痛になる。それでも無理して詰め込まなければ、体力がもたない。
薬局で大塚製薬が輸入している栄養機能食品(亜鉛)を勧められ、「娘も飲んでいます」と心配顔を打ち消してくれた。
この亜鉛不足による味覚障害は高齢化にともない増えているが、若い人でも発症すると厚労省のHPにある。カキ、牛肉、ゴマ、アーモンド等に含まれているという。いまだにはっきりとした原因は分からず、ストレスや感冒など複雑に絡み合っているようだ。治療薬もないので、ひたすら亜鉛を補給するしかなく、一ヶ月ほどすると、徐々に味覚が戻り、再度、病院で血液検査を受け確認した。結果は正常値に戻っていた。
これからも奇病に悩まされることは起こるだろうが、それが高齢化ということだと自覚することが肝要であると悟ることだ。
「なるほどですね」
「亜鉛不足なんて聞いたことがなかったので、驚いたよ」
「あまり聞きませんね」
「親はそうしたことはなかったそうだ」
「私の両親もそうしたことはなかったと思います」
「最近の現象かも。ストレス社会だからかだろう…」
「それにしてもウクライナからの報道を見ていますと、病気の治療も大変ですね」
「胸が痛むよ。ソ連邦が崩壊して、多くの国が独立したが、それぞれの国には人種が混在しているのだろう。だからロシア人がウクライナをはじめ周辺国に住んでいるのだろうね。他国から見て、ウクライナ問題は複雑で理解できないよ」
「日本は島国で90数%が日本人といいますから、ウクライナをはじめ周辺国の事情が理解できませんね」
「だからと言って、力ずくで領土を奪うことは絶対にあってはならないことだよ」
「早く戦争が終結することを祈るしかないですね」
■岡田 清治プロフィール
1942年生まれ ジャーナリスト
(編集プロダクション・NET108代表)
著書に『高野山開創千二百年 いっぱんさん行状記』『心の遺言』『あなたは社員の全能力を引き出せますか!』『リヨンで見た虹』など多数
※この物語に対する読者の方々のコメント、体験談を左記のFAXかメールでお寄せください。
今回は「就職」「日本のゆくえ」「結婚」「夫婦」「インド」「愛知県」についてです。物語が進行する中で織り込むことを試み、一緒に考えます。
FAX‥0569―34―7971
メール‥takamitsu@akai-shinbunten.net
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「トルコの仲介でロシアとウクライナは面談で話し合いをしたと伝えられている。先のメールにもあったように、外交、つまりは話し合いしか解決の道はないことだけは確かだ」
「ロシアは話し合い中でも攻撃を続けるのですね」
「ウクライナも同じだと思う。双方とも有利な決着をつけようとするからだろう」
「先の日本の戦争でも早く話し合いで終わらせたら、犠牲者も少なくて済んだんでしょうね」
「いまから思うと、なぜ原爆を落とされるまで降伏しなかったのか、悔しいね。一度、戦争を始めると、勝つまでは止めたくないのが人間の業なんだろうね」
「一番の被害者は国民、市民ですね」
「悲しいことではあるが…」
「そろそろ小説の続きを読むよ」
「はい」
るり子は書斎を離れた。
西村は京都経済界の重鎮でもあった。昭和四十六年に京都商工会議所副会頭に就任している。京都の経済界は戦後ずっと、近代産業と伝統産業の対立、葛藤という図式を描いてきた。近代産業とは戦後、急速に膨張した立石電機(現オムロン)日本新薬、ワコール、宝酒造、京セラ、村田機械、堀場製作所などの大手企業グループ集団である。一方、伝統産業というのは、西陣、室町の織物製造・販売業者と、観光関連を中心とする中小企業集団である。西陣は機屋(先染め織物)の生産集団で西陣織工業組合を結成、堀川通り今出川の角に建つ西陣織会館は業界の威容を誇っている。滋賀辰雄は理事長として西陣に長く君臨した。その後、川島織物会長の川島春雄に譲っている。
一方、室町筋に集まる織物の問屋集団が京都織物卸商業組合で、そのリーダーが西村である。とにかく京都で繊維産業が強いのは第一にその数のすごさにあった。京都市内の事業所数の54・6%(昭和五十三年)。従業員数の34・7%を繊維産業が占めている。女性の着物離れが進み、年々、繊維産業は力の衰えをみせているが、今も数の上では断トツである。
日本新薬社長の森下弘が昭和四十五年二月、京都財界の総本山である京都商工会議所の会頭に就任したが、実に戦後二十九年を経て近代産業グループの指導者が経済界トップの座に就いたということでは画期的な出来事であった。しかし。伝統産業をないがしろにすることはできない。副会頭に西村大治郎が選任されたのである。その後、森下は十三年間の長きにわたり会頭に就き続けた。その間、近代産業グループ内での確執も見られたが、五十八年四月、ワコールの塚本幸一にバットンタッチしている。
片桐が最初に会ったころの西村は財界人としても活躍していた。
「初めまして…。京都に来て間がないんですが大学の先輩のよしみということで、ご指導をお願いに参りました」
「こちらこそよろしく」
西村は紹介者も介さないで直接、訪ねてきた片桐だが、温かく迎え入れた。
「先輩は“家訓”について随分、研究されていると聞きましたが…」
「最近、ジャーナリズムでも家訓について注目しているので、私なりの考えをまとめてみたのですよ」
「千吉さんが四世紀あまり続いているのは、家訓に秘訣があるのではないかと思っています」
「そんなに長くですか」
「そうです。結局それが何かというと、信用ですね。信用を何よりも大切にしたことですね」
「なるほど。家訓では信用を築くために、どういうことを教えているんでしょうか」
「第一に正路の渡世、つまり正しい道を歩んで世渡りせよということなんです。ビジネスの世界ではフェアープレーをやれということでしょう。片桐さんもご存知のように、敗戦直後、ヤミ商売で儲けた店や税金をごまかした店が長続きせず、左前になっているところが多いです。法の網を潜り抜けることを強く戒めていますね」
「なるほど」
「第二に和合の経営ですな。私どもの家訓の第三条にこう書かれています。『商人は主従とも友達のことに候えば、家来をあわれみ、下よりは主人を大切に忠勤に励み、争いごと、これ無きよう心掛け申すべく候』というのです。
元来、主従関係は支配服従と思われがちですが、ここにもはっきり友達とありますように、家来も人間として尊重しなければならない。店内の和を保つために必要なことは上に立つものが下のものをあわれみ、下のものは上のものに忠義を尽くす信頼と互助の関係が絶対に必要だと説いています。今でいう労使協調ですよ」
「なるほど」
ちょうど一服したいと思っていたところ、るり子が和菓子とお茶を運んで部屋に入ってきた。
「いいですか」
「グッドタイミングだよ」
「そうですか…」
「この、まんじゅううまいね」
「あなたは味覚を大事にしていますね」
「味覚と言えば、友人からおもしろいメールが届いたが、読んでみるかい」
「ぜひ」
真三はプリントしておいたA4のペーパーをるり子に手渡した。
るり子はさっそく黙読した。味覚障害(食物を愛するよりも誠実な愛はない=バーナード・ショー)
味覚がなくなることなど想像できない。ところが、ある日突然、身内に味覚障害者が出た。すぐ想像したのは、コロナ禍の時代、感染後遺症のそれかなと一瞬、思ったが、ワクチン接種も済ましており、感染した自覚がない。
すぐに近くの病院で診察してもらうと、「亜鉛不足かもしれないので、血液検査してみよう」と、医師が話した。一週間後、結果を聞きに行くと、「やはり予想通りでした。亜鉛のサプリメントを薬局で買って様子を見てください」と対応を指示された。
味覚がなくなると、食欲が大きく減退する。日頃の三割減から半分になり、食べることが苦痛になる。それでも無理して詰め込まなければ、体力がもたない。
薬局で大塚製薬が輸入している栄養機能食品(亜鉛)を勧められ、「娘も飲んでいます」と心配顔を打ち消してくれた。
この亜鉛不足による味覚障害は高齢化にともない増えているが、若い人でも発症すると厚労省のHPにある。カキ、牛肉、ゴマ、アーモンド等に含まれているという。いまだにはっきりとした原因は分からず、ストレスや感冒など複雑に絡み合っているようだ。治療薬もないので、ひたすら亜鉛を補給するしかなく、一ヶ月ほどすると、徐々に味覚が戻り、再度、病院で血液検査を受け確認した。結果は正常値に戻っていた。
これからも奇病に悩まされることは起こるだろうが、それが高齢化ということだと自覚することが肝要であると悟ることだ。
「なるほどですね」
「亜鉛不足なんて聞いたことがなかったので、驚いたよ」
「あまり聞きませんね」
「親はそうしたことはなかったそうだ」
「私の両親もそうしたことはなかったと思います」
「最近の現象かも。ストレス社会だからかだろう…」
「それにしてもウクライナからの報道を見ていますと、病気の治療も大変ですね」
「胸が痛むよ。ソ連邦が崩壊して、多くの国が独立したが、それぞれの国には人種が混在しているのだろう。だからロシア人がウクライナをはじめ周辺国に住んでいるのだろうね。他国から見て、ウクライナ問題は複雑で理解できないよ」
「日本は島国で90数%が日本人といいますから、ウクライナをはじめ周辺国の事情が理解できませんね」
「だからと言って、力ずくで領土を奪うことは絶対にあってはならないことだよ」
「早く戦争が終結することを祈るしかないですね」