【前号の訂正】

後から2行目「これが変更の理由です」を「こうなってはまずい」と訂正いたします。

(前号のつづき)

 煩悩は生きる力と考えるべきです。人間は個として生きますので、この煩悩なしには生きていけないからです。

 煩悩がこういうのものである以上、克服でなくコントロールでなくてはなりません。煩悩丸出しのジコチュウは、社会を混乱させ、破壊することになりますので、コントロールが必要です。しかし克服を目標としたら人間は生きていけなくなります。

 私はお釈迦様も良忍上人も、この煩悩のコントロールの必要から、菩薩道を仏教に刻み込んだのだと思います。みんなで助け合って菩薩となり幸せをつくり出していくのが、人間の道であり、仏教の教え、菩薩道ですよと。

 私は正直に言って、この融通念仏宗に出会った時、ホンマモノの仏教に出会った感動を受けました。これだよなという感動です。

 こう言うと、浄土宗や浄土真宗や曹洞宗は間違っていると言っているように聞こえますが、そうではありません。煩悩を深く見つめ内省してきたことは素晴らしいことです。煩悩が犯す間違いは数知れずあります。前号で「ある意味でジコチュウにも」と書きましたが、このジコチュウは内省深きゆえに他を思わなくなるという意味で言ったまでで、煩悩丸出しのジコチュウとは質が違います。しかしこの煩悩は生きる力なのです。人間はこの矛盾の中で生きているのです。このことを知った上で、改めて菩薩道を模索したら、素晴らしい菩薩道が創出できるはずです。

 融通念仏宗のように煩悩を問題にしなければ、煩悩がいつか爆発するかも。こういう意味で私は、融通念仏宗と浄土宗・浄土真宗・曹洞宗は菩薩道の両輪と考えています。共存して、足らない部分を補いあって、みんなで力を合わせ仏国土をつくろうという運動において、導いていってほしいと思っています。

 遅くなりました。ここから良忍上人の誕生地、地元東海市と融通念仏宗飯山大念仏寺の交流の模様を書くことにします。

 地元東海市では、口伝や寺伝によって、東海市が融通念仏宗の宗祖良忍上人の誕生地であることは分かっていましたが、しかし九百年も千年も前の話です。こつこつと研究は進められていましたが、「偉い坊さんがおったゲナ」という域を超えることができなかったのでした。これを変えたのが、本山大念仏寺さんの宗祖の誕生地探しとの出会いでした。

 本山の宗祖誕生地探しは明治にはじまりました。文献によれば、宗祖の誕生地は尾張国の「富田村」となっているが、東海市の富田村なのか名古屋市の富田村なのか。

 本山の宗祖誕生地探しは、当初は両地訪問からはじまったのですが、地元の研究者たちと出会うまでは時間がかかりました。出会ってからは、すぐに本山は誕生地は東海市の富田と確定されます。地元の良忍探しの熱意を知り、間違いないと確信したからです。両者は意気投合し、昭和初年に、「良忍上人奉賛会」を立ち上げ、これ以降今日まで、良忍上人誕生の寺宝珠寺において、3月1日に、本山の僧侶を東海市の仏教会が迎え、読経を交換する形で「良忍上人奉賛会」を実行しています。

 意気投合と言いましたが、酒の場での意気投合ではなく、本山からは融通念仏宗の宗旨の講演や寺宝の展示があり、地元の研究者からは宝珠寺や富田村の文化・歴史の報告があり、この交流の上での投合で、宗派は違えども(宝珠寺は曹洞宗)、仏教文化向上のために頑張ろうということで、「良忍上人奉賛会」は開催されるようになったのでした。

 

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 煩悩は生きる力と考えるべきです。人間は個として生きますので、この煩悩なしには生きていけないからです。

 煩悩がこういうのものである以上、克服でなくコントロールでなくてはなりません。煩悩丸出しのジコチュウは、社会を混乱させ、破壊することになりますので、コントロールが必要です。しかし克服を目標としたら人間は生きていけなくなります。

 私はお釈迦様も良忍上人も、この煩悩のコントロールの必要から、菩薩道を仏教に刻み込んだのだと思います。みんなで助け合って菩薩となり幸せをつくり出していくのが、人間の道であり、仏教の教え、菩薩道ですよと。

 私は正直に言って、この融通念仏宗に出会った時、ホンマモノの仏教に出会った感動を受けました。これだよなという感動です。

 こう言うと、浄土宗や浄土真宗や曹洞宗は間違っていると言っているように聞こえますが、そうではありません。煩悩を深く見つめ内省してきたことは素晴らしいことです。煩悩が犯す間違いは数知れずあります。前号で「ある意味でジコチュウにも」と書きましたが、このジコチュウは内省深きゆえに他を思わなくなるという意味で言ったまでで、煩悩丸出しのジコチュウとは質が違います。しかしこの煩悩は生きる力なのです。人間はこの矛盾の中で生きているのです。このことを知った上で、改めて菩薩道を模索したら、素晴らしい菩薩道が創出できるはずです。

 融通念仏宗のように煩悩を問題にしなければ、煩悩がいつか爆発するかも。こういう意味で私は、融通念仏宗と浄土宗・浄土真宗・曹洞宗は菩薩道の両輪と考えています。共存して、足らない部分を補いあって、みんなで力を合わせ仏国土をつくろうという運動において、導いていってほしいと思っています。

 遅くなりました。ここから良忍上人の誕生地、地元東海市と融通念仏宗飯山大念仏寺の交流の模様を書くことにします。

 地元東海市では、口伝や寺伝によって、東海市が融通念仏宗の宗祖良忍上人の誕生地であることは分かっていましたが、しかし九百年も千年も前の話です。こつこつと研究は進められていましたが、「偉い坊さんがおったゲナ」という域を超えることができなかったのでした。これを変えたのが、本山大念仏寺さんの宗祖の誕生地探しとの出会いでした。

 本山の宗祖誕生地探しは明治にはじまりました。文献によれば、宗祖の誕生地は尾張国の「富田村」となっているが、東海市の富田村なのか名古屋市の富田村なのか。

 本山の宗祖誕生地探しは、当初は両地訪問からはじまったのですが、地元の研究者たちと出会うまでは時間がかかりました。出会ってからは、すぐに本山は誕生地は東海市の富田と確定されます。地元の良忍探しの熱意を知り、間違いないと確信したからです。両者は意気投合し、昭和初年に、「良忍上人奉賛会」を立ち上げ、これ以降今日まで、良忍上人誕生の寺宝珠寺において、3月1日に、本山の僧侶を東海市の仏教会が迎え、読経を交換する形で「良忍上人奉賛会」を実行しています。

 意気投合と言いましたが、酒の場での意気投合ではなく、本山からは融通念仏宗の宗旨の講演や寺宝の展示があり、地元の研究者からは宝珠寺や富田村の文化・歴史の報告があり、この交流の上での投合で、宗派は違えども(宝珠寺は曹洞宗)、仏教文化向上のために頑張ろうということで、「良忍上人奉賛会」は開催されるようになったのでした。