南ベルギーの美食の村 デュルビュイ(ベルギー)
ヨーロッパにスケッチ旅行に行き始めて10年が経ったころ、スマホが普及し相手国のSIMカードを入れれば自分の携帯を世界中持ち歩けるようになってきました。パソコンを持ち歩かなくても世界中ナビゲーションしてくれるアプリや複数のメールアカウントも管理できたり海外通話も簡単にできます。計画の段階で、行先の情報をあらかじめ予習していくこともできるようになってきました。それまでは、同行の師匠の訪れたことのあるところばかりだったのですが、この年初めてみんなが初めての国ベルギーに行くことになりました。
ベルギーは日本の九州ほどの国土に3つの公用語、7つの政府があり、世界遺産も多く、複雑な歴史背景から一つの国の中に様々な文化が育ったミステリアスな国と言えます。
北のフランドル地方と南のワロン地方では話す言語も違います。北ではフランス語とオランダ語、南ではドイツ語とフランス語、そして世界の共通語である英語も話すという3か国語を話すというのはベルギーでは普通のことのようです。私からしたら気の遠くなるような話ですが、看板を見ても本屋に行っても4つくらいの言語が並んでいるので小さいころから慣れていくのでしょうね。
ベルギーといえば、街中が世界遺産のブルージュが有名なのですが、そこも踏まえつつ行ってみたい小さな町がありました。それはベルギーのちょうど中ほど、ワロン地方のリュクサンブール州にあるしばしば「世界で一番小さな町」と呼ばれるデュルビュイという村です(写真①)。デュルビュイの町と呼ばれる面積はたった2ヘクタールほど。そんな山奥の小さな町に多くの人が足を運ぶのは、深い森の中にひっそりと佇む、この町が中世から持つ変わらない美しさが多くの人の興味を惹きつけているからなんです。
ブリュッセル空港でレンタカーを借り高速道路経由で約2時間、貸別荘はひっそりと建つ4階建ての邸宅の2階部分を改装してありました(写真②)。迎えたオーナー夫婦は一階に住んで、とても親切にしてくれました(余談ですが、日本人はどこの国に行っても尊敬とともにフレンドリーに接してくれる気がします)。
この村は公共交通機関の足が悪く、ツアーかレンタカーでしかなかなか来られないところです。しかし日本とのつながりは深く羽生市と姉妹都市を提携されていますし現在の天皇皇后両陛下が皇太子時代に訪問されたことでも有名になりました。
石造りの村は中世の面影そのままに白い壁にグレーの屋根に統一された品の良い家々がくねくねした細い石畳の路地に肩を並べて密集しています。真ん中に流れるのはウルト川。対岸から望むウルセラ城の眺めは、美しかったです(写真③、④)。
村から160段の階段を登ると村が一望できる展望台に出ます、ここから周りを深い森に囲まれ、白い壁を夕陽に照らされた村は、タイムマシンに乗って中世に戻ったかのようでした(写真⑤)。
2日目の夕方、スケッチから戻ると階段に焼き立てのベルギーワッフルがおいてあります。オーナーの奥さんが焼いてくださったものでした。窓から見えるウルセラ城を見ながら、一同舌鼓を打ちました。彼女自身も絵が趣味で壁には彼女の描いた静物画が飾ってありました。ぜひ見せてくれというので私のスケッチを見せたらとても喜んで、貸別荘のレビューの中でほめてくれていました。
6日目の最後の日、節約のためにずっと自炊の私たちが、「この村はジビエを含めて美食の村と聞いていますが、私たちでも気兼ねなく食べられるレストランがありますか?」と聞いたところ、予約もしてくれて、店の人に事情も話してくれて、帰りに突然の雨に困っていたら、今度は店の人が連絡してくれて、彼女が車で迎えに来てくれたんです。おかげで私たちは地元で有名な料理を食べることができました(食べるのに夢中で撮影をし忘れる)。
どこまでも慎み深く、心根も親切で美しい村でした。
2022新春ポン・デ・ザール展出品作「oasis」 油彩 F50( 写真⑥)
コロナ禍の中でひとときの安らぎを覚える絵を‥と思いフランスのコロンジュラルージュの村をモデルにして桃源郷のように描いてみました。
Copyright©2003-2017 Akai Newspaper dealer
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・『新・現代家庭考』 就職130 ・私の出会った作品68 ・この指とまれ311 ・長澤晶子のSPEED★COOKING!
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南ベルギーの美食の村
デュルビュイ(ベルギー)
ヨーロッパにスケッチ旅行に行き始めて10年が経ったころ、スマホが普及し相手国のSIMカードを入れれば自分の携帯を世界中持ち歩けるようになってきました。パソコンを持ち歩かなくても世界中ナビゲーションしてくれるアプリや複数のメールアカウントも管理できたり海外通話も簡単にできます。計画の段階で、行先の情報をあらかじめ予習していくこともできるようになってきました。それまでは、同行の師匠の訪れたことのあるところばかりだったのですが、この年初めてみんなが初めての国ベルギーに行くことになりました。
ベルギーは日本の九州ほどの国土に3つの公用語、7つの政府があり、世界遺産も多く、複雑な歴史背景から一つの国の中に様々な文化が育ったミステリアスな国と言えます。
北のフランドル地方と南のワロン地方では話す言語も違います。北ではフランス語とオランダ語、南ではドイツ語とフランス語、そして世界の共通語である英語も話すという3か国語を話すというのはベルギーでは普通のことのようです。私からしたら気の遠くなるような話ですが、看板を見ても本屋に行っても4つくらいの言語が並んでいるので小さいころから慣れていくのでしょうね。
ベルギーといえば、街中が世界遺産のブルージュが有名なのですが、そこも踏まえつつ行ってみたい小さな町がありました。それはベルギーのちょうど中ほど、ワロン地方のリュクサンブール州にあるしばしば「世界で一番小さな町」と呼ばれるデュルビュイという村です(写真①)。デュルビュイの町と呼ばれる面積はたった2ヘクタールほど。そんな山奥の小さな町に多くの人が足を運ぶのは、深い森の中にひっそりと佇む、この町が中世から持つ変わらない美しさが多くの人の興味を惹きつけているからなんです。
ブリュッセル空港でレンタカーを借り高速道路経由で約2時間、貸別荘はひっそりと建つ4階建ての邸宅の2階部分を改装してありました(写真②)。迎えたオーナー夫婦は一階に住んで、とても親切にしてくれました(余談ですが、日本人はどこの国に行っても尊敬とともにフレンドリーに接してくれる気がします)。
この村は公共交通機関の足が悪く、ツアーかレンタカーでしかなかなか来られないところです。しかし日本とのつながりは深く羽生市と姉妹都市を提携されていますし現在の天皇皇后両陛下が皇太子時代に訪問されたことでも有名になりました。
石造りの村は中世の面影そのままに白い壁にグレーの屋根に統一された品の良い家々がくねくねした細い石畳の路地に肩を並べて密集しています。真ん中に流れるのはウルト川。対岸から望むウルセラ城の眺めは、美しかったです(写真③、④)。
村から160段の階段を登ると村が一望できる展望台に出ます、ここから周りを深い森に囲まれ、白い壁を夕陽に照らされた村は、タイムマシンに乗って中世に戻ったかのようでした(写真⑤)。
2日目の夕方、スケッチから戻ると階段に焼き立てのベルギーワッフルがおいてあります。オーナーの奥さんが焼いてくださったものでした。窓から見えるウルセラ城を見ながら、一同舌鼓を打ちました。彼女自身も絵が趣味で壁には彼女の描いた静物画が飾ってありました。ぜひ見せてくれというので私のスケッチを見せたらとても喜んで、貸別荘のレビューの中でほめてくれていました。
6日目の最後の日、節約のためにずっと自炊の私たちが、「この村はジビエを含めて美食の村と聞いていますが、私たちでも気兼ねなく食べられるレストランがありますか?」と聞いたところ、予約もしてくれて、店の人に事情も話してくれて、帰りに突然の雨に困っていたら、今度は店の人が連絡してくれて、彼女が車で迎えに来てくれたんです。おかげで私たちは地元で有名な料理を食べることができました(食べるのに夢中で撮影をし忘れる)。
どこまでも慎み深く、心根も親切で美しい村でした。
2022新春ポン・デ・ザール展出品作「oasis」 油彩 F50( 写真⑥)
コロナ禍の中でひとときの安らぎを覚える絵を‥と思いフランスのコロンジュラルージュの村をモデルにして桃源郷のように描いてみました。