姪の就職2

 二人はアイスモナカをかじりながらオリンピックについて話し始めた。

「いよいよオリンピックですね」

「そうだな。だけど気の抜けたビールのようだね」

「今一つ盛り上がりませんね」

「政府はチューブとかいって、選手村は完全に隔離しているから安全だと強調していたが、選手しかもメダルの有力な選手がコロナに感染して脱落しているほか、関係者の感染も後を絶たない。これでは盛り上がらないよ」

「そうなると、日本は有利だから金メダルをこれまでにない個数を獲得すると予想していた専門家も多いですが、それも怪しいようですね」

「環境、条件的には有利に働くと見られているが、これで散々な結果に終わったら、後遺症は大きいね。だいたい、選手や関係者は来日する前にPCR検査を受け、ワクチン接種も済ましているはずだろう。それなのにポロポロと感染者が出てくるのは、IOC(国際オリンピック委員会)の責任も大きいと思うね。日本政府は苦言をよう言わないだろうな」

「そうでしょうね。テレビは毎日のようにオリンピックの中継をしてもりあげようとしていますが…」

「そらそうだろう。政府や東京都がオリンピックは自宅で鑑賞してほしいと言っているのに、テレビ放映がないと、大変な問題になるから当然、政府はテレビ局に要請していると思うね」

「これだけいっぺんにスポーツ番組を見せられても、食傷気味ですね」

「だから開会式と閉会式に加えて自分が興味のある競技を見れば十分だよ。ルールも知らないスポーツほど面白くないものはないだろう」

「そうですね」

「さぁ、そろそろ小説を読むよ」

「わかりました」

 真三は原稿に目を移した。

 その頃、片桐は浪華相銀で常務の役職にあった。初出の日の夕方、机の上のアイボリ色の電話機が鳴った。直通電話である。緊急の時か、この番号を知っている一部の者からしか、かかってこない。そう思いながら受話器をとると、妻の澤子からだった。「忠信さんが、夕べから行方不明だと、雅子さんから電話がありました」

 忠信は片桐の長男で雅子は忠信の妻である。

「わかった。心当たりを探すから帰りが遅くなるかもしれん」

 忠信は東京帝国大学工学部を卒業していた。片桐家のみならず千早赤阪村の自慢の帝大生である。(忠信の後にも先にも、この村からは東京帝大生は出ていない)という。

 片桐齊造にとっても大切な兄である。大阪市内の住吉に浪華相銀の寮があった。債権者や暴力団から追われている忠信をかくまっていた。忠信は毎日二、三回、雅子の実家に電話を入れていたので、雅子より父親の方が懸命に励ましていた。ところが、三日の夜からずっと電話がないというので不信に思い、澤子のところへ相談の電話が入ったらしい。

 忠信の居場所は、社長の藤田万吉と片桐しか知らない。独身寮は一人一部屋だが、当時から若者は長く居つかない。プライベートが大切だといって出ていくので空き部屋が多い。だから身を隠すには都合が良かった。

 この年、国民総生産(GNP)は、西ドイツを抜いてアメリカに次ぐ自由主義陣営二位にのし上がっていた。国内は長期にわたるいざなぎ景気に沸き、カー、クーラー、カラーテレビの三種の神器が飛ぶように売れていた。高度経済成長の絶頂期である。そういう時代にも地獄へ落ちていく人間はいる。

 忠信はこの日、昼からぶらりと外に出た。大阪・梅田の旭屋書店に立ち寄った。(そうだ。高校の数学の教師になって人生の再スタートをしよう)と、本を手にした。

 旭屋書店は当時、大阪一の本屋であった。忠信は棚から岩切晴二の参考書『数学Ⅲ』を手にしてパラパラとめくった。東京帝大を卒業して三十年近く経つが、(数学という学問だけはそう変わっていないだろう)と想像していた。

 忠信は本をめくるにしたがい、心臓が高鳴ってくるのを覚える。(ほとんど理解できそうもない)と思った。生きる道を断たれたと直感した。忠信はいつしか独身寮に戻っていた。

 仏教で人間には「無有愛」という欲望があるという。これを欲望というには、あまりにも残酷ではないか。いまの忠信にはそう思えてならない。

 片桐は寮の二階の203号室に近づいた。外は薄暗く、帰宅者の部屋からは明かりが漏れていた。203号室は静かで暗い。ドアーのノブを回すと開いた。そっと中に入った。ゆっくり部屋を見回す。暗闇に目が慣れてくるにしたがい、ぼうっと部屋の中のものが見えてくる。

 天井から一人の男がぶら下がっているではないか。片桐を息をのみ、すくんだ。そしてゆっくり男を見直した。(兄さん、忠信兄さん)と片桐はあわてて靴を脱ぎながら、忠信の足を抱きかかえ、天井の縄ひもから首をはずしたとたん、一緒に畳の上に倒れ込んだ。片桐は自分の身体が震えるのがわかるが、どうしても止まらない。そっと顔に手を触れると冷たい。部屋の電気をつけた。目と鼻から血の混じった体液がにじみ出ている。ズボンが小便を漏らしたのか濡れている。

 首を吊ると、動脈まで締まる。専門的に言うと、定型縊死と非定型縊死の二つがある。定型縊死は顔に縊血点、縊血班はできないが、血液が流れないので真っ青になる。非定型縊死は足が床に着いた場合、首の締まり方が緩いので、顔は赤くむくんだようになる。忠信は定型縊死の方である。首吊りは安楽死だと言われる。今でも自殺の中では多く、日本が絞殺刑を採用しているのも、すぐ意識を失い楽に死ねるからだといわれる。

 忠信はそんなことを知ってか知らずか、とにかく首吊りによって死の道を選んだ。死体のそばにひざまずいた片桐は自分の心臓が一瞬、凍るような気分に襲われた。

 しばらく呆然としていたが、すぐ気を取り直し、管理人の部屋から藤田万吉と妻の澤子に電話を入れた。自殺した場合、警察に連絡しなければならない。医学的所見が必要である。その方は管理人に頼んだ。不自然な死に方だと、検視官が警察医か監察医(大阪市にはこの制度がある)に連絡して検案してもらい死体検案書を作成してもらう。この書類をもらって埋葬か仮葬をする。ただ、司法解剖する場合は、裁判所から令状をとらなければならない。忠信について片桐の説明ですぐ自殺と断定された。(もうしばらく辛抱したら、債務のメドがつくというのに、なんで死んでしまうんや)、警察に説明を終えたとたん、死体のそばで呆然となり、ついには大声をあげて泣いた。

 千早村の片桐の家は三百数十年は続いている。孫の久嗣が千早小学校三年の時、学校で「昔の時代」を勉強するというので、家の旧いものを調べなさいと先生が宿題を出したので、母親と蔵に入り奥から医学書など典籍の詰まった箱を引っ張り出してきた。片桐も蔵には何度も入っているが、母親から葬式の用具類を納めた奥は触らないように言われてきたので、その通り守ってきた。孫はそんなことはつゆ知らずに、宝の箱を見つけた。三百数十年前の医学書など約二百冊の本が保存されていたのである。

 調査を依頼された平安博物館長の角田文衛は(この家の系譜は江戸時代以降は明らかに知り得る。それ以前の歴史は同家所蔵の文献によって知ることはできないが、家名によって出自は推断できる)と語った。それによると、紀伊国有田郡の保田山城守の親族で、それは清和源氏多田流の源頼光の末裔にあたる家柄であるという。そうしてこう付け加えた。河内国の山地においてそれぞれ独自の支配領域を確保していた楠木・湯浅両党の武将たちに伍して片桐一族も、南朝方として奮戦していたに相違ないとも話した。

 見つかった典籍には、江戸時代の初期以来の往来物を中心とした版本類と遺書に属する写本、版本がある。家が高所にあったので、乾燥しており保存できたのだろうとも言った。イチョウの葉を防虫剤に使っていたとみえ、本の間から年号を示した黄茶色のイチョウの葉が何枚も出てきた。蔵書の中で『聖徳太子伝』(十冊)が最高の値打ちがあるという。

 これは聖徳太子の一代記を絵入りで版本として出版した最初のものだ。片桐家の先祖は医師を百年ほど続けたあと、二百数十年間は林業に携わり金剛山の麓に杉やヒノキを植樹して生計を立ててきた。

 ここまで読んだところでるり子が書斎にお茶を運んできた。

 

■岡田 清治プロフィール

1942年生まれ ジャーナリスト

(編集プロダクション・NET108代表)

著書に『高野山開創千二百年 いっぱんさん行状記』『心の遺言』『あなたは社員の全能力を引き出せますか!』『リヨンで見た虹』など多数

※この物語に対する読者の方々のコメント、体験談を左記のFAXかメールでお寄せください。

今回は「就職」「日本のゆくえ」「結婚」「夫婦」「インド」「愛知県」についてです。物語が進行する中で織り込むことを試み、一緒に考えます。

FAX‥0569―34―7971

メール‥takamitsu@akai-shinbunten.net

 

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 二人はアイスモナカをかじりながらオリンピックについて話し始めた。

「いよいよオリンピックですね」

「そうだな。だけど気の抜けたビールのようだね」

「今一つ盛り上がりませんね」

「政府はチューブとかいって、選手村は完全に隔離しているから安全だと強調していたが、選手しかもメダルの有力な選手がコロナに感染して脱落しているほか、関係者の感染も後を絶たない。これでは盛り上がらないよ」

「そうなると、日本は有利だから金メダルをこれまでにない個数を獲得すると予想していた専門家も多いですが、それも怪しいようですね」

「環境、条件的には有利に働くと見られているが、これで散々な結果に終わったら、後遺症は大きいね。だいたい、選手や関係者は来日する前にPCR検査を受け、ワクチン接種も済ましているはずだろう。それなのにポロポロと感染者が出てくるのは、IOC(国際オリンピック委員会)の責任も大きいと思うね。日本政府は苦言をよう言わないだろうな」

「そうでしょうね。テレビは毎日のようにオリンピックの中継をしてもりあげようとしていますが…」

「そらそうだろう。政府や東京都がオリンピックは自宅で鑑賞してほしいと言っているのに、テレビ放映がないと、大変な問題になるから当然、政府はテレビ局に要請していると思うね」

「これだけいっぺんにスポーツ番組を見せられても、食傷気味ですね」

「だから開会式と閉会式に加えて自分が興味のある競技を見れば十分だよ。ルールも知らないスポーツほど面白くないものはないだろう」

「そうですね」

「さぁ、そろそろ小説を読むよ」

「わかりました」

 真三は原稿に目を移した。

 その頃、片桐は浪華相銀で常務の役職にあった。初出の日の夕方、机の上のアイボリ色の電話機が鳴った。直通電話である。緊急の時か、この番号を知っている一部の者からしか、かかってこない。そう思いながら受話器をとると、妻の澤子からだった。「忠信さんが、夕べから行方不明だと、雅子さんから電話がありました」

 忠信は片桐の長男で雅子は忠信の妻である。

「わかった。心当たりを探すから帰りが遅くなるかもしれん」

 忠信は東京帝国大学工学部を卒業していた。片桐家のみならず千早赤阪村の自慢の帝大生である。(忠信の後にも先にも、この村からは東京帝大生は出ていない)という。

 片桐齊造にとっても大切な兄である。大阪市内の住吉に浪華相銀の寮があった。債権者や暴力団から追われている忠信をかくまっていた。忠信は毎日二、三回、雅子の実家に電話を入れていたので、雅子より父親の方が懸命に励ましていた。ところが、三日の夜からずっと電話がないというので不信に思い、澤子のところへ相談の電話が入ったらしい。

 忠信の居場所は、社長の藤田万吉と片桐しか知らない。独身寮は一人一部屋だが、当時から若者は長く居つかない。プライベートが大切だといって出ていくので空き部屋が多い。だから身を隠すには都合が良かった。

 この年、国民総生産(GNP)は、西ドイツを抜いてアメリカに次ぐ自由主義陣営二位にのし上がっていた。国内は長期にわたるいざなぎ景気に沸き、カー、クーラー、カラーテレビの三種の神器が飛ぶように売れていた。高度経済成長の絶頂期である。そういう時代にも地獄へ落ちていく人間はいる。

 忠信はこの日、昼からぶらりと外に出た。大阪・梅田の旭屋書店に立ち寄った。(そうだ。高校の数学の教師になって人生の再スタートをしよう)と、本を手にした。

 旭屋書店は当時、大阪一の本屋であった。忠信は棚から岩切晴二の参考書『数学Ⅲ』を手にしてパラパラとめくった。東京帝大を卒業して三十年近く経つが、(数学という学問だけはそう変わっていないだろう)と想像していた。

 忠信は本をめくるにしたがい、心臓が高鳴ってくるのを覚える。(ほとんど理解できそうもない)と思った。生きる道を断たれたと直感した。忠信はいつしか独身寮に戻っていた。

 仏教で人間には「無有愛」という欲望があるという。これを欲望というには、あまりにも残酷ではないか。いまの忠信にはそう思えてならない。

 片桐は寮の二階の203号室に近づいた。外は薄暗く、帰宅者の部屋からは明かりが漏れていた。203号室は静かで暗い。ドアーのノブを回すと開いた。そっと中に入った。ゆっくり部屋を見回す。暗闇に目が慣れてくるにしたがい、ぼうっと部屋の中のものが見えてくる。

 天井から一人の男がぶら下がっているではないか。片桐を息をのみ、すくんだ。そしてゆっくり男を見直した。(兄さん、忠信兄さん)と片桐はあわてて靴を脱ぎながら、忠信の足を抱きかかえ、天井の縄ひもから首をはずしたとたん、一緒に畳の上に倒れ込んだ。片桐は自分の身体が震えるのがわかるが、どうしても止まらない。そっと顔に手を触れると冷たい。部屋の電気をつけた。目と鼻から血の混じった体液がにじみ出ている。ズボンが小便を漏らしたのか濡れている。

 首を吊ると、動脈まで締まる。専門的に言うと、定型縊死と非定型縊死の二つがある。定型縊死は顔に縊血点、縊血班はできないが、血液が流れないので真っ青になる。非定型縊死は足が床に着いた場合、首の締まり方が緩いので、顔は赤くむくんだようになる。忠信は定型縊死の方である。首吊りは安楽死だと言われる。今でも自殺の中では多く、日本が絞殺刑を採用しているのも、すぐ意識を失い楽に死ねるからだといわれる。

 忠信はそんなことを知ってか知らずか、とにかく首吊りによって死の道を選んだ。死体のそばにひざまずいた片桐は自分の心臓が一瞬、凍るような気分に襲われた。

 しばらく呆然としていたが、すぐ気を取り直し、管理人の部屋から藤田万吉と妻の澤子に電話を入れた。自殺した場合、警察に連絡しなければならない。医学的所見が必要である。その方は管理人に頼んだ。不自然な死に方だと、検視官が警察医か監察医(大阪市にはこの制度がある)に連絡して検案してもらい死体検案書を作成してもらう。この書類をもらって埋葬か仮葬をする。ただ、司法解剖する場合は、裁判所から令状をとらなければならない。忠信について片桐の説明ですぐ自殺と断定された。(もうしばらく辛抱したら、債務のメドがつくというのに、なんで死んでしまうんや)、警察に説明を終えたとたん、死体のそばで呆然となり、ついには大声をあげて泣いた。

 千早村の片桐の家は三百数十年は続いている。孫の久嗣が千早小学校三年の時、学校で「昔の時代」を勉強するというので、家の旧いものを調べなさいと先生が宿題を出したので、母親と蔵に入り奥から医学書など典籍の詰まった箱を引っ張り出してきた。片桐も蔵には何度も入っているが、母親から葬式の用具類を納めた奥は触らないように言われてきたので、その通り守ってきた。孫はそんなことはつゆ知らずに、宝の箱を見つけた。三百数十年前の医学書など約二百冊の本が保存されていたのである。

 調査を依頼された平安博物館長の角田文衛は(この家の系譜は江戸時代以降は明らかに知り得る。それ以前の歴史は同家所蔵の文献によって知ることはできないが、家名によって出自は推断できる)と語った。それによると、紀伊国有田郡の保田山城守の親族で、それは清和源氏多田流の源頼光の末裔にあたる家柄であるという。そうしてこう付け加えた。河内国の山地においてそれぞれ独自の支配領域を確保していた楠木・湯浅両党の武将たちに伍して片桐一族も、南朝方として奮戦していたに相違ないとも話した。

 見つかった典籍には、江戸時代の初期以来の往来物を中心とした版本類と遺書に属する写本、版本がある。家が高所にあったので、乾燥しており保存できたのだろうとも言った。イチョウの葉を防虫剤に使っていたとみえ、本の間から年号を示した黄茶色のイチョウの葉が何枚も出てきた。蔵書の中で『聖徳太子伝』(十冊)が最高の値打ちがあるという。

 これは聖徳太子の一代記を絵入りで版本として出版した最初のものだ。片桐家の先祖は医師を百年ほど続けたあと、二百数十年間は林業に携わり金剛山の麓に杉やヒノキを植樹して生計を立ててきた。

 ここまで読んだところでるり子が書斎にお茶を運んできた。