美浜町小野浦出身の、尾州廻船の水主(かこ・雑役係)であった音吉をどう評価したらいいのでしょうか。

 その前に、音吉はどういう人であったのでしょうか。

 江戸時代の末期、12歳の時に、尾州廻船の宝順丸に水主として乗船し、台風に遭い、北太平洋を14ヶ月漂流し北アメリカ大陸に漂着。イギリス商船に救助されロンドンに送られ、その後、日本に送還されるも、日本の理不尽な鎖国政策のために帰国できず、異国で生涯を終えますが、その異国の地で、宣教師ギュツラフと出会い、彼の日本語訳聖書に協力して、本邦初の日本語聖書を完成させたり、本人は帰国できなかったけれど、にもかかわらず、他の漂流民たちの帰国を手助けし、帰国させたり、その後も誠実に生き抜き、イギリスの市民権を得、イギリス市民の称号を得て、生涯を終えます。

 こういうことですので、音吉には以下のような評価が寄せられています。

①理不尽の中、漂流民として生き抜いた人という評価

②本邦初訳の日本語聖書に協力した人という評価

③自分の理不尽な境遇を顧みず、他の漂流民たちの帰国に尽力した人という評価

④異国の地で良心に生き、イギリスの市民権を得て生涯を終えた人という評価

 これらの評価はどれも正しく素晴らしいものです。それゆえ、私が冒頭に掲げたどう評価したらいいのでしょうか」という疑問形は、これらの評価は間違っているという意味ではありません。もっと高い評価が可能ではないかという疑問形です。

 思い出してください。自分は何も悪いことをしてないのに、台風に遭い漂流し外国の地に漂着しただけで、帰国の許されない理不尽さについて。人間不信に陥ったと思います。人間信頼への挫折を味わったはずです。しかし③④の評価を見てください。音吉は人間信頼の実践をしているのです。何が音吉をしてこうさせたのでしょうか。これが解明されて、なるがゆえに音吉は③④を実践するに至ったと理解できれば、音吉評価は当然高くなります。こんな思いからの疑問形です。

 私は、この解明の鍵は、ギュツラフの聖書和訳に協力する中で生まれた音吉の思想的陶冶にあるとにらみをつけています。しかしそのギュツラフ聖書の原本がどこにあるのかが分からなかったので、所在判明まで静観を決め込んでいました。しかしその原本が突然に美浜町の図書館に出現したのでした。突然は私の目に突然だっただけで、美浜町の地道な努力がこれを可能にしたのでした。前世紀末から今世紀初頭の15年の間、音吉を町の顔にしようと美浜町はミュージカルをつくったり、音吉と関係ある国との交流を進めたりしましたが、その一方で、音吉に関する資料や書籍の蒐集につとめました。そのおかげで私とギュツラフ聖書の出会いが可能となったという次第です。

 早速、ギュツラフ聖書を読むことにしました。予測どおり、音吉はギュツラフに協力する中で、自らの思想を陶冶させていることが分かりました。詳述は後で。

 原本はピアソン会からは1999年に、日本聖書協会からは2006年に発行されました。両著の原本は同じものですが、それぞれに解説や説明書きが付されていて、大変貴重なものになっています。原本のギュツラフ聖書は全文カタカナ書きです。

 私は解説と説明書きを頼りにしながら、カタカナ聖書(ギュツラフ聖書)の現代語訳に努めています。今年中には本として出版するつもりです。少し脱線しますが、この本を紹介することにします。今書いているこの文は、この本の予告編的なものになりますので。

 

Copyright©2003-2017 Akai Newspaper dealer

プライバシーポリシー

あかい新聞店・常滑店

新聞■折込広告取扱■求人情報■ちたろまん■中部国際空港配送業務

電話:0569-35-2861

 

あかい新聞店・武豊店

電話:0569-72-0356

あかい新聞店・常滑店

新聞■折込広告取扱■求人情報■ちたろまん■中部国際空港配送業務

電話:0569-35-2861

あかい新聞店・武豊店

電話:0569-72-0356

 

Copyright©2003-2017 Akai Newspaper dealer

プライバシーポリシー

 美浜町小野浦出身の、尾州廻船の水主(かこ・雑役係)であった音吉をどう評価したらいいのでしょうか。

 その前に、音吉はどういう人であったのでしょうか。

 江戸時代の末期、12歳の時に、尾州廻船の宝順丸に水主として乗船し、台風に遭い、北太平洋を14ヶ月漂流し北アメリカ大陸に漂着。イギリス商船に救助されロンドンに送られ、その後、日本に送還されるも、日本の理不尽な鎖国政策のために帰国できず、異国で生涯を終えますが、その異国の地で、宣教師ギュツラフと出会い、彼の日本語訳聖書に協力して、本邦初の日本語聖書を完成させたり、本人は帰国できなかったけれど、にもかかわらず、他の漂流民たちの帰国を手助けし、帰国させたり、その後も誠実に生き抜き、イギリスの市民権を得、イギリス市民の称号を得て、生涯を終えます。

 こういうことですので、音吉には以下のような評価が寄せられています。

①理不尽の中、漂流民として生き抜いた人という 評価

②本邦初訳の日本語聖書に協力した人という評価

③自分の理不尽な境遇を顧みず、他の漂流民たちの帰国に尽力した人という評価

④異国の地で良心に生き、イギリスの市民権を得て生涯を終えた人という評価

 これらの評価はどれも正しく素晴らしいものです。それゆえ、私が冒頭に掲げたどう評価したらいいのでしょうか」という疑問形は、これらの評価は間違っているという意味ではありません。もっと高い評価が可能ではないかという疑問形です。

 思い出してください。自分は何も悪いことをしてないのに、台風に遭い漂流し外国の地に漂着しただけで、帰国の許されない理不尽さについて。人間不信に陥ったと思います。人間信頼への挫折を味わったはずです。しかし③④の評価を見てください。音吉は人間信頼の実践をしているのです。何が音吉をしてこうさせたのでしょうか。これが解明されて、なるがゆえに音吉は③④を実践するに至ったと理解できれば、音吉評価は当然高くなります。こんな思いからの疑問形です。

 私は、この解明の鍵は、ギュツラフの聖書和訳に協力する中で生まれた音吉の思想的陶冶にあるとにらみをつけています。しかしそのギュツラフ聖書の原本がどこにあるのかが分からなかったので、所在判明まで静観を決め込んでいました。しかしその原本が突然に美浜町の図書館に出現したのでした。突然は私の目に突然だっただけで、美浜町の地道な努力がこれを可能にしたのでした。前世紀末から今世紀初頭の15年の間、音吉を町の顔にしようと美浜町はミュージカルをつくったり、音吉と関係ある国との交流を進めたりしましたが、その一方で、音吉に関する資料や書籍の蒐集につとめました。そのおかげで私とギュツラフ聖書の出会いが可能となったという次第です。

 早速、ギュツラフ聖書を読むことにしました。予測どおり、音吉はギュツラフに協力する中で、自らの思想を陶冶させていることが分かりました。詳述は後で。

 原本はピアソン会からは1999年に、日本聖書協会からは2006年に発行されました。両著の原本は同じものですが、それぞれに解説や説明書きが付されていて、大変貴重なものになっています。原本のギュツラフ聖書は全文カタカナ書きです。

 私は解説と説明書きを頼りにしながら、カタカナ聖書(ギュツラフ聖書)の現代語訳に努めています。今年中には本として出版するつもりです。少し脱線しますが、この本を紹介することにします。今書いているこの文は、この本の予告編的なものになりますので。