姪の就職2

 るり子が書斎を出た後で、真三はいささか不確かなことを言ったことを後悔した。政府の言う、ワクチン接種について努力義務という言い方に引かかったのだ。とりわけ「義務」という言葉だ。これには義務教育と同じように「ねばならない」という命令の意味合いがあるように感じる。緊急事態宣言を発出するときも自粛要請と穏便な言葉だったのに、接種については努力がついているとはいえ、義務だと断言しているのだ。権力が義務を課すときは絶対服従と思わざるを得まい。義務違反には当然、ペナルティがあるだろうと想像する。

 ようやく小説の世界に戻る気になった。

 浪華相銀から送り込んだ常務の森山淳は山城相銀の副社長に就任していたが、和歌山の橋本市内から運転手付きの社有車で通っていた。しかし、京都の本店には行かないで、山城相銀の大阪支店にも副社長室をつくらせ、そこで一日過ごすのが日課となる。二年後、M国会議員に代わって社長に就任しても、副社長時代と同じ行動パターンを続けていた。浪華相銀に人材を要請、専務に阿倍野支店長の橋本雄二、常務に十三支店長の山上信二をはじめ、計七人の人材を送り込んでいた。大阪支店の社長室で電話報告を受け、時には呼び寄せて状況を把握していた。月に一回の役員会と常務会が開かれる日だけ、京都本店の社長室に入った。

「どうかね。ハーさんは相変わらず居座っているのかね」

 本店社長室でまず、原三郎の動静を社長の森山淳は聞くのが常であった。

「困ったものです。十条温泉になぜ融資しないのだと、西大路支店長を朝から呼びつけ怒鳴っているんです」

「十条温泉というのは、なんだね」

「いま流行している薬湯湯の風呂屋なんですが、設備にカネをかけた割には、薬効の効果がないらしくお客が思ったより入らないようなんです」

「それで…」

「借金して建設しましたので、建物も土地も他行の担保に取られていて全くないのに、五千万円融資しろというのです」

「それでその風呂屋の経営者はどのような人物なんだね」

「それがよくわからないんですが、原会計事務所が以前から面倒をみてきているようです。原と親しいというのです。見るからに暴力団風なんで、西大路支店長が断わり続けているのですが、今朝は、原がものすごい剣幕で怒鳴っているのです。私も呼ばれ、今日の役員会で決めるというのですが…」

「君からうまく断っておいてくれたまえ、橋本君」

「はい。でも…」

「でもも、なにもないだろう。損と知って貸したら背任行為になるぐらいのことは君も知っているだろう」

 確かに西大路支店の担当者の話では十条温泉は閑古鳥が鳴いているという話である。再建のメドもないところへ、担保無しで貸すことは、明らかに背任行為で、大蔵省(現財務省)の監査で確実に引っかかる。そうなれば森山社長の責任問題になる心配がある。

「今回の融資はできません」

「なにー、できない」

「橋本専務、この原を怒らすとどうなるか、わからんよ。言っとくが、当行の株主総会が平穏に終わる保証はないよ」

「あまり脅かさないでくださいよ」

「一度、総務で原三郎名義の株式数を調べておくんだな。大株主のメンツにかけても融資はやってもらうからな。そんな人物を怒らしてもよいのか…。ようー考えておけ。森山社長にしっかり報告しろよ」

「どういうことですか。大株主というのは…」

「専務は何も知らんだろうが、もともとこの銀行の社長には儂の兄貴がなる予定だった。それが上田清吉に騙されたんや」

 橋本専務は「騙された」という言葉を聞いて足がすくんだ。原は十条温泉とぐるになって、山城相銀からカネをふんだくるための算段ではないのかと思ったからだ゙上げ足を取られる心配があった。それに戦前からの怨念があるという。

 原も毎晩のように祇園の料亭、クラブを豪遊していた。いつも若い女こを連れて歩いた。二人の後を総務部長の金山忠が追うように続いている。買い物、飲食代をサインしたり、時には支払ったりするためだ。この金山部長も部下の榊原にその動向を完全に掌握されている。金山の人生はひびの入った茶碗みたいなもので、元には戻らない。

 この日も、原は初子という四〇歳前後の黒髪で色白の痩せ型女を連れていた。北白川のブティックでコートを買った後、原と初子を後部座席に乗せた山城相銀の社長専用車は八坂神社を南へ100メートルばかり下がった八坂通りを右に折れ「河庄双園」に向かう。原と初子は金山部長や運転手を気にすることなく、ディープ・キスを繰り返している。

 この料亭の女将は京都の出だが、東京築地に本店を構え最近、京都に逆進出。店は土地ころがしで失敗した物件を東京の不動産屋が売りに出していたものだが、元の所有者は地方銀行頭取の屋敷だったと仲居が話していた。(昔の地銀の頭取ともなればたいしたものだ)と、原も妙に感心したことがあるが、それだけに内装にも実にカネがかかっている。

 料亭の玄関を入ると直立した裸婦の舞妓二人の大きな額絵が目に留まる。築地の本店の方に実物大の本物があるが、頼めば印刷にした絵を渡してくれる。それには石本正の「夏の終わり」とあるが、裸婦の舞妓とは珍しい。

 ここの料亭は京の名士たちがよく使う。黒幕(フィクサー)といわれる人物も、夜の会合の大半はここだという。

 原三郎もここが気に入っている。

「秋元登は来るんだな」

「間違いなく来ます」

 秋元登は山城相銀の営業部長である。

 原が労働組合と対決した日の夕方、原の自宅を訪問した管理職の一人。その時は舞鶴支店の支店長だったが、原の口ききでトップ級の支店である京都駅前支店長になり、つい最近、営業部長に昇格とトントン拍子の出世である。あまりのスピード出世に秋元の方が恐れをなしていた。しかし、一方で浪華相銀が筆頭株主なってから生え抜き行員に上のポストがなくなっている。

(自分は下積みが長く、出世のチャンスにも恵まれなかった。ようやく部長に手が届くというときに、上田社長が浪華相銀に身売りした。地方支店に飛ばされ千載一遇のチャンスを失った)と思い込んだ。だからあの日、仲間を裏切って原のところへ走った。いまではこれぐらい出世しても当たり前だと開き直る気持ちも持ち合わせている。原からはその後、二、三回、行員や退職者からもっと株式を集めろと言われた程度でとくに難題を持ちかけられていない。総務部長の金山忠から(原顧問が会いたいという)電話があった。久しぶりに原から声をかけられたが、用件は聞いていない。

 原は床の間を背に初子を右横に座らせ、初子の前に金山が座り、原の前の席は秋元にあけてある。相変わらず原と初子はいちゃついている。約束の時間より少し早かったが、もうすぐ来るだろうと仲居に酒と料理を運ばせた。三人の盃に酒が満たされた。ちょうどその時、秋元がすうっと現れた。

「遅くなってすみません。秋元、ただいま参上いたしました」

「秋元君か。今から始めようと思っていたところや。グッドタイミングじゃないか」

 料理が一通り運ばれ、酔いが少し回ってきた。初子が(化粧室に行く)と言って席を立った。

「秋元君、君は次の株主総会で取締役になるぞ。おめでとう。今日はその前祝じゃ」

「ええっ―。ほんまですか。金山部長…」

 隣の金山部長は絶句した。

「それは…」

「金山部長は次期役員候補の名前を書いておくように森社長からたのまれたのや。そこに秋元君、君の名前を書いてもらうよう儂から頼んだのや。秋元君、君からも頼むように今日、席に来てもらったのだ」

「重役になれるんですか。原顧問、一生恩にきます。ありがとうございます」

 金山は浪華相銀から送り込まれている。

 

■岡田 清治プロフィール

1942年生まれ ジャーナリスト

(編集プロダクション・NET108代表)

著書に『高野山開創千二百年 いっぱんさん行状記』『心の遺言』『あなたは社員の全能力を引き出せますか!』『リヨンで見た虹』など多数

※この物語に対する読者の方々のコメント、体験談を左記のFAXかメールでお寄せください。

今回は「就職」「日本のゆくえ」「結婚」「夫婦」「インド」「愛知県」についてです。物語が進行する中で織り込むことを試み、一緒に考えます。

FAX‥0569―34―7971

メール‥takamitsu@akai-shinbunten.net

 

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 るり子が書斎を出た後で、真三はいささか不確かなことを言ったことを後悔した。政府の言う、ワクチン接種について努力義務という言い方に引かかったのだ。とりわけ「義務」という言葉だ。これには義務教育と同じように「ねばならない」という命令の意味合いがあるように感じる。緊急事態宣言を発出するときも自粛要請と穏便な言葉だったのに、接種については努力がついているとはいえ、義務だと断言しているのだ。権力が義務を課すときは絶対服従と思わざるを得まい。義務違反には当然、ペナルティがあるだろうと想像する。

 ようやく小説の世界に戻る気になった。

 浪華相銀から送り込んだ常務の森山淳は山城相銀の副社長に就任していたが、和歌山の橋本市内から運転手付きの社有車で通っていた。しかし、京都の本店には行かないで、山城相銀の大阪支店にも副社長室をつくらせ、そこで一日過ごすのが日課となる。二年後、M国会議員に代わって社長に就任しても、副社長時代と同じ行動パターンを続けていた。浪華相銀に人材を要請、専務に阿倍野支店長の橋本雄二、常務に十三支店長の山上信二をはじめ、計七人の人材を送り込んでいた。大阪支店の社長室で電話報告を受け、時には呼び寄せて状況を把握していた。月に一回の役員会と常務会が開かれる日だけ、京都本店の社長室に入った。

「どうかね。ハーさんは相変わらず居座っているのかね」

 本店社長室でまず、原三郎の動静を社長の森山淳は聞くのが常であった。

「困ったものです。十条温泉になぜ融資しないのだと、西大路支店長を朝から呼びつけ怒鳴っているんです」

「十条温泉というのは、なんだね」

「いま流行している薬湯湯の風呂屋なんですが、設備にカネをかけた割には、薬効の効果がないらしくお客が思ったより入らないようなんです」

「それで…」

「借金して建設しましたので、建物も土地も他行の担保に取られていて全くないのに、五千万円融資しろというのです」

「それでその風呂屋の経営者はどのような人物なんだね」

「それがよくわからないんですが、原会計事務所が以前から面倒をみてきているようです。原と親しいというのです。見るからに暴力団風なんで、西大路支店長が断わり続けているのですが、今朝は、原がものすごい剣幕で怒鳴っているのです。私も呼ばれ、今日の役員会で決めるというのですが…」

「君からうまく断っておいてくれたまえ、橋本君」

「はい。でも…」

「でもも、なにもないだろう。損と知って貸したら背任行為になるぐらいのことは君も知っているだろう」

 確かに西大路支店の担当者の話では十条温泉は閑古鳥が鳴いているという話である。再建のメドもないところへ、担保無しで貸すことは、明らかに背任行為で、大蔵省(現財務省)の監査で確実に引っかかる。そうなれば森山社長の責任問題になる心配がある。

「今回の融資はできません」

「なにー、できない」

「橋本専務、この原を怒らすとどうなるか、わからんよ。言っとくが、当行の株主総会が平穏に終わる保証はないよ」

「あまり脅かさないでくださいよ」

「一度、総務で原三郎名義の株式数を調べておくんだな。大株主のメンツにかけても融資はやってもらうからな。そんな人物を怒らしてもよいのか…。ようー考えておけ。森山社長にしっかり報告しろよ」

「どういうことですか。大株主というのは…」

「専務は何も知らんだろうが、もともとこの銀行の社長には儂の兄貴がなる予定だった。それが上田清吉に騙されたんや」

 橋本専務は「騙された」という言葉を聞いて足がすくんだ。原は十条温泉とぐるになって、山城相銀からカネをふんだくるための算段ではないのかと思ったからだ゙上げ足を取られる心配があった。それに戦前からの怨念があるという。

 原も毎晩のように祇園の料亭、クラブを豪遊していた。いつも若い女こを連れて歩いた。二人の後を総務部長の金山忠が追うように続いている。買い物、飲食代をサインしたり、時には支払ったりするためだ。この金山部長も部下の榊原にその動向を完全に掌握されている。金山の人生はひびの入った茶碗みたいなもので、元には戻らない。

 この日も、原は初子という四〇歳前後の黒髪で色白の痩せ型女を連れていた。北白川のブティックでコートを買った後、原と初子を後部座席に乗せた山城相銀の社長専用車は八坂神社を南へ100メートルばかり下がった八坂通りを右に折れ「河庄双園」に向かう。原と初子は金山部長や運転手を気にすることなく、ディープ・キスを繰り返している。

 この料亭の女将は京都の出だが、東京築地に本店を構え最近、京都に逆進出。店は土地ころがしで失敗した物件を東京の不動産屋が売りに出していたものだが、元の所有者は地方銀行頭取の屋敷だったと仲居が話していた。(昔の地銀の頭取ともなればたいしたものだ)と、原も妙に感心したことがあるが、それだけに内装にも実にカネがかかっている。

 料亭の玄関を入ると直立した裸婦の舞妓二人の大きな額絵が目に留まる。築地の本店の方に実物大の本物があるが、頼めば印刷にした絵を渡してくれる。それには石本正の「夏の終わり」とあるが、裸婦の舞妓とは珍しい。

 ここの料亭は京の名士たちがよく使う。黒幕(フィクサー)といわれる人物も、夜の会合の大半はここだという。

 原三郎もここが気に入っている。

「秋元登は来るんだな」

「間違いなく来ます」

 秋元登は山城相銀の営業部長である。

 原が労働組合と対決した日の夕方、原の自宅を訪問した管理職の一人。その時は舞鶴支店の支店長だったが、原の口ききでトップ級の支店である京都駅前支店長になり、つい最近、営業部長に昇格とトントン拍子の出世である。あまりのスピード出世に秋元の方が恐れをなしていた。しかし、一方で浪華相銀が筆頭株主なってから生え抜き行員に上のポストがなくなっている。

(自分は下積みが長く、出世のチャンスにも恵まれなかった。ようやく部長に手が届くというときに、上田社長が浪華相銀に身売りした。地方支店に飛ばされ千載一遇のチャンスを失った)と思い込んだ。だからあの日、仲間を裏切って原のところへ走った。いまではこれぐらい出世しても当たり前だと開き直る気持ちも持ち合わせている。原からはその後、二、三回、行員や退職者からもっと株式を集めろと言われた程度でとくに難題を持ちかけられていない。総務部長の金山忠から(原顧問が会いたいという)電話があった。久しぶりに原から声をかけられたが、用件は聞いていない。

 原は床の間を背に初子を右横に座らせ、初子の前に金山が座り、原の前の席は秋元にあけてある。相変わらず原と初子はいちゃついている。約束の時間より少し早かったが、もうすぐ来るだろうと仲居に酒と料理を運ばせた。三人の盃に酒が満たされた。ちょうどその時、秋元がすうっと現れた。

「遅くなってすみません。秋元、ただいま参上いたしました」

「秋元君か。今から始めようと思っていたところや。グッドタイミングじゃないか」

 料理が一通り運ばれ、酔いが少し回ってきた。初子が(化粧室に行く)と言って席を立った。

「秋元君、君は次の株主総会で取締役になるぞ。おめでとう。今日はその前祝じゃ」

「ええっ―。ほんまですか。金山部長…」

 隣の金山部長は絶句した。

「それは…」

「金山部長は次期役員候補の名前を書いておくように森社長からたのまれたのや。そこに秋元君、君の名前を書いてもらうよう儂から頼んだのや。秋元君、君からも頼むように今日、席に来てもらったのだ」

「重役になれるんですか。原顧問、一生恩にきます。ありがとうございます」

 金山は浪華相銀から送り込まれている。