今回は、盛田昭夫と平岩外四の出会い、及び平岩外四における共生の経営論の開花の模様を見ることにします。

 しかしその前に、両者が出会った時代の時代背景の復習をしておきます。

 この時代は、日本経済が世界から「集中豪雨的輸出」と批判されていた時代ですが、同時に世界経済の中には、マネタリズム(儲け主義)の新自由主義が台頭してきた時代でもありました。経済システムを破壊するものとして。だから日本経済には、この集中豪雨的輸出という批判に正しく対処しつつ、同時に新自由主義の破壊主義を克服して、資本主義を守るという課題が課されていたのでした。フェアな技術で競争する資本主義を守る。

 こういう課題のある中で、二人は経団連で出会いました。盛田昭夫は経団連副会長として、1986年から1992年の間在任。平岩外四は経団連副会長に1978年から1990年の間在任し、更に経団連会長として1990年より1994年まで在任。

 私は、平岩は盛田との出会いの中で、共生の経営論を形成させてきたと言いますが、本当の所は分かりません。しかし、この出会いの中で平岩の企業論が道徳論から共生の経営論に発展していることを見ると、あながち否定できないと思い、こう言うわけです。平岩の語録で確認することにしましょう。

 

[平岩の語録]

・企業は道徳的でなければならない。利潤追求主義だけではいけない。消費者の反発を招くだけでなく社会秩序を乱すことになるから。

・企業の社会的責任は法に違反しないだけでなく、倫理に違反してもいけない。企業は人間のためにあるのだから。

・経営は人間学を深める方向でなされるべきである。そのためには、目先にとらわれずに長い目で見る、一面だけでなく多面的全面的に見る、枝葉末節にこだわらず本質を見る必要がある。

・東電の事業経営は公益性と企業性を一体のものと考えてなされる必要がある。・企業の諸活動は社会性を内在させていると同時に、社会そのものの中に土台を据えている。効率と創造は発展の大事な柱であるが、しかしそれは社会性を欠いたものであってはならない。

・消費者の時代という認識は大切だが、何が消費者のためになるかを考えることはもっと大切である。自分のことばで語りかけ、合意を形成するようにしよう。

・一寸先は闇だが、しかし予兆をとらえ、思考の枠を広げ、人間性に満ちた企業をスローガンにして、社会との共感の上に立つ企業を目指すのでなければならない。

・今日は国際秩序模索の時代、地球規模での協力が求められる時代である。企業も利益追求中心の経営から、弱者とともに歩む企業、世界とともに歩む企業を目指すのでなければならない。志と心が問われる時代となった。一国繁栄主義を超えて、世界に通用する理念を持とう。

・共生は政策でなく理念と思う。地球・市場・人間を結ぶ理念として共生がある。イデオロギーが意味を持たなくなった今日、共生こそ人類の理念である。市場での競争の前提としてあるのが共生である。

 

 前回書いた平岩外四の前史を思い出してください。盛田との出会いにおいて、平岩はこの素地を共生の経営論へと開花させていったように、私には思えます。

 

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 今回は、盛田昭夫と平岩外四の出会い、及び平岩外四における共生の経営論の開花の模様を見ることにします。

 しかしその前に、両者が出会った時代の時代背景の復習をしておきます。

 この時代は、日本経済が世界から「集中豪雨的輸出」と批判されていた時代ですが、同時に世界経済の中には、マネタリズム(儲け主義)の新自由主義が台頭してきた時代でもありました。経済システムを破壊するものとして。だから日本経済には、この集中豪雨的輸出という批判に正しく対処しつつ、同時に新自由主義の破壊主義を克服して、資本主義を守るという課題が課されていたのでした。フェアな技術で競争する資本主義を守る。

 こういう課題のある中で、二人は経団連で出会いました。盛田昭夫は経団連副会長として、1986年から1992年の間在任。平岩外四は経団連副会長に1978年から1990年の間在任し、更に経団連会長として1990年より1994年まで在任。

 私は、平岩は盛田との出会いの中で、共生の経営論を形成させてきたと言いますが、本当の所は分かりません。しかし、この出会いの中で平岩の企業論が道徳論から共生の経営論に発展していることを見ると、あながち否定できないと思い、こう言うわけです。平岩の語録で確認することにしましょう。

 

[平岩の語録]

・企業は道徳的でなければならない。利潤追求主義だけではいけない。消費者の反発を招くだけでなく社会秩序を乱すことになるから。

・企業の社会的責任は法に違反しないだけでなく、倫理に違反してもいけない。企業は人間のためにあるのだから。

・経営は人間学を深める方向でなされるべきである。そのためには、目先にとらわれずに長い目で見る、一面だけでなく多面的全面的に見る、枝葉末節にこだわらず本質を見る必要がある。

・東電の事業経営は公益性と企業性を一体のものと考えてなされる必要がある。・企業の諸活動は社会性を内在させていると同時に、社会そのものの中に土台を据えている。効率と創造は発展の大事な柱であるが、しかしそれは社会性を欠いたものであってはならない。

・消費者の時代という認識は大切だが、何が消費者のためになるかを考えることはもっと大切である。自分のことばで語りかけ、合意を形成するようにしよう。

・一寸先は闇だが、しかし予兆をとらえ、思考の枠を広げ、人間性に満ちた企業をスローガンにして、社会との共感の上に立つ企業を目指すのでなければならない。

・今日は国際秩序模索の時代、地球規模での協力が求められる時代である。企業も利益追求中心の経営から、弱者とともに歩む企業、世界とともに歩む企業を目指すのでなければならない。志と心が問われる時代となった。一国繁栄主義を超えて、世界に通用する理念を持とう。

・共生は政策でなく理念と思う。地球・市場・人間を結ぶ理念として共生がある。イデオロギーが意味を持たなくなった今日、共生こそ人類の理念である。市場での競争の前提としてあるのが共生である。

 

 前回書いた平岩外四の前史を思い出してください。盛田との出会いにおいて、平岩はこの素地を共生の経営論へと開花させていったように、私には思えます。