マルヴァンMARVAO(ポルトガル)

 ポルトガルの東の果て、スペインとの国境からわずか数キロ、サン・マメーデ山脈の尾根に建つマルヴァオン(Marvão)という小さな村です。

 

 マルヴァオンはポルトガルのポルタレグレ地区にある3,000人ほどの村です。(写真①②)都市部から隔絶されたこの静かな村は、古くから文学者が愛した場所。近年、米・N.Y. TIMES紙の「死ぬ前に行くべき1,000の場所」に選出されたことで一躍有名になりました。私たちが訪れたのはそんな有名になる前の2012年のことでした。

 

 スペインのマドリッド空港からレンタカーでコルドバへ。コルドバの作家たちとワークショップを開き、その後国境を越えてポルトガルへ入ったのです。そして「天空の白い村」と呼ばれるマルヴァオンで1週間滞在。付近の美しい村、マルヴァオン~モンサラシュ~カストロデヴェテなどをまわりスケッチしてきました。

 全旅程を終えてレンタカーを返したとき

 2週間の滞在で走行距離3,000㎞を超えていました。

 地元の人から「天空の鷹」と呼ばれるマルヴァオンは

 標高900mの高地にあります。(写真③)

 

 朝は霧がかかり、静かな石畳と白い壁の村は、神々しささえ感じました。城壁内は狭い路地に沿って美しい民家が軒を連ね、アレンテージョ(Alentejo)地方のオレンジの瓦、白い壁の典型的な景観です。(写真④)その中にゴシック様式のアーチ、マヌエル様式の窓、練鉄製のバルコニーをはじめ、地元の花崗岩で造られた建物の隅々にその他の装飾が見られます。

 村中をゆっくり歩いても2時間かからないでしょう。訪れたのは6月でしたが、まだ春の花、真っ赤なポピーが咲いていてコントラストが美しかったです。

 貸別荘の個人の邸宅は村の入り口で2階建て4部屋の美しい家(Casa da Silveirinha)でしたが、なんと高地にあるため排水が細くトイレットペーパーが流せないことが大変でした。これは男の人はまだしも女にとってはとても苦痛です。日本の暖房、ウォシュレット付きのトイレがどこに行ってもある環境は素晴らしいことです。

 

 村で一番高い場所にあるマルヴァオン城が作られたのは、8世紀のこと。(写真⑤ 城から見た村)イブン・マルワーン(Ibn Marwan)というイスラム教徒の実力者により建設が進められ、その名は「マルヴァオン」という村の名前の由来となったほどです。現在残る城塞は、中世にイスラム教徒が撃退され、マルヴァンがポルトガル領となったレコンキスタ後の13世紀に再建されたものです。

 いつも旅行すると思うことですが、中世の12、13世紀の城が残っているのは、ほんとに素晴らしいことです。日本は地震が多くて石の城がないのが残念です。その土地から掘り出された石や岩が、城の建築に使われ800年以上も風雨にさらされ、苔むしたり削れたりしながらも現代まで村人の暮らしの中に当然のように佇んでいる…そんな思いでそっと触ってみると感慨深いものがあります。画家の目で見ればそのテクスチャーは絵画のマチエール(画肌)に通じます。

 

 この鷹巣村も過疎の村という感じで子供と老人しかいませんでした。村にあるレストランも2、3軒で、お土産屋さんもなかった記憶があります。レストランでは旅行者だからと危うくだまされるところでした。「チェック」というと手書きの伝票を持ってきます。頼みもしない料理名があったので、それを指摘すると「アイムソーリー」といってもう一度手書きの伝票を持ってきます。今度はメニュー自体の値段が違ったので再度指摘すると、しぶしぶレジ伝票を持ってきました。どうやらオーナーがいないときに若いウエィターが悪さをしでかしているようです。怒ってお金を払っていると、後ろで地元の人が、グーサインを出してくれました。旅行者は明細なんてよく見ないと思ったんでしょうね。これも忘れられない思い出です。

 

 ポルトガル料理は日本とよく似ていて、ご飯が主食です。干しタラ(バカリャカウ)の煮込み料理が有名で美味しかったです。(写真 干しだらとポテトの煮込み)日本の方はポルトガル料理は美味しかったというのをよく耳にしますが、日本人の口に合うのでしょうね。私たちは、ほとんどどこへ行っても自炊なので、その国のお米も炊きますが、ポルトガルは美味しくいただけました。

 日本食が世界遺産に登録されたのは2013年です。それからしばらくするとどの国の田舎のスーパーでも日本の米は買えるようになりました。ジャパニーズソイソース(醤油)・海苔・ビネガー(酢)…要するに寿司ができる材料は手に入れることができるようになりました。すごいですね~。反対に日本食といえば寿司しか知らない人も多いんですよ。

 

 そうそう私はスペイン・ポルトガルではよく現地の人に間違えられました。背が高くて(約170㎝)、長い黒髪(当時)、サングラスをかけていると、スペイン人に見えるようです。道を尋ねられたり、スペイン語で話しかけられたりしました。そんなにボリューム感あるタイプではないんですけれど…

 

 この時一緒にワークショップをしたスペイン・アメリカ・イスラエルの作家たちとはいまだにポンデザール展で交流があります。このコロナになってからもメールのやり取りをしていますが、またそれぞれの国に行けるようになりたいねと話しています。

 それまでお互い元気で過ごそうね“アディオス”

奥村 聰臣 F100 油彩 「閑和」モンサラシュの街角を描いた作品2013(写真⑥)

 

Copyright©2003-2017 Akai Newspaper dealer

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 ポルトガルの東の果て、スペインとの国境からわずか数キロ、サン・マメーデ山脈の尾根に建つマルヴァオン(Marvao)という小さな村です。

 

 マルヴァオンはポルトガルのポルタレグレ地区にある3,000人ほどの村です。(写真①②)都市部から隔絶されたこの静かな村は、古くから文学者が愛した場所。近年、米・N.Y. TIMES紙の「死ぬ前に行くべき1,000の場所」に選出されたことで一躍有名になりました。私たちが訪れたのはそんな有名になる前の2012年のことでした。

 

 スペインのマドリッド空港からレンタカーでコルドバへ。コルドバの作家たちとワークショップを開き、その後国境を越えてポルトガルへ入ったのです。そして「天空の白い村」と呼ばれるマルヴァオンで1週間滞在。付近の美しい村、マルヴァオン~モンサラシュ~カストロデヴェテなどをまわりスケッチしてきました。

全旅程を終えてレンタカーを返したとき2週間の滞在で走行距離3,000㎞を超えていました。

地元の人から「天空の鷹」と呼ばれるマルヴァオンは標高900mの高地にあります。(写真③)

 

 朝は霧がかかり、静かな石畳と白い壁の村は、神々しささえ感じました。城壁内は狭い路地に沿って美しい民家が軒を連ね、アレンテージョ(Alentejo)地方のオレンジの瓦、白い壁の典型的な景観です。(写真④)その中にゴシック様式のアーチ、マヌエル様式の窓、練鉄製のバルコニーをはじめ、地元の花崗岩で造られた建物の隅々にその他の装飾が見られます。

 村中をゆっくり歩いても2時間かからないでしょう。訪れたのは6月でしたが、まだ春の花、真っ赤なポピーが咲いていてコントラストが美しかったです。

 貸別荘の個人の邸宅は村の入り口で2階建て4部屋の美しい家(Casa da Silveirinha)でしたが、なんと高地にあるため排水が細くトイレットペーパーが流せないことが大変でした。これは男の人はまだしも女にとってはとても苦痛です。日本の暖房、ウォシュレット付きのトイレがどこに行ってもある環境は素晴らしいことです。

 

 村で一番高い場所にあるマルヴァオン城が作られたのは、8世紀のこと。(写真⑤ 城から見た村)イブン・マルワーン(Ibn Marwan)というイスラム教徒の実力者により建設が進められ、その名は「マルヴァオン」という村の名前の由来となったほどです。現在残る城塞は、中世にイスラム教徒が撃退され、マルヴァンがポルトガル領となったレコンキスタ後の13世紀に再建されたものです。

 いつも旅行すると思うことですが、中世の12、13世紀の城が残っているのは、ほんとに素晴らしいことです。日本は地震が多くて石の城がないのが残念です。その土地から掘り出された石や岩が、城の建築に使われ800年以上も風雨にさらされ、苔むしたり削れたりしながらも現代まで村人の暮らしの中に当然のように佇んでいる…そんな思いでそっと触ってみると感慨深いものがあります。画家の目で見ればそのテクスチャーは絵画のマチエール(画肌)に通じます。

 

 この鷹巣村も過疎の村という感じで子供と老人しかいませんでした。村にあるレストランも2、3軒で、お土産屋さんもなかった記憶があります。レストランでは旅行者だからと危うくだまされるところでした。「チェック」というと手書きの伝票を持ってきます。頼みもしない料理名があったので、それを指摘すると「アイムソーリー」といってもう一度手書きの伝票を持ってきます。今度はメニュー自体の値段が違ったので再度指摘すると、しぶしぶレジ伝票を持ってきました。どうやらオーナーがいないときに若いウエィターが悪さをしでかしているようです。怒ってお金を払っていると、後ろで地元の人が、グーサインを出してくれました。旅行者は明細なんてよく見ないと思ったんでしょうね。これも忘れられない思い出です。

 

 ポルトガル料理は日本とよく似ていて、ご飯が主食です。干しタラ(バカリャカウ)の煮込み料理が有名で美味しかったです。(写真 干しだらとポテトの煮込み)日本の方はポルトガル料理は美味しかったというのをよく耳にしますが、日本人の口に合うのでしょうね。私たちは、ほとんどどこへ行っても自炊なので、その国のお米も炊きますが、ポルトガルは美味しくいただけました。

 日本食が世界遺産に登録されたのは2013年です。それからしばらくするとどの国の田舎のスーパーでも日本の米は買えるようになりました。ジャパニーズソイソース(醤油)・海苔・ビネガー(酢)…要するに寿司ができる材料は手に入れることができるようになりました。すごいですね~。反対に日本食といえば寿司しか知らない人も多いんですよ。

 

 そうそう私はスペイン・ポルトガルではよく現地の人に間違えられました。背が高くて(約170㎝)、長い黒髪(当時)、サングラスをかけていると、スペイン人に見えるようです。道を尋ねられたり、スペイン語で話しかけられたりしました。そんなにボリューム感あるタイプではないんですけれど…

 

 この時一緒にワークショップをしたスペイン・アメリカ・イスラエルの作家たちとはいまだにポンデザール展で交流があります。このコロナになってからもメールのやり取りをしていますが、またそれぞれの国に行けるようになりたいねと話しています。

 それまでお互い元気で過ごそうね“アディオス”

奥村 聰臣 F100 油彩 「閑和」モンサラシュの街角を描いた作品2013(写真⑥)