姪の就職2

 当時、旧制中学校三年の元には、念書の意味がよく解らなかった。両親の死後。元は叔父の原に引き取られた。原三郎は柳原文太郎の弟で室町の繊維問屋である原家の長女の入り婿となっていた。元を引き取って間もなく、不渡り手形をつかまされ倒産してしまった。原家から追い出される形で離婚。やがて「原会計事務所」の看板を掲げて中小企業の経営者を相手に相談に乗りながらお得意先を開拓していった。そのような状況では元を大学にやらせることもできず、高校を卒業したら就職をするようにすすめた。

「叔父さん、これ、どう思います」

 ある日曜日の昼下がり、元は母親から預かった念書と株式三千株を叔父の原三郎に見せた。

「そうだったのか。俺もおかしいと思っていたんだ。兄貴の文太郎が社長になるようなことを言っていたんで、それが退院したらタダのひとになっているというだろう。生前、兄貴に聞いたんだが、黙っているものだから…。元に念書をみせてもらって解ったよ」

「どうしたらいいと思われますか」

「いまさらどうすることもできないだろうな。あの専務も亡くなったし…」

「ところで就職のことなんですが…」

「就職か…。そうだ、元、お前、山城昭和産業相互銀行に入れ。そして親父の仇をとれ」

「仇をとれといったって、会社に入ればそんなことできなくなるよ」

「もちろん、すぐにはできない。チャンスを待つのだ。そうだな、十年計画でやろう。叔父さんにまかしておけ。いい考えがある。それから君の名義になっている山城昭和産業相互銀行の株式を叔父さんに譲ってくれないか。もちろん額面以上で買うから…」

「今日までお世話になったのですから叔父さんにお礼に差し上げますよ」

 あれから十五年の歳月が流れた。行名も「山城相互銀行」に変わった。元は総務課長に昇進していた。行内の誰一人として元があの柳原文太郎の息子だとは知らなかったし、聞く者もいなかった。

「そうか。三十人になったか。よくやった。決行しても大丈夫だ。最近、浪華相銀から来た役員二人以外は、植田社長につくものはいない。明日、植田社長は一日中、会社にいる。とくに会議も来客の予定もない」

 柳原は自宅からA課長に電話した。

 翌日、会社側に労働組合として認めさせる交渉に入る。もう秘密にしておく必要はない。

 社長の伝次郎はこの動きを聞いて烈火のごとく怒った。京都の蜷川虎三知事の革新府政が猛威を振るっていた時代である。共産党の地盤が強く、どの企業でも蜷川知事の動静を探り恐れていた。しかし、山城相互銀行の場合、外からの働きかけでなく、純粋に内部からの労働組合が自然発生的に誕生しようとしていた。A課長は榊原を同志の一人だと信じていた。

 この時点で伝次郎が労働組合と話し合う用意をしていたら、状況は変わっていたかもしれない。伝次郎は緊急役員会の席上で叫んだ。

「当行に必要なのは労働組合ではなく、有能な営業マンです」

 伝次郎の命令は労働組合潰しの挙に出ることであった。管理職というエサを武器に、労働組合の切り崩しを推し進めた。労働組合を辞めたら管理職のポストを保証するという甘い誘いで残ってほしい行員から順に声をかけていく。

 伝次郎の状況判断は全く誤っていた。わずかな管理職手当のエサに飛びつく行員や労組員は皆無であった。そこまで行員の内面は荒廃しておらず、逆に会社側の汚い手口を知ったサイレント・マジョリティーといわれる中間層が、親睦会を辞めて労働組合に流れ込んできた。もはや流れを変えることは不可能になる。残っていた行員のほぼ全員が数日後、労働組合に結集した。

 伝次郎はこの機になっても行員の本心を見抜けず、読み違えている。

 労働組合は会社側に団体交渉を申し入れるが、会社側は突っぱねる。ついに労働組合はスト権投票を実施、九〇%という高率でスト権を確立。夏のボーナス預金獲得運動の日が迫っている六月の初め、本店屋上に赤旗が立った。ストライキ突入である。銀行という業種はとりわけ信用を重んじるためか、過度と思えるほど世間体を気にする。そんなものだから、銀行の本店屋上に赤旗が並び立ったことを知って、会社側の首脳陣は腰を抜かさんばかりに驚いた。役員の間では、労働組合と話し合った方がよいのではないかという意見も出たが、社長の伝次郎は断固、闘うと言明した。

「ええ人物を紹介してもらった。労働組合紛争を解決したベテランだという話だ」

 数日後、伝次郎の前に原三郎と名乗る男が現れた。髪をオールバックにした色白の顔で、小太りの風貌であった。眼つきだけは獲物を捕らえるように鋭い。英国製の背広をきちんと着こなしている。伝次郎は一瞬、どこかで見覚えのある顔だと感じた。

「原です。相当、お困りの様子ですね」

 原は細い低い声で伝次郎の目を見ながらゆっくりしゃべる。

 さすがに伝次郎の趣味は絵かきであった。原の顔を見て、誰だったのかを思い出そうとしていた。原と榊原元の顔が重なるまではいかない。

「すぐに解決してあげますよ。どうです。そうしたら、私を顧問で雇ってくれませんか」

「そらぁ、解決していただいたら、原さんの意向に応えならんと思うております」

 翌朝、原は暴力団風の男三人を引き連れて屋上に上がった。朝が早いためか、労組員一人が、赤旗のポールの傍で朝刊を広げて眠そうな顔つきで読んでいた。原は連れの三人に赤旗の撤去を命じた。驚いたその労組員は(何するねん)と赤旗のポールの前に立ちはだかった。次の瞬間、一人の男に蹴飛ばされた。足を引きずりながら、労組員は階段を急いで降りた。ようやく玄関のところで出勤してきた委員長Bに事情を説明をした。数人の労組員と屋上に戻ったときには、赤旗と四人の姿は消えていた。

 すぐ、その足で三階の社長室に押し掛けた。社長室の壁際に屋上にあった赤旗が立てかけてあった。その前のソファに社長の伝次郎と原が座って談笑していた。

「社長、これはどういうことなんです」

「どういうことって?こちらの原さんは会計事務所の経営者で近いうちに当行の顧問に就いてもらおうと思っている方です」

「なんですって。顧問がどうして労働組合の旗を勝手に持ち去るのですか。不当労働行為で訴えますよ。」

「どうぞ訴えなさいよ。それより君たちは銀行というところをどこだと考えているんだ。人様の大切なお金を預かるところが、屋上に赤旗を立てると、どうなるかわかっているのか。預金者は来たくとも来れなくなる。だから社長に頼まれたので赤旗を降ろしただけだよ。文句があるのか」

 原の声は細いがよく通る。それでも凄みを感じさせ伝次郎には頼もしく映る。戦前は室町地区の繊維問屋の経営者だったと聞いていた。そういえばどことなく気品が漂っているように思う。年齢は六十歳に近いそうだが、見かけは若く見える。

「我々は労働者の当然の権利を行使しているんです」

「わかった。それじゃ、何が不満なのか聞こうじゃないか」

 社長室で団体交渉が始まった。会社側は顧問になるという会計事務所の原と社長の植田伝次郎二人である。

「行員の生活がいっこうに改善されず、限界にきています」

「それは業績が悪いから、どうすることもできないと、いっているじゃないか」

 横から社長の伝次郎が口をはさむ。

「その原因は経営の無策からきているんですよ」

「ほう。経営者が無能というわけか。具体的にはどういうことなんだ」

「原さん、労働組合に加担してもらっては困りますよ」

 伝次郎は風向きが変わるのを心配して原に苦言を呈する。

「顧問としては一応、労働組合の言い分も聞いておかないことには、対策が立てられませんからね」

 原は自分が社長になったかのような態度をみせる。

 委員長のBは支店の配置政策が失敗であったことを強調した。さらに続ける。

「商品政策についても他行では積金(積立預金を略して積金。毎月一定額、満期まで積み立てる一年満期の積金が多い)をやっているのに、当行は旧態依然のままだし、大企業の手形割引もやっていない。無尽貸付ばかりやっているのです」

「わかった。ここは儂の顔に免じて引き取ってほしい。少し時間をかけて話し合おうじゃないか」

 原の口車に乗せられ、押し切られたかっこうになった。この光景を見ていた管理職の何人かは、その日の夕方、原を自宅に訪問している。

「原さん、なんでも協力しますよ」

 早くもゴマスリ管理職が現れた。サラリーマンの嗅覚は鋭い。機を見るや敏感に動く人種がどこの企業にもいる。山城相銀の権力構造の変化を敏感に嗅ぎ取っている。

 

■岡田 清治プロフィール

1942年生まれ ジャーナリスト

(編集プロダクション・NET108代表)

著書に『高野山開創千二百年 いっぱんさん行状記』『心の遺言』『あなたは社員の全能力を引き出せますか!』『リヨンで見た虹』など多数

※この物語に対する読者の方々のコメント、体験談を左記のFAXかメールでお寄せください。

今回は「就職」「日本のゆくえ」「結婚」「夫婦」「インド」「愛知県」についてです。物語が進行する中で織り込むことを試み、一緒に考えます。

FAX‥0569―34―7971

メール‥takamitsu@akai-shinbunten.net

 

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姪の就職2

 当時、旧制中学校三年の元には、念書の意味がよく解らなかった。両親の死後。元は叔父の原に引き取られた。原三郎は柳原文太郎の弟で室町の繊維問屋である原家の長女の入り婿となっていた。元を引き取って間もなく、不渡り手形をつかまされ倒産してしまった。原家から追い出される形で離婚。やがて「原会計事務所」の看板を掲げて中小企業の経営者を相手に相談に乗りながらお得意先を開拓していった。そのような状況では元を大学にやらせることもできず、高校を卒業したら就職をするようにすすめた。

「叔父さん、これ、どう思います」

 ある日曜日の昼下がり、元は母親から預かった念書と株式三千株を叔父の原三郎に見せた。

「そうだったのか。俺もおかしいと思っていたんだ。兄貴の文太郎が社長になるようなことを言っていたんで、それが退院したらタダのひとになっているというだろう。生前、兄貴に聞いたんだが、黙っているものだから…。元に念書をみせてもらって解ったよ」

「どうしたらいいと思われますか」

「いまさらどうすることもできないだろうな。あの専務も亡くなったし…」

「ところで就職のことなんですが…」

「就職か…。そうだ、元、お前、山城昭和産業相互銀行に入れ。そして親父の仇をとれ」

「仇をとれといったって、会社に入ればそんなことできなくなるよ」

「もちろん、すぐにはできない。チャンスを待つのだ。そうだな、十年計画でやろう。叔父さんにまかしておけ。いい考えがある。それから君の名義になっている山城昭和産業相互銀行の株式を叔父さんに譲ってくれないか。もちろん額面以上で買うから…」

「今日までお世話になったのですから叔父さんにお礼に差し上げますよ」

 あれから十五年の歳月が流れた。行名も「山城相互銀行」に変わった。元は総務課長に昇進していた。行内の誰一人として元があの柳原文太郎の息子だとは知らなかったし、聞く者もいなかった。

「そうか。三十人になったか。よくやった。決行しても大丈夫だ。最近、浪華相銀から来た役員二人以外は、植田社長につくものはいない。明日、植田社長は一日中、会社にいる。とくに会議も来客の予定もない」

 柳原は自宅からA課長に電話した。

 翌日、会社側に労働組合として認めさせる交渉に入る。もう秘密にしておく必要はない。

 社長の伝次郎はこの動きを聞いて烈火のごとく怒った。京都の蜷川虎三知事の革新府政が猛威を振るっていた時代である。共産党の地盤が強く、どの企業でも蜷川知事の動静を探り恐れていた。しかし、山城相互銀行の場合、外からの働きかけでなく、純粋に内部からの労働組合が自然発生的に誕生しようとしていた。A課長は榊原を同志の一人だと信じていた。

 この時点で伝次郎が労働組合と話し合う用意をしていたら、状況は変わっていたかもしれない。伝次郎は緊急役員会の席上で叫んだ。

「当行に必要なのは労働組合ではなく、有能な営業マンです」

 伝次郎の命令は労働組合潰しの挙に出ることであった。管理職というエサを武器に、労働組合の切り崩しを推し進めた。労働組合を辞めたら管理職のポストを保証するという甘い誘いで残ってほしい行員から順に声をかけていく。

 伝次郎の状況判断は全く誤っていた。わずかな管理職手当のエサに飛びつく行員や労組員は皆無であった。そこまで行員の内面は荒廃しておらず、逆に会社側の汚い手口を知ったサイレント・マジョリティーといわれる中間層が、親睦会を辞めて労働組合に流れ込んできた。もはや流れを変えることは不可能になる。残っていた行員のほぼ全員が数日後、労働組合に結集した。

 伝次郎はこの機になっても行員の本心を見抜けず、読み違えている。

 労働組合は会社側に団体交渉を申し入れるが、会社側は突っぱねる。ついに労働組合はスト権投票を実施、九〇%という高率でスト権を確立。夏のボーナス預金獲得運動の日が迫っている六月の初め、本店屋上に赤旗が立った。ストライキ突入である。銀行という業種はとりわけ信用を重んじるためか、過度と思えるほど世間体を気にする。そんなものだから、銀行の本店屋上に赤旗が並び立ったことを知って、会社側の首脳陣は腰を抜かさんばかりに驚いた。役員の間では、労働組合と話し合った方がよいのではないかという意見も出たが、社長の伝次郎は断固、闘うと言明した。

「ええ人物を紹介してもらった。労働組合紛争を解決したベテランだという話だ」

 数日後、伝次郎の前に原三郎と名乗る男が現れた。髪をオールバックにした色白の顔で、小太りの風貌であった。眼つきだけは獲物を捕らえるように鋭い。英国製の背広をきちんと着こなしている。伝次郎は一瞬、どこかで見覚えのある顔だと感じた。

「原です。相当、お困りの様子ですね」

 原は細い低い声で伝次郎の目を見ながらゆっくりしゃべる。

 さすがに伝次郎の趣味は絵かきであった。原の顔を見て、誰だったのかを思い出そうとしていた。原と榊原元の顔が重なるまではいかない。

「すぐに解決してあげますよ。どうです。そうしたら、私を顧問で雇ってくれませんか」

「そらぁ、解決していただいたら、原さんの意向に応えならんと思うております」

 翌朝、原は暴力団風の男三人を引き連れて屋上に上がった。朝が早いためか、労組員一人が、赤旗のポールの傍で朝刊を広げて眠そうな顔つきで読んでいた。原は連れの三人に赤旗の撤去を命じた。驚いたその労組員は(何するねん)と赤旗のポールの前に立ちはだかった。次の瞬間、一人の男に蹴飛ばされた。足を引きずりながら、労組員は階段を急いで降りた。ようやく玄関のところで出勤してきた委員長Bに事情を説明をした。数人の労組員と屋上に戻ったときには、赤旗と四人の姿は消えていた。

 すぐ、その足で三階の社長室に押し掛けた。社長室の壁際に屋上にあった赤旗が立てかけてあった。その前のソファに社長の伝次郎と原が座って談笑していた。

「社長、これはどういうことなんです」

「どういうことって?こちらの原さんは会計事務所の経営者で近いうちに当行の顧問に就いてもらおうと思っている方です」

「なんですって。顧問がどうして労働組合の旗を勝手に持ち去るのですか。不当労働行為で訴えますよ。」

「どうぞ訴えなさいよ。それより君たちは銀行というところをどこだと考えているんだ。人様の大切なお金を預かるところが、屋上に赤旗を立てると、どうなるかわかっているのか。預金者は来たくとも来れなくなる。だから社長に頼まれたので赤旗を降ろしただけだよ。文句があるのか」

 原の声は細いがよく通る。それでも凄みを感じさせ伝次郎には頼もしく映る。戦前は室町地区の繊維問屋の経営者だったと聞いていた。そういえばどことなく気品が漂っているように思う。年齢は六十歳に近いそうだが、見かけは若く見える。

「我々は労働者の当然の権利を行使しているんです」

「わかった。それじゃ、何が不満なのか聞こうじゃないか」

 社長室で団体交渉が始まった。会社側は顧問になるという会計事務所の原と社長の植田伝次郎二人である。

「行員の生活がいっこうに改善されず、限界にきています」

「それは業績が悪いから、どうすることもできないと、いっているじゃないか」

 横から社長の伝次郎が口をはさむ。

「その原因は経営の無策からきているんですよ」

「ほう。経営者が無能というわけか。具体的にはどういうことなんだ」

「原さん、労働組合に加担してもらっては困りますよ」

 伝次郎は風向きが変わるのを心配して原に苦言を呈する。

「顧問としては一応、労働組合の言い分も聞いておかないことには、対策が立てられませんからね」

 原は自分が社長になったかのような態度をみせる。

 委員長のBは支店の配置政策が失敗であったことを強調した。さらに続ける。

「商品政策についても他行では積金(積立預金を略して積金。毎月一定額、満期まで積み立てる一年満期の積金が多い)をやっているのに、当行は旧態依然のままだし、大企業の手形割引もやっていない。無尽貸付ばかりやっているのです」

「わかった。ここは儂の顔に免じて引き取ってほしい。少し時間をかけて話し合おうじゃないか」

 原の口車に乗せられ、押し切られたかっこうになった。この光景を見ていた管理職の何人かは、その日の夕方、原を自宅に訪問している。

「原さん、なんでも協力しますよ」

 早くもゴマスリ管理職が現れた。サラリーマンの嗅覚は鋭い。機を見るや敏感に動く人種がどこの企業にもいる。山城相銀の権力構造の変化を敏感に嗅ぎ取っている。