■杉本武之プロフィール

1939年 碧南市に生まれる。

京都大学文学部卒業。

翻訳業を経て、小学校教師になるために愛知教育大学に入学。

25年間、西尾市の小中学校に勤務。

定年退職後、名古屋大学教育学部の大学院で学ぶ。

〈趣味〉読書と競馬

 

【53】日本文学(その5)

◎良寛の漢詩④

 良寛さんの2篇の長い詩と「盗難に遭う」という珍しい詩を紹介します。「私訳」だけで「訓読」は省略します。

 

(16)「名利を求めるな」

 私訳「『俗世を離れ 寺院に入り/乞食をして 暮らして行こう』/こう決意して 出家したのなら/わしの苦言を 聞いて欲しい/今の僧侶は わしの目には/やたらに外で 騒ぎ回ってる/衆生のために するのでなくて/自益にために 駆けずり回ってる/普通の人が 欲を出すのは/それは少しは 許せることだ/出家のくせに 節操無きは/その根性を わしは許せん/髪を断ち切り 家族と別れ/僧衣だけを 身に付けようと/全てを捨てて 僧になるのは/安易な決意じゃ 出来ないことだ/この世の中を 眺めてみると/男も女も みな働いている/女が織るから 着物が着れる/男が耕すから ご飯が食える/だが僧たちは 何をしている/修行もしないし

 悟りもしない/檀徒の布施を 無駄遣いして/仏の供養も あんまりしない/仲間と集まり 大口たたき/無意味に日々を 送っているだけ/外出すると 格好をつけて/婆さんたちを たぶらかしてる/名僧ぶって ふんぞり返ってる/ああ僧たちよ 目を醒ますのだ/乳虎の群れに 入ってもいいが/名利の路には 入ってはならぬ/少しの欲でも 心に入れば/洗い流すは 至難の業だ/思い出すのだ 出家した日を/衣食のためでは なかったはずだ/父母はあなたの

 頭を撫でた/兄弟たちは 見送ってくれた/その日が最後で 恩愛も絶え/故郷からの 便りも果てた/だが親たちは 神仏に向かい/あなたの修行を 祈っているのだ/今のあなたの 様子はどうだ/このまま進めば えらいことになる/好機はいつも 来てはくれない/正法もまた 会い難いもの/心をしっかり 引き締めるのだ/後でしまったと 思っても遅い/わしがこんなに 説いているのは/口先だけの ことではないのだ/今からじっくり 考え直して/あなたの態度を 改めて欲しい/頑張るのだよ 若き僧たち/恐れることなく 修行に励め」

 (私の感想)これは、僧侶たちの現状に対する激しい攻撃の詩です。

「今の僧たちは、仏の弟子と称していながら、衆生を救っていない。自ら悟ることもない。檀家から受け取る布施を無駄遣いし、仏に仕えることさえ忘れている。外に出ると、いかにも悟り切った高僧のふりをして、婆さんたちをだましている」

 良寛さんは若い修行僧たちに希望を託し、励ましの言葉を送っています。「良い機会は常に失われやすく、正しい仏法にもなかなか出会えないものだ。絶対に名利を求めてはいけない。初心を忘れず、精神を正しく保持しなさい。あなたの安易な考え方や態度を改めなさい。若い僧たちよ、正しい修行の苦しさを恐れてはなりません」

 良寛さんが亡くなり、墓が島崎の隆泉寺に建てられた時、その「良寛禅師墓」の碑にこの長い詩が選ばれて刻まれました。私も何回か見に行きましたが、墓の前に立つ度に、この激烈な詩を良寛さんの代表作として永久に遺したいという当時の人々の切実な気持ちがひしひしと伝わってきました。

 良寛さんは心の優しい慈愛の人でしたが、心の中に揺るぎない強固な信念を持った不動の人でもあったのです。

 

(17)「地震後の詩」

 私訳「地震の後は 来る日も来る日も/昼夜を問わず 寒さが厳しい/空は一面 黒雲に覆われ/雪は風に 巻き上げられた/余震も続いて 波は逆巻き/家屋は震え 庶民は嘆いた/回顧すれば この四十年/軽佻浮薄に 社会が動き/平和も続いて 人心弛み/悪党どもが 悪事を働き/恩や義理は 消えて無くなり/人情などは 誰も知らない/儲けとなれば 先を争い/道義の話は 愚の骨頂で/傲慢無礼が 誉め称えられ/厚顔無恥が 充満してた/その荒廃は 全土に及び/わしの心は 暗く沈んだ/物事は皆 微より現れる/この災禍も 遅かったほどだ/気象の動きも おかしかったし/四季の巡りも 乱れていた/天罰だったと 自省するんだ/人を怨むな 天を咎めるな」

 (私の感想)この詩の「地震」というのは、文政11年(1828)11月12日の朝に発生した新潟県栄町を震源とする大地震のことです。その時、良寛さんは70歳でした。死者は千八百名以上、倒壊家屋は一万三千軒にも及びました。被害の最も大きかった三条の町の名をとり、「三条地震」と呼ばれています。

 良寛さんは、この三条地震直後の惨状を見て、その悲惨さに心を痛めました。この大地震は自然現象だということを、良寛さんは十分に理解していました。しかし、それまでのこの世の中の風潮に心を痛めていた良寛さんは、地震の原因を人々の心の弛みに結び付けました。天罰だったのだと言って、人々を戒めたのです。―誰も彼も、太平の世に慣れて、気が弛み、道徳を軽んじ、平気で人をだますようになってしまった。人々よ、自省してもらいたい。この惨事を、他人や天の責任に転嫁してはいけない。今までの自分自身の軽佻浮薄な言動を深く反省して欲しい。

 詩の前半は、大地震の後の気象の変化や人々の苦しみが描かれています。当時、日本海を低気圧が通過中で、強風が吹き荒れていました。低気圧が通過した後は、急に寒気が入り込みました。人々は、余震の恐怖に脅え、激しい風雪に脅えていたのです。

 この地震について親友の山田杜皐に宛てた手紙が残っています。その中に、次の有名な文章が書かれています。

「災難に遭う時節には災難に遭うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。是れはこれ災難をのがるる妙法にて候」

 

(18)「賊が入った」

 私訳「座禅の用具を 賊に盗まれた/賊の侵入 禁止はできぬ/一晩中 窓辺に座れば/しとしと雨が 竹林に降る」

 (私の感想)盗賊に所有物を盗み取られても、良寛さんはその行為を咎めません。自分よりも貧しい者が泥棒に入ったのだから、それに対して怒ってはいけない、と良寛さんは考えていたのでしょう。

 別の日のこと、夜中に泥棒がやって来て、良寛さんが寝ている蒲団を奪い取って行きました。良寛さんは、泥棒が蒲団を取りやすいように寝ている体の位置を動かしました。

 信じられないような話ですが、本当のことだった、と私は思っています。

 

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◎良寛の漢詩④

 

 良寛さんの2篇の長い詩と「盗難に遭う」という珍しい詩を紹介します。「私訳」だけで「訓読」は省略します。

 

(16)「名利を求めるな」

 私訳「『俗世を離れ 寺院に入り/乞食をして 暮らして行こう』/こう決意して 出家したのなら/わしの苦言を 聞いて欲しい/今の僧侶は わしの目には/やたらに外で 騒ぎ回ってる/衆生のために するのでなくて/自益にために 駆けずり回ってる/普通の人が 欲を出すのは/それは少しは 許せることだ/出家のくせに 節操無きは/その根性を わしは許せん/髪を断ち切り 家族と別れ/僧衣だけを 身に付けようと/全てを捨てて 僧になるのは/安易な決意じゃ 出来ないことだ/この世の中を 眺めてみると/男も女も みな働いている/女が織るから 着物が着れる/男が耕すから ご飯が食える/だが僧たちは 何をしている/修行もしないし

 悟りもしない/檀徒の布施を 無駄遣いして/仏の供養も あんまりしない/仲間と集まり 大口たたき/無意味に日々を 送っているだけ/外出すると 格好をつけて/婆さんたちを たぶらかしてる/名僧ぶって ふんぞり返ってる/ああ僧たちよ 目を醒ますのだ/乳虎の群れに 入ってもいいが/名利の路には 入ってはならぬ/少しの欲でも 心に入れば/洗い流すは 至難の業だ/思い出すのだ 出家した日を/衣食のためでは なかったはずだ/父母はあなたの

 頭を撫でた/兄弟たちは 見送ってくれた/その日が最後で 恩愛も絶え/故郷からの 便りも果てた/だが親たちは 神仏に向かい/あなたの修行を 祈っているのだ/今のあなたの 様子はどうだ/このまま進めば えらいことになる/好機はいつも 来てはくれない/正法もまた 会い難いもの/心をしっかり 引き締めるのだ/後でしまったと 思っても遅い/わしがこんなに 説いているのは/口先だけの ことではないのだ/今からじっくり 考え直して/あなたの態度を 改めて欲しい/頑張るのだよ 若き僧たち/恐れることなく 修行に励め」

 (私の感想)これは、僧侶たちの現状に対する激しい攻撃の詩です。

「今の僧たちは、仏の弟子と称していながら、衆生を救っていない。自ら悟ることもない。檀家から受け取る布施を無駄遣いし、仏に仕えることさえ忘れている。外に出ると、いかにも悟り切った高僧のふりをして、婆さんたちをだましている」

 良寛さんは若い修行僧たちに希望を託し、励ましの言葉を送っています。「良い機会は常に失われやすく、正しい仏法にもなかなか出会えないものだ。絶対に名利を求めてはいけない。初心を忘れず、精神を正しく保持しなさい。あなたの安易な考え方や態度を改めなさい。若い僧たちよ、正しい修行の苦しさを恐れてはなりません」

 良寛さんが亡くなり、墓が島崎の隆泉寺に建てられた時、その「良寛禅師墓」の碑にこの長い詩が選ばれて刻まれました。私も何回か見に行きましたが、墓の前に立つ度に、この激烈な詩を良寛さんの代表作として永久に遺したいという当時の人々の切実な気持ちがひしひしと伝わってきました。

 良寛さんは心の優しい慈愛の人でしたが、心の中に揺るぎない強固な信念を持った不動の人でもあったのです。

 

(17)「地震後の詩」

 私訳「地震の後は 来る日も来る日も/昼夜を問わず 寒さが厳しい/空は一面 黒雲に覆われ/雪は風に 巻き上げられた/余震も続いて 波は逆巻き/家屋は震え 庶民は嘆いた/回顧すれば この四十年/軽佻浮薄に 社会が動き/平和も続いて 人心弛み/悪党どもが 悪事を働き/恩や義理は 消えて無くなり/人情などは 誰も知らない/儲けとなれば 先を争い/道義の話は 愚の骨頂で/傲慢無礼が 誉め称えられ/厚顔無恥が 充満してた/その荒廃は 全土に及び/わしの心は 暗く沈んだ/物事は皆 微より現れる/この災禍も 遅かったほどだ/気象の動きも おかしかったし/四季の巡りも 乱れていた/天罰だったと 自省するんだ/人を怨むな 天を咎めるな」

 (私の感想)この詩の「地震」というのは、文政11年(1828)11月12日の朝に発生した新潟県栄町を震源とする大地震のことです。その時、良寛さんは70歳でした。死者は千八百名以上、倒壊家屋は一万三千軒にも及びました。被害の最も大きかった三条の町の名をとり、「三条地震」と呼ばれています。

 良寛さんは、この三条地震直後の惨状を見て、その悲惨さに心を痛めました。この大地震は自然現象だということを、良寛さんは十分に理解していました。しかし、それまでのこの世の中の風潮に心を痛めていた良寛さんは、地震の原因を人々の心の弛みに結び付けました。天罰だったのだと言って、人々を戒めたのです。―誰も彼も、太平の世に慣れて、気が弛み、道徳を軽んじ、平気で人をだますようになってしまった。人々よ、自省してもらいたい。この惨事を、他人や天の責任に転嫁してはいけない。今までの自分自身の軽佻浮薄な言動を深く反省して欲しい。

 詩の前半は、大地震の後の気象の変化や人々の苦しみが描かれています。当時、日本海を低気圧が通過中で、強風が吹き荒れていました。低気圧が通過した後は、急に寒気が入り込みました。人々は、余震の恐怖に脅え、激しい風雪に脅えていたのです。

 この地震について親友の山田杜皐に宛てた手紙が残っています。その中に、次の有名な文章が書かれています。

「災難に遭う時節には災難に遭うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。是れはこれ災難をのがるる妙法にて候」

 

(18)「賊が入った」

 私訳「座禅の用具を 賊に盗まれた/賊の侵入 禁止はできぬ/一晩中 窓辺に座れば/しとしと雨が 竹林に降る」

 (私の感想)盗賊に所有物を盗み取られても、良寛さんはその行為を咎めません。自分よりも貧しい者が泥棒に入ったのだから、それに対して怒ってはいけない、と良寛さんは考えていたのでしょう。

 別の日のこと、夜中に泥棒がやって来て、良寛さんが寝ている蒲団を奪い取って行きました。良寛さんは、泥棒が蒲団を取りやすいように寝ている体の位置を動かしました。

 信じられないような話ですが、本当のことだった、と私は思っています。