■杉本武之プロフィール

1939年 碧南市に生まれる。

京都大学文学部卒業。

翻訳業を経て、小学校教師になるために愛知教育大学に入学。

25年間、西尾市の小中学校に勤務。

定年退職後、名古屋大学教育学部の大学院で学ぶ。

〈趣味〉読書と競馬

 

【52】日本文学(その4)

◎良寛の漢詩③

 良寛さんの漢詩を私が七・七調で訳したものを紹介します。

 

(11)「バカ坊主がまた来たぞ」

 私訳「町での乞食 ようやく終えて/八幡宮の 辺りを歩くと/子どもたちが 話し合ってた/『あのバカ坊主 今年も来たぞ』」

 訓読「十字街頭、乞食し了り 八幡宮辺、方に徘徊す/児童、相見て共に語る 去年の痴僧、今また来たると」

 (私の感想)子どもたちは、一般的に、年長者や僧侶に対して、自分たちから近づこうとはしないものです。しかし、良寛さんは「愚者」と見なされているので、子どもたちは進んで彼に接近して行きます。年老いた僧であっても、良寛さんは子どもたちから敬遠されることはありません。子どもたちは「あの坊さんはバカだから安心だ」と思い、「良寛さん、一緒に遊びましょう」と声を掛けて来るのです。

 托鉢を終え、八幡宮の周辺を歩いていると、子どもたちが「あのバカ坊主は、去年もこの神社で遊んでくれた。今年も遊んでくれるだろう」と話し合っているのを、良寛さんは聞いていたのです。

 良寛さんは不思議な人でした。子どもたちに与えた愛の深さ、そして子どもたちから与えられた愛の深さは、とても普通の大人が経験できるものではありません。

 こんな人がこの世に存在していたことが不思議でなりません。

 

(12)「太平の春」

 私訳「来る日も来る日も それこそ毎日/子どもたちと のんびり遊ぶ/袖の中には 手毬が二、三個/無能なわしには 至福の春だ」

 訓読「日々日々また日々 のどかに児童を伴って此の身を送る/袖裏の毬子、両三個 無能、飽酔す、太平の春」

 (私の感想)この漢詩は、江戸の有名な儒学者で書家であった亀田鵬斎の描いた画に良寛さんが書いた賛(さん)です。二人の子どもが一緒に遊ぼうと良寛さんに近寄って来るところが生き生きと描かれています。

 越後へ何度も良寛さんに会いに行った鵬斎は、「私は、良寛と交わってから、草書の秘訣を得た。それから私の書には、風格が出るようになった」と言っていました。「鵬斎は越後帰りで字がくねり」という江戸川柳があります。良寛と会ってから、鵬斎の字が曲がりくねった、とからかわれているのです。どんなにからかわれても、鵬斎は良寛さんと出会って良かったと思っていたことでしょう。良寛さんを心から尊敬していました。

 

(13)「寒山詩を読む」

 私訳「朝から晩まで 乞食をして/庵に帰り 扉を閉める/囲炉裏に座り 柴を焚いて/心静かに 寒山詩を読む/強い西風 雨を運んで/茅葺き屋根に 吹き付けている/脚を伸ばして 寝そべってみる/ああ極楽だ 至福の時だ」

 訓読「終日乞食し罷み 帰り来たって蓬扉を掩う/炉に帯葉の柴を焼き 静かに寒山詩を読む/西風夜雨を吹き 颯々として茅茨に灑ぐ/時に双脚を伸ばして臥す 何をか思い又何をか疑わん」

 (私の感想)何と満ち足りた心情を詠った詩でしょう。良寛さんの喜びが横溢していて、読んでいる私たちの心も喜びで満たされます。良寛さんは『寒山詩集』が大好きでした。

 良寛さんの心は満ち足りています。-明日食べるだけの米は托鉢で手に入れた。囲炉裏に火も付けた。暖かくなってきたぞ。さあ、心静かに寒山の詩を読もう。外では激しい西風が吹き、雨も強く降っている。何度読んでも素晴らしい詩だ。少し疲れてきたな。今夜はこれで読むのを止めておこう。さあ、足を伸ばして寝ることにしよう。ああ、何という幸せだ。極楽だ。至福の時だ。

 

(14)「老農夫と飲む」

 私訳「時は初夏の 田植えの時節/杖をつきつき ぶらぶら歩く/すると農夫が わしを見つけて/一杯やろうと 手を引っ張った/ムシロの上に わしを座らせ/桐の葉っぱに 食べ物載せた/互いに注ぎ合い 酒を飲むうち/酔いが回って 畦で寝ちゃった」

 訓読「孟夏、芒種の節 錫を杖いて独り往還す/野老、忽ち我を見 我を率いて共に歓を成す/ 盧、いはつささか席を為し 桐葉、もって盤に充つ/野酌、数行の後 陶然として畦に枕して眠る」

 ( 私の感想)良見さんは酒が大好きでした。時には自分で買って飲んだでしょうが、殆どの場合、人から御馳走になるか、裕福な知人や友人から贈られた酒を飲んでいたと思われます。

 良寛さんの酒好きは広く知られていました。この詩のように、良寛さんがやって来るのを待っていて、一緒に飲もうとする農民がたくさんいました。ある日、田植えの仕事をしていた年老いた農夫が、田植えの様子を見に来た良寛さんを見つけました。手を引っ張って畦道にムシロを敷いて座らせ、一緒に酒を飲み始めました。何杯か飲んでいるうちに酔いが回ってきて、良寛さんは気持ち良さそうに畦を枕にして眠ってしまいました。

 良寛さんは、こうした農民たちとの交歓が大好きでした。

 

(15)「遥かな恋人へ」

 私訳「初春の夜が 深々と更け/ぶらりぶらりと 柴門を出た/わずかな雪が 木立を履い/一輪の月が 連山に上った/あなたを思えば 山河は遠く/筆を取っても 思いは乱れる」

 訓読「春夜二三更 等間に柴門を出ず/微雪、松杉を履い 孤月、層巒に上る/人を思えば 山河遠く/翰を含めば 思い万端たり」

 (私の感想)これは、愛する維い馨尼へ宛てて書いた書簡です。

 53歳になっていた維馨尼は、尼として暮らしていたお寺が仏教経典を買うことになり、そのための資金を集めに江戸に出掛けていました。江戸からなかなか帰って来ないので、良寛さんは心配のあまり、恋する維馨尼さんに手紙を書いたのでした。この時、良寛さんは60歳でした。維馨尼さんは幼名をきしと言って、良寛さんの親友・三輪左さ市の姪で、二人は幼なじみで昔から仲良しだったのです。良寛さんの至純の恋文です。

 

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【52】日本文学(その4)

◎良寛の漢詩③

 良寛さんの漢詩を私が七・七調で訳したものを紹介します。

 

(11)「バカ坊主がまた来たぞ」

 私訳「町での乞食 ようやく終えて/八幡宮の 辺りを歩くと/子どもたちが 話し合ってた/『あのバカ坊主 今年も来たぞ』」

 訓読「十字街頭、乞食し了り 八幡宮辺、方に徘徊す/児童、相見て共に語る 去年の痴僧、今また来たると」

 (私の感想)子どもたちは、一般的に、年長者や僧侶に対して、自分たちから近づこうとはしないものです。しかし、良寛さんは「愚者」と見なされているので、子どもたちは進んで彼に接近して行きます。年老いた僧であっても、良寛さんは子どもたちから敬遠されることはありません。子どもたちは「あの坊さんはバカだから安心だ」と思い、「良寛さん、一緒に遊びましょう」と声を掛けて来るのです。

 托鉢を終え、八幡宮の周辺を歩いていると、子どもたちが「あのバカ坊主は、去年もこの神社で遊んでくれた。今年も遊んでくれるだろう」と話し合っているのを、良寛さんは聞いていたのです。

 良寛さんは不思議な人でした。子どもたちに与えた愛の深さ、そして子どもたちから与えられた愛の深さは、とても普通の大人が経験できるものではありません。

 こんな人がこの世に存在していたことが不思議でなりません。

 

(12)「太平の春」

 私訳「来る日も来る日も それこそ毎日/子どもたちと のんびり遊ぶ/袖の中には 手毬が二、三個/無能なわしには 至福の春だ」

 訓読「日々日々また日々 のどかに児童を伴って此の身を送る/袖裏の毬子、両三個 無能、飽酔す、太平の春」

 (私の感想)この漢詩は、江戸の有名な儒学者で書家であった亀田鵬斎の描いた画に良寛さんが書いた賛(さん)です。二人の子どもが一緒に遊ぼうと良寛さんに近寄って来るところが生き生きと描かれています。

 越後へ何度も良寛さんに会いに行った鵬斎は、「私は、良寛と交わってから、草書の秘訣を得た。それから私の書には、風格が出るようになった」と言っていました。「鵬斎は越後帰りで字がくねり」という江戸川柳があります。良寛と会ってから、鵬斎の字が曲がりくねった、とからかわれているのです。どんなにからかわれても、鵬斎は良寛さんと出会って良かったと思っていたことでしょう。良寛さんを心から尊敬していました。

 

(13)「寒山詩を読む」

 私訳「朝から晩まで 乞食をして/庵に帰り 扉を閉める/囲炉裏に座り 柴を焚いて/心静かに 寒山詩を読む/強い西風 雨を運んで/茅葺き屋根に 吹き付けている/脚を伸ばして 寝そべってみる/ああ極楽だ 至福の時だ」

 訓読「終日乞食し罷み 帰り来たって蓬扉を掩う/炉に帯葉の柴を焼き 静かに寒山詩を読む/西風夜雨を吹き 颯々として茅茨に灑ぐ/時に双脚を伸ばして臥す 何をか思い又何をか疑わん」

 (私の感想)何と満ち足りた心情を詠った詩でしょう。良寛さんの喜びが横溢していて、読んでいる私たちの心も喜びで満たされます。良寛さんは『寒山詩集』が大好きでした。

 良寛さんの心は満ち足りています。-明日食べるだけの米は托鉢で手に入れた。囲炉裏に火も付けた。暖かくなってきたぞ。さあ、心静かに寒山の詩を読もう。外では激しい西風が吹き、雨も強く降っている。何度読んでも素晴らしい詩だ。少し疲れてきたな。今夜はこれで読むのを止めておこう。さあ、足を伸ばして寝ることにしよう。ああ、何という幸せだ。極楽だ。至福の時だ。

 

(14)「老農夫と飲む」

 私訳「時は初夏の 田植えの時節/杖をつきつき ぶらぶら歩く/すると農夫が わしを見つけて/一杯やろうと 手を引っ張った/ムシロの上に わしを座らせ/桐の葉っぱに 食べ物載せた/互いに注ぎ合い 酒を飲むうち/酔いが回って 畦で寝ちゃった」

 訓読「孟夏、芒種の節 錫を杖いて独り往還す/野老、忽ち我を見 我を率いて共に歓を成す/ 盧、いはつささか席を為し 桐葉、もって盤に充つ/野酌、数行の後 陶然として畦に枕して眠る」

 ( 私の感想)良見さんは酒が大好きでした。時には自分で買って飲んだでしょうが、殆どの場合、人から御馳走になるか、裕福な知人や友人から贈られた酒を飲んでいたと思われます。

 良寛さんの酒好きは広く知られていました。この詩のように、良寛さんがやって来るのを待っていて、一緒に飲もうとする農民がたくさんいました。ある日、田植えの仕事をしていた年老いた農夫が、田植えの様子を見に来た良寛さんを見つけました。手を引っ張って畦道にムシロを敷いて座らせ、一緒に酒を飲み始めました。何杯か飲んでいるうちに酔いが回ってきて、良寛さんは気持ち良さそうに畦を枕にして眠ってしまいました。

 良寛さんは、こうした農民たちとの交歓が大好きでした。

 

(15)「遥かな恋人へ」

 私訳「初春の夜が 深々と更け/ぶらりぶらりと 柴門を出た/わずかな雪が 木立を履い/一輪の月が 連山に上った/あなたを思えば 山河は遠く/筆を取っても 思いは乱れる」

 訓読「春夜二三更 等間に柴門を出ず/微雪、松杉を履い 孤月、層巒に上る/人を思えば 山河遠く/翰を含めば 思い万端たり」

 (私の感想)これは、愛する維い馨尼へ宛てて書いた書簡です。

 53歳になっていた維馨尼は、尼として暮らしていたお寺が仏教経典を買うことになり、そのための資金を集めに江戸に出掛けていました。江戸からなかなか帰って来ないので、良寛さんは心配のあまり、恋する維馨尼さんに手紙を書いたのでした。この時、良寛さんは60歳でした。維馨尼さんは幼名をきしと言って、良寛さんの親友・三輪左さ市の姪で、二人は幼なじみで昔から仲良しだったのです。良寛さんの至純の恋文です。