前回、3月号に載せるためにスコットランドの旅日記を書いたのが2月のはじめでした。それから3か月の間に、世界はがらりと状況が変わりました。コロナウイルスの世界的流行です。

 ダイヤモンドプリンセス号に始まり、日本へ感染が広まり始め、休校、非常事態宣言下の外出自粛、休業要請、長い長いトンネルに入ったような閉塞感でした。まだまだ予断を許さない状況下ですが、街は少しずつ慎重に動き始めているように思います。

 自分の行動が他人の命を左右する、また身近な人への感染を予防することにつながるのだと強く肝に銘じ、今までの生活スタイルを変えて新しい日常を受け入れつつ、コロナウイルスと向き合って生きていくことになるかと思います。

 

「エジンバラの黒歴史」

 17世紀スコットランド王国の首都エジンバラでは貴族たちは丘の上に住み、丘の下にはスラム街で貧民層が住んでいました。そうした下町はクローズと呼ばれる小道(リアルキングスクローズ)がたくさんあり、じめじめとした薄暗い場所で2万人の市民が暮らしていたと言われています。

 その当時、ゴミや排泄物は、窓から外へ投げ捨てられていました。上の方に住む上流階級のゴミが下層へ流れ込み、不衛生極まりない場所にペストが発生します。ペストは治療薬がない病で、感染すると皮膚が黒紫色に変化することから黒死病とも呼ばれていました。感染すると当時の生存率は2%だったそうです。この病は瘴気(しょうき)が運んでくると言われ不気味な格好をしたペスト医師(写真①)が暗躍します。ハーブやお香をたいた黒いマントをまとい、カラスのように顔の前にハーブを詰め込んだとがったマスクをつけていました。この医師にみてもらうことは死への宣告だったので死神と呼ばれていたそうです。人口過密なうえに、不治の病であるペストが大流行した下町は4万人いた住民が6,000人にまで減少してしまいました。政府がとった政策はロックダウン、完全に街を丸ごと埋め立ててしまおうと計画したのです。おりしも人口増加に伴い市街化調整の時期だったこともあり、感染者が逃げ出すことを恐れ、家に閉じ込めてそのまま生き埋めにしたのです。

 1811年埋め立てた街の上に新しい市庁舎(写真②)がたてられました。この地下に街があったという話は、都市伝説と言われて170年もの間になんとすっかり忘れられていたのです。1980年代に考古学者が発掘を行って、改めて本当にあった話だったと世に知れ渡ったのです。今では、地下にあった場所が博物館になり、小道をめぐるツアーもあります。

 さてコロナウイルスの世界的流行により、6月に予定していたイングランド旅行は中止。もとより観光目的で国を出ることも相手の国に入ることもできなくなりました。実は、私はイギリスは日本人と似ていて、清潔で穏やかで、紳士的な国なので、ここまで感染が広がるのが意外な感じがしました。

 イギリスは、かねてより感染症対策は万全だと豪語しておりました。ところがふたを開けてみると、人口過密のロンドンで急増した発生したコロナウイルス患者に対応する検査所は少人数の小さな8か所しかありませんでした。隠れた陽性患者による郡部の介護施設の老人たちに感染が広がります。人手不足により介護従事者が掛け持ちをしている事例が多くあったためです。

 さらに都市封鎖が遅れます。近郊で行われた大規模なチェルトナム競馬も開催。加えて医療防護服などを病院に集中させたせいでほかの施設では全く足りていない状況が発生しました。

 6月6日現在死者はアメリカに次いで2番目に多い4万人を超えています。しかしピークは越えて5月中旬から段階的経済活動を緩和し始めました。6月8日からは入国者は2週間に自己隔離が義務付けられました。どんな感染症も終わらなかったことはないと歴史学者も言っています。

 大好きな国へ旅行できる日が来ることを祈って…

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 前回、3月号に載せるためにスコットランドの旅日記を書いたのが2月のはじめでした。それから3か月の間に、世界はがらりと状況が変わりました。コロナウイルスの世界的流行です。

 ダイヤモンドプリンセス号に始まり、日本へ感染が広まり始め、休校、非常事態宣言下の外出自粛、休業要請、長い長いトンネルに入ったような閉塞感でした。まだまだ予断を許さない状況下ですが、街は少しずつ慎重に動き始めているように思います。

 自分の行動が他人の命を左右する、また身近な人への感染を予防することにつながるのだと強く肝に銘じ、今までの生活スタイルを変えて新しい日常を受け入れつつ、コロナウイルスと向き合って生きていくことになるかと思います。

 

「エジンバラの黒歴史」

 17世紀スコットランド王国の首都エジンバラでは貴族たちは丘の上に住み、丘の下にはスラム街で貧民層が住んでいました。そうした下町はクローズと呼ばれる小道(リアルキングスクローズ)がたくさんあり、じめじめとした薄暗い場所で2万人の市民が暮らしていたと言われています。

 その当時、ゴミや排泄物は、窓から外へ投げ捨てられていました。上の方に住む上流階級のゴミが下層へ流れ込み、不衛生極まりない場所にペストが発生します。ペストは治療薬がない病で、感染すると皮膚が黒紫色に変化することから黒死病とも呼ばれていました。感染すると当時の生存率は2%だったそうです。この病は瘴気(しょうき)が運んでくると言われ不気味な格好をしたペスト医師(写真①)が暗躍します。ハーブやお香をたいた黒いマントをまとい、カラスのように顔の前にハーブを詰め込んだとがったマスクをつけていました。この医師にみてもらうことは死への宣告だったので死神と呼ばれていたそうです。人口過密なうえに、不治の病であるペストが大流行した下町は4万人いた住民が6,000人にまで減少してしまいました。政府がとった政策はロックダウン、完全に街を丸ごと埋め立ててしまおうと計画したのです。おりしも人口増加に伴い市街化調整の時期だったこともあり、感染者が逃げ出すことを恐れ、家に閉じ込めてそのまま生き埋めにしたのです。

 1811年埋め立てた街の上に新しい市庁舎(写真②)がたてられました。この地下に街があったという話は、都市伝説と言われて170年もの間になんとすっかり忘れられていたのです。1980年代に考古学者が発掘を行って、改めて本当にあった話だったと世に知れ渡ったのです。今では、地下にあった場所が博物館になり、小道をめぐるツアーもあります。

 さてコロナウイルスの世界的流行により、6月に予定していたイングランド旅行は中止。もとより観光目的で国を出ることも相手の国に入ることもできなくなりました。実は、私はイギリスは日本人と似ていて、清潔で穏やかで、紳士的な国なので、ここまで感染が広がるのが意外な感じがしました。

 イギリスは、かねてより感染症対策は万全だと豪語しておりました。ところがふたを開けてみると、人口過密のロンドンで急増した発生したコロナウイルス患者に対応する検査所は少人数の小さな8か所しかありませんでした。隠れた陽性患者による郡部の介護施設の老人たちに感染が広がります。人手不足により介護従事者が掛け持ちをしている事例が多くあったためです。

 さらに都市封鎖が遅れます。近郊で行われた大規模なチェルトナム競馬も開催。加えて医療防護服などを病院に集中させたせいでほかの施設では全く足りていない状況が発生しました。

 6月6日現在死者はアメリカに次いで2番目に多い4万人を超えています。しかしピークは越えて5月中旬から段階的経済活動を緩和し始めました。6月8日からは入国者は2週間に自己隔離が義務付けられました。どんな感染症も終わらなかったことはないと歴史学者も言っています。

 大好きな国へ旅行できる日が来ることを祈って…