姪の就職2

 これに刺激をうけた京の遊女たちも客寄せに歌舞伎を演じた。ところが、風紀が乱れるというので寛永六年(一六二九年)、女芸人の出演が全面禁止となるが、その後、十三歳、十四歳の少年が演じる若衆歌舞伎となる。美少年による歌舞伎だが、男色もの(ホモセクシュアリズム)が問題だと禁止になる。しかし、大衆の歌舞伎に対する支持は強いので条件付きで認めた。野郎歌舞伎と呼ばれるもので、これが現在の歌舞伎に受け継がれていく。いまのような形ができるのは元禄時代、江戸、上方で発展する。江戸の市川團十郞が荒事、京都の坂田藤十郎が和事の芸をつくった。歌舞伎の世界は宝塚歌劇団とは逆に完全に男の世界である。

 戦後、上方歌舞伎は衰えた。このことについて片岡仁左衛門は著書『とうざい…とうざい―歌舞伎芸談西東』の中で語っている。

 一つは大阪の歌舞伎を支えていた堂島、船場、島の内の商人層が没落した。二つには戦前は政治が東京、経済が大阪と力が二分していたのに、戦後はすべて東京中心になった。三つ目は大阪の役者に子供が少なく、後継者がいない。

 大阪のお客には女房や子供がいると、人気にさわったからである。四つ目は歌舞伎役者が所属している松竹での関西の力が弱くなったからだ。だからと言って、大阪の歌舞伎の発想、芸、演技、演出が否定されたのだとは思わない点を強調していることはうれしい。

 しばらく物思いに小休止しているところへ、るり子が煎茶を入れた湯飲みと、和菓子を添えて真三のところへやってきた。

「少し、休憩されたらどうですか」

「そうだな」

「コロナウイルスが収まりそうではありませんね」

「やはり大都市での感染者が多いですね」

「名古屋も結構、多いね」

「ウイルスをばらまくと自暴自棄に陥っていた男が亡くなりましたね」

「持病もあったので、制御不能になったのだろうね。治療薬がないうえに先が見えないと、人間はその弱みを吐き出すのだろう」

「そうですか」

「オリンピックも来年に延期になったそうだね」

「来年夏ごろまでに開催すると政府は言っていますが、専門医の多くの方はワクチンや治療薬のめどがついていないのに、難しいと言っていますね」

「政府はその時はまた再考するのだろう」

「そんなことになったら、中止という声も出ないのでしょうか」

「中止は一〇〇%も考えないだろう」

「それにしても、自宅で自粛はつらいですね」

「感染爆発になれば、都市封鎖が起きるね」

「日本では封鎖しても海外のように禁止はできないようですね」

「日本では先の戦争で人権を無視して強制的なことをやった後遺症が残っているので、どうしても消極的になるんだよ」

「いずれにしましても、早く収束してほしいですね」

 真三は裕美の娘、舞がインドでどうしているか、心配しているだろうなと思いめぐらしていた。インドはカースト制度で格差社会だから医療機関も不足しているだろう。舞のいるムンバイも都市封鎖を伝えていた。彼女からの便りもしばらくない。「なあー、舞さんどうしているだろうか」

「そういえば、その後の様子を伝えてきませんね」

「しばらく、帰国できないだろう」

「世界中が鎖国のように入国を拒否しているから難しいでしょう」

「裕美さんのところには連絡があるかもしれないな」

「裕美さんも心配しているでしょうね」

「俺もいま、そのことを考えていたのだ」

「裕美さんから連絡あるまで待つしかないな」

「そうですね」

 ― 真三はお茶を飲み切ったところで、再び原稿を読み始めた。

 関西、とくに大阪が文化不毛の地となったことからうなずけると、柳原も同感であった。昭和五十三年には、財界、労働界、文化人、銀行界が一体となって「関西に歌舞伎を育てる会」が結成され、関西出身の役者を元気づけているが…。

 片桐は暗記が得意である。日本の天皇や中国の王朝の名前を時代順に立て板に水を流すように言ってのけたりする。だから三〇ページ程度の台詞を憶えることに、そう苦にしなかった。ところが、練習を始めると暗記することが苦痛になってくる。一旦、憶えても次の日になると忘れている。(暗記ものは頭の表層部だけで憶えてもダメで、頭脳の奥まで詰め込まないとすぐ忘れる)と片桐は思う。

 本番の二日前、出演者全員でリハーサルを行う。この最後の稽古が総浚いである。場所は花見小路四条にある祇園甲部歌舞練場があてられる。これまでの朝、昼、夜の稽古は個人あるいはグループごとに行っていた。全員による舞台稽古はこれが初めてである。片桐は緊張のため全く台詞が出てこない。

「どないしはりました」

 演技指導に当たっている片岡の子息兄弟の三男の片岡孝夫が声をかける。

「……」

「まだ、二日間ありますから、きっと憶えられますよ」

 片桐は全身汗だくになっている。舞台の端で練習を見つめる澤子も心配になってくる。(あの時、思い切って断るべきだったかもしれない…)

 歌舞練場からの帰り際、片桐は片岡仁左衛門に弟子の一人を一日、自分に貸してほしいと頼み込んでいる。そのため練習のスケジュールがきっちり決まっているので、片桐の都合だけに合わせるのもどうかなと思われたが、仁左衛門は快く承知した。

 二十六日の朝。小雪が舞っている。京の底冷えが一段と厳しい。それにひきかえ、南座の楽屋は人でごった返しムンムンしている。出演者の家族、親類をはじめ、会社関係者、得意先の人、さらに祇園、先斗町、上七軒のきれいどころも花束を持って押し寄せてくる。ひいき筋の社長たちの応援である。化粧をし終えた出演者と一緒に写真を撮る。京の名士一同が南座に集合しての学芸会のようなだから、楽屋は大変な混雑ぶりである。

 この日は京都が狂都になるのである。多忙と言われる京の名士たちが、一番せわしい時期に、約一ケ月間、猛稽古して大学芸会を開くことなどは、日本ではここ京都ぐらいであろう。

 京は魔将のようなものが潜んでいるのではないか。ビジネス戦士たちもこの街に住みつくと、戦闘が鈍るといわれる。隣の大阪では、南座の楽屋の雰囲気はないと、片桐も一瞬、別世界にいるような錯覚に陥る。

 開演三〇分前…妻の澤子は精神安定剤とコップ水を手渡す。片桐はもう一度、台詞を復唱しようとするが、客が次からつぎへとあいさつにくる。

 ついに幕が上がった。不思議なことに、稽古の時、あんなにとちっていた台詞が、次からつぎへ出てくる。片桐は完全に政岡になりきっていた。

「待ってました。片桐はん…」

 観客から期待と励ましの声がかかる。観客席には見覚えの顔が多い。ほとんどが同伴か、家族連れである。

 日本の男性は女房と二人づれで外出するのが苦手である。もっとも新人類はそうでもない。ところが、京に住む男性は女房と出歩くことにわりと平気である。クラブのママや舞子、芸子とも公然と歩いている。妙に臆するところがない。花柳界やクラブの女性を対等な扱いをしているのであろうか。初めて京都に来た者には驚きである。それでも、さすがに最近は、『フォーカス』や『フライデー』などの写真雑誌に怯える財界人も少なくない。とくにトップの周辺の人間が気をもんでいる。

 京の夜も他所者には解せない。一見の客が入れない店が多いのだ。東京でも名古屋でも一見の客が断られることはある。しかし、大抵は現金払いにすれば入れてくれる。ところが、京ではいくら現金を積んでも入れてくれない店がある。そういう店が繁盛しているかといえば、そうではないのだが…。

 八坂神社の南側の坂をのぼり、中村楼の手前で右に折れてしばらく行くと山手側に石塀小路と名付けた通りがある。石畳みに石塀の小路だから昼間歩いても風情がある。夜はけばけばしいネオンは一切なく、一見、何屋か、わからない黒墨で掛かれた屋号が白色蛍光灯で浮き上がる。屋敷風の邸宅もあれば料亭、クラブも並んでいる。中にはクラブといっても、知っている常連組しか見分けのつかない小さな看板が掛かっている。庭の離れのようなところに、堀こたつ式のカウンターを設け、昔、芸者だったという七〇歳を超えた姉さんが一人で接待をつとめる。

 そんなところに、地方はもとより滋賀県の知事や京大の教授ら、そうそうたる名士が集まってくる。このようなサロン風のクラブが京都には結構、多い。客の紹介でもなければ一見では入れない。

 柳原は千代萩の幕が降りると、すぐ席を立ち外に出た。朝からの小雪がまだ降り続いている。雪で白くなった花見小路をぼんぼりの街灯が一段と風情を添える。その花見小路の西側の通りにある、行きつけのクラブ“けい”に立ち寄った。花見小路の両脇にはお茶屋が並んでいる。玄関の表札を見ると、所属する芸子、舞子の名札がかかっていることに気づく。このお茶屋にもこじんまりしたバーがあって、綺麗どころが時間待ちで飲んでいる。

「今日、初めて宴席に出る子なんですよ」

 なじみの客には気軽に紹介してくれる。クラブ“けい”には、まだ時間が早いのか、一組の客しかいない。柳原は華やかな花見小路と対照的な、なにかうら悲しい感じの西側の通りが好きだ。町屋風の旧い建物で、格子戸を開けて中に入ると、薄暗い土間があり、その奥がバーになっている。柳原はカウンターでウイスキーの水割りを注文した。

 柳原は素人顔見世を観て片桐という男に一層、関心をもつようになった。考えてみると、地方紙と地方の金融機関は同じような立場にある。どちらの経営者も地元と密着していないと成り立たないところがある。なにごとも地元最優先でないとうまくいかないことを意味している。それだけに地元のことを十分、理解していないと失敗する。

 

■岡田 清治プロフィール

1942年生まれ ジャーナリスト

(編集プロダクション・NET108代表)

著書に『高野山開創千二百年 いっぱんさん行状記』『心の遺言』『あなたは社員の全能力を引き出せますか!』『リヨンで見た虹』など多数

※この物語に対する読者の方々のコメント、体験談を左記のFAXかメールでお寄せください。

今回は「就職」「日本のゆくえ」「結婚」「夫婦」「インド」「愛知県」についてです。物語が進行する中で織り込むことを試み、一緒に考えます。

FAX‥0569―34―7971

メール‥takamitsu@akai-shinbunten.net

 

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姪の就職2

  これに刺激をうけた京の遊女たちも客寄せに歌舞伎を演じた。ところが、風紀が乱れるというので寛永六年(一六二九年)、女芸人の出演が全面禁止となるが、その後、十三歳、十四歳の少年が演じる若衆歌舞伎となる。美少年による歌舞伎だが、男色もの(ホモセクシュアリズム)が問題だと禁止になる。しかし、大衆の歌舞伎に対する支持は強いので条件付きで認めた。野郎歌舞伎と呼ばれるもので、これが現在の歌舞伎に受け継がれていく。いまのような形ができるのは元禄時代、江戸、上方で発展する。江戸の市川團十郞が荒事、京都の坂田藤十郎が和事の芸をつくった。歌舞伎の世界は宝塚歌劇団とは逆に完全に男の世界である。

 戦後、上方歌舞伎は衰えた。このことについて片岡仁左衛門は著書『とうざい…とうざい―歌舞伎芸談西東』の中で語っている。

 一つは大阪の歌舞伎を支えていた堂島、船場、島の内の商人層が没落した。二つには戦前は政治が東京、経済が大阪と力が二分していたのに、戦後はすべて東京中心になった。三つ目は大阪の役者に子供が少なく、後継者がいない。

 大阪のお客には女房や子供がいると、人気にさわったからである。四つ目は歌舞伎役者が所属している松竹での関西の力が弱くなったからだ。だからと言って、大阪の歌舞伎の発想、芸、演技、演出が否定されたのだとは思わない点を強調していることはうれしい。

 しばらく物思いに小休止しているところへ、るり子が煎茶を入れた湯飲みと、和菓子を添えて真三のところへやってきた。

「少し、休憩されたらどうですか」

「そうだな」

「コロナウイルスが収まりそうではありませんね」

「やはり大都市での感染者が多いですね」

「名古屋も結構、多いね」

「ウイルスをばらまくと自暴自棄に陥っていた男が亡くなりましたね」

「持病もあったので、制御不能になったのだろうね。治療薬がないうえに先が見えないと、人間はその弱みを吐き出すのだろう」

「そうですか」

「オリンピックも来年に延期になったそうだね」

「来年夏ごろまでに開催すると政府は言っていますが、専門医の多くの方はワクチンや治療薬のめどがついていないのに、難しいと言っていますね」

「政府はその時はまた再考するのだろう」

「そんなことになったら、中止という声も出ないのでしょうか」

「中止は一〇〇%も考えないだろう」

「それにしても、自宅で自粛はつらいですね」

「感染爆発になれば、都市封鎖が起きるね」

「日本では封鎖しても海外のように禁止はできないようですね」

「日本では先の戦争で人権を無視して強制的なことをやった後遺症が残っているので、どうしても消極的になるんだよ」

「いずれにしましても、早く収束してほしいですね」

 真三は裕美の娘、舞がインドでどうしているか、心配しているだろうなと思いめぐらしていた。インドはカースト制度で格差社会だから医療機関も不足しているだろう。舞のいるムンバイも都市封鎖を伝えていた。彼女からの便りもしばらくない。「なあー、舞さんどうしているだろうか」

「そういえば、その後の様子を伝えてきませんね」

「しばらく、帰国できないだろう」

「世界中が鎖国のように入国を拒否しているから難しいでしょう」

「裕美さんのところには連絡があるかもしれないな」

「裕美さんも心配しているでしょうね」

「俺もいま、そのことを考えていたのだ」

「裕美さんから連絡あるまで待つしかないな」

「そうですね」

 ― 真三はお茶を飲み切ったところで、再び原稿を読み始めた。

 関西、とくに大阪が文化不毛の地となったことからうなずけると、柳原も同感であった。昭和五十三年には、財界、労働界、文化人、銀行界が一体となって「関西に歌舞伎を育てる会」が結成され、関西出身の役者を元気づけているが…。

 片桐は暗記が得意である。日本の天皇や中国の王朝の名前を時代順に立て板に水を流すように言ってのけたりする。だから三〇ページ程度の台詞を憶えることに、そう苦にしなかった。ところが、練習を始めると暗記することが苦痛になってくる。一旦、憶えても次の日になると忘れている。(暗記ものは頭の表層部だけで憶えてもダメで、頭脳の奥まで詰め込まないとすぐ忘れる)と片桐は思う。

 本番の二日前、出演者全員でリハーサルを行う。この最後の稽古が総浚いである。場所は花見小路四条にある祇園甲部歌舞練場があてられる。これまでの朝、昼、夜の稽古は個人あるいはグループごとに行っていた。全員による舞台稽古はこれが初めてである。片桐は緊張のため全く台詞が出てこない。

「どないしはりました」

 演技指導に当たっている片岡の子息兄弟の三男の片岡孝夫が声をかける。

「……」

「まだ、二日間ありますから、きっと憶えられますよ」

 片桐は全身汗だくになっている。舞台の端で練習を見つめる澤子も心配になってくる。(あの時、思い切って断るべきだったかもしれない…)

 歌舞練場からの帰り際、片桐は片岡仁左衛門に弟子の一人を一日、自分に貸してほしいと頼み込んでいる。そのため練習のスケジュールがきっちり決まっているので、片桐の都合だけに合わせるのもどうかなと思われたが、仁左衛門は快く承知した。

 二十六日の朝。小雪が舞っている。京の底冷えが一段と厳しい。それにひきかえ、南座の楽屋は人でごった返しムンムンしている。出演者の家族、親類をはじめ、会社関係者、得意先の人、さらに祇園、先斗町、上七軒のきれいどころも花束を持って押し寄せてくる。ひいき筋の社長たちの応援である。化粧をし終えた出演者と一緒に写真を撮る。京の名士一同が南座に集合しての学芸会のようなだから、楽屋は大変な混雑ぶりである。

 この日は京都が狂都になるのである。多忙と言われる京の名士たちが、一番せわしい時期に、約一ケ月間、猛稽古して大学芸会を開くことなどは、日本ではここ京都ぐらいであろう。

 京は魔将のようなものが潜んでいるのではないか。ビジネス戦士たちもこの街に住みつくと、戦闘が鈍るといわれる。隣の大阪では、南座の楽屋の雰囲気はないと、片桐も一瞬、別世界にいるような錯覚に陥る。

 開演三〇分前…妻の澤子は精神安定剤とコップ水を手渡す。片桐はもう一度、台詞を復唱しようとするが、客が次からつぎへとあいさつにくる。

 ついに幕が上がった。不思議なことに、稽古の時、あんなにとちっていた台詞が、次からつぎへ出てくる。片桐は完全に政岡になりきっていた。

「待ってました。片桐はん…」

 観客から期待と励ましの声がかかる。観客席には見覚えの顔が多い。ほとんどが同伴か、家族連れである。

 日本の男性は女房と二人づれで外出するのが苦手である。もっとも新人類はそうでもない。ところが、京に住む男性は女房と出歩くことにわりと平気である。クラブのママや舞子、芸子とも公然と歩いている。妙に臆するところがない。花柳界やクラブの女性を対等な扱いをしているのであろうか。初めて京都に来た者には驚きである。それでも、さすがに最近は、『フォーカス』や『フライデー』などの写真雑誌に怯える財界人も少なくない。とくにトップの周辺の人間が気をもんでいる。

 京の夜も他所者には解せない。一見の客が入れない店が多いのだ。東京でも名古屋でも一見の客が断られることはある。しかし、大抵は現金払いにすれば入れてくれる。ところが、京ではいくら現金を積んでも入れてくれない店がある。そういう店が繁盛しているかといえば、そうではないのだが…。

 八坂神社の南側の坂をのぼり、中村楼の手前で右に折れてしばらく行くと山手側に石塀小路と名付けた通りがある。石畳みに石塀の小路だから昼間歩いても風情がある。夜はけばけばしいネオンは一切なく、一見、何屋か、わからない黒墨で掛かれた屋号が白色蛍光灯で浮き上がる。屋敷風の邸宅もあれば料亭、クラブも並んでいる。中にはクラブといっても、知っている常連組しか見分けのつかない小さな看板が掛かっている。庭の離れのようなところに、堀こたつ式のカウンターを設け、昔、芸者だったという七〇歳を超えた姉さんが一人で接待をつとめる。

 そんなところに、地方はもとより滋賀県の知事や京大の教授ら、そうそうたる名士が集まってくる。このようなサロン風のクラブが京都には結構、多い。客の紹介でもなければ一見では入れない。

 柳原は千代萩の幕が降りると、すぐ席を立ち外に出た。朝からの小雪がまだ降り続いている。雪で白くなった花見小路をぼんぼりの街灯が一段と風情を添える。その花見小路の西側の通りにある、行きつけのクラブ“けい”に立ち寄った。花見小路の両脇にはお茶屋が並んでいる。玄関の表札を見ると、所属する芸子、舞子の名札がかかっていることに気づく。このお茶屋にもこじんまりしたバーがあって、綺麗どころが時間待ちで飲んでいる。

「今日、初めて宴席に出る子なんですよ」

 なじみの客には気軽に紹介してくれる。クラブ“けい”には、まだ時間が早いのか、一組の客しかいない。柳原は華やかな花見小路と対照的な、なにかうら悲しい感じの西側の通りが好きだ。町屋風の旧い建物で、格子戸を開けて中に入ると、薄暗い土間があり、その奥がバーになっている。柳原はカウンターでウイスキーの水割りを注文した。

 柳原は素人顔見世を観て片桐という男に一層、関心をもつようになった。考えてみると、地方紙と地方の金融機関は同じような立場にある。どちらの経営者も地元と密着していないと成り立たないところがある。なにごとも地元最優先でないとうまくいかないことを意味している。それだけに地元のことを十分、理解していないと失敗する。