姪の就職2

「しかしだね、肥後モッコスというのは、偏屈者、奇人、変人の性格で熊本人の俗称になっているではないか」

 真三は自分の家系がひどく傷つけられたと思って反論した。

「善家が奇人、変人というのと、肥後モッコスのそれとは雲泥の差があるわね。肥後モッコスはもっと気骨や誇りがある変人よ」

 るり子は分かったような、わからないようなことを言う。三十年も結婚生活をしていると、火の国の女の芯になにか恐ろしい阿蘇火口の奥底で燃えるマグマのようなものを感じる時がある。

「だいたい、熊本人というのは九州の中で保守的な体質が強いのではないかと思う。熊本は近代化する過程で、そういう体質、風土ができてきたのと違うか」

「わたしはそれが嫌で熊本を飛び出し、大学も近畿や関東へ行ったの。いまごろわかった」

「そんなものかな」

「でも、よりによって大阪人と結婚するとは思わなかったけど…」

 真三は仕事柄、東京での会議に出ることもある。いつも東京での会議が全体的にまわりくどく、形式主義の傾向が強いと感じていた。ところが非大阪人には、大阪人はズケズケものを言い過ぎ、無礼な輩だと密かに心の中で軽蔑していることを最近、思うようになった。 そういえば、テレビでも大阪出身の評論家やコメンテーターは本質をずばり直截的に大阪弁で話すので、大阪人にはわかりやすく、心地よい。ところが、非大阪人、とくに武家社会の伝統を引く人たちには、言葉使いや、話し方に一定のエチケット、あるいはルールがあると思っているから、大阪人の言うことが事実であっても嫌うのではないか。

 『大阪学』の著者の大谷晃一氏は「東京では、あらゆる機会をとらえ、自分の格を上げ箔をつけなければ蹴落とされる。見栄などという生易しいものではない」と書いている。

 『東京学』の著者の小川和佑氏は「大阪から出張で上京してくる生粋の難波っ子たちは気付いているだろうか。東京の企業人たちがなにげないふりして、ちらっと上京した企業マンのスーツの襟元の社章に目をはしらせるのを。それは組織の社会的ネームバリューについても関心が注がれているからだ」と指摘している。

 ただ、大阪弁に対する評価が変わってきているようだ。

「昔は、大阪弁はずうずうしく、論理的な話し方でなく猥雑なものとされてきたところがある。昭和三十年代になると、とくにプラス評価ではないが、人間の弱い面を臆せず出すことについてや、また猥雑さが近代の合理主義、権威主義に対する反発の足場として意味があると、裏返して評価されるようになった。さらに平成に入って東京の若者の間で、大阪弁への好感度が急速に高まってきたといわれる。東京の標準語が生きた生活の言葉をなくしたことが主な理由である」と東大文学部助教授(当時)の尾上圭介氏が講演で話した。

 真三は漫才がテレビで頻繁に登場して、大阪弁に慣れた面が大きいと思っている。真三は東京へ出張した時に、『新聞協会報』のコラム「磁気テープ」に「不思議な望遠鏡」の題で興味あることが目にとまった。―この三月、東京から大阪に戻った。大阪人の初めての東京暮らしは、会う人、見るモノすべてが刺激的だった。大阪弁を抑制するが、「関西のかたですか」と、すぐに見破られた。吉本興業の銀座進出が成功しているところをみると、偉大なる田舎者の大阪人は一昔前よりは、デカイ顔しているように思えた。

 東京人の一番多い質問は、「大阪人は正札を値切るのは本当か」だった。その質問の裏には「箱根の向こうには、そんな人間が住んでいるのか?」というある種の侮蔑が込められている。井原西鶴、石田梅岩以来の商人道にみられる合理的精神、プラグマティズム(実用主義)の発露だと思いつつも、「そうですなぁ、時々は」と、口ごもった。

 ウナギの開きは東京の背開き、大阪の腹開きと異なるが、腹開きは切腹に通じると東京人は嫌う。いまも江戸社会の慣習、意識を引きずっている。東京にいると、関西の情報が少ない。土産に岩おこしを持参すると、雷おこし以外にもおこしがあるのかという驚きは極端にしても、西の情報が少ない。東京の受信装置が悪いからだと思っている。

 望遠鏡の使い方がまるで逆だと感じている。望遠鏡は遠くのモノを拡大して見る光学器械だ。地方人は望遠鏡の接眼レンズの凹レンズから東京を見ているので、東京の情報をよく知っている。ところが、東京人は対物レンズの凸レンズから地方を見るので、実際以上に遠くに見ている。地方分権論の中央と地方のギャップも望遠鏡の覗き方の違いからきているのとちゃいますか―

 これが東京に来てわかったことだと、大阪からの赴任記者は愚痴っている。全国紙の大阪経済部の記者はこうも嘆いている。

「われわれの記事が首都圏面に載ることはめったにないが、中央の記事は大した内容でなくとも、全国に流れる」

 この機能がすべてにわたって蔓延しているから当然、東京集中が起こる。企業も東京へ本社機能を移す。官僚から「もう大企業になったから、本社を東京へ移したら?」と忠告を受けるようだ。行政にとっては効率的なのだ。地方が育たたないはずだ。大阪でこうだから熊本など、地方はもっとひどい。しかし、一方で九州各県は、九州全体が日本だという意識が高いことは、先にも触れた。

「大阪人の言動はプラグマティズム(実用主義)そのもので、すばらしいですよ」

 大阪人をよく観察してほめる人はそういうが、少数派である。でも正直、大阪人はうれしく思っている。プラグマティズムは欧米の合理主義に通じる。欧米人からみると、大阪人には親近感を覚えるようだ。

 町人文化を受け継いでいる大阪人は、損得勘定で

クロかシロかはっきり言う。商いには命がけである。武家社会の東京では政府に依存する傾向が強いが、大阪の企業人には独立不屈のところがある。だからはっきりと言いたいことを言う。

 大阪の漫才が面白いのは自由度が大きいからだと真三は思っている。とくにお上の悪口を平気でズケズケ話すのも大阪の風土からであろう。

「かつては漫才という姿を借りて、大阪弁の面白さを表現していたとすれば、いまはむきだしになったままの姿で、大阪弁は現代日本人のお笑いへの欲求を満たしているのだ」(俳人・中村裕氏)という見方である。

「それにしても、大阪人、とくに河内育ちのあんたはじめ、善家の人たちの言葉が汚い。わたしもつい慣れっこになったのか、本当にそう思いますよ」

 るり子は二言目には大阪弁(河内弁も含む)をののしる。これはその通りと真三は思うが、そう簡単に解決できない。

 かつて国会討論で大阪出身の代議士、例えば辻元清美議員の小泉前総理への質問場面がテレビで過去最高の一三・一%という高い視聴率だったが、辻元女史へのメールには「六割が応援するもので、残りの四割は小泉総理をいじめるなという内容のものではなく、品のない、汚い大阪弁を使うな」ということだったと、本人が明らかにしていたが、大阪弁には良悪入り交じる評価があるように真三は思っている。

 大阪弁と比べて、九州弁は雄大で温かく感じられる。ところが結婚するとき、はじめて、るり子の実家を訪れた時のことである。

「真三さん、長くなりんさい」

「長くなる」

 何を言っているのか、さっぱりわからなかった。「長くなれ」と言われても、これ以上背が伸びないのに、何を言うんだと内心、腹を立てた。

「長くなれというのは、ゆっくりして横になって、くつろいでくださいということなの」

 るり子がきょとんとしている真三に説明する。なるほど、座っている状態から横になれば、長くなるわけだと、いたく感心もした。

「九州の中でも鹿児島弁は別だ。ほとんど理解できない」 九州の他県の人たちも口を揃える。江戸時代、独立国家的な政策をとり、言葉も他藩の人間にはわからないようにしたことが、いまも引きずっているのだろう。

 新郎のN君は父親の顔を立てて、地元の結婚式場で一〇〇名近い人を集めて披露宴を盛大に開いた。バブル崩壊後、地味婚が増え、結婚式は新婚旅行を兼ね、家族だけで海外で済ませ、披露宴は新郎・新婦の友人を集めて会費制でやるのが増えている。 ホテルにとって結婚式は有力な市場だったので、なんとか新しいカップルを確保しようと手を替え品を替え、さらには大幅な値引き競争を展開している。

 N君の場合、正午から始まった披露宴が三時まで続いた。乾杯のあとは、それぞれのグループの間を自由に動き回り、新郎、新婦のあいさつはもとより、司会者の声も聞こえないほど盛り上がった。

 おしゃべりのあとはカラオケ大会である。

 

■岡田 清治プロフィール

1942年生まれ ジャーナリスト

(編集プロダクション・NET108代表)

著書に『高野山開創千二百年 いっぱんさん行状記』『心の遺言』『あなたは社員の全能力を引き出せますか!』『リヨンで見た虹』など多数

※この物語に対する読者の方々のコメント、体験談を左記のFAXかメールでお寄せください。

今回は「就職」「日本のゆくえ」「結婚」「夫婦」「インド」「愛知県」についてです。物語が進行する中で織り込むことを試み、一緒に考えます。

FAX‥0569―34―7971

メール‥takamitsu@akai-shinbunten.net

 

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姪の就職2

「しかしだね、肥後モッコスというのは、偏屈者、奇人、変人の性格で熊本人の俗称になっているではないか」

 真三は自分の家系がひどく傷つけられたと思って反論した。

「善家が奇人、変人というのと、肥後モッコスのそれとは雲泥の差があるわね。肥後モッコスはもっと気骨や誇りがある変人よ」

 るり子は分かったような、わからないようなことを言う。三十年も結婚生活をしていると、火の国の女の芯になにか恐ろしい阿蘇火口の奥底で燃えるマグマのようなものを感じる時がある。

「だいたい、熊本人というのは九州の中で保守的な体質が強いのではないかと思う。熊本は近代化する過程で、そういう体質、風土ができてきたのと違うか」

「わたしはそれが嫌で熊本を飛び出し、大学も近畿や関東へ行ったの。いまごろわかった」

「そんなものかな」

「でも、よりによって大阪人と結婚するとは思わなかったけど…」

 真三は仕事柄、東京での会議に出ることもある。いつも東京での会議が全体的にまわりくどく、形式主義の傾向が強いと感じていた。ところが非大阪人には、大阪人はズケズケものを言い過ぎ、無礼な輩だと密かに心の中で軽蔑していることを最近、思うようになった。 そういえば、テレビでも大阪出身の評論家やコメンテーターは本質をずばり直截的に大阪弁で話すので、大阪人にはわかりやすく、心地よい。ところが、非大阪人、とくに武家社会の伝統を引く人たちには、言葉使いや、話し方に一定のエチケット、あるいはルールがあると思っているから、大阪人の言うことが事実であっても嫌うのではないか。

 『大阪学』の著者の大谷晃一氏は「東京では、あらゆる機会をとらえ、自分の格を上げ箔をつけなければ蹴落とされる。見栄などという生易しいものではない」と書いている。

 『東京学』の著者の小川和佑氏は「大阪から出張で上京してくる生粋の難波っ子たちは気付いているだろうか。東京の企業人たちがなにげないふりして、ちらっと上京した企業マンのスーツの襟元の社章に目をはしらせるのを。それは組織の社会的ネームバリューについても関心が注がれているからだ」と指摘している。

 ただ、大阪弁に対する評価が変わってきているようだ。

「昔は、大阪弁はずうずうしく、論理的な話し方でなく猥雑なものとされてきたところがある。昭和三十年代になると、とくにプラス評価ではないが、人間の弱い面を臆せず出すことについてや、また猥雑さが近代の合理主義、権威主義に対する反発の足場として意味があると、裏返して評価されるようになった。さらに平成に入って東京の若者の間で、大阪弁への好感度が急速に高まってきたといわれる。東京の標準語が生きた生活の言葉をなくしたことが主な理由である」と東大文学部助教授(当時)の尾上圭介氏が講演で話した。

 真三は漫才がテレビで頻繁に登場して、大阪弁に慣れた面が大きいと思っている。真三は東京へ出張した時に、『新聞協会報』のコラム「磁気テープ」に「不思議な望遠鏡」の題で興味あることが目にとまった。―この三月、東京から大阪に戻った。大阪人の初めての東京暮らしは、会う人、見るモノすべてが刺激的だった。大阪弁を抑制するが、「関西のかたですか」と、すぐに見破られた。吉本興業の銀座進出が成功しているところをみると、偉大なる田舎者の大阪人は一昔前よりは、デカイ顔しているように思えた。

 東京人の一番多い質問は、「大阪人は正札を値切るのは本当か」だった。その質問の裏には「箱根の向こうには、そんな人間が住んでいるのか?」というある種の侮蔑が込められている。井原西鶴、石田梅岩以来の商人道にみられる合理的精神、プラグマティズム(実用主義)の発露だと思いつつも、「そうですなぁ、時々は」と、口ごもった。

 ウナギの開きは東京の背開き、大阪の腹開きと異なるが、腹開きは切腹に通じると東京人は嫌う。いまも江戸社会の慣習、意識を引きずっている。東京にいると、関西の情報が少ない。土産に岩おこしを持参すると、雷おこし以外にもおこしがあるのかという驚きは極端にしても、西の情報が少ない。東京の受信装置が悪いからだと思っている。

 望遠鏡の使い方がまるで逆だと感じている。望遠鏡は遠くのモノを拡大して見る光学器械だ。地方人は望遠鏡の接眼レンズの凹レンズから東京を見ているので、東京の情報をよく知っている。ところが、東京人は対物レンズの凸レンズから地方を見るので、実際以上に遠くに見ている。地方分権論の中央と地方のギャップも望遠鏡の覗き方の違いからきているのとちゃいますか―

 これが東京に来てわかったことだと、大阪からの赴任記者は愚痴っている。全国紙の大阪経済部の記者はこうも嘆いている。

「われわれの記事が首都圏面に載ることはめったにないが、中央の記事は大した内容でなくとも、全国に流れる」

 この機能がすべてにわたって蔓延しているから当然、東京集中が起こる。企業も東京へ本社機能を移す。官僚から「もう大企業になったから、本社を東京へ移したら?」と忠告を受けるようだ。行政にとっては効率的なのだ。地方が育たたないはずだ。大阪でこうだから熊本など、地方はもっとひどい。しかし、一方で九州各県は、九州全体が日本だという意識が高いことは、先にも触れた。

「大阪人の言動はプラグマティズム(実用主義)そのもので、すばらしいですよ」

 大阪人をよく観察してほめる人はそういうが、少数派である。でも正直、大阪人はうれしく思っている。プラグマティズムは欧米の合理主義に通じる。欧米人からみると、大阪人には親近感を覚えるようだ。

 町人文化を受け継いでいる大阪人は、損得勘定で

クロかシロかはっきり言う。商いには命がけである。武家社会の東京では政府に依存する傾向が強いが、大阪の企業人には独立不屈のところがある。だからはっきりと言いたいことを言う。

 大阪の漫才が面白いのは自由度が大きいからだと真三は思っている。とくにお上の悪口を平気でズケズケ話すのも大阪の風土からであろう。

「かつては漫才という姿を借りて、大阪弁の面白さを表現していたとすれば、いまはむきだしになったままの姿で、大阪弁は現代日本人のお笑いへの欲求を満たしているのだ」(俳人・中村裕氏)という見方である。

「それにしても、大阪人、とくに河内育ちのあんたはじめ、善家の人たちの言葉が汚い。わたしもつい慣れっこになったのか、本当にそう思いますよ」

 るり子は二言目には大阪弁(河内弁も含む)をののしる。これはその通りと真三は思うが、そう簡単に解決できない。

 かつて国会討論で大阪出身の代議士、例えば辻元清美議員の小泉前総理への質問場面がテレビで過去最高の一三・一%という高い視聴率だったが、辻元女史へのメールには「六割が応援するもので、残りの四割は小泉総理をいじめるなという内容のものではなく、品のない、汚い大阪弁を使うな」ということだったと、本人が明らかにしていたが、大阪弁には良悪入り交じる評価があるように真三は思っている。

 大阪弁と比べて、九州弁は雄大で温かく感じられる。ところが結婚するとき、はじめて、るり子の実家を訪れた時のことである。

「真三さん、長くなりんさい」

「長くなる」

 何を言っているのか、さっぱりわからなかった。「長くなれ」と言われても、これ以上背が伸びないのに、何を言うんだと内心、腹を立てた。

「長くなれというのは、ゆっくりして横になって、くつろいでくださいということなの」

 るり子がきょとんとしている真三に説明する。なるほど、座っている状態から横になれば、長くなるわけだと、いたく感心もした。

「九州の中でも鹿児島弁は別だ。ほとんど理解できない」 九州の他県の人たちも口を揃える。江戸時代、独立国家的な政策をとり、言葉も他藩の人間にはわからないようにしたことが、いまも引きずっているのだろう。

 新郎のN君は父親の顔を立てて、地元の結婚式場で一〇〇名近い人を集めて披露宴を盛大に開いた。バブル崩壊後、地味婚が増え、結婚式は新婚旅行を兼ね、家族だけで海外で済ませ、披露宴は新郎・新婦の友人を集めて会費制でやるのが増えている。 ホテルにとって結婚式は有力な市場だったので、なんとか新しいカップルを確保しようと手を替え品を替え、さらには大幅な値引き競争を展開している。

 N君の場合、正午から始まった披露宴が三時まで続いた。乾杯のあとは、それぞれのグループの間を自由に動き回り、新郎、新婦のあいさつはもとより、司会者の声も聞こえないほど盛り上がった。

 おしゃべりのあとはカラオケ大会である。