■杉本武之プロフィール

1939年 碧南市に生まれる。

京都大学文学部卒業。

翻訳業を経て、小学校教師になるために愛知教育大学に入学。

25年間、西尾市の小中学校に勤務。

定年退職後、名古屋大学教育学部の大学院で学ぶ。

〈趣味〉読書と競馬

 

【41】日本映画(その2)

◎黒澤明『生きる』

 新聞や雑誌などを読んでいて、その人の名前が目に入ると、その途端に私の胸が高鳴る人が数名います。中でも、次の3人の名前を見ると、私の心臓は激しく鼓動します。―映画監督の黒澤明、小説家のドストエフスキー、褝僧の良寛です。

 小津安二郎、ブルックナー、ミレー、梶井基次郎、夏目漱石などの名前を見ても、私の心臓はドキドキし、血液の流れは速くなります。しかし、心はかなり平静なままです。何が書いてあるか、ちょっと読んでみるか、といった程度の反応です。 黒澤明、ドストエフスキー、良寛――何という魅力的な名前でしょう。何という魅力的な人たちでしょう。私は、若い時にこの3人に出会い、たちまち魅了されました。80歳になった今も、3人のことを思うと、少年のように胸が高鳴るのです。

 一番初めに観た黒澤明の映画は『羅生門』でした。小学6年生の時でした。よく分からないながら、人間ってみんな嘘をつくものだと思いました。中学1年生の時に『生きる』を観ました。よく分からないながら、深く重い内容を持った映画だと思いました。

 そして、中学3年生の時に『七人の侍』を観ました。全てがよく分かりました。面白さに時の経つのを忘れました。これまでに数多くの映画を観てきましたが、これほど興奮して観た映画はありません。その日、私はこの3時間半の大長編映画を2回観て家に帰りました。あの日の感激は、今でもはっきりと覚えています。

 あの日から、黒澤明は私の神様になりました。『七人の侍』は私の宝物になりました。

 黒澤明が作った30本の映画は、全て2回以上観ています。『七人の侍』は20回以上観ました。5回以上観た作品を時代順に挙げます。

 『姿三四郎』『わが青春に悔なし』『酔いどれ天使』『野良犬』『羅生門』『生きる』『七人の侍』『蜘蛛巣城』『隠し砦の三悪人』『用心棒』『椿三十郎』『天国と地獄』『赤ひげ』『デルス・ウザーラ』『夢』の15本です。

 黒澤明の代表作は『七人の侍』と『生きる』です。『赤ひげ』を入れる人もいます。 代表作の一つである『生きる』は次のような内容の作品です。

 主人公の渡辺勘治(志村喬)は市役所の市民課長で、30年間無欠勤の模範的な役人である。その彼が無断欠勤した。彼は病院で医師の診察を受け、「単なる胃潰瘍」と言われるが、彼は余命いくばくもない胃癌に冒されていると直感する。絶望した彼は、夜の街にさまよい出て、飲み慣れない酒を飲み、小説家(伊藤雄之助)の案内でバー、ダンスホール、ストリップ劇場、キャバレーなどを渡り歩く。翌日、市役所の事務員(小田切みき)と出会う。若い彼女は、退屈でつまらない役所勤めを辞めて、動く玩具を作っている小さな町工場で働こうとしていた。彼女との話から、彼も何かを作ろうと決意する。

 次の日、久し振りに出勤した彼は、町の婦人たちから出されていた「暗渠修理及び埋め立て陳情書」を読む。水たまりを埋め立てて子どもたちの公園を造成する仕事に、彼は最後の情熱を傾ける。そして、公園が完成する。死ぬ前夜の11時頃、彼は雪の中で公園のブランコに座って、安らかな微笑を浮かべつつ「ゴンドラの唄」を歌う。「生命短し 恋せよ乙女 赤き唇 あせぬまに 熱き血潮の 冷えぬまに 明日の月日は 無いものを」

 黒澤明は『生きる』を演出する前にこう述べました。

 「この映画の主人公は、死に直面して、はじめて過去の自分の無意味な生き方に気が付く。いや、これまで自分がまるで生きていなかった事に気が付くのである。そして、残された僅かの時間をあわてて、立派に生きようとする。僕は、この人間の軽薄から生まれた悲劇を、しみじみと描いてみたいのである」

 人間存在の根源を問う重苦しい『生きる』を完成させた黒澤明は、次回作として、今度は無条件に明るく楽しい、痛快無比の時代劇『七人の侍』を作りました。

 

◎溝口健二『山椒大夫』

 溝口健二(1898~1956)は生涯で85本の映画を作りました。処女作『愛に甦る日」は大正12年(1923)に作られ、遺作『赤線地帯』は昭和31年(1956)に作られました。残念なことに、そのうち50本以上のフィルムが残っていません。

 私が観た溝口作品は、次の12本のみです。―『元禄忠臣蔵』『歌麿をめぐる五人の女』『雪夫人絵図』『お遊さま』『武蔵野夫人』『西鶴一代女』『雨月物語』『祇園囃子』『山椒大夫』『近松物語』『新・平家物語』『赤線地帯』

 溝口健二は、晩年になって世界の映画史に残る傑作を次々と作りました。芸術家の創作活動は年齢と共に衰退するのが普通ですが、彼の場合、晩年になるほど旺盛になりました。もっとも、彼は58歳で死んだので、晩年という言葉は不適当かも知れません。

 特に『西鶴一代女』『雨月物語』『山椒大夫』『近松物語』の4本は抜群の傑作で、世界の映画祭で数々の賞を獲得しました。

 『山椒大夫』は、誰でも知っている「安寿と厨子王」の哀しい物語です。

 この映画は、全編、豊かで美しい映像に満ちあふれています。忘れ難い名場面が幾つもあります。

 まず冒頭の、幼い安寿と厨子王(子役時代の津川雅彦)が母の玉木(田中絹代)と北陸の海辺をさまよう場面が素晴らしい。白いススキの穂が美しく揺れ動いており、頼りない親子の心情が見事に表現されています。

 山椒大夫(進藤英太郎)の荘園に売られた安寿(香川京子)は、佐渡から来た新入りの女奴隷が口ずさんでいた歌から、母が佐渡で生きていることを知ります。その前後の緊迫感みなぎる映像の見事さには、思わず息を飲みます。

 圧巻は、安寿が小さな沼で入水して死ぬ場面です。母に会うために脱走した厨子王の行方を、厳しい拷問にかけられて白状することを恐れ、安寿は死ぬ決意をします。彼女は一歩一歩静かに沼の中に入って行きます。彼女が沈むと、波紋がゆっくりと広がります。

 私はこれ以上に美しい映像を他に知りません。正に世界一美しい映画のシーンです。

 最後に、正道と名を改めた厨子王(花柳喜章)は、佐渡に渡って、目が見えなくなっている母と海辺で再会します。哀れな姿の母を見つけ、彼はにじり寄ります。そして、二人はひしと抱き合います。カメラはロングに引いて海へパンします。穏やかな海辺の風景が映し出されます。偉大なカメラマンだった宮川一夫の技術が冴え渡ります。世界中の映画人を驚かせた名場面です。

 私は、溝口の作品では、美しい映像で描かれた『山椒大夫』と、哀しくも美しい不倫の愛を描いた『近松物語』が大好きです。

 

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【40】日本映画(その1)

◎日本映画の黄金時代

 新聞や雑誌などを読んでいて、その人の名前が目に入ると、その途端に私の胸が高鳴る人が数名います。中でも、次の3人の名前を見ると、私の心臓は激しく鼓動します。―映画監督の黒澤明、小説家のドストエフスキー、褝僧の良寛です。

 小津安二郎、ブルックナー、ミレー、梶井基次郎、夏目漱石などの名前を見ても、私の心臓はドキドキし、血液の流れは速くなります。しかし、心はかなり平静なままです。何が書いてあるか、ちょっと読んでみるか、といった程度の反応です。 黒澤明、ドストエフスキー、良寛――何という魅力的な名前でしょう。何という魅力的な人たちでしょう。私は、若い時にこの3人に出会い、たちまち魅了されました。80歳になった今も、3人のことを思うと、少年のように胸が高鳴るのです。

 一番初めに観た黒澤明の映画は『羅生門』でした。小学6年生の時でした。よく分からないながら、人間ってみんな嘘をつくものだと思いました。中学1年生の時に『生きる』を観ました。よく分からないながら、深く重い内容を持った映画だと思いました。

 そして、中学3年生の時に『七人の侍』を観ました。全てがよく分かりました。面白さに時の経つのを忘れました。これまでに数多くの映画を観てきましたが、これほど興奮して観た映画はありません。その日、私はこの3時間半の大長編映画を2回観て家に帰りました。あの日の感激は、今でもはっきりと覚えています。

 あの日から、黒澤明は私の神様になりました。『七人の侍』は私の宝物になりました。

 黒澤明が作った30本の映画は、全て2回以上観ています。『七人の侍』は20回以上観ました。5回以上観た作品を時代順に挙げます。

 『姿三四郎』『わが青春に悔なし』『酔いどれ天使』『野良犬』『羅生門』『生きる』『七人の侍』『蜘蛛巣城』『隠し砦の三悪人』『用心棒』『椿三十郎』『天国と地獄』『赤ひげ』『デルス・ウザーラ』『夢』の15本です。

 黒澤明の代表作は『七人の侍』と『生きる』です。『赤ひげ』を入れる人もいます。 代表作の一つである『生きる』は次のような内容の作品です。

 主人公の渡辺勘治(志村喬)は市役所の市民課長で、30年間無欠勤の模範的な役人である。その彼が無断欠勤した。彼は病院で医師の診察を受け、「単なる胃潰瘍」と言われるが、彼は余命いくばくもない胃癌に冒されていると直感する。絶望した彼は、夜の街にさまよい出て、飲み慣れない酒を飲み、小説家(伊藤雄之助)の案内でバー、ダンスホール、ストリップ劇場、キャバレーなどを渡り歩く。翌日、市役所の事務員(小田切みき)と出会う。若い彼女は、退屈でつまらない役所勤めを辞めて、動く玩具を作っている小さな町工場で働こうとしていた。彼女との話から、彼も何かを作ろうと決意する。

 次の日、久し振りに出勤した彼は、町の婦人たちから出されていた「暗渠修理及び埋め立て陳情書」を読む。水たまりを埋め立てて子どもたちの公園を造成する仕事に、彼は最後の情熱を傾ける。そして、公園が完成する。死ぬ前夜の11時頃、彼は雪の中で公園のブランコに座って、安らかな微笑を浮かべつつ「ゴンドラの唄」を歌う。「生命短し 恋せよ乙女 赤き唇 あせぬまに 熱き血潮の 冷えぬまに 明日の月日は 無いものを」

 黒澤明は『生きる』を演出する前にこう述べました。

 「この映画の主人公は、死に直面して、はじめて過去の自分の無意味な生き方に気が付く。いや、これまで自分がまるで生きていなかった事に気が付くのである。そして、残された僅かの時間をあわてて、立派に生きようとする。僕は、この人間の軽薄から生まれた悲劇を、しみじみと描いてみたいのである」

 人間存在の根源を問う重苦しい『生きる』を完成させた黒澤明は、次回作として、今度は無条件に明るく楽しい、痛快無比の時代劇『七人の侍』を作りました。

 

◎溝口健二『山椒大夫』

 溝口健二(1898~1956)は生涯で85本の映画を作りました。処女作『愛に甦る日」は大正12年(1923)に作られ、遺作『赤線地帯』は昭和31年(1956)に作られました。残念なことに、そのうち50本以上のフィルムが残っていません。

 私が観た溝口作品は、次の12本のみです。―『元禄忠臣蔵』『歌麿をめぐる五人の女』『雪夫人絵図』『お遊さま』『武蔵野夫人』『西鶴一代女』『雨月物語』『祇園囃子』『山椒大夫』『近松物語』『新・平家物語』『赤線地帯』

 溝口健二は、晩年になって世界の映画史に残る傑作を次々と作りました。芸術家の創作活動は年齢と共に衰退するのが普通ですが、彼の場合、晩年になるほど旺盛になりました。もっとも、彼は58歳で死んだので、晩年という言葉は不適当かも知れません。

 特に『西鶴一代女』『雨月物語』『山椒大夫』『近松物語』の4本は抜群の傑作で、世界の映画祭で数々の賞を獲得しました。

 『山椒大夫』は、誰でも知っている「安寿と厨子王」の哀しい物語です。

 この映画は、全編、豊かで美しい映像に満ちあふれています。忘れ難い名場面が幾つもあります。

 まず冒頭の、幼い安寿と厨子王(子役時代の津川雅彦)が母の玉木(田中絹代)と北陸の海辺をさまよう場面が素晴らしい。白いススキの穂が美しく揺れ動いており、頼りない親子の心情が見事に表現されています。

 山椒大夫(進藤英太郎)の荘園に売られた安寿(香川京子)は、佐渡から来た新入りの女奴隷が口ずさんでいた歌から、母が佐渡で生きていることを知ります。その前後の緊迫感みなぎる映像の見事さには、思わず息を飲みます。

 圧巻は、安寿が小さな沼で入水して死ぬ場面です。母に会うために脱走した厨子王の行方を、厳しい拷問にかけられて白状することを恐れ、安寿は死ぬ決意をします。彼女は一歩一歩静かに沼の中に入って行きます。彼女が沈むと、波紋がゆっくりと広がります。

 私はこれ以上に美しい映像を他に知りません。正に世界一美しい映画のシーンです。

 最後に、正道と名を改めた厨子王(花柳喜章)は、佐渡に渡って、目が見えなくなっている母と海辺で再会します。哀れな姿の母を見つけ、彼はにじり寄ります。そして、二人はひしと抱き合います。カメラはロングに引いて海へパンします。穏やかな海辺の風景が映し出されます。偉大なカメラマンだった宮川一夫の技術が冴え渡ります。世界中の映画人を驚かせた名場面です。

 私は、溝口の作品では、美しい映像で描かれた『山椒大夫』と、哀しくも美しい不倫の愛を描いた『近松物語』が大好きです。