姪の就職2

 翌日、旅館前の青井阿蘇神社~白壁の建物が並ぶ鍛冶屋町通りのみそ・しょうゆの釜田醸造所で工場見学をして、みそせんべいを買いました。次に向かったのが人吉城跡の公園で球磨川を見下ろしながら昨晩、残りの釜めしで握ってもらったおにぎりを食べました。心地いい涼風を受けながら、おいしくいただきました。

 当日の日記にこのように記していた。

 東屋の椅子に座って、るり子と会話をしながら、久しぶりにのんびりと時間の経過を気にせずに、かつての思い出に酔いしれた。

「考えてみると、僕の出身の大阪は町人、熊本は武家社会、本来、なかなか合わないのに、離婚もせずによくやってきたな」

「いまは、そういう意識はないでしょう」

「意識はないかも知れないが、DNAは連綿と続いているよ」

「そうですか」

「それにしても熊本県人は長寿だね」

「そうですね」

「やはり水がいいのだよ。阿蘇山の伏流水が熊本全土に流れ、熊本の水はこの地下水を利用している。しかも森が豊かで水にミネラルなど多く含んでいる。都会の水のように化学処理していないから、おいしい水が湧き出ている」

「確かに、都会の水はカルキ除去というか、塩素で処理しているから、嫌なにおいがしますね」

「いまは相当、改善されたと思うが…」

「部下の結婚式に出席するため玉名に来ましたね。なつかしいわ」

「そうだね」

―その当時のことを思い巡らしていた。

 二〇〇一年春のゴールデンウイークの日曜日の正午。

 真三は部下のN君の結婚披露宴で熊本県玉名郡天水町の小崎会館にいた。

「新郎のN君とは不思議なご縁があります。今日、このようなお祝いの席に名古屋から参りましたのは、わたくしの女房が玉名の隣町の荒尾出身という関係から新郎と親しく付き合っていたからです」

 真三は祝いのあいさつで立った。この日の一ヶ月前のある日、N君が私の部屋にやってきた。

「できちゃった婚でして、いまさら結婚式や披露宴もどうかと思っているのですが、親父がどうしてもするというので、まァー同意した次第です。それで善支店長には、ぜひ来ていただきたいのですが、いかがでしょうか」

「ご両親は結婚に賛成なんでしょうな」

 真三は二つ返事で「行きますよ」と、答える前にそれだけを確認した。考えてみれば、子どもが生まれているので少なくとも表面的には反対もなにも、あるわけがない。昔のようにだらしないと非難しなくなった。しかもあとで分かったことだが、玉のようにかわいい男の赤ん坊に、両親は大喜びの風である。

 最近の若い夫婦から「子どもなんか、生まない」なんて、宣言されて腰を抜かしている親から見れば、なんて親孝行の息子だと思えるに違いない。子は夫婦のかすがいというが、今の世は子どもをつくることが、親を説得する最大の材料の一つであるように思えるが…。

 N君の父親は天水町で洋服屋をやっている愛想のいい、明るい人柄である。

「兄弟みんな後を継がないと出て行ったものですから、しょうがないので残ったのです」

 N君の父親は、親が始めたころは珍しい洋服屋を田舎でやっている理由を披露宴の二次会の会場となった自宅の居間で話した。部屋の周囲には相撲大会での表彰状の額がいくつも掛けられている。

「若いころは、相撲が好きだった」

 洋服の仕立て職人というより、漁師か、みかん農家のおじさんといった感じで、お客へのサービスにつとめながら屈強な身体をたえず動かし元気なところを見せていた。

 宴会場で席の近くの客人に聞いてみた。

「あなたも、ここの柑橘類農家の方ですか」

「そうです」

「その背広はNさんで作ったのですか」

「そうです。既製の背広なんか、着たことがありません」

 N君の父親にとっては近所の人みんながお得意さんなのだ。息子の披露宴に招かねばならないはずである。地域社会での強い繋がりがそこにある。

 真三がN君と最初に出会ったのはファミレスの本社のある大分で、その後、熊本市内の店に後を追うようにしてきた。真三が名古屋で店を経営していたころ、立派な社員に成長していた。

 N君は九州の私立大学を出た後、大分の本社に見習い社員として入社。そこでおとなしく見えたN君は大分出身の女性と知り合い結ばれた。やがて一児の父親になってしまった。

「真三さんのおられる熊本の店に行きたいです」

 N君は真三がつくったプライベートの「玉笑会(ぎょくしょうかい)」の席上で希望を述べた。真三は九州北部地区の若手を集めて六ケ月に一回程度、ノミニケーションで親睦を図っていた。玉笑会の玉はN君が玉名の出身と知ったから、その玉と将棋の玉将を重ね合わせた。「笑(しょう)」は商(しょう)に通じ、商いの基本は笑顔(えがお)が大切だということから、プロの営業マンを育てようとの思いで真三が名付けた。

 酒席での話は、プロの営業マンの心得に役立つ、例えば『近江商人のてんびんの詩』等の資料を持参した。飲む前の五分程度、資料の説明をするだけで、あとは若者たちの話に耳を傾けた。彼らも酒が飲めるから参加している風であったが、それでも上司と秘かに話し合っていることに、ある種の満足感を覚えていた。

「N君は玉名が好きか」

「はい。いいところです。とくに水がうまいです」

「水ではなくて焼酎ではないのか」

「本当はそうです」

 一同、大笑いとなった。

 熊本は沖縄に次いで長寿県(当時)だが、真三はその秘密の一つが水だと思っている。熊本の上水道はすべて地下水だ。阿蘇のふもとの白川水源や、菊池水源の旨い水はこの世の自然水とは思えない。世界中で煮沸しないで水が飲める国はほとんどない。水さえ手に入りにくい国も少なくない。石油以上に枯渇する危機も報道されており、水戦争が起こる心配もあるくらいだ。

 女房のるり子の里は荒尾である。そこの小袋山のふもとで一人で暮らす女房の九十三歳になる母親が健在なのは、水のおかげであろう。それほどうまいし、健康によい。それに反し東京や大阪の水は実にまずい。まずいどころか、塩素殺菌が強く臭くて身体に悪い。このため真三は数年来、生水はミネラルウォーターに切り替えている。

「天水とはいい町名だね」

「戦後間もないころ、小天村と玉水村が合併して、いまの町名になったと聞いています」

 二枚目の端正な顔立ちのN君は、うれしそうに応じた。真三はN君におおいに親しみを覚えた。映画俳優の笠智衆(故人)のように熊本人特有のはにかみを若者の顔の中に見た。笠智衆が住職をしていた寺は、N君の実家の裏手にある。彼の祖父は笠智衆と交流があったそうだ。

 真三は結婚して三十年来、熊本には毎年二回以上、行っているが、玉名の天水町には、N君と知り合うまで来たことがなかった。夏目漱石の『草枕』の舞台、笠智衆ともども有名だ。漱石が入浴したという那古井館(なこいかん)はいまも営業を続け人気の温泉旅館だ。

「この那古井館は漱石の草枕にも出てくるほどで歴史があって、いい雰囲気だね」

 その後、るり子と那古井館で食事をしたとき、日帰り風呂に入って感心した。

 また、ここは柑橘類等の産地で、とくに新種のデコポンは、厚みのある皮が柔らかいが、果肉はしまって甘く、いっぺんに好物の果物になった。

「柑橘類がブームのころは、飲むと言えば、札束を握って熊本市街へタクシーを飛ばしたものたい」

 披露宴の席で、お酌をしにきた隣保の名士とおぼしき紳士?が胸を張った。

「いまでも、街の家並みを見ると、裕福な土地柄だとわかりますよ」

 

■岡田 清治プロフィール

1942年生まれ ジャーナリスト

(編集プロダクション・NET108代表)

著書に『高野山開創千二百年 いっぱんさん行状記』『心の遺言』『あなたは社員の全能力を引き出せますか!』『リヨンで見た虹』など多数

※この物語に対する読者の方々のコメント、体験談を左記のFAXかメールでお寄せください。

今回は「就職」「日本のゆくえ」「結婚」「夫婦」「インド」「愛知県」についてです。物語が進行する中で織り込むことを試み、一緒に考えます。

FAX‥0569―34―7971

メール‥takamitsu@akai-shinbunten.net

 

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姪の就職2

 翌日、旅館前の青井阿蘇神社~白壁の建物が並ぶ鍛冶屋町通りのみそ・しょうゆの釜田醸造所で工場見学をして、みそせんべいを買いました。次に向かったのが人吉城跡の公園で球磨川を見下ろしながら昨晩、残りの釜めしで握ってもらったおにぎりを食べました。心地いい涼風を受けながら、おいしくいただきました。

 当日の日記にこのように記していた。

 東屋の椅子に座って、るり子と会話をしながら、久しぶりにのんびりと時間の経過を気にせずに、かつての思い出に酔いしれた。

「考えてみると、僕の出身の大阪は町人、熊本は武家社会、本来、なかなか合わないのに、離婚もせずによくやってきたな」

「いまは、そういう意識はないでしょう」

「意識はないかも知れないが、DNAは連綿と続いているよ」

「そうですか」

「それにしても熊本県人は長寿だね」

「そうですね」

「やはり水がいいのだよ。阿蘇山の伏流水が熊本全土に流れ、熊本の水はこの地下水を利用している。しかも森が豊かで水にミネラルなど多く含んでいる。都会の水のように化学処理していないから、おいしい水が湧き出ている」

「確かに、都会の水はカルキ除去というか、塩素で処理しているから、嫌なにおいがしますね」

「いまは相当、改善されたと思うが…」

「部下の結婚式に出席するため玉名に来ましたね。なつかしいわ」

「そうだね」

―その当時のことを思い巡らしていた。

 二〇〇一年春のゴールデンウイークの日曜日の正午。

 真三は部下のN君の結婚披露宴で熊本県玉名郡天水町の小崎会館にいた。

「新郎のN君とは不思議なご縁があります。今日、このようなお祝いの席に名古屋から参りましたのは、わたくしの女房が玉名の隣町の荒尾出身という関係から新郎と親しく付き合っていたからです」

 真三は祝いのあいさつで立った。この日の一ヶ月前のある日、N君が私の部屋にやってきた。

「できちゃった婚でして、いまさら結婚式や披露宴もどうかと思っているのですが、親父がどうしてもするというので、まァー同意した次第です。それで善支店長には、ぜひ来ていただきたいのですが、いかがでしょうか」

「ご両親は結婚に賛成なんでしょうな」

 真三は二つ返事で「行きますよ」と、答える前にそれだけを確認した。考えてみれば、子どもが生まれているので少なくとも表面的には反対もなにも、あるわけがない。昔のようにだらしないと非難しなくなった。しかもあとで分かったことだが、玉のようにかわいい男の赤ん坊に、両親は大喜びの風である。

 最近の若い夫婦から「子どもなんか、生まない」なんて、宣言されて腰を抜かしている親から見れば、なんて親孝行の息子だと思えるに違いない。子は夫婦のかすがいというが、今の世は子どもをつくることが、親を説得する最大の材料の一つであるように思えるが…。

 N君の父親は天水町で洋服屋をやっている愛想のいい、明るい人柄である。

「兄弟みんな後を継がないと出て行ったものですから、しょうがないので残ったのです」

 N君の父親は、親が始めたころは珍しい洋服屋を田舎でやっている理由を披露宴の二次会の会場となった自宅の居間で話した。部屋の周囲には相撲大会での表彰状の額がいくつも掛けられている。

「若いころは、相撲が好きだった」

 洋服の仕立て職人というより、漁師か、みかん農家のおじさんといった感じで、お客へのサービスにつとめながら屈強な身体をたえず動かし元気なところを見せていた。

 宴会場で席の近くの客人に聞いてみた。

「あなたも、ここの柑橘類農家の方ですか」

「そうです」

「その背広はNさんで作ったのですか」

「そうです。既製の背広なんか、着たことがありません」

 N君の父親にとっては近所の人みんながお得意さんなのだ。息子の披露宴に招かねばならないはずである。地域社会での強い繋がりがそこにある。

 真三がN君と最初に出会ったのはファミレスの本社のある大分で、その後、熊本市内の店に後を追うようにしてきた。真三が名古屋で店を経営していたころ、立派な社員に成長していた。

 N君は九州の私立大学を出た後、大分の本社に見習い社員として入社。そこでおとなしく見えたN君は大分出身の女性と知り合い結ばれた。やがて一児の父親になってしまった。

「真三さんのおられる熊本の店に行きたいです」

 N君は真三がつくったプライベートの「玉笑会(ぎょくしょうかい)」の席上で希望を述べた。真三は九州北部地区の若手を集めて六ケ月に一回程度、ノミニケーションで親睦を図っていた。玉笑会の玉はN君が玉名の出身と知ったから、その玉と将棋の玉将を重ね合わせた。「笑(しょう)」は商(しょう)に通じ、商いの基本は笑顔(えがお)が大切だということから、プロの営業マンを育てようとの思いで真三が名付けた。

 酒席での話は、プロの営業マンの心得に役立つ、例えば『近江商人のてんびんの詩』等の資料を持参した。飲む前の五分程度、資料の説明をするだけで、あとは若者たちの話に耳を傾けた。彼らも酒が飲めるから参加している風であったが、それでも上司と秘かに話し合っていることに、ある種の満足感を覚えていた。

「N君は玉名が好きか」

「はい。いいところです。とくに水がうまいです」

「水ではなくて焼酎ではないのか」

「本当はそうです」

 一同、大笑いとなった。

 熊本は沖縄に次いで長寿県(当時)だが、真三はその秘密の一つが水だと思っている。熊本の上水道はすべて地下水だ。阿蘇のふもとの白川水源や、菊池水源の旨い水はこの世の自然水とは思えない。世界中で煮沸しないで水が飲める国はほとんどない。水さえ手に入りにくい国も少なくない。石油以上に枯渇する危機も報道されており、水戦争が起こる心配もあるくらいだ。

 女房のるり子の里は荒尾である。そこの小袋山のふもとで一人で暮らす女房の九十三歳になる母親が健在なのは、水のおかげであろう。それほどうまいし、健康によい。それに反し東京や大阪の水は実にまずい。まずいどころか、塩素殺菌が強く臭くて身体に悪い。このため真三は数年来、生水はミネラルウォーターに切り替えている。

「天水とはいい町名だね」

「戦後間もないころ、小天村と玉水村が合併して、いまの町名になったと聞いています」

 二枚目の端正な顔立ちのN君は、うれしそうに応じた。真三はN君におおいに親しみを覚えた。映画俳優の笠智衆(故人)のように熊本人特有のはにかみを若者の顔の中に見た。笠智衆が住職をしていた寺は、N君の実家の裏手にある。彼の祖父は笠智衆と交流があったそうだ。

 真三は結婚して三十年来、熊本には毎年二回以上、行っているが、玉名の天水町には、N君と知り合うまで来たことがなかった。夏目漱石の『草枕』の舞台、笠智衆ともども有名だ。漱石が入浴したという那古井館(なこいかん)はいまも営業を続け人気の温泉旅館だ。

「この那古井館は漱石の草枕にも出てくるほどで歴史があって、いい雰囲気だね」

 その後、るり子と那古井館で食事をしたとき、日帰り風呂に入って感心した。

 また、ここは柑橘類等の産地で、とくに新種のデコポンは、厚みのある皮が柔らかいが、果肉はしまって甘く、いっぺんに好物の果物になった。

「柑橘類がブームのころは、飲むと言えば、札束を握って熊本市街へタクシーを飛ばしたものたい」

 披露宴の席で、お酌をしにきた隣保の名士とおぼしき紳士?が胸を張った。

「いまでも、街の家並みを見ると、裕福な土地柄だとわかりますよ」