梅原氏逝去直近に報道された梅原氏の業績を見ていくことにしましょう。

 

・梅原氏は、「膨大な日本文化の集積」を「総合的な視野」から研究 し、「梅原日本学」を築かれた。「日本文化の原理」を「草木国土 悉皆成仏」の思想に見出す中でそれをした。そしてこの「日本思想 には将来、人類が必要とする原理が隠されている」との確信を持ち、 この思想において「1000年先を見据えた新しい哲学を作らないとい けない」との構想を持つに至ったと伝えられる。・梅原氏は「憲法9条には将来の人間の理想が含まれている」とし、 「九条の会」発足の呼びかけ人となった。そしてこの思想の背景に は、第八高等学校時代の名古屋空襲や陸軍での体験があると氏の言 は伝える。・更に、梅原氏の「『梅原日本学』は、理不尽な戦争体験から生まれ た懐疑が原点だった」と伝えつつ、「日本を破滅させた偏狭なナシ ョナリズムにつながる国学の偏見から日本の古代学を解放しよう」 との「強い思い入れ」からなされたと記者は付言する。・「すベてを疑い、権威に対して闘うことが哲学者の任務」と公言す る梅原氏。その言を紹介しつつ、氏は「通説を覆す独創的な論」を 発表してきたと言う。「聖徳太子や柿本人磨や親鸞が私に乗り移っ て書かされた」とも言ったと。

 以上、これらの報道は梅原氏の業績を語る上で欠くことのできないものばかりです。大変素晴らしい報道と思います。しかし「仏の教えは仏になること」という梅原氏の仏教論が一言も述べられていないこともこれまた事実です。私はこの事をとても残念に思います。

 

 どうして各紙はこの仏教論を欠落させたのでしょうか。定かな理由は勿論分かりませんが多分こうではないかとの類推で言えば次のように言えるかと思います。梅原さんは、2001年の5月の一ヶ月間、30回にわたって、日本経済新聞に「私の履歴書」というテーマで自伝を書かれています。記者がこれに則ったために仏教論が欠落したのではないかと。私が大切に思う梅原さんの仏教論は、その後に到達した仏教論なのです。それゆえ、欠落は仕方のないこととも言えます。しかし残念です。この残念な気持ちが、私をして今、梅原猛の仏教論を書かせるのです。

 私が大切に思う梅原さんの仏教論は、『梅原猛の授業 仏教』(朝日新聞、2002)、『梅原猛の授業 道徳』(朝日新聞、2003)、『梅原猛、日本仏教をゆく』(朝日新聞、2004)、『梅原猛の授業 仏になろう』(朝日新聞、2006)、『歓喜する円空』(新潮社、2006)の5冊に書かれています。

 では、前の「梅原日本学」に含まれる仏教論とこの5冊の仏教論とではどこがどう違うのか。端的に言えば、前の仏教論が研究者的な仏教論になっているのに対し、この仏教論は仏教者的な仏教論になっているという点です。前者は国学的な古代国家像を覆す仏教論になっていますが、後者は、仏教が目指す仏道実現の問題が論じられています。

 さて、梅原さんはこの仏教論をどう展開したのでしょう。

 私は2012年に、『知多の哲学者たちー知多の哲学者シリーズ①ー』(ほっとブックス新栄)を書き、その第4章に、梅原さんの仏教論をまとめ「梅原猛の思想」として収めておきました(p160~p214)。それらを紹介する仕方で梅原さんの仏教論を見ていくことにしましょう。

(次号につづく)

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 梅原氏逝去直近に報道された梅原氏の業績を見ていくことにしましょう。

・梅原氏は、「膨大な日本文化の集積」を「総合的な視野」から研究し、「梅原日本学」を築かれた。「日本文化の原理」を「草木国土悉皆成仏」の思想に見出す中でそれをした。そしてこの「日本思想には将来、人類が必要とする原理が隠されている」との確信を持ち、この思想において「1000年先を見据えた新しい哲学を作らないといけない」との構想を持つに至ったと伝えられる。

 ・梅原氏は「憲法9条には将来の人間の理想

  が含まれている」とし、「九条の会」発足

  の呼びかけ人となった。そしてこの思想の

  背景には、第八高等学校時代の名古屋空襲

  や陸軍での体験があると氏の言は伝える。

 ・更に、梅原氏の「『梅原日本学』は、理不

  尽な戦争体験から生まれた懐疑が原点だっ

  た」と伝えつつ、「日本を破滅させた偏狭

  なナショナリズムにつながる国学の偏見か

  ら日本の古代学を解放しよう」との「強い

  思い入れ」からなされたと記者は付言する。

 ・「すベてを疑い、権威に対して闘うことが

  哲学者の任務」と公言する梅原氏。その言

  を紹介しつつ、氏は「通説を覆す独創的な

  論」を発表してきたと言う。「聖徳太子や

  柿本人磨や親鸞が私に乗り移って書かされ

  た」とも言ったと。

 

 以上、これらの報道は梅原氏の業績を語る上で欠くことのできないものばかりです。大変素晴らしい報道と思います。しかし「仏の教えは仏になること」という梅原氏の仏教論が一言も述べられていないこともこれまた事実です。私はこの事をとても残念に思います。

 

 どうして各紙はこの仏教論を欠落させたのでしょうか。定かな理由は勿論分かりませんが多分こうではないかとの類推で言えば次のように言えるかと思います。梅原さんは、2001年の5月の一ヶ月間、30回にわたって、日本経済新聞に「私の履歴書」というテーマで自伝を書かれています。記者がこれに則ったために仏教論が欠落したのではないかと。私が大切に思う梅原さんの仏教論は、その後に到達した仏教論なのです。それゆえ、欠落は仕方のないこととも言えます。しかし残念です。この残念な気持ちが、私をして今、梅原猛の仏教論を書かせるのです。

 私が大切に思う梅原さんの仏教論は、『梅原猛の授業 仏教』(朝日新聞、2002)、『梅原猛の授業 道徳』(朝日新聞、2003)、『梅原猛、日本仏教をゆく』(朝日新聞、2004)、『梅原猛の授業 仏になろう』(朝日新聞、2006)、『歓喜する円空』(新潮社、2006)の5冊に書かれています。

 では、前の「梅原日本学」に含まれる仏教論とこの5冊の仏教論とではどこがどう違うのか。端的に言えば、前の仏教論が研究者的な仏教論になっているのに対し、この仏教論は仏教者的な仏教論になっているという点です。前者は国学的な古代国家像を覆す仏教論になっていますが、後者は、仏教が目指す仏道実現の問題が論じられています。

 さて、梅原さんはこの仏教論をどう展開したのでしょう。

 私は2012年に、『知多の哲学者たち―知多の哲学者シリーズ①―』(ほっとブックス新栄)を書き、その第4章に、梅原さんの仏教論をまとめ「梅原猛の思想」として収めておきました(p160~p214)。それらを紹介する仕方で梅原さんの仏教論を見ていくことにしましょう。

(次号につづく)