■杉本武之プロフィール
1939年 碧南市に生まれる。
京都大学文学部卒業。
翻訳業を経て、小学校教師になるために愛知教育大学に入学。
25年間、西尾市の小中学校に勤務。
定年退職後、名古屋大学教育学部の大学院で学ぶ。
〈趣味〉読書と競馬
【33】与謝蕪村『春風馬堤曲』
◎郷愁の詩人 与謝蕪村について
少年の頃から今に至るまで、私は江戸中期の俳人・画家の与謝蕪村が大好きです。
蕪村の作品に初めて出会ったのは中学時代でした。国語の教科書に彼の代表的な俳句が載っていて、「春雨や小磯の小貝ぬるるほど」と「春の海終日のたりのたりかな」の二句を習いました。私は海のすぐ近くで生まれ育ったので、磯辺の情景に慣れ親しんでいました。これらの俳句を読んだ時、句の情景が、見慣れていた波静かな衣浦湾の情景と重なりました。そして、中学生の私は、とても好い気分になりました。
私の好きな蕪村の俳句を挙げます。誰でも知っている名句ばかりです。「うぐひすの啼くや小さき口明けて」「菜の花や月は東に日は西に」「五月雨や大河を前に家二軒」「愁ひつつ岡に登れば花いばら」
私が今回取り扱う作品は『春風馬堤曲』という一風変わった作品です。先日、久しぶりに蕪村の作品集を読んでいて、この作品に出会いました。びっくり仰天しました。凄い作品なのです。正月休みに故郷の毛馬村に帰って来た田舎娘が長い堤防を歩いて実家へ向かう姿を、まるで映画のように美しく描いた作品です。蕪村の絵画の才能が十分に発揮されていて、場面転換が映画的で実に鮮やかです。蕪村、62歳の時の作品。様々な形式の詩歌18首から成る連作で、変化に富み、情緒豊かな名作です。
◎蕪村『春風馬堤曲』
春風馬堤曲十八首 謝蕪村
余、一日、耆老ヲ故園ニ問フ。澱水ヲ渡リ馬堤ヲ過グ。偶々、女ノ郷ニ帰省スルニ逢フ。先後シテ行クコト数里。相顧ミテ語ル。容姿嬋娟トシテ、癡情憐ムべシ。因ツテ歌曲十八首ヲ製シ、女ニ代リテ意ヲ述ブ。題シテ春風馬堤曲ト曰フ。
①薮入や浪花を出でて長柄川
②春風や堤長うして家遠し
③堤ヨリ下リテ芳草ヲ摘メバ、荊ト蕀ト路ヲ塞ゲリ。荊棘何ノ妬情アリテ、裾ヲ裂キ且ツ股ヲ傷ツクルヤ。
④渓流、石点点。石ヲ踏ンデ香芹ヲ撮ル。多謝ス、水上ノ石、儂ヲシテ裾ヲ沾ラサザラシムルヲ。
⑤一軒の茶店の柳老いにけり
⑥茶店の老婆子、儂を見て、慇懃に無恙を賀し、且つ儂が春衣を美む。
⑦店中、二客有リ。能ク江南ノ語ヲ解ス。酒銭三緡ヲ擲ツテ、我ヲ迎ヘ榻ヲ譲リテ去ル。
⑧ 古駅、三両家。猫児、妻を呼ぶ。妻、来たらず。
⑨雛ヲ呼ブ籬外ノ鷄。籬外、草、地ニ満テリ。雛、飛ビテ籬ヲ越エントスルモ、雛、高クシテ、堕ツルコト三四。
⑩春草、路、三叉。中に捷徑あり、我を迎ふ。
⑪ たんぽぽ花咲けり、三三五五。五五は黄に、三三は白し。記得す、去年この路よりす。
⑫憐れみ採る蒲公、茎短うして、乳をあませり。
⑬むかしむかし、しきりに想ふ慈母の恩。慈母の懐抱、別に春あり。
⑭春あり、成長して浪花にあり。梅は白し、浪花橋の辺、財主の家。春情、学び得たり、浪花風流り。
⑮郷を辞し、弟に負く身、三春。本を忘れ、末を取る、接木の梅。
⑯ 故郷、春深し。行き行きて、また行き行く。楊柳の長堤、道、漸く下れり。
⑰嬌首、はじめて見る、故園の家。黄昏。戸に倚る白髪の人、弟を抱き、我を待つ、春また春。
⑱君、見ずや、古人・太祇が句。
藪入の寢るや一人の親の側
〈大意〉
ある日、私(蕪村)は生まれ故郷の摂津・毛馬村に老母を訪ねた。毛馬堤を歩いていると、奉公先の大坂から帰省する若い女に会った。一緒に歩きながら話し合った。姿の美しい可愛らしい娘だった。余りにも可憐だったので、その女に代わって、女の心情を表す歌曲を18首作った。題名は「春風馬堤曲」である。
①華やかな大坂で奉公をしているが、正月の薮入で帰省することになった。もう懐かしい長柄川( 淀川の分流)までやって来た。
②毛馬の渡し場で舟に乗り東岸に渡った。舟から降りて、堤防の長い道を川に沿って歩いて行く。家までの道程はまだまだ遠い。
③堤の下に降りて、香りの良い芹を摘んでいると、茨が嫉妬して、着物の裾を破って、白いふくらはぎを傷つけた。
④嫉妬深い茨とは違って、川の石は本当に優しい。石を踏んで芹を摘んでいると、裾を濡らさないように踏み石になって助けてくれた。水上の石よ、本当にありがとう。
⑤古馴染みの茶店の柳がすっかり老木になっている。母もさぞ老いていることだろう。
⑥茶店の老婆が私の春着を褒めてくれた。
⑦店にいた二人の客が酒代を軽くほうり出し、私に席を譲って立ち去った。
⑧古ぼけた農家の庭で、牡猫が妻の猫を呼んでいる。相手は来てくれない。
⑨母鶏が雛たちを呼んでいる。小さな雛たちは、垣が高くて、なかなか飛び越せない。
⑩春草の小道はやがて三つ叉の分かれ路になる。その中の一筋が家への近道である。
⑪たんぽほの花が咲いている。黄色の花と白い花。ああ、去年もこの近道を通った……。
⑫たんぽぽの茎を折り採った。茎の切り口から白い乳液が豊かに溢れ出て来た。
⑬その白い乳液を見ると、母に抱かれた昔を思い出す。母の懐には春の温もりがあった。
⑭私は春の盛りの乙女になり、大坂の浪花橋の辺の富商の家に奉公している。
⑮幼い弟を残して故郷を去って3年。今の華美な生活は接ぎ木の梅のようなものだ。
⑯今、故郷の春は、たけなわである。どんどん歩く。長い堤防の道が下り坂になる。
⑰首を長くして見ると、黄昏の中に懐かしい我が家が見える。戸口に立っている白髪の母は弟を抱いている。今か今かと今日まで私の帰りを待っていたのだろうか。
⑱今は亡き太祇の句を知っていますね。「薮入の寝るや一人の親の側」
できたら原文に戻って、もう一度じっくり読み味わってみて下さい。全ての部分が素晴らしいですが、特にたんぽぽの茎の切り口から出てくる乳液から母の温もりを連想する辺りの筆の冴え、凄いですね。
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【33】与謝蕪村『春風馬堤曲』
◎郷愁の詩人 与謝蕪村について
少年の頃から今に至るまで、私は江戸中期の俳人・画家の与謝蕪村が大好きです。
蕪村の作品に初めて出会ったのは中学時代でした。国語の教科書に彼の代表的な俳句が載っていて、「春雨や小磯の小貝ぬるるほど」と「春の海終日のたりのたりかな」の二句を習いました。私は海のすぐ近くで生まれ育ったので、磯辺の情景に慣れ親しんでいました。これらの俳句を読んだ時、句の情景が、見慣れていた波静かな衣浦湾の情景と重なりました。そして、中学生の私は、とても好い気分になりました。
私の好きな蕪村の俳句を挙げます。誰でも知っている名句ばかりです。「うぐひすの啼くや小さき口明けて」「菜の花や月は東に日は西に」「五月雨や大河を前に家二軒」「愁ひつつ岡に登れば花いばら」
私が今回取り扱う作品は『春風馬堤曲』という一風変わった作品です。先日、久しぶりに蕪村の作品集を読んでいて、この作品に出会いました。びっくり仰天しました。凄い作品なのです。正月休みに故郷の毛馬村に帰って来た田舎娘が長い堤防を歩いて実家へ向かう姿を、まるで映画のように美しく描いた作品です。蕪村の絵画の才能が十分に発揮されていて、場面転換が映画的で実に鮮やかです。蕪村、62歳の時の作品。様々な形式の詩歌18首から成る連作で、変化に富み、情緒豊かな名作です。
◎蕪村『春風馬堤曲』
春風馬堤曲十八首 謝蕪村
余、一日、耆老ヲ故園ニ問フ。澱水ヲ渡リ馬堤ヲ過グ。偶々、女ノ郷ニ帰省スルニ逢フ。先後シテ行クコト数里。相顧ミテ語ル。容姿嬋娟トシテ、癡情憐ムべシ。因ツテ歌曲十八首ヲ製シ、女ニ代リテ意ヲ述ブ。題シテ春風馬堤曲ト曰フ。
①薮入や浪花を出でて長柄川
②春風や堤長うして家遠し
③堤ヨリ下リテ芳草ヲ摘メバ、荊ト蕀ト路ヲ塞ゲリ。荊棘何ノ妬情アリテ、裾ヲ裂キ且ツ股ヲ傷ツクルヤ。
④渓流、石点点。石ヲ踏ンデ香芹ヲ撮ル。多謝ス、水上ノ石、儂ヲシテ裾ヲ沾ラサザラシムルヲ。
⑤一軒の茶店の柳老いにけり
⑥茶店の老婆子、儂を見て、慇懃に無恙を賀し、且つ儂が春衣を美む。
⑦店中、二客有リ。能ク江南ノ語ヲ解ス。酒銭三緡ヲ擲ツテ、我ヲ迎ヘ榻ヲ譲リテ去ル。
⑧ 古駅、三両家。猫児、妻を呼ぶ。妻、来たらず。
⑨雛ヲ呼ブ籬外ノ鷄。籬外、草、地ニ満テリ。雛、飛ビテ籬ヲ越エントスルモ、雛、高クシテ、堕ツルコト三四。
⑩春草、路、三叉。中に捷徑あり、我を迎ふ。
⑪ たんぽぽ花咲けり、三三五五。五五は黄に、三三は白し。記得す、去年この路よりす。
⑫憐れみ採る蒲公、茎短うして、乳をあませり。
⑬むかしむかし、しきりに想ふ慈母の恩。慈母の懐抱、別に春あり。
⑭春あり、成長して浪花にあり。梅は白し、浪花橋の辺、財主の家。春情、学び得たり、浪花風流り。
⑮郷を辞し、弟に負く身、三春。本を忘れ、末を取る、接木の梅。
⑯ 故郷、春深し。行き行きて、また行き行く。楊柳の長堤、道、漸く下れり。
⑰嬌首、はじめて見る、故園の家。黄昏。戸に倚る白髪の人、弟を抱き、我を待つ、春また春。
⑱君、見ずや、古人・太祇が句。
藪入の寢るや一人の親の側
〈大意〉
ある日、私(蕪村)は生まれ故郷の摂津・毛馬村に老母を訪ねた。毛馬堤を歩いていると、奉公先の大坂から帰省する若い女に会った。一緒に歩きながら話し合った。姿の美しい可愛らしい娘だった。余りにも可憐だったので、その女に代わって、女の心情を表す歌曲を18首作った。題名は「春風馬堤曲」である。
①華やかな大坂で奉公をしているが、正月の薮入で帰省することになった。もう懐かしい長柄川( 淀川の分流)までやって来た。
②毛馬の渡し場で舟に乗り東岸に渡った。舟から降りて、堤防の長い道を川に沿って歩いて行く。家までの道程はまだまだ遠い。
③堤の下に降りて、香りの良い芹を摘んでいると、茨が嫉妬して、着物の裾を破って、白いふくらはぎを傷つけた。
④嫉妬深い茨とは違って、川の石は本当に優しい。石を踏んで芹を摘んでいると、裾を濡らさないように踏み石になって助けてくれた。水上の石よ、本当にありがとう。
⑤古馴染みの茶店の柳がすっかり老木になっている。母もさぞ老いていることだろう。
⑥茶店の老婆が私の春着を褒めてくれた。
⑦店にいた二人の客が酒代を軽くほうり出し、私に席を譲って立ち去った。
⑧古ぼけた農家の庭で、牡猫が妻の猫を呼んでいる。相手は来てくれない。
⑨母鶏が雛たちを呼んでいる。小さな雛たちは、垣が高くて、なかなか飛び越せない。
⑩春草の小道はやがて三つ叉の分かれ路になる。その中の一筋が家への近道である。
⑪たんぽほの花が咲いている。黄色の花と白い花。ああ、去年もこの近道を通った……。
⑫たんぽぽの茎を折り採った。茎の切り口から白い乳液が豊かに溢れ出て来た。
⑬その白い乳液を見ると、母に抱かれた昔を思い出す。母の懐には春の温もりがあった。
⑭私は春の盛りの乙女になり、大坂の浪花橋の辺の富商の家に奉公している。
⑮幼い弟を残して故郷を去って3年。今の華美な生活は接ぎ木の梅のようなものだ。
⑯今、故郷の春は、たけなわである。どんどん歩く。長い堤防の道が下り坂になる。
⑰首を長くして見ると、黄昏の中に懐かしい我が家が見える。戸口に立っている白髪の母は弟を抱いている。今か今かと今日まで私の帰りを待っていたのだろうか。
⑱今は亡き太祇の句を知っていますね。「薮入の寝るや一人の親の側」
できたら原文に戻って、もう一度じっくり読み味わってみて下さい。全ての部分が素晴らしいですが、特にたんぽぽの茎の切り口から出てくる乳液から母の温もりを連想する辺りの筆の冴え、凄いですね。