■杉本武之プロフィール

1939年 碧南市に生まれる。

京都大学文学部卒業。

翻訳業を経て、小学校教師になるために愛知教育大学に入学。

25年間、西尾市の小中学校に勤務。

定年退職後、名古屋大学教育学部の大学院で学ぶ。

〈趣味〉読書と競馬

 

【28】シェイクスピア「ハムレット」

◎読むことの楽しさ

 私は、中学時代から現在に至るまで常にシェイクスピアを読んできました。

 最初に読んだのは、中学3年の国語の教科書に載っていた『ヴェニスの商人』でした。

 ヴェニスの商人アントニオは、親友バッサーニオのために、ユダヤ人の高利貸のシャイロックから金を借りる。返金できない場合には、自分の体の肉を1ポンド切り取ってもよいという証文を書いて署名する。運の悪いことに、荷を積んだ彼の商船が難破して、アントニオは財産を失ってしまう。契約違反の裁判が始まる。──あの有名な法廷の場面のほんの一部が教科書に載っていたのでした。本当に面白いと思いました。私は、作者のシェイクスピアという名前をしっかりと記憶しました。

 次に読んだ作品も教科書からでした。高校1年か2年の国語の教科書に『ジュリアス・シーザー』が載っていました。例のアントニーの演説の場面でした。

 古代ローマの将軍・政治家シーザー(カエサル)は、独裁者の地位に就いたが、元老院議事堂で暗殺される。その次の市民広場の場面。まず暗殺首謀者ブルータスが登壇して、暗殺のやむを得なかった理由を市民たちに説明する。市民は歓呼してこれを納得する。その後にアントニーが登壇して、巧みな弁舌で、シーザーの高潔な人格や深い市民愛などを強調し、市民たちの心を掴む。市民たちは激怒し暴動化する。

──あの有名な演説の場面が載っていたのです。今度も面白いと思いました。早くこの戯曲全部を読みたい、他の戯曲もたくさん読みたいと思いました。大学生になってから、私は『ロミオとジュリエット』『ハムレット』『マクベス』『オセロ』『リア王』『お気に召すまま』『夏の夜の夢』などを貪るように読みました。どれもこれも、本当に面白いと思いました。

 シェイクスピアはモーツァルトに似ていると思います。天駆ける自由奔放な天才たち。──シェイクスピアは言葉によって、モーツァルトは音によって、天上世界も世俗世界も、聖人も極悪人も、清浄さも俗臭さも、誠心誠意も嘘偽りも、換言すれば、この人間の世界で展開されている多種多様な様相を、余す事なく巧みに表現しました。

 中野好夫は『シェイクスピアの面白さ』(新潮選書)の中で次のように書いています。「シェイクスピア」を「モーツァルト」に、「言葉」を「音」に置き換えて読めば、そのままモーツァルトの面白さに重なります。ただし、モーツァルトの場合、私は、『フィガロの結婚』や『ドン・ジョヴァンニ』などの歌劇を対象として考えています。

 「シェイクスピアの芝居の面白さというものは、こうした、時には一見節度を越えた言葉の氾濫、悪ふざけとも言える猥雑さを含めてまでのハツラツたる生きのよさにあることを忘れてはなるまい。ただし、断っておくが、シェイクスピアの面白さが常にそうした無節度に近い奔放さにあるというのでは、勿論ない。むしろ逆に、いわゆる急所とも言うべき場面になると、これはまたいかに簡潔で、しかも暗示的な抑制――多少誇張して言えば、一語の増減も許されないような緊密、的確な手法を見せていることは言うまでもない」

 

◎『ハムレット』

 ウィリアム・シェイクスピアは、1564年4月23日、イギリスのストラトフォードに生まれた。裕福な商人だった父ジョンは町長に選ばれたこともあったが、やがて経済的に没落した。長男のウィリアムは地元のグラマー・スクールに通っただけで、大学には進まなかった。1582年11月、18歳の時、8歳年上のアン・ハサウェーと結婚した。翌年5月、長女スザンナ誕生。21歳の時、長男ハムネットと次女ジュディスの双子が生まれた。23歳の頃、シェイクスピアは妻子を郷里に残して、ロンドンに出た。劇団に入り、俳優として出発し、やがて劇作に転じた。1600年からの6年間で『ハムレット』『オセロ』『リア王』『マクベス』の四大悲劇を創作した。1610年、46歳で引退して郷里に帰った。1616年4月23日に死去。享年52。2日後、ストラトフォードのホーリー・トリニティ教会に埋葬された。

 シェイクスピアが生まれた1564年には、イタリアの近代科学の父ガリレイが生まれています。また、イタリアの偉大な画家・彫刻家ミケランジェロが死去していますし、フランスの宗教改革者カルヴァンもスイスのジュネーブで死去しています。

 もう一つ付け加えれば、シェイクスピアが亡くなった1616年には、『ドン・キホーテ』を書いた偉大なスペインの作家セルバンテスが亡くなっていますし、日本では江戸幕府を開いた徳川家康が亡くなっています。

 シェイクスピアの代表作『ハムレット』が初演されたのは、16世紀最後の区切りの年である1600年で、作者が36歳の時でした。30代の半ば頃の年齢が、どうも偉大な芸術家の創作意欲が最も高まる時期のように思われます。

 モーツァルトは35歳で死んでいますが、その最後の年には歌劇の最高傑作『魔笛』が作られ、さらに未完に終わった『レクイエム』も作られました。また、トルストイが雄大な長編小説『戦争と平和』を書き始めたのも35歳の時でした。

 ハムレットは、何という魅力的な青年でしょう。その魅力は、ドストエフスキーの『罪と罰』に登場するラスコーリニコフに決して劣るものではありません。二人とも殺人者ですが、ハムレットは、父親を毒殺して王位と母観を奪った叔父を殺す決意を固める前に苦しみます。ラスコーリニコフは金貸しの老婆を撲殺した後で苦しみます。

 二人とも、様々な可能性を持ちながら、その可能性を実現させることのできない閉塞状況の中で苛立ちながら生きていました。他の共通点として、ハムレットにはホレイショー、そしてラスコーリニコフにはラズーミヒンという信頼できる親友がいました。

 狂人を装うハムレットの理解を越えた言動、ハムレットによる父親の殺害、これらの度重なる悲しみから、彼を恋い慕うオフィーリアは、ついに発狂して川で溺死してしまいます。私は、この可哀想な女性が登場する場面を読むと、涙をこらえるのに苦労します。つい、ハムレットめ、と彼を責めてしまいます。私は、この不幸なオフィーリアが大好きなのです。同じように、『罪と罰』の薄幸の女性ソーニャも大好きです。

 大学生の時に、『ハムレット』の中の有名なセリフを英語で暗記しました。今でも暗誦できます。例の「生きるべきか、死すべきか」というハムレットの独白の部分です。

 「生きて行くか、生きて行かないか、そこが問題なのだ。残忍な運命の矢玉を心の中でじっと耐えるのと、武器を取って海なす苦難に敢然と立ち向かってそれらを葬り去るのと、いずれが貴いことなのか。死ぬことは、眠ること─―それだけの話だ。眠ればたぶん、人間が受けねばならぬ胸のうずき、数知れぬ肉体の苦痛を忘れることができる。それこそは心の底から願わしい大団円だ。死ぬ、つまり眠る。眠る、ひょっとすると夢を見るか、ああ、ここで引っ掛かる、……」

 

(中野好夫訳)

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【28】シェイクスピア「ハムレット」

◎読むことの楽しさ

 私は、中学時代から現在に至るまで常にシェイクスピアを読んできました。

 最初に読んだのは、中学3年の国語の教科書に載っていた『ヴェニスの商人』でした。

 ヴェニスの商人アントニオは、親友バッサーニオのために、ユダヤ人の高利貸のシャイロックから金を借りる。返金できない場合には、自分の体の肉を1ポンド切り取ってもよいという証文を書いて署名する。運の悪いことに、荷を積んだ彼の商船が難破して、アントニオは財産を失ってしまう。契約違反の裁判が始まる。──あの有名な法廷の場面のほんの一部が教科書に載っていたのでした。本当に面白いと思いました。私は、作者のシェイクスピアという名前をしっかりと記憶しました。

 次に読んだ作品も教科書からでした。高校1年か2年の国語の教科書に『ジュリアス・シーザー』が載っていました。例のアントニーの演説の場面でした。

 古代ローマの将軍・政治家シーザー(カエサル)は、独裁者の地位に就いたが、元老院議事堂で暗殺される。その次の市民広場の場面。まず暗殺首謀者ブルータスが登壇して、暗殺のやむを得なかった理由を市民たちに説明する。市民は歓呼してこれを納得する。その後にアントニーが登壇して、巧みな弁舌で、シーザーの高潔な人格や深い市民愛などを強調し、市民たちの心を掴む。市民たちは激怒し暴動化する。

──あの有名な演説の場面が載っていたのです。今度も面白いと思いました。早くこの戯曲全部を読みたい、他の戯曲もたくさん読みたいと思いました。大学生になってから、私は『ロミオとジュリエット』『ハムレット』『マクベス』『オセロ』『リア王』『お気に召すまま』『夏の夜の夢』などを貪るように読みました。どれもこれも、本当に面白いと思いました。

 シェイクスピアはモーツァルトに似ていると思います。天駆ける自由奔放な天才たち。──シェイクスピアは言葉によって、モーツァルトは音によって、天上世界も世俗世界も、聖人も極悪人も、清浄さも俗臭さも、誠心誠意も嘘偽りも、換言すれば、この人間の世界で展開されている多種多様な様相を、余す事なく巧みに表現しました。

 中野好夫は『シェイクスピアの面白さ』(新潮選書)の中で次のように書いています。「シェイクスピア」を「モーツァルト」に、「言葉」を「音」に置き換えて読めば、そのままモーツァルトの面白さに重なります。ただし、モーツァルトの場合、私は、『フィガロの結婚』や『ドン・ジョヴァンニ』などの歌劇を対象として考えています。

 「シェイクスピアの芝居の面白さというものは、こうした、時には一見節度を越えた言葉の氾濫、悪ふざけとも言える猥雑さを含めてまでのハツラツたる生きのよさにあることを忘れてはなるまい。ただし、断っておくが、シェイクスピアの面白さが常にそうした無節度に近い奔放さにあるというのでは、勿論ない。むしろ逆に、いわゆる急所とも言うべき場面になると、これはまたいかに簡潔で、しかも暗示的な抑制――多少誇張して言えば、一語の増減も許されないような緊密、的確な手法を見せていることは言うまでもない」

 

◎『ハムレット』

 ウィリアム・シェイクスピアは、1564年4月23日、イギリスのストラトフォードに生まれた。裕福な商人だった父ジョンは町長に選ばれたこともあったが、やがて経済的に没落した。長男のウィリアムは地元のグラマー・スクールに通っただけで、大学には進まなかった。1582年11月、18歳の時、8歳年上のアン・ハサウェーと結婚した。翌年5月、長女スザンナ誕生。21歳の時、長男ハムネットと次女ジュディスの双子が生まれた。23歳の頃、シェイクスピアは妻子を郷里に残して、ロンドンに出た。劇団に入り、俳優として出発し、やがて劇作に転じた。1600年からの6年間で『ハムレット』『オセロ』『リア王』『マクベス』の四大悲劇を創作した。1610年、46歳で引退して郷里に帰った。1616年4月23日に死去。享年52。2日後、ストラトフォードのホーリー・トリニティ教会に埋葬された。

 シェイクスピアが生まれた1564年には、イタリアの近代科学の父ガリレイが生まれています。また、イタリアの偉大な画家・彫刻家ミケランジェロが死去していますし、フランスの宗教改革者カルヴァンもスイスのジュネーブで死去しています。

 もう一つ付け加えれば、シェイクスピアが亡くなった1616年には、『ドン・キホーテ』を書いた偉大なスペインの作家セルバンテスが亡くなっていますし、日本では江戸幕府を開いた徳川家康が亡くなっています。

 シェイクスピアの代表作『ハムレット』が初演されたのは、16世紀最後の区切りの年である1600年で、作者が36歳の時でした。30代の半ば頃の年齢が、どうも偉大な芸術家の創作意欲が最も高まる時期のように思われます。

 モーツァルトは35歳で死んでいますが、その最後の年には歌劇の最高傑作『魔笛』が作られ、さらに未完に終わった『レクイエム』も作られました。また、トルストイが雄大な長編小説『戦争と平和』を書き始めたのも35歳の時でした。

 ハムレットは、何という魅力的な青年でしょう。その魅力は、ドストエフスキーの『罪と罰』に登場するラスコーリニコフに決して劣るものではありません。二人とも殺人者ですが、ハムレットは、父親を毒殺して王位と母観を奪った叔父を殺す決意を固める前に苦しみます。ラスコーリニコフは金貸しの老婆を撲殺した後で苦しみます。

 二人とも、様々な可能性を持ちながら、その可能性を実現させることのできない閉塞状況の中で苛立ちながら生きていました。他の共通点として、ハムレットにはホレイショー、そしてラスコーリニコフにはラズーミヒンという信頼できる親友がいました。

 狂人を装うハムレットの理解を越えた言動、ハムレットによる父親の殺害、これらの度重なる悲しみから、彼を恋い慕うオフィーリアは、ついに発狂して川で溺死してしまいます。私は、この可哀想な女性が登場する場面を読むと、涙をこらえるのに苦労します。つい、ハムレットめ、と彼を責めてしまいます。私は、この不幸なオフィーリアが大好きなのです。同じように、『罪と罰』の薄幸の女性ソーニャも大好きです。

 大学生の時に、『ハムレット』の中の有名なセリフを英語で暗記しました。今でも暗誦できます。例の「生きるべきか、死すべきか」というハムレットの独白の部分です。

 「生きて行くか、生きて行かないか、そこが問題なのだ。残忍な運命の矢玉を心の中でじっと耐えるのと、武器を取って海なす苦難に敢然と立ち向かってそれらを葬り去るのと、いずれが貴いことなのか。死ぬことは、眠ること─―それだけの話だ。眠ればたぶん、人間が受けねばならぬ胸のうずき、数知れぬ肉体の苦痛を忘れることができる。それこそは心の底から願わしい大団円だ。死ぬ、つまり眠る。眠る、ひょっとすると夢を見るか、ああ、ここで引っ掛かる、……」

 

(中野好夫訳)