■村上信夫プロフィ−ル

2001年から11年に渡り、『ラジオビタミン』や『鎌田實いのちの対話』など、NHKラジオの「声」として活躍。

現在は、全国を回り「嬉しい言葉の種まき」をしながら、文化放送『日曜はがんばらない』(毎週日曜10:00?)、月刊『清流』連載対談?ときめきトークなどで、新たな境地を開いている。各地で『ことば磨き塾』主宰。

1953年、京都生まれ。元NHKエグゼクティブアナウンサー。

これまで、『おはよう日本』『ニュース7 』『育児カレンダー』などを担当。著書に『嬉しいことばの種まき』『ことばのビタミン』(近代文藝社)『ラジオが好き!』(海竜社)など。趣味、将棋(二段)。

http://murakaminobuo.com

 

■イネ・セイミプロフィール

フルート奏者として活躍中。俳画家。

絵画を幼少より日展画家の(故)川村行雄氏に師事。俳画を華道彩生会家元(故)村松一平氏に師事。

俳画の描法をもとに、少女、猫等を独自のやさしいタッチで描いている。個展多数。

俳画教室開講中

ところ 常滑屋

と き 俳画教室 月2回 午後1時30~3時30分

会 費 1回 2,250円(3ヶ月分前納制)

問合せ 電話0569(35)0470

インディアンフルート教室開講しています。

誰でも簡単に音が出せる楽器です。

あなたも今日からミュージシャン。

受講生募集

会場:マツイシ楽器店ミュージックガーデン武豊

時間:隔週木曜日(月2回)10:00~11:00

形態:グループ

会費:1ヶ月8,802円(入会金)5,400 円

詳しくはマツイシ楽器店本社 教室係まで

フリーダイヤル:0120-37-5576

講師 イネ・セイミ

《日本インディアンフルートサークル協会ディレクター》

ネイティブアメリカンのスピリットが感じられる

インディアンフルート,その音色はやさしく心に響きます。

1レッスン・30分4,000円 会場・半田市桐ヶ丘

申込み・お問合せ

0569-89-7127

ine.seimi.jp@gmail.com

 

 

舞台が大好き

 舞台では二、〇〇〇人くらいの観客を前にしゃべる。舞台に出ているときがいちばん好きだという。特に、大爆笑が一気にドーンときたときに幸せを感じる。自分の調子、客の雰囲気、会場の作りなど全部の要素が合致して、すばらしい舞台になったときは最高の気分になる。

 「すべてがよかったという舞台が、年に一、二回あるんですよ。そのときの録音を聞いて、自分を奮い立たせています」。

 きみまろさんの漫談は毒舌だが、人をいやな気持ちにはさせない。「愛情のあるやさしい毒舌ですからね。言い過ぎたけどごめんねという気持ちが伝わるんでしょう。あとは、私の整った顔と足の長さに免じて許してあげようかとなる(笑)」。

 「私は、『くそばばあ』とは絶対にいいません。『昭和のお嬢さま、おきれいですね。首から下と、眉から上が。美しいほうれい線で』とはいいますけど(笑)」。

 「舞台では、1時間歩き回るから体力勝負。「ネタ勝負ではないんです。ネタはお客さんも忘れるし、私も忘れますしね(笑)」。

 

雌伏30年

 昔から人を笑わせるのが好きだった。

 「ロッテ歌のアルバム」などの番組で司会をしていた玉置宏さんにあこがれていた。高校時代は、「一週間のご無沙汰でした」とよく玉置さんのものまねをしていた。NHKアナウンサーの北出清五郎さんが東京オリンピックの開会式で、「さあ、日本選手団の登場です!」といった実況中継の真似もしていた。あの声のトーンと言葉が心地よくてゾクゾクした。「ちょっとクサいんだけど、あれがいいんだなぁ。私もとってつけたようなクサいしゃべり方をするんですが、昔のアナウンサーの口調が好きなんですよ」。

 しゃべることを生業にしたいと思った。舞台の上で何かやりたいと思っていたが、自分に何ができるかはわからなかった。

 キャバレーのボーイから、司会をするようになり、森進一さんや小林幸子さんたちの前座を務めながら全国を回るようになった。そのときも、バンドやスタッフの夜の宴会には加わらず、部屋で漫談を書いていた。

 いつか、自分の話の面白さをわかってくれる人は必ずいると思っていた。誰も見ていないと思っても誰かが見ていて、いつかわかってもらえると信じてやってきた。

 あるとき、あこがれのビートたけしさんから「おいらがあんたに憧れていたんだ。同じ世代を生きたものとして、誇りに思います」と感涙のことばをかけてもらえた。たけしさんは、舞台袖から、ブレイク前のきみまろさんを見て、今日を予見していたのだ。

 50歳くらいになって、さすがにやばいと思いながら、こんな芸人がいたことを世の中に残しておきたくて自分の漫談を入れたテープを作り、三千本くらいを無料で配った。

 雌伏30年。52歳でブレークした。

 「時代が私を呼んでくれたような気がします。時代の流れで中高年が多くなって、たまたま私が中高年の話をしていたから花開いたところがあるんです」。

 『縁と運と努力』でここまできた。困ったときに救ってくれる人がいて、そういう人との縁を大事にしていたら運が生まれた。

 だが、生まれたときから運があったわけではない。

 「歌舞伎役者の家に生まれた人は、小さいときから役者の教育を受けて舞台も用意されていますが、私が生まれたのは農家ですしね。田舎を出るときに親父から一万円をもらって、夜行列車で出てきたわけですからスタートラインが違います。人間は平等じゃないと思ったこともありましたよ」。

 きみまろさんがそう言うので、ボクは、「自分で選んでそのお父さんのもとに生まれてきたんだと思いますよ。その一万円をくれたお父さんの気持ちが痛いほどわかっていたから覚悟も違った。もらった一万円の価値は、スターの家に生まれた人の価値とは違うでしょう。じゃなきゃ、いまのきみまろさんはいませんよ」と意見してしまった。

 そうしたら「いいことを言いますねえ。あまり泣かせないで(笑)。そうですね。あの当時の一万円は大金でした。私が親父とおふくろの子であるのも動かぬ事実。親父が生きている間に、いまの自分を見せられなかったのが心残りだなぁ」と遠くを見る目をした。父は「あきらめずに同じことを続けていれば、きっといいことがある」と、いつも言っていた。

 母には「まじめに生きなさい。あいさつしなさい。悪いことはしないで」と言われ続けていた。「そういう親に育てられたので、私は人にだまされることはあっても人をだますことはできないんです(笑)。おふくろは二年前に亡くなりましたが、私がブレークした姿を少し見られたのでよかったと思っています」。

 

日向ぼっこトーク

 きみまろさんは、二〇二〇年には一区切りつけようと考え始めた。

 70歳の古希なので区切りがいいと思っている。引退ではなく、自分のペースにしていきたい。

 「いまは年間一〇〇本くらいの仕事をしていますが、自分のペースじゃないなと思うところもあるんですよ。でも私が売れている間に、低迷するショービジネスの業界に少しでも恩返しできればと思ってやっています。私たちの仕事は呼ばれてナンボの世界ですから、お客さまに求められるうちはいまのままでと思っています」。

 だが、いずれは、マシンガントークではなく、穏やかに気の利いた話をゆっくり出来たらいいと、きみまろさんは思っている。

 縁側で日向ぼっこをしているようなライブ。いいなぁ。聞きに行きたいなぁ。

 

Copyright©2003-2017 Akai Newspaper dealer

プライバシーポリシー

あかい新聞店・常滑店

新聞■折込広告取扱■求人情報■ちたろまん■中部国際空港配送業務

電話:0569-35-2861

 

あかい新聞店・武豊店

電話:0569-72-0356

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舞台が大好き

 舞台では二、〇〇〇人くらいの観客を前にしゃべる。舞台に出ているときがいちばん好きだという。特に、大爆笑が一気にドーンときたときに幸せを感じる。自分の調子、客の雰囲気、会場の作りなど全部の要素が合致して、すばらしい舞台になったときは最高の気分になる。

 「すべてがよかったという舞台が、年に一、二回あるんですよ。そのときの録音を聞いて、自分を奮い立たせています」。

 きみまろさんの漫談は毒舌だが、人をいやな気持ちにはさせない。「愛情のあるやさしい毒舌ですからね。言い過ぎたけどごめんねという気持ちが伝わるんでしょう。あとは、私の整った顔と足の長さに免じて許してあげようかとなる(笑)」。

 「私は、『くそばばあ』とは絶対にいいません。『昭和のお嬢さま、おきれいですね。首から下と、眉から上が。美しいほうれい線で』とはいいますけど(笑)」。

 「舞台では、1時間歩き回るから体力勝負。「ネタ勝負ではないんです。ネタはお客さんも忘れるし、私も忘れますしね(笑)」。

 

雌伏30年

 昔から人を笑わせるのが好きだった。

 「ロッテ歌のアルバム」などの番組で司会をしていた玉置宏さんにあこがれていた。高校時代は、「一週間のご無沙汰でした」とよく玉置さんのものまねをしていた。NHKアナウンサーの北出清五郎さんが東京オリンピックの開会式で、「さあ、日本選手団の登場です!」といった実況中継の真似もしていた。あの声のトーンと言葉が心地よくてゾクゾクした。「ちょっとクサいんだけど、あれがいいんだなぁ。私もとってつけたようなクサいしゃべり方をするんですが、昔のアナウンサーの口調が好きなんですよ」。

 しゃべることを生業にしたいと思った。舞台の上で何かやりたいと思っていたが、自分に何ができるかはわからなかった。

 キャバレーのボーイから、司会をするようになり、森進一さんや小林幸子さんたちの前座を務めながら全国を回るようになった。そのときも、バンドやスタッフの夜の宴会には加わらず、部屋で漫談を書いていた。

 いつか、自分の話の面白さをわかってくれる人は必ずいると思っていた。誰も見ていないと思っても誰かが見ていて、いつかわかってもらえると信じてやってきた。

 あるとき、あこがれのビートたけしさんから「おいらがあんたに憧れていたんだ。同じ世代を生きたものとして、誇りに思います」と感涙のことばをかけてもらえた。たけしさんは、舞台袖から、ブレイク前のきみまろさんを見て、今日を予見していたのだ。

 50歳くらいになって、さすがにやばいと思いながら、こんな芸人がいたことを世の中に残しておきたくて自分の漫談を入れたテープを作り、三千本くらいを無料で配った。

 雌伏30年。52歳でブレークした。

 「時代が私を呼んでくれたような気がします。時代の流れで中高年が多くなって、たまたま私が中高年の話をしていたから花開いたところがあるんです」。

 『縁と運と努力』でここまできた。困ったときに救ってくれる人がいて、そういう人との縁を大事にしていたら運が生まれた。

 だが、生まれたときから運があったわけではない。

 「歌舞伎役者の家に生まれた人は、小さいときから役者の教育を受けて舞台も用意されていますが、私が生まれたのは農家ですしね。田舎を出るときに親父から一万円をもらって、夜行列車で出てきたわけですからスタートラインが違います。人間は平等じゃないと思ったこともありましたよ」。

 きみまろさんがそう言うので、ボクは、「自分で選んでそのお父さんのもとに生まれてきたんだと思いますよ。その一万円をくれたお父さんの気持ちが痛いほどわかっていたから覚悟も違った。もらった一万円の価値は、スターの家に生まれた人の価値とは違うでしょう。じゃなきゃ、いまのきみまろさんはいませんよ」と意見してしまった。

 そうしたら「いいことを言いますねえ。あまり泣かせないで(笑)。そうですね。あの当時の一万円は大金でした。私が親父とおふくろの子であるのも動かぬ事実。親父が生きている間に、いまの自分を見せられなかったのが心残りだなぁ」と遠くを見る目をした。父は「あきらめずに同じことを続けていれば、きっといいことがある」と、いつも言っていた。

 母には「まじめに生きなさい。あいさつしなさい。悪いことはしないで」と言われ続けていた。「そういう親に育てられたので、私は人にだまされることはあっても人をだますことはできないんです(笑)。おふくろは二年前に亡くなりましたが、私がブレークした姿を少し見られたのでよかったと思っています」。

 

日向ぼっこトーク

 きみまろさんは、二〇二〇年には一区切りつけようと考え始めた。

 70歳の古希なので区切りがいいと思っている。引退ではなく、自分のペースにしていきたい。

 「いまは年間一〇〇本くらいの仕事をしていますが、自分のペースじゃないなと思うところもあるんですよ。でも私が売れている間に、低迷するショービジネスの業界に少しでも恩返しできればと思ってやっています。私たちの仕事は呼ばれてナンボの世界ですから、お客さまに求められるうちはいまのままでと思っています」。

 だが、いずれは、マシンガントークではなく、穏やかに気の利いた話をゆっくり出来たらいいと、きみまろさんは思っている。

 縁側で日向ぼっこをしているようなライブ。いいなぁ。聞きに行きたいなぁ。

 

■村上信夫プロフィ−ル

2001年から11年に渡り、『ラジオビタミン』や『鎌田實いのちの対話』など、NHKラジオの「声」として活躍。

現在は、全国を回り「嬉しい言葉の種まき」をしながら、文化放送『日曜はがんばらない』(毎週日曜10:00?)、月刊『清流』連載対談?ときめきトークなどで、新たな境地を開いている。各地で『ことば磨き塾』主宰。

1953年、京都生まれ。元NHKエグゼクティブアナウンサー。これまで、『おはよう日本』『ニュース7 』『育児カレンダー』などを担当。著書に『嬉しいことばの種まき』『ことばのビタミン』(近代文藝社)『ラジオが好き!』(海竜社)など。趣味、将棋(二段)。

http://murakaminobuo.com

 

■イネ・セイミプロフィール

フルート奏者として活躍中。俳画家。

絵画を幼少より日展画家の(故)川村行雄氏に師事。俳画を華道彩生会家元(故)村松一平氏に師事。

俳画の描法をもとに、少女、猫等を独自のやさしいタッチで描いている。個展多数。

 

俳画教室開講中

ところ 常滑屋

と き 俳画教室 月2回 午後1時30~3時30分

会 費 1回 2,250円(3ヶ月分前納制)

問合せ 電話0569(35)0470

インディアンフルート教室開講しています。

誰でも簡単に音が出せる楽器です。

あなたも今日からミュージシャン。

受講生募集

会場:マツイシ楽器店ミュージックガーデン武豊

時間:隔週木曜日(月2回)10:00~11:00

形態:グループ

会費:1ヶ月8,802円(入会金)5,400 円

詳しくはマツイシ楽器店本社 教室係まで

フリーダイヤル:0120-37-5576

 

講師 イネ・セイミ

《日本インディアンフルートサークル協会ディレクター》

ネイティブアメリカンのスピリットが感じられる

インディアンフルート,その音色はやさしく心に響きます。

1レッスン・30分4,000円 会場・半田市桐ヶ丘

申込み・お問合せ

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