■杉本武之プロフィール

1939年 碧南市に生まれる。

京都大学文学部卒業。

翻訳業を経て、小学校教師になるために愛知教育大学に入学。

25年間、西尾市の小中学校に勤務。

定年退職後、名古屋大学教育学部の大学院で学ぶ。

〈趣味〉読書と競馬

 

【18】北斎『富嶽百景』

◎犬との暮らし

 40年近く前のことでした。生後5カ月ほどの子犬が、私の家の周辺をヨロヨロと歩いていました。そして、門の所で力尽きて、うずくまってしまいました。買い物から帰って来た私の女房が、可哀想に思って牛乳とソーセージを与えました。

 こうして、雑種の雌犬が私の家で飼われることになりました。名前を「リュウ」と付けました。当時、私は中日ドラゴンズの熱烈なファンでした。本当におとなしく柔順な犬でした。10歳頃に子宮が腫れて、それを切除した以外は、病気らしい病気をしませんでした。19年も生きて、最後は、おとなしかったこの犬らしく静かに死にました。

 リュウが死んで家の中が寂しくなりました。しばらくは我慢していましたが、犬の居ない空虚な生活に耐えられなくなりました。刈谷のペットショップに行って、元気な牡の柴犬を買いました。「ボン」という名前にしました。私が高校生の頃に飼っていた犬の名前と同じです。フランス語で「良い」という意味です。「ボンジュール」のボンです。

 教員を定年退職したところで、自由な時間も多く、ボンと毎日楽しくつきあっていました。元気の良い犬でした。少し離れた家で飼われていた「姫」という雌犬とだけは仲良しでしたが、他の全ての犬に対しては、出会うと猛烈な勢いで吠えかかりました。近所で最も恐れられた猛犬でした。

 ボンは15歳の時に認知症になりました。耳も聞こえなくなり、目も見えなくなりました。眠っていない時は絶えずウォーン、ウォーンと大きな声を出すようになりました。近所迷惑になるような大声でした。昼夜に亙る介護が1年間続きました。私たち家族の体カと気力が限界に近づいた時、ボンは死にました。16歳でした。

 ボンが死んで2カ月が過ぎました。年老いてからの犬の世話も大変だと思って、しばらく我慢していました。しかし、犬が側に居ない生活に耐えられなくなり、2年前の11月下旬、これが犬を飼う最後だと決めて、また柴犬を買いに行きました。私も後期高齢者になっており、ボンのような力の強い牡犬だと散歩も大変だろうと思い、今度は豆柴の雌を飼うことに決めていました。

 碧南のペットショップには、生後3カ月ほどの色々な種類の子犬がいました。いい犬に出会えますようにと願いながら、柴犬の所に行きました。

 いました、いました、タヌキのような顔をした柴犬の赤ちゃんが!見た瞬間、可愛いと思いました。この犬がいい。この犬しか居ない。私は即断しました。念のために、店員に聞いてみました。

 「私も年を取って来たので、あんまり大きくなる犬だと困るんだけど、この犬なら大丈夫だよね」

 「メスですし、豆柴みたいな感じですし、そんなに大きくならないと思います」 名前は「ボン子」としました。そして、今は亡きボンの妹として飼い始めました。早いうちに避妊手術をしてもらいました。手術後、幼いボン子の腹の中から切除された子宮と卵巣を見ました。可愛らしく美しい色と形をしていました。しかし、メス犬のボン子の大切な臓器だったと思うと、私は思わず涙ぐんでしまいました。ボン子よ、ごめんね。

 今、ボン子は2年3カ月。元気一杯の年頃です。6キロほどの豆柴の筈でしたが、今や体重は10キロを超えています。1歳までの無鉄砲さは減りました。机やコタツの上に新聞や雑誌、本やボールペンを置きっ放しにしておいても、爪と歯で目茶苦茶にされる心配は無くなりました。

 近くの市民公園に犬が自由に走り回ることのできる場所があり、悪天候の日以外、毎日、ボン子を連れて行きます。引き綱を外し、ボールを投げてやると、勢いよく走り出し、くわえて持って来ます。15回ぐらい繰り返してから、また引き綱を付けて、港の方へのんびり歩きます。ボン子は、お気に入りの草むらで気持ち良さそうに大小便をします。

◎『富嶽百景』

 ここ数年間、17世紀に活躍したオランダの画家レンブラントについて研究しました。そして、今年の10月に『憐憫と慈愛と寛容の画家 レンブラント』と題して私家版として刊行しました。幸いにも好評でしたので、日本人の偉大な画家に関する本も出版したいと思い、浮世絵師の葛飾北斎(1760~1849)の研究を本格的に始めました。

 北斎に興味を持ったのは、大学生の時からで、今から60年ほども昔のことです。当時は北斎の評価は今ほど高くありませんでした。私のような貧乏な学生でも、京都の美術関係の古本屋で根気よく探せば、『北斎漫画』や『富嶽百景』が安い価格で買えました。私は『北斎漫画五編』『北斎漫画六編』『富嶽百景初編』『絵本魁初編』の4冊を手に入れました。ある日、『北斎漫画』全編の揃いを見つけ、欲しくて仕方がなかったのですが、高額すぎて手が出ませんでした。しかし、その日、寺町通りの古本屋で、明治39年に発行された『葛飾北斎日新除魔帖』を買うことができました。今でも私の宝物です。 北斎の研究をするために美学科に進もうかとも考えましたが、文学と語学が好きだったので、最終的にはフランス文学を専攻することにしました。やがて、あれほど高かった北斎の熱も平熱になり、足を棒にして歩いた古本屋巡りも終わりました。

 北斎の数多い作品の中で最も有名なものは、『富嶽三十六景』シリーズの中の「神奈川沖浪裏」「凱風快晴(通称・赤富士)」「山下白雨」の3点です。私も、この3点は日本絵画史上における傑作であると思います。しかし、その他の作品の中には平凡なものも幾つか有ります。着色されていないために低く見られがちですが、同じように富士山を色々な角度から描いた絵本の『富嶽百景』の方が傑作が多いと思います。

 大判錦絵の『富嶽三十六景』の刊行が始まったのが天保元年(1830)で、その時、北斎は70歳でした。そして、絵本の『富嶽百景・初編』が刊行されたのは5年後の天保5年でした。『富嶽百景・二編』は翌年の天保6年に刊行されましたが、『富嶽百景・三編』の刊行年は、現時点では不明です。

 この3冊の絵本に描かれた富士山に関わる絵はどれも迫力満点です。『富嶽三十六景』には凡作も有りますが、『富嶽百景』には気の抜けたような作品は皆無です。 ここに掲載した「海上の不二」(左半分)は、『富嶽三十六景』の中の代表作『神奈川沖浪裏』と同じような内容です。そして、同じように迫力のある作品です。

 なお、有名な絵手本の『北斎漫画』の初編が刊行されたのは文化11年(1814)でした。次々に続編が刊行され、北斎が死んでからも遺稿出版という形で刊行され続き、最後の『十五編』が出版されたのは明治11年でした。それほど人気があったのです。

 

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【18】北斎『富嶽百景』

◎犬との暮らし

 40年近く前のことでした。生後5カ月ほどの子犬が、私の家の周辺をヨロヨロと歩いていました。そして、門の所で力尽きて、うずくまってしまいました。買い物から帰って来た私の女房が、可哀想に思って牛乳とソーセージを与えました。

 こうして、雑種の雌犬が私の家で飼われることになりました。名前を「リュウ」と付けました。当時、私は中日ドラゴンズの熱烈なファンでした。本当におとなしく柔順な犬でした。10歳頃に子宮が腫れて、それを切除した以外は、病気らしい病気をしませんでした。19年も生きて、最後は、おとなしかったこの犬らしく静かに死にました。

 リュウが死んで家の中が寂しくなりました。しばらくは我慢していましたが、犬の居ない空虚な生活に耐えられなくなりました。刈谷のペットショップに行って、元気な牡の柴犬を買いました。「ボン」という名前にしました。私が高校生の頃に飼っていた犬の名前と同じです。フランス語で「良い」という意味です。「ボンジュール」のボンです。

 教員を定年退職したところで、自由な時間も多く、ボンと毎日楽しくつきあっていました。元気の良い犬でした。少し離れた家で飼われていた「姫」という雌犬とだけは仲良しでしたが、他の全ての犬に対しては、出会うと猛烈な勢いで吠えかかりました。近所で最も恐れられた猛犬でした。

 ボンは15歳の時に認知症になりました。耳も聞こえなくなり、目も見えなくなりました。眠っていない時は絶えずウォーン、ウォーンと大きな声を出すようになりました。近所迷惑になるような大声でした。昼夜に亙る介護が1年間続きました。私たち家族の体カと気力が限界に近づいた時、ボンは死にました。16歳でした。

 ボンが死んで2カ月が過ぎました。年老いてからの犬の世話も大変だと思って、しばらく我慢していました。しかし、犬が側に居ない生活に耐えられなくなり、2年前の11月下旬、これが犬を飼う最後だと決めて、また柴犬を買いに行きました。私も後期高齢者になっており、ボンのような力の強い牡犬だと散歩も大変だろうと思い、今度は豆柴の雌を飼うことに決めていました。

 碧南のペットショップには、生後3カ月ほどの色々な種類の子犬がいました。いい犬に出会えますようにと願いながら、柴犬の所に行きました。

 いました、いました、タヌキのような顔をした柴犬の赤ちゃんが!見た瞬間、可愛いと思いました。この犬がいい。この犬しか居ない。私は即断しました。念のために、店員に聞いてみました。

 「私も年を取って来たので、あんまり大きくなる犬だと困るんだけど、この犬なら大丈夫だよね」

 「メスですし、豆柴みたいな感じですし、そんなに大きくならないと思います」 名前は「ボン子」としました。そして、今は亡きボンの妹として飼い始めました。早いうちに避妊手術をしてもらいました。手術後、幼いボン子の腹の中から切除された子宮と卵巣を見ました。可愛らしく美しい色と形をしていました。しかし、メス犬のボン子の大切な臓器だったと思うと、私は思わず涙ぐんでしまいました。ボン子よ、ごめんね。

 今、ボン子は2年3カ月。元気一杯の年頃です。6キロほどの豆柴の筈でしたが、今や体重は10キロを超えています。1歳までの無鉄砲さは減りました。机やコタツの上に新聞や雑誌、本やボールペンを置きっ放しにしておいても、爪と歯で目茶苦茶にされる心配は無くなりました。

 近くの市民公園に犬が自由に走り回ることのできる場所があり、悪天候の日以外、毎日、ボン子を連れて行きます。引き綱を外し、ボールを投げてやると、勢いよく走り出し、くわえて持って来ます。15回ぐらい繰り返してから、また引き綱を付けて、港の方へのんびり歩きます。ボン子は、お気に入りの草むらで気持ち良さそうに大小便をします。

 

◎『富嶽百景』

 ここ数年間、17世紀に活躍したオランダの画家レンブラントについて研究しました。そして、今年の10月に『憐憫と慈愛と寛容の画家 レンブラント』と題して私家版として刊行しました。幸いにも好評でしたので、日本人の偉大な画家に関する本も出版したいと思い、浮世絵師の葛飾北斎(1760~1849)の研究を本格的に始めました。

 北斎に興味を持ったのは、大学生の時からで、今から60年ほども昔のことです。当時は北斎の評価は今ほど高くありませんでした。私のような貧乏な学生でも、京都の美術関係の古本屋で根気よく探せば、『北斎漫画』や『富嶽百景』が安い価格で買えました。私は『北斎漫画五編』『北斎漫画六編』『富嶽百景初編』『絵本魁初編』の4冊を手に入れました。ある日、『北斎漫画』全編の揃いを見つけ、欲しくて仕方がなかったのですが、高額すぎて手が出ませんでした。しかし、その日、寺町通りの古本屋で、明治39年に発行された『葛飾北斎日新除魔帖』を買うことができました。今でも私の宝物です。 北斎の研究をするために美学科に進もうかとも考えましたが、文学と語学が好きだったので、最終的にはフランス文学を専攻することにしました。やがて、あれほど高かった北斎の熱も平熱になり、足を棒にして歩いた古本屋巡りも終わりました。

 北斎の数多い作品の中で最も有名なものは、『富嶽三十六景』シリーズの中の「神奈川沖浪裏」「凱風快晴(通称・赤富士)」「山下白雨」の3点です。私も、この3点は日本絵画史上における傑作であると思います。しかし、その他の作品の中には平凡なものも幾つか有ります。着色されていないために低く見られがちですが、同じように富士山を色々な角度から描いた絵本の『富嶽百景』の方が傑作が多いと思います。

 大判錦絵の『富嶽三十六景』の刊行が始まったのが天保元年(1830)で、その時、北斎は70歳でした。そして、絵本の『富嶽百景・初編』が刊行されたのは5年後の天保5年でした。『富嶽百景・二編』は翌年の天保6年に刊行されましたが、『富嶽百景・三編』の刊行年は、現時点では不明です。

 この3冊の絵本に描かれた富士山に関わる絵はどれも迫力満点です。『富嶽三十六景』には凡作も有りますが、『富嶽百景』には気の抜けたような作品は皆無です。 ここに掲載した「海上の不二」(左半分)は、『富嶽三十六景』の中の代表作『神奈川沖浪裏』と同じような内容です。そして、同じように迫力のある作品です。

 なお、有名な絵手本の『北斎漫画』の初編が刊行されたのは文化11年(1814)でした。次々に続編が刊行され、北斎が死んでからも遺稿出版という形で刊行され続き、最後の『十五編』が出版されたのは明治11年でした。それほど人気があったのです。