新美南吉は、『良寛物語』の中で良寛の偉さ、凄さ、素晴らしさをどのように書き表現したのでしょう。

 『良寛物語』は17章に亘って書かれています。この物語を良寛の思想遍歴、陶冶の過程に注目して要約すれば以下のようになります。

  人の善意や努力を足蹴にしたり踏みにじって平気でいる人がいる。それを批判する自分の中にも悪い心がある。

  もう無茶苦茶。これでは駄目だ。この思いから良寛は自分の心から悪いものを取り除き、世の中の人の心からも

  悪いものを取り除くべく誠の道を求めて仏門に入り真理をつかんで世の中を変えたいと思いました。

  しかし、国仙和尚や兄弟子の仙桂和尚に導かれながらも誠の道はつかめない。漂泊の旅に出るもつかめない。漂

  泊の帰り道、牛飼いに会い牛飼いから自分の身丈にあった望みの話を聞き悟るのだった。誠の道を大志において

  実現しようと思うと無理が生じるが分相応に誠の道を実践していくのなら可能ではないかと。

  青雲の志をもって修行に出たのだから故郷では大僧正になって帰ってくることが期待されている。しかし良寛は

  分相応の道に生きることを決意するのだった。手毬で子どもと遊び、鉢の子(乞食)で大人と語る道を選んだ。

 さて、この物語のどこが素晴らしく、どこが哲学者なのでしょうか。私は仏の道を大切に思い、分相応に実践しようとした所だと思います。仏の心は慈悲の心、この心で友だちになり仏の心に導いていく。これは大僧正になってはできない。苦楽をともにする中で上から目線でなく、一緒に考えていく中でしかできないのではないか。南吉は、「悪い心を抑えて、善い心をのばしていくのが人間だ」とか、「希望と喜びの芽をふかせるようにする」のが仏道、「ひとりぼっちでは生きていけない。みんなが一緒になって、お互いに助け合って生きていくのでなければ」等の言葉を残します。これこそが『良寛物語』の執筆の中で新美南吉が学んだ思想だと思います。

 では、南吉はこの良寛から学んだ思想を作品にどう具現させたのでしょうか。『ごんごろ鐘』で見ることにしましょう。

  これはごんごろ鐘とお爺さんと子どもたちの物語。尼寺のごんごろ鐘が3月22日に「出征」することになる。鉄

  砲や軍艦の一部にされるために供出を命じられます。子どもや若者だけでなく、老人もお別れに来る。このごんご

  ろ鐘は、朝な夕なに鳴らされ、村人にとっては生活の一部で目に見えない糸で結ばれた鐘だった。みんなが交替で

  鐘を突き、鋳造の話や報恩講の話をしながらお別れをする。

  しかしこの物語の主人公のお爺さんはお別れの日にちを間違えていたため、翌日にお別れに来る。当然のことなが

  ら、この尼寺にはもうごんごろ鐘はない。お爺さんはごんごろ鐘にお別れができず、乳母車で連れてきてくれた息

  子に集積場の国民学校まで連れて行ってくれと頼む。息子は野良の仕事があるのでここで諦めてくれと言う。お爺

  さんも、日にちを間違えた俺が悪いと言って諦める。その時だった。まわりで遊んでいた子どもたちが、僕たちが

  お爺さんを国民学校に連れて行ってあげると申し出た。お爺さんはごんごろ鐘を撫で回してお別れをする。子ども

  たちは晴れ晴れとした気持ちでお爺さんを家まで送って行く。

 私はここには、誠の道の分相応の実践が書かれていると思います。不条理でない共存の世界が子どもたちの自然な行動を通して書かれています。哲学者新美南吉の誕生です。

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 新美南吉は、『良寛物語』の中で良寛の偉さ、凄さ、素晴らしさをどのように書き表現したのでしょう。

 『良寛物語』は17章に亘って書かれています。この物語を良寛の思想遍歴、陶冶の過程に注目して要約すれば以下のようになります。

  人の善意や努力を足蹴にしたり踏みにじって平気でいる人がいる。それを批判する自分の

  中にも悪い心がある。もう無茶苦茶。これでは駄目だ。この思いから良寛は自分の心から

  悪いものを取り除き、世の中の人の心からも悪いものを取り除くべく誠の道を求めて仏門

  に入り真理をつかんで世の中を変えたいと思いました。

  しかし、国仙和尚や兄弟子の仙桂和尚に導かれながらも誠の道はつかめない。漂泊の旅に

  出るもつかめない。漂泊の帰り道、牛飼いに会い牛飼いから自分の身丈にあった望みの話

  を聞き悟るのだった。誠の道を大志において実現しようと思うと無理が生じるが分相応に

  誠の道を実践していくのなら可能ではないかと。

  青雲の志をもって修行に出たのだから故郷では大僧正になって帰ってくることが期待され

  ている。しかし良寛は分相応の道に生きることを決意するのだった。手毬で子どもと遊び、

  鉢の子(乞食)で大人と語る道を選んだ。

 さて、この物語のどこが素晴らしく、どこが哲学者なのでしょうか。私は仏の道を大切に思い、分相応に実践しようとした所だと思います。仏の心は慈悲の心、この心で友だちになり仏の心に導いていく。これは大僧正になってはできない。苦楽をともにする中で上から目線でなく、一緒に考えていく中でしかできないのではないか。南吉は、「悪い心を抑えて、善い心をのばしていくのが人間だ」とか、「希望と喜びの芽をふかせるようにする」のが仏道、「ひとりぼっちでは生きていけない。みんなが一緒になって、お互いに助け合って生きていくのでなければ」等の言葉を残します。これこそが『良寛物語』の執筆の中で新美南吉が学んだ思想だと思います。

 では、南吉はこの良寛から学んだ思想を作品にどう具現させたのでしょうか。『ごんごろ鐘』で見ることにしましょう。

  これはごんごろ鐘とお爺さんと子どもたちの物語。尼寺のごんごろ鐘が3月22日に「出征」

  することになる。鉄砲や軍艦の一部にされるために供出を命じられます。子どもや若者だけ

  でなく、老人もお別れに来る。このごんごろ鐘は、朝な夕なに鳴らされ、村人にとっては生

  活の一部で目に見えない糸で結ばれた鐘だった。みんなが交替で鐘を突き、鋳造の話や報恩

  講の話をしながらお別れをする。

  しかしこの物語の主人公のお爺さんはお別れの日にちを間違えていたため、翌日にお別れに

  来る。当然のことながら、この尼寺にはもうごんごろ鐘はない。お爺さんはごんごろ鐘にお

  別れができず、乳母車で連れてきてくれた息子に集積場の国民学校まで連れて行ってくれと

  頼む。息子は野良の仕事があるのでここで諦めてくれと言う。お爺さんも、日にちを間違え

  た俺が悪いと言って諦める。その時だった。まわりで遊んでいた子どもたちが、僕たちがお

  爺さんを国民学校に連れて行ってあげると申し出た。お爺さんはごんごろ鐘を撫で回してお

  別れをする。子どもたちは晴れ晴れとした気持ちでお爺さんを家まで送って行く。

 私はここには、誠の道の分相応の実践が書かれていると思います。不条理でない共存の世界が子どもたちの自然な行動を通して書かれています。哲学者新美南吉の誕生です。

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 新美南吉は、『良寛物語』の中で良寛の偉さ、凄さ、素晴らしさをどのように書き表現したのでしょう。

 『良寛物語』は17章に亘って書かれています。この物語を良寛の思想遍歴、陶冶の過程に注目して要約すれば以下のようになります。

  人の善意や努力を足蹴にしたり踏みにじって平気でいる人がいる。それを

  批判する自分の中にも悪い心がある。もう無茶苦茶。これでは駄目だ。こ

  の思いから良寛は自分の心から悪いものを取り除き、世の中の人の心から

  も悪いものを取り除くべく誠の道を求めて仏門に入り真理をつかんで世の

  中を変えたいと思いました。

  しかし、国仙和尚や兄弟子の仙桂和尚に導かれながらも誠の道はつかめな

  い。漂泊の旅に出るもつかめない。漂泊の帰り道、牛飼いに会い牛飼いか

  ら自分の身丈にあった望みの話を聞き悟るのだった。誠の道を大志におい

  て実現しようと思うと無理が生じるが分相応に誠の道を実践していくのな

  ら可能ではないかと。

  青雲の志をもって修行に出たのだから故郷では大僧正になって帰ってくる

  ことが期待されている。しかし良寛は分相応の道に生きることを決意する

  のだった。手毬で子どもと遊び、鉢の子(乞食)で大人と語る道を選んだ。

 さて、この物語のどこが素晴らしく、どこが哲学者なのでしょうか。私は仏の道を大切に思い、分相応に実践しようとした所だと思います。仏の心は慈悲の心、この心で友だちになり仏の心に導いていく。これは大僧正になってはできない。苦楽をともにする中で上から目線でなく、一緒に考えていく中でしかできないのではないか。南吉は、「悪い心を抑えて、善い心をのばしていくのが人間だ」とか、「希望と喜びの芽をふかせるようにする」のが仏道、「ひとりぼっちでは生きていけない。みんなが一緒になって、お互いに助け合って生きていくのでなければ」等の言葉を残します。これこそが『良寛物語』の執筆の中で新美南吉が学んだ思想だと思います。

 では、南吉はこの良寛から学んだ思想を作品にどう具現させたのでしょうか。『ごんごろ鐘』で見ることにしましょう。

  これはごんごろ鐘とお爺さんと子どもたちの物語。尼寺のごんごろ鐘が3

  月22日に「出征」することになる。鉄砲や軍艦の一部にされるために供出

  を命じられます。子どもや若者だけでなく、老人もお別れに来る。このご

  んごろ鐘は、朝な夕なに鳴らされ、村人にとっては生活の一部で目に見え

  ない糸で結ばれた鐘だった。みんなが交替で鐘を突き、鋳造の話や報恩講

  の話をしながらお別れをする。

  しかしこの物語の主人公のお爺さんはお別れの日にちを間違えていたため、

  翌日にお別れに来る。当然のことながら、この尼寺にはもうごんごろ鐘は

  ない。お爺さんはごんごろ鐘にお別れができず、乳母車で連れてきてくれ

  た息子に集積場の国民学校まで連れて行ってくれと頼む。息子は野良の仕

  事があるのでここで諦めてくれと言う。お爺さんも、日にちを間違えた俺

  が悪いと言って諦める。その時だった。まわりで遊んでいた子どもたちが、

  僕たちがお爺さんを国民学校に連れて行ってあげると申し出た。お爺さん

  はごんごろ鐘を撫で回してお別れをする。子どもたちは晴れ晴れとした気

  持ちでお爺さんを家まで送って行く。

 私はここには、誠の道の分相応の実践が書かれていると思います。不条理でない共存の世界が子どもたちの自然な行動を通して書かれています。哲学者新美南吉の誕生です。

 新美南吉は、『良寛物語』の中で良寛の偉さ、凄さ、素晴らしさをどのように書き表現したのでしょう。

 『良寛物語』は17章に亘って書かれています。この物語を良寛の思想遍歴、陶冶の過程に注目して要約すれば以下のようになります。

  人の善意や努力を足蹴にしたり踏みにじって

  平気でいる人がいる。それを批判する自分の

  中にも悪い心がある。もう無茶苦茶。これで

  は駄目だ。この思いから良寛は自分の心から

  悪いものを取り除き、世の中の人の心からも

  悪いものを取り除くべく誠の道を求めて仏門

  に入り真理をつかんで世の中を変えたいと思

  いました。

  しかし、国仙和尚や兄弟子の仙桂和尚に導か

  れながらも誠の道はつかめない。漂泊の旅に

  出るもつかめない。漂泊の帰り道、牛飼いに

  会い牛飼いから自分の身丈にあった望みの話

  を聞き悟るのだった。誠の道を大志において

  実現しようと思うと無理が生じるが分相応に

  誠の道を実践していくのなら可能ではないか

  と。

  青雲の志をもって修行に出たのだから故郷で

  は大僧正になって帰ってくることが期待され

  ている。しかし良寛は分相応の道に生きるこ

  とを決意するのだった。手毬で子どもと遊び、

  鉢の子(乞食)で大人と語る道を選んだ。

 さて、この物語のどこが素晴らしく、どこが哲学者なのでしょうか。私は仏の道を大切に思い、分相応に実践しようとした所だと思います。仏の心は慈悲の心、この心で友だちになり仏の心に導いていく。これは大僧正になってはできない。苦楽をともにする中で上から目線でなく、一緒に考えていく中でしかできないのではないか。南吉は、「悪い心を抑えて、善い心をのばしていくのが人間だ」とか、「希望と喜びの芽をふかせるようにする」のが仏道、「ひとりぼっちでは生きていけない。みんなが一緒になって、お互いに助け合って生きていくのでなければ」等の言葉を残します。これこそが『良寛物語』の執筆の中で新美南吉が学んだ思想だと思います。

 では、南吉はこの良寛から学んだ思想を作品にどう具現させたのでしょうか。『ごんごろ鐘』で見ることにしましょう。

  これはごんごろ鐘とお爺さんと子どもたちの

  物語。尼寺のごんごろ鐘が3月22日に「出征」

  することになる。鉄砲や軍艦の一部にされるた

  めに供出を命じられます。子どもや若者だけ

  でなく、老人もお別れに来る。このごんごろ

  鐘は、朝な夕なに鳴らされ、村人にとっては

  生活の一部で目に見えない糸で結ばれた鐘だ

  った。みんなが交替で鐘を突き、鋳造の話や

  報恩講の話をしながらお別れをする。

  しかしこの物語の主人公のお爺さんはお別れ

  の日にちを間違えていたため、翌日にお別れ

  に来る。当然のことながら、この尼寺にはも

  うごんごろ鐘はない。お爺さんはごんごろ鐘

  にお別れができず、乳母車で連れてきてくれ

  た息子に集積場の国民学校まで連れて行って

  くれと頼む。息子は野良の仕事があるのでこ

  こで諦めてくれと言う。お爺さんも、日にち

  を間違えた俺が悪いと言って諦める。その時

  だった。まわりで遊んでいた子どもたちが、

  僕たちがお爺さんを国民学校に連れて行って

  あげると申し出た。お爺さんはごんごろ鐘を

  撫で回してお別れをする。子どもたちは晴れ

  晴れとした気持ちでお爺さんを家まで送って

  行く。

 私はここには、誠の道の分相応の実践が書かれていると思います。不条理でない共存の世界が子どもたちの自然な行動を通して書かれています。哲学者新美南吉の誕生です。