姪の就職2

彼女が「人生を狂わされたと思う?」と言うので、私は「そんなことはまったく思っていない。君のような女性にここまで思ってもらい、しかも苦しめていることに、むしろ男の誇りを感じるよ」と言った。世間体だって問題じゃない。むしろ彼女の方が大変だ。なんであんな男と言われるにきまっているので。『それは違うわ。私がよけりゃそれでいいのよ』。

 彼女は私の顔を覗き込んで「苦しい」と。私は黙ってうなずいた。

「うれしいわ。私のことを思って苦しんでくれる人がいるんだから」

 私(健太郎)は、妻子と別れられないと思った。妻とのことは何とかできても―といっても十六年間の結婚生活、何一つ不満のない妻、子どもはどうなるのか。そのことが私を大いに苦しめた。私のいない家族のことを想像して嘔吐を繰り返した。慰謝料とか養育費ということで最大限のことをしたとしても、結婚し子どもをつくったという厳然たる事実は動かない。何のために結婚し、子どもをもうけたのか。親の都合で別れてもいいのか。苦悩がさらに深まった。

 なんの結論もないまま、彼女と別れた。近くの駅のプラットホームにたたずむ疲れ切った彼女の姿に、改めて罪の意識が燃え上がってきた。

「何とかしなければならない」

 どう考えても結論はでない。

 早朝、電話が鳴って、彼女が言った。

「健太郎さん、私、日本を捨ててインドへ行くことに決めたの。アパートも払っていくわ。気にしないで。さようなら」

 恐らく、どれほど悩み抜いたことだろう。日本は私、健太郎のことである。こう言われて黙っていることができる男がいるだろうか。

 私は手短にこれまでの経過を話した。よほど深刻な表情だったと見え、もっと別なことで悩んでいると思っていたらしい妻は「それはあなたが決めることじゃないの。こういうことになったのはあなたにそうさせるところがあったからよ。私と別れるというなら、家ももらって別れるけれど、私も自由に生きたいわ」。当然のことだ。やはり子どもである。妻も家を出ると言ったらどうするのか。当然そういうことを言う権利があるのだ。また苦しみがこころを覆った。

 私は意を決して一度、彼女に「別れよう。さようなら」と告げた。だが、その瞬間、激痛が全身を走った。「うそをつくな」。もう一人の自分が形相を変えて怒っている。私はここでもう彼女と別れられないと思った。

「死ぬほど苦しいことでも日が経てば忘れられるよ」と妻は言った。その通りだが、いまはどうしようもない。

 私は結果がどうであれ、妻子を捨てることを決意した。捨てる。その通りだ。「別れる」なんてずるい言葉が使えるか。これによって受けるあらゆる非難、中傷、誹謗に耐えなければならないし、どう思われても仕方がない。その道しかないのだ。悲しい。妻を説得しなければならない。こんな身勝手なことが許されるとは思わない。だけどやるしかない。

 私は簡単にこのことを書いて彼女のもとに届けた。返事を待っているところである。一晩、帰ってこないらしく、電話をかけても出てこない。

 あるいは遅かったかもしれない。「さよなら」を告げて、五分以内に行動すべきだったのだ。だけど、それで彼女が嫌だというなら仕方がない。ここでも身勝手だが、自分が捨てたとは思いたくないのだ。相手にゲタをあずけ、自分の責任を回避しているともいえる。ダメならだめでいい、そんな浅いものならどうせ長続きしないのだ。とにかく待とう。

 結局、自分は自分の思うようにしか生きられないことをさらけだしてしまった。妻も子どもも結局は他人。子どもは確かにこれからいろいろ不利な状況に直面するだろう。私を恨むに違いない。

 しかし、いま私が自分の気持ちを偽り、押し殺して、後に来るものは何か。後悔である。それならなぜその時、決断しなかったのか、生涯悔やむことになる。彼女と妻子のことを天秤にかけたわけではない。彼女と別れると言った時の方が、妻子を捨てられると考えた時よりはるかに苦しいことがわかった。

 ここで健太郎の苦悩のメモは終わっていた。

 ここまで長々と健太郎のメモを綴ってきたが、真三は健太郎の内面に触れて自分とは随分、異なった人間を見る思いになった。ある意味、ここまで一人の女性に深く思いをもてる気質にうらやましさを覚えるのだった。

 真三が目を上げると、向かいの裕美が何かを見るのではなく、空想の世界に自分をおいているかのように黙して語らない。そうかといって立ち上がる風でもない。

「裕美さん、今何を考えているのですか」

「これから舞はどうしていくのかな、と心配ではありますし、そうかといって私がどうすることもできないな、なんて思っていました。健太郎さんならどういうアドバイスをするのだろうと考えていました」

「子どもはいつまでたっても子どもですが、親の手を離れてしまっても、こころはつながっていますよ」

「そうだといいのですが…」

「子どもは年々変化します。肉体的には目に見える変化がありますが、内面の変化は見えないものですから親は不安になります。舞さんを幼いころから見ていますが、素直に育っていると思いますよ」

「そうですか。先妻の子どもさんらも複雑な思いでしょうね」

「私なんかにはわからない苦労はあったと思いますよ。だけどね、私なんかは両親がいて、男三人兄弟ですが、兄とは年齢差もありますし、疎開してバラバラに育ったこともあって最後まで親しみを覚えませんでした。こうしたらうまくいくという回答がないだけに子育ては難しいのでしょうね。親父が―親が自分の出来なかったことまで期待をかけすぎるほどに子はかしこくもないが、そうかといって、かけすぎた期待が外れて悲観した親があきらめきってしまうほど子はバカでもないのだと―書いたことがありました」

「本当にそう思います」

 そういえば、姪の舞がインドへ行くと決まってから、餞別を渡すこともあって、三人で健太郎の墓参りをして近くのレストランで会食をしたことがあった。真三は舞の就職のことが気になっていたので、墓参りの時に立ち話で、その確認をしようと声をかけた。

「今は就職に忙しい時期ではないの」

 舞はしばらく沈黙した後、口を開いた。

「学校の単位の方が大変なんです」

「そうなの…」

「わたし、お年寄りを扱うのがうまいと言われます。だから介護職に向いているのかな」

 ぼそっとそんな話をした。

 真三は以前、聞いていたことと違っていたので、多少、驚きを感じた。介護なら人手不足だから資格さえ取ればいつでも就職は可能かもしれない。そのために四年生の大学へ行ったのか、それとも大学生活のなかで変化があったのか、真三は寂しさを禁じえなかった。

「介護はお年寄り相手だろう。それより保育園なら未来の子どもをみるのだからやりがいがあるのと違う」

「・・・・・・」

 舞は軽くうなずくだけで黙ってしまった。墓参りの後、近くのレストランでうどんスキの鍋を三人でつついた。

「自動車の免許はとっておいた方が就職のときに役立つのではないの」

「だって、お母さんは免許にはおカネがかかると言ったでしょう」

「そんなこと言ったかな」

 真三はかつて舞が吹奏楽部でチューバを担当することになったときに、部員のみんなに自分の楽器を購入してほしいと先生から言われたことがあった。

「母子家庭の家では一〇〇万円もする楽器は買えません。学校の楽器を使わせてください」

 裕美はそう言って断ったことを真三に伝えたことがあった。その時は不憫な姪のために一肌脱ごうかと悩んだ。女房のるり子には言い出せなかった思いがいまも記憶にある。

 だから自動車免許の取得でも裕美が「おカネがかかる」ということは言ったに違いないと真三は思った。舞も家庭内の経済事情は吹奏楽部にいたころより、はっきり認識しているだろう。

 奨学金を借りて寮生活をしていた。この日もアルバイトで遅くなったので、帰宅しなかったのか、履物と衣服を母親に持参してもらっていた。見たところ生活に疲れている様子だった。

 就職という大事な時期に、若者特有のはつらつさを舞に感じないことに真三は一瞬、不安になった。こんなことでいくら面接を受けても、内定通知はもらえないのではないか。何もしてやれないことで、墓参りした直後だけに、弟の健太郎に申し訳ないと思った。

 ―舞の人生なのだから好きなように生きたらいいよ。経済的なことは心配しないで人生は一回だから悔いのないように―と健太郎なら娘に助言しただろうと思う。

 真三には裕美の家庭事情のすべてを知っているわけでもない。

「父が認知症になって介護度4までになり、施設に入っています。いまは介護度2まで下がりましたが、母も高齢で自宅介護が無理になっています」

 裕美は話題を変えた。

 

■岡田 清治プロフィール

1942年生まれ ジャーナリスト

(編集プロダクション・NET108代表)

著書に『高野山開創千二百年 いっぱんさん行状記』『心の遺言』『あなたは社員の全能力を引き出せますか!』『リヨンで見た虹』など多数

※この物語に対する読者の方々のコメント、体験談を左記のFAXかメールでお寄せください。

今回は「就職」「日本のゆくえ」「結婚」「夫婦」「インド」「愛知県」についてです。物語が進行する中で織り込むことを試み、一緒に考えます。

FAX‥0569―34―7971

メール‥takamitsu@akai-shinbunten.net

 

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姪の就職2

彼女が「人生を狂わされたと思う?」と言うので、私は「そんなことはまったく思っていない。君のような女性にここまで思ってもらい、しかも苦しめていることに、むしろ男の誇りを感じるよ」と言った。世間体だって問題じゃない。むしろ彼女の方が大変だ。なんであんな男と言われるにきまっているので。『それは違うわ。私がよけりゃそれでいいのよ』。

 彼女は私の顔を覗き込んで「苦しい」と。私は黙ってうなずいた。

「うれしいわ。私のことを思って苦しんでくれる人がいるんだから」

 私(健太郎)は、妻子と別れられないと思った。妻とのことは何とかできても―といっても十六年間の結婚生活、何一つ不満のない妻、子どもはどうなるのか。そのことが私を大いに苦しめた。私のいない家族のことを想像して嘔吐を繰り返した。慰謝料とか養育費ということで最大限のことをしたとしても、結婚し子どもをつくったという厳然たる事実は動かない。何のために結婚し、子どもをもうけたのか。親の都合で別れてもいいのか。苦悩がさらに深まった。

 なんの結論もないまま、彼女と別れた。近くの駅のプラットホームにたたずむ疲れ切った彼女の姿に、改めて罪の意識が燃え上がってきた。

「何とかしなければならない」

 どう考えても結論はでない。

 早朝、電話が鳴って、彼女が言った。

「健太郎さん、私、日本を捨ててインドへ行くことに決めたの。アパートも払っていくわ。気にしないで。さようなら」

 恐らく、どれほど悩み抜いたことだろう。日本は私、健太郎のことである。こう言われて黙っていることができる男がいるだろうか。

 私は手短にこれまでの経過を話した。よほど深刻な表情だったと見え、もっと別なことで悩んでいると思っていたらしい妻は「それはあなたが決めることじゃないの。こういうことになったのはあなたにそうさせるところがあったからよ。私と別れるというなら、家ももらって別れるけれど、私も自由に生きたいわ」。当然のことだ。やはり子どもである。妻も家を出ると言ったらどうするのか。当然そういうことを言う権利があるのだ。また苦しみがこころを覆った。

 私は意を決して一度、彼女に「別れよう。さようなら」と告げた。だが、その瞬間、激痛が全身を走った。「うそをつくな」。もう一人の自分が形相を変えて怒っている。私はここでもう彼女と別れられないと思った。

「死ぬほど苦しいことでも日が経てば忘れられるよ」と妻は言った。その通りだが、いまはどうしようもない。

 私は結果がどうであれ、妻子を捨てることを決意した。捨てる。その通りだ。「別れる」なんてずるい言葉が使えるか。これによって受けるあらゆる非難、中傷、誹謗に耐えなければならないし、どう思われても仕方がない。その道しかないのだ。悲しい。妻を説得しなければならない。こんな身勝手なことが許されるとは思わない。だけどやるしかない。

 私は簡単にこのことを書いて彼女のもとに届けた。返事を待っているところである。一晩、帰ってこないらしく、電話をかけても出てこない。

 あるいは遅かったかもしれない。「さよなら」を告げて、五分以内に行動すべきだったのだ。だけど、それで彼女が嫌だというなら仕方がない。ここでも身勝手だが、自分が捨てたとは思いたくないのだ。相手にゲタをあずけ、自分の責任を回避しているともいえる。ダメならだめでいい、そんな浅いものならどうせ長続きしないのだ。とにかく待とう。

 結局、自分は自分の思うようにしか生きられないことをさらけだしてしまった。妻も子どもも結局は他人。子どもは確かにこれからいろいろ不利な状況に直面するだろう。私を恨むに違いない。

 しかし、いま私が自分の気持ちを偽り、押し殺して、後に来るものは何か。後悔である。それならなぜその時、決断しなかったのか、生涯悔やむことになる。彼女と妻子のことを天秤にかけたわけではない。彼女と別れると言った時の方が、妻子を捨てられると考えた時よりはるかに苦しいことがわかった。

 ここで健太郎の苦悩のメモは終わっていた。

 ここまで長々と健太郎のメモを綴ってきたが、真三は健太郎の内面に触れて自分とは随分、異なった人間を見る思いになった。ある意味、ここまで一人の女性に深く思いをもてる気質にうらやましさを覚えるのだった。

 真三が目を上げると、向かいの裕美が何かを見るのではなく、空想の世界に自分をおいているかのように黙して語らない。そうかといって立ち上がる風でもない。

「裕美さん、今何を考えているのですか」

「これから舞はどうしていくのかな、と心配ではありますし、そうかといって私がどうすることもできないな、なんて思っていました。健太郎さんならどういうアドバイスをするのだろうと考えていました」

「子どもはいつまでたっても子どもですが、親の手を離れてしまっても、こころはつながっていますよ」

「そうだといいのですが…」

「子どもは年々変化します。肉体的には目に見える変化がありますが、内面の変化は見えないものですから親は不安になります。舞さんを幼いころから見ていますが、素直に育っていると思いますよ」

「そうですか。先妻の子どもさんらも複雑な思いでしょうね」

「私なんかにはわからない苦労はあったと思いますよ。だけどね、私なんかは両親がいて、男三人兄弟ですが、兄とは年齢差もありますし、疎開してバラバラに育ったこともあって最後まで親しみを覚えませんでした。こうしたらうまくいくという回答がないだけに子育ては難しいのでしょうね。親父が―親が自分の出来なかったことまで期待をかけすぎるほどに子はかしこくもないが、そうかといって、かけすぎた期待が外れて悲観した親があきらめきってしまうほど子はバカでもないのだと―書いたことがありました」

「本当にそう思います」

 そういえば、姪の舞がインドへ行くと決まってから、餞別を渡すこともあって、三人で健太郎の墓参りをして近くのレストランで会食をしたことがあった。真三は舞の就職のことが気になっていたので、墓参りの時に立ち話で、その確認をしようと声をかけた。

「今は就職に忙しい時期ではないの」

 舞はしばらく沈黙した後、口を開いた。

「学校の単位の方が大変なんです」

「そうなの…」

「わたし、お年寄りを扱うのがうまいと言われます。だから介護職に向いているのかな」

 ぼそっとそんな話をした。

 真三は以前、聞いていたことと違っていたので、多少、驚きを感じた。介護なら人手不足だから資格さえ取ればいつでも就職は可能かもしれない。そのために四年生の大学へ行ったのか、それとも大学生活のなかで変化があったのか、真三は寂しさを禁じえなかった。

「介護はお年寄り相手だろう。それより保育園なら未来の子どもをみるのだからやりがいがあるのと違う」

「・・・・・・」

 舞は軽くうなずくだけで黙ってしまった。墓参りの後、近くのレストランでうどんスキの鍋を三人でつついた。

「自動車の免許はとっておいた方が就職のときに役立つのではないの」

「だって、お母さんは免許にはおカネがかかると言ったでしょう」

「そんなこと言ったかな」

 真三はかつて舞が吹奏楽部でチューバを担当することになったときに、部員のみんなに自分の楽器を購入してほしいと先生から言われたことがあった。

「母子家庭の家では一〇〇万円もする楽器は買えません。学校の楽器を使わせてください」

 裕美はそう言って断ったことを真三に伝えたことがあった。その時は不憫な姪のために一肌脱ごうかと悩んだ。女房のるり子には言い出せなかった思いがいまも記憶にある。

 だから自動車免許の取得でも裕美が「おカネがかかる」ということは言ったに違いないと真三は思った。舞も家庭内の経済事情は吹奏楽部にいたころより、はっきり認識しているだろう。

 奨学金を借りて寮生活をしていた。この日もアルバイトで遅くなったので、帰宅しなかったのか、履物と衣服を母親に持参してもらっていた。見たところ生活に疲れている様子だった。

 就職という大事な時期に、若者特有のはつらつさを舞に感じないことに真三は一瞬、不安になった。こんなことでいくら面接を受けても、内定通知はもらえないのではないか。何もしてやれないことで、墓参りした直後だけに、弟の健太郎に申し訳ないと思った。

 ―舞の人生なのだから好きなように生きたらいいよ。経済的なことは心配しないで人生は一回だから悔いのないように―と健太郎なら娘に助言しただろうと思う。

 真三には裕美の家庭事情のすべてを知っているわけでもない。

「父が認知症になって介護度4までになり、施設に入っています。いまは介護度2まで下がりましたが、母も高齢で自宅介護が無理になっています」

 裕美は話題を変えた。