(先月号からの続き)

 

 しかるにその釈尊の法脈を嗣受することを信仰の基礎とするわが宗門が、アジアの他の民族を侵略する戦争を聖戦として肯定し、積極的な協力を行った。特に朝鮮・韓半島においては、日本が王妃暗殺という暴挙を犯し、李朝朝鮮を属国化し、ついには日韓併合により一つの国家と民族を抹消してしまったのであるが、わが宗門はその先兵となって朝鮮民族のわが国への同化を図り、皇民化政策推進の担い手となった。……われわれは誓う。二度と過ちを犯すことはしないと。

 

 この自己批判文を読むと、重興の悟由禅師に導かれ、聖戦という文言に踊らされて、と読めなくもないのですが、ここには悟由の悟の字も出てきません。宗門としての自己批判は立派です。しかし悟由には自己批判をさせていません。悟由は曹洞宗の一僧侶ではありません。重興としての僧侶です。悟由の戦争推進論・肯定論は間違いと明言すべきです。

 軍国主義者たちはいつも聖戦の名において戦争をはじめます。国家の命運を語ったり、武力でないと解決できないと言ったりして。悟由が利用される時代が来るかもしれません。そうならないためにも、是非明言してほしい。

 仏教は平和主義の思想です。仏教にとって、戦争はするものでなく、克服するものなのです。曹洞宗の修証義のどこを読んでも、自利・利他の菩薩道が説かれ、みんなで幸せになろうと説かれています。慈悲の心で、善と正義を実現しようとも説かれています。戦争の肯定どころか、戦争は禁句になってもいます。

 本山には、悟由に自己批判させるとともに、平和への構想を檀家に示し、導いていってほしい。

 

 脱線が長くなりました。

 悟由の間違いは間違いとして、ここからは良い面、素晴らしい面を見ていくことにします。これこそが悟由の哲学者の面です。

 

 先月号で紹介した小鈴谷小学校に掲額されている「和合」こそが、悟由の思想です。陰徳を積み、「和合」の精神に生き、みんなの信頼を得て曹洞宗の貫首になったのが悟由です。そして、総持寺の分離独立運動もこの「和合」の精神で克服し、曹洞宗の近代化を促進し、重興と評されるほどになったのが悟由です。

 

 この悟由の書には、新井石禅の以下の解題文が添えられています。

 この和合の意味は、相互に睦み合うという意味です。これは人間にとって最上の美徳です。よく堪忍し、正直の心を持ち、行儀を正しくし、親切を尽くし、愉快に勉強し、規律を重んじ、博愛を旨とするならば、学校でも家庭でも仲よく親しみあえ、楽しく成長することができます。これこそが和合の意味です。見られる通りです。これこそが、悟由の和合の思想です。「よく堪忍し」の中に、陰徳の思想が出ています。許す心がなかったら、陰徳は実践できません。

 

(次号に続く)

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 しかるにその釈尊の法脈を嗣受することを信仰の基礎とするわが宗門が、アジアの他の民族を侵略する戦争を聖戦として肯定し、積極的な協力を行った。特に朝鮮・韓半島においては、日本が王妃暗殺という暴挙を犯し、李朝朝鮮を属国化し、ついには日韓併合により一つの国家と民族を抹消してしまったのであるが、わが宗門はその先兵となって朝鮮民族のわが国への同化を図り、皇民化政策推進の担い手となった。……われわれは誓う。二度と過ちを犯すことはしないと。

 

 この自己批判文を読むと、重興の悟由禅師に導かれ、聖戦という文言に踊らされて、と読めなくもないのですが、ここには悟由の悟の字も出てきません。宗門としての自己批判は立派です。しかし悟由には自己批判をさせていません。悟由は曹洞宗の一僧侶ではありません。重興としての僧侶です。悟由の戦争推進論・肯定論は間違いと明言すべきです。

 軍国主義者たちはいつも聖戦の名において戦争をはじめます。国家の命運を語ったり、武力でないと解決できないと言ったりして。悟由が利用される時代が来るかもしれません。そうならないためにも、是非明言してほしい。

 仏教は平和主義の思想です。仏教にとって、戦争はするものでなく、克服するものなのです。曹洞宗の修証義のどこを読んでも、自利・利他の菩薩道が説かれ、みんなで幸せになろうと説かれています。慈悲の心で、善と正義を実現しようとも説かれています。戦争の肯定どころか、戦争は禁句になってもいます。

 本山には、悟由に自己批判させるとともに、平和への構想を檀家に示し、導いていってほしい。

 

 脱線が長くなりました。

 悟由の間違いは間違いとして、ここからは良い面、素晴らしい面を見ていくことにします。これこそが悟由の哲学者の面です。

 

 先月号で紹介した小鈴谷小学校に掲額されている「和合」こそが、悟由の思想です。陰徳を積み、「和合」の精神に生き、みんなの信頼を得て曹洞宗の貫首になったのが悟由です。そして、総持寺の分離独立運動もこの「和合」の精神で克服し、曹洞宗の近代化を促進し、重興と評されるほどになったのが悟由です。

 

 この悟由の書には、新井石禅の以下の解題文が添えられています。

 この和合の意味は、相互に睦み合うという意味です。これは人間にとって最上の美徳です。よく堪忍し、正直の心を持ち、行儀を正しくし、親切を尽くし、愉快に勉強し、規律を重んじ、博愛を旨とするならば、学校でも家庭でも仲よく親しみあえ、楽しく成長することができます。これこそが和合の意味です。見られる通りです。これこそが、悟由の和合の思想です。「よく堪忍し」の中に、陰徳の思想が出ています。許す心がなかったら、陰徳は実践できません。

 

(次号に続く)