ドラマは続く
テーブルにつくや、るり子は真三から受け取ったメールのコピーに目を通した。真三の方は日本茶を一口、飲んだ後、るり子がコピーを読み終わるのを待った。
やがて、るり子は口を開いた。まず先のメール、つまりウクライナとロシアの戦争について考えを述べた。
「本当に戦争は為政者の欲望以外ないですね。国民の幸せを奪い取るのですからむごいことです」
「戦争は兵器産業に膨大な利益をもたらし、国民の多くを貧困に陥れるのです。為政者はそれをわかっているから、勝利して膨大な利益を求めようとするんです」
「それが人間の命と引きかえでは、あまりにも悲劇ですね」
「人間にとって自由ということは、非常に重要です。だから攻撃を受けたら闘うのです。植民地化された国民の悲劇は大変なものでしょう」
るり子は食事をしながら、いま受け取ったコピーについて話を変えた。
「ワクチンも四回目となりますと、考えてしまいますね」
「いまだに感染していないのは、ワクチンのおかげだと思うが…」
「これまで三回ともファイザー製でしたが、他社のワクチンと組み合わせた方が効果があるといわれますが…」
「ただ、副作用の心配もあったので、ファイザー一本に絞ったが、確かに副作用はほとんどなかったね」
「このメールにもありますように、早く治療薬ができてほしいですね」
「まぁ、そういうことだな」
ワクチン接種はいつまで?
高齢者の多くは当初からコロナのワクチン接種が今かいまかと首を長くして待ち望んでいた。というのも、高齢者はコロナに感染すると重症化、あるいは死に至ると専門家からしつこいほど喧伝されたので、耳底にこびりついたからだ。だから接種率は非常に高いことでもわかる。逆に若い人は感染しても比較的、軽いと伝えたために、接種にあまりこだわらない人が多いと見られ、接種率は低い。発信の難しさがありそうだ。
政府はワクチンを公平に配送することに注力し、接種は各自治体に任された。そして予診表と接種券が送られた。受け取った高齢者は近くのクリニックをコールセンターに問い合わせると、数軒のクリニックから選べという。これではデータが共有されていないのでは意味がないと思い、自分の行きつけのクリニックに電話を入れると、順番に受け付けていますと、二、三日後、接種日を連絡してくれた。
ところが行きつけのクリニックをもたない人は、希望者が比較的多い集団接種に時間をかけて予約することになった。政府は四回目の接種を検討、実施するという。クリニックの医師は「コロナが変異しているのに、同じワクチンで効能がどの程度のものか」と、首をかしげていた。素人は戸惑い、早く治療薬ができることを待ち望んでいる。
「日本製の飲み薬ができそうですね」
「いまのところ承認も近いようだ」
「これができますと、コロナ禍の風景も様変わりするかもしれませんね」
「国民もいい加減疲れてきたとおもうよ」
「物価高、円安も心配ですね」
「悩みは尽きないな」
真三は食事を終え、書斎に戻り小説を読み始めた。
―片桐は西村から渡された小冊子を手にしながら、さらに読み続けた。
「企業にとって経営理念が一番大事ですから…」
国立民族博物館の館長梅棹忠夫は、榊田をして「閉じ込められた英雄」と名付けているように、ケタはずれに大きな人物だった。京都という盆地に閉じ込められたところから脱け出られないことが悲劇だったともいう。
金融の自由化、国際化が叫ばれ、中小金融機関の行く末が心配されていた。多くの中小金融機関の経営者が地域により一層密着するしか生きていけないと判断していたが、榊田は全く逆のことを考えていた。大和証券と組んで中期国債プラス普通預金のCMA(資金総合口座)という画期的な商品を発表、金融界に衝撃を与えた。鬼の異名をもつ住友銀行の頭取磯田一郎も「やられた」と漏らしている。
それにしても大手都市銀行が大蔵省に圧力をかけ、CMAの中期国債へ連動する額を二〇万円から三〇万円に引き上げさせたことは、自由化を標榜する日本の金融界の恥辱である。預金額が二〇万円を超えると、大和証券に資金が流れ金利の高い中期国債を購入する仕組みになっている。それが三〇万円に引き上げられると、CMAの価値が半減する。だいたい、普通預金に三〇万円以上も据え置くはずがないと他行では見ていた。榊田は大手金融機関の横暴と屈辱に歯を食いしばって耐えていた。それでもCMAはよく売れた。
片桐は榊田とほとんど付き合いがなかった。ただ、榊田の中に(ある種暗さを併せ持っている)のを感じていた。知性派、国際派を自他ともに許す榊田はがんの病魔には勝てなかった。榊田の京都経済、文化界に残した足跡はあまりにも大きく、死去した直後、京都に一種の空虚感が漂ったほどである。
榊田と全く逆の行き方をしているのが、ライバルの京都中央信用金庫理事長の西村清次である。榊田の知恵の経営に対して、ドブ板作戦なのである。頭を低くして得意先を駆けずり回るので、(どん百姓とうどん屋と同じではないか)と陰では笑われる。夜の祇園町をはしごしている西村に出会わない日がないというぐらい、昼夜を分けず、はいずるように回る。
祇園のクラブでは飲むより歌う。お世辞にも上手とはいえないが、西村は我関せずと歌い続ける。
(ヘタに歌って恥をかき、人を笑わしているが、トコトン自分を犠牲にしても社業に尽くしているのだ)と片桐は西村の歌を聴きながら敬愛の念を抱く。
ある日曜日、片桐は中信の西村に誘われた。日曜日とあって祇園の店はどこも休みである。西村はお茶屋をのぞく。女将は西村の顔を見るや喜び顔をみせる。
「西村はん。一時間ほど待っておくれやすな」
西村は待つ間にも、近くのクラブにカラオケに歌いに行こうと、片桐を誘う。一時間ほど経った頃、お茶屋の女将から(用意が整った)と電話が入る。座敷に戻ると、休みのはずの芸者が数人揃っている。西村はニコニコしながら上座に片桐を据える。すぐにも三味線相手に唄を披露する。
(この男は、芯からアホになりきっている。それが芸の域に達しているから、ここまで真似しようにもできない)
西村のかすれた声の『夫婦春秋』を聴きながら片桐は恐れ入った。しかし、片桐は芸者の嘲笑をもろともせず、真顔で歌う西村のメガネの奥に秘めた闘志が燃えているのを見逃さなかった。
伏見信用金庫の川原睦郎理事長は大蔵省(現財務省)の天下りで、官僚時代のなごりなのか、いつもフロシキを抱えているが官僚臭ささはない。むしろ九州男児の豪快さに好感をもたれる。西村と榊田の中間に位置している。
(儂も西村流にやるんだ。中小金融機関の生き方はこれしかない)
片桐は祇園で評判のとれん経営者はダメだと思いながらも、ヘタをするとのめり込むことにためらいを持った。色の道に入ると山城相銀の再建どころか、再び針のムシロの上に座らなければならない)
そこで考えたのは、舞子、芸者、女将みんなと等しく付き合うことであった。竹の子の採れる春の休日、千早赤阪村に招く。三女の結婚式にも招待し家族ぐるみの付き合いを実践した。(こういうことなら京都の人は文句を言わない)のだ。芸者らの人格を認め一人前の付き合いをしたら喜んでくれる。祇園は色とカネだけの世界ではないのだ。人間的な心の交流もあると少なくとも片桐はそう思っている。
片桐は(世の中の道理、規範を破っていると元気がでない。うしろめたいところがあると元気がでない。なにかやましいところがあると元気が出ない)と思っている。榊原元にやられたように元気がないところを見破られ、入り込まれ突っ込まれ失敗する。大事業をすればするほど、道理、規範を守らなければなるまい。一夫一婦を破れば、誰かを傷つける。人を苦しめても仕事ができればいいという人もいるが、被害者をつくればいつかその報復を受ける。
■岡田 清治プロフィール
1942年生まれ ジャーナリスト
(編集プロダクション・NET108代表)
著書に『高野山開創千二百年 いっぱんさん行状記』『心の遺言』『あなたは社員の全能力を引き出せますか!』『リヨンで見た虹』など多数
※この物語に対する読者の方々のコメント、体験談を左記のFAXかメールでお寄せください。
今回は「就職」「日本のゆくえ」「結婚」「夫婦」「インド」「愛知県」についてです。物語が進行する中で織り込むことを試み、一緒に考えます。
FAX‥0569―34―7971
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ドラマは続く
テーブルにつくや、るり子は真三から受け取ったメールのコピーに目を通した。真三の方は日本茶を一口、飲んだ後、るり子がコピーを読み終わるのを待った。
やがて、るり子は口を開いた。まず先のメール、つまりウクライナとロシアの戦争について考えを述べた。
「本当に戦争は為政者の欲望以外ないですね。国民の幸せを奪い取るのですからむごいことです」
「戦争は兵器産業に膨大な利益をもたらし、国民の多くを貧困に陥れるのです。為政者はそれをわかっているから、勝利して膨大な利益を求めようとするんです」
「それが人間の命と引きかえでは、あまりにも悲劇ですね」
「人間にとって自由ということは、非常に重要です。だから攻撃を受けたら闘うのです。植民地化された国民の悲劇は大変なものでしょう」
るり子は食事をしながら、いま受け取ったコピーについて話を変えた。
「ワクチンも四回目となりますと、考えてしまいますね」
「いまだに感染していないのは、ワクチンのおかげだと思うが…」
「これまで三回ともファイザー製でしたが、他社のワクチンと組み合わせた方が効果があるといわれますが…」
「ただ、副作用の心配もあったので、ファイザー一本に絞ったが、確かに副作用はほとんどなかったね」
「このメールにもありますように、早く治療薬ができてほしいですね」
「まぁ、そういうことだな」
ワクチン接種はいつまで?
高齢者の多くは当初からコロナのワクチン接種が今かいまかと首を長くして待ち望んでいた。というのも、高齢者はコロナに感染すると重症化、あるいは死に至ると専門家からしつこいほど喧伝されたので、耳底にこびりついたからだ。だから接種率は非常に高いことでもわかる。逆に若い人は感染しても比較的、軽いと伝えたために、接種にあまりこだわらない人が多いと見られ、接種率は低い。発信の難しさがありそうだ。
政府はワクチンを公平に配送することに注力し、接種は各自治体に任された。そして予診表と接種券が送られた。受け取った高齢者は近くのクリニックをコールセンターに問い合わせると、数軒のクリニックから選べという。これではデータが共有されていないのでは意味がないと思い、自分の行きつけのクリニックに電話を入れると、順番に受け付けていますと、二、三日後、接種日を連絡してくれた。
ところが行きつけのクリニックをもたない人は、希望者が比較的多い集団接種に時間をかけて予約することになった。政府は四回目の接種を検討、実施するという。クリニックの医師は「コロナが変異しているのに、同じワクチンで効能がどの程度のものか」と、首をかしげていた。素人は戸惑い、早く治療薬ができることを待ち望んでいる。
「日本製の飲み薬ができそうですね」
「いまのところ承認も近いようだ」
「これができますと、コロナ禍の風景も様変わりするかもしれませんね」
「国民もいい加減疲れてきたとおもうよ」
「物価高、円安も心配ですね」
「悩みは尽きないな」
真三は食事を終え、書斎に戻り小説を読み始めた。
―片桐は西村から渡された小冊子を手にしながら、さらに読み続けた。
「企業にとって経営理念が一番大事ですから…」
国立民族博物館の館長梅棹忠夫は、榊田をして「閉じ込められた英雄」と名付けているように、ケタはずれに大きな人物だった。京都という盆地に閉じ込められたところから脱け出られないことが悲劇だったともいう。
金融の自由化、国際化が叫ばれ、中小金融機関の行く末が心配されていた。多くの中小金融機関の経営者が地域により一層密着するしか生きていけないと判断していたが、榊田は全く逆のことを考えていた。大和証券と組んで中期国債プラス普通預金のCMA(資金総合口座)という画期的な商品を発表、金融界に衝撃を与えた。鬼の異名をもつ住友銀行の頭取磯田一郎も「やられた」と漏らしている。
それにしても大手都市銀行が大蔵省に圧力をかけ、CMAの中期国債へ連動する額を二〇万円から三〇万円に引き上げさせたことは、自由化を標榜する日本の金融界の恥辱である。預金額が二〇万円を超えると、大和証券に資金が流れ金利の高い中期国債を購入する仕組みになっている。それが三〇万円に引き上げられると、CMAの価値が半減する。だいたい、普通預金に三〇万円以上も据え置くはずがないと他行では見ていた。榊田は大手金融機関の横暴と屈辱に歯を食いしばって耐えていた。それでもCMAはよく売れた。
片桐は榊田とほとんど付き合いがなかった。ただ、榊田の中に(ある種暗さを併せ持っている)のを感じていた。知性派、国際派を自他ともに許す榊田はがんの病魔には勝てなかった。榊田の京都経済、文化界に残した足跡はあまりにも大きく、死去した直後、京都に一種の空虚感が漂ったほどである。
榊田と全く逆の行き方をしているのが、ライバルの京都中央信用金庫理事長の西村清次である。榊田の知恵の経営に対して、ドブ板作戦なのである。頭を低くして得意先を駆けずり回るので、(どん百姓とうどん屋と同じではないか)と陰では笑われる。夜の祇園町をはしごしている西村に出会わない日がないというぐらい、昼夜を分けず、はいずるように回る。
祇園のクラブでは飲むより歌う。お世辞にも上手とはいえないが、西村は我関せずと歌い続ける。
(ヘタに歌って恥をかき、人を笑わしているが、トコトン自分を犠牲にしても社業に尽くしているのだ)と片桐は西村の歌を聴きながら敬愛の念を抱く。
ある日曜日、片桐は中信の西村に誘われた。日曜日とあって祇園の店はどこも休みである。西村はお茶屋をのぞく。女将は西村の顔を見るや喜び顔をみせる。
「西村はん。一時間ほど待っておくれやすな」
西村は待つ間にも、近くのクラブにカラオケに歌いに行こうと、片桐を誘う。一時間ほど経った頃、お茶屋の女将から(用意が整った)と電話が入る。座敷に戻ると、休みのはずの芸者が数人揃っている。西村はニコニコしながら上座に片桐を据える。すぐにも三味線相手に唄を披露する。
(この男は、芯からアホになりきっている。それが芸の域に達しているから、ここまで真似しようにもできない)
西村のかすれた声の『夫婦春秋』を聴きながら片桐は恐れ入った。しかし、片桐は芸者の嘲笑をもろともせず、真顔で歌う西村のメガネの奥に秘めた闘志が燃えているのを見逃さなかった。
伏見信用金庫の川原睦郎理事長は大蔵省(現財務省)の天下りで、官僚時代のなごりなのか、いつもフロシキを抱えているが官僚臭ささはない。むしろ九州男児の豪快さに好感をもたれる。西村と榊田の中間に位置している。
(儂も西村流にやるんだ。中小金融機関の生き方はこれしかない)
片桐は祇園で評判のとれん経営者はダメだと思いながらも、ヘタをするとのめり込むことにためらいを持った。色の道に入ると山城相銀の再建どころか、再び針のムシロの上に座らなければならない)
そこで考えたのは、舞子、芸者、女将みんなと等しく付き合うことであった。竹の子の採れる春の休日、千早赤阪村に招く。三女の結婚式にも招待し家族ぐるみの付き合いを実践した。(こういうことなら京都の人は文句を言わない)のだ。芸者らの人格を認め一人前の付き合いをしたら喜んでくれる。祇園は色とカネだけの世界ではないのだ。人間的な心の交流もあると少なくとも片桐はそう思っている。
片桐は(世の中の道理、規範を破っていると元気がでない。うしろめたいところがあると元気がでない。なにかやましいところがあると元気が出ない)と思っている。榊原元にやられたように元気がないところを見破られ、入り込まれ突っ込まれ失敗する。大事業をすればするほど、道理、規範を守らなければなるまい。一夫一婦を破れば、誰かを傷つける。人を苦しめても仕事ができればいいという人もいるが、被害者をつくればいつかその報復を受ける。